第4話

にゃん丸の指示に従って進んだ先は地下だった。窓が無く、光源は蛍光灯のみに限られる地下は薄暗い。

六時間目が終わっている今、調理室や家庭科準備室はしんと静まり返っていた。

「ここからどう行くの」

「更に下の階に行くにゃん」

「ここ、最下層だけど」

望みが丘学園は大学棟も高校校舎も地下一階までの造りのはずだ。

「よく見るにゃん」

今しがた降りてきた階段を振り返ると、階段は更に地下へと降りていた。

「……どうなってんの?」

「信じる者が信じている時に、魔法使いの世界は現れるにゃん。瑛介の心に魔法使いを信じる気持ちがある証拠にゃ」

「信じざるを得ないからね」

抱き枕が喋るし、の部分は飲み込んだ。

現れた階段は半分より下が水に沈んでいた。普通に考えれば学園に浸水していることになるが、にゃん丸の話が本当であればこの階段は魔法使いの世界への入口ということになる。

「俺、流石に水中じゃ息出来ないけど」

「水に見えてるだけで水ではないから大丈夫にゃん」

水に足を入れると、確かに足は濡れなかった。ザブザブと音はするし、ズボンが水で脚に吸い付くような感触はあるものの、実際には濡れていないのだ。

瑛介の身体がすっぽりと水の中に収まった頃には、階段の先が螺旋状になっているのが見えた。

「もっと華やかな入口だと思ったな」

「瑛介は魔法使いをなんだと思ってるにゃ?魔法使いなんて陰気な根暗ばっかりよ」

「俺も陰気で根暗だから人のこと言えないよ」

螺旋を五回ほど下ったところで、瑛介の足は整えられた芝生に落ち着いた。

薔薇のアーチが幾つも並び、長いアーチをくぐり抜けるとその風景はガラリと様子を変えた。

大理石で作られたあまりに大きすぎる人の生首がゴロゴロと無造作に転がった空間。その髪の生えていないマネキンのような生首は、学校の校舎程の大きさがあった。

地面は黒く、パステルピンクの空と妙な調和を見せている。

ピンク色の空を背景に、マネキンの生首ははるか遠くまで不恰好でありながらゴロゴロと列を作っていた。

「これが入口?」

「『生者の行進』、とか言うタイトルだったと思うにゃん」

「作品なのか、これ。でも魔法使いって創造は出来ないんじゃなかった?」

瑛介の腕の中でにゃん丸はうんうんと頷いた。

「その通りにゃん。昔魔法使いと仲の良かった芸術家が造ったらしいにゃ。もっとも、これは絵空事の作品だから触れないけどにゃん」

「なるほど全く分からない」

真っ黒く塗られた道を進んでいると、乾いた拍手が一人と一匹を出迎えた。

「来ると思ってましたよ、にゃん丸さん」

燕尾服を身にまとったその人物の首は、牛の頭骨だった。

「児玉瑛介さんですね、お話は伺っております。私はガネーシャと申します」

「ど、どうも」

長い立派な二本の角がお辞儀と共に下を向く。

「この先に私の家がありますから、そこで休まれてはいかがですか。今日はお喋りなパンジーの花弁から作った紅茶があるんです」

「にゃん丸、紅茶はあまり好きじゃないにゃあ」

ガネーシャが歩き出したので、瑛介もその後を追うように歩き出す。

「にゃん丸さんが来たということは、人間たちにあれが知られてしまったということなんでしょうね」

「恐らくそうだとにゃん丸は思ってるにゃん。綾瀬は否定してたけどにゃ」

「あれってなんですか?」

瑛介の質問にガネーシャは二度頷く。

「本来人間の世界には知られないはずでしたからねえ。ファム・ファタールの宝石という、命の宝石です」

命、という言葉に瑛介はピンとくるものがあった。

「もしかして、死んだ人が生き返る、とか」

「まさにその通りです」

ガネーシャはまた乾いた拍手を送る。

「昔、偉大な魔法使いが作り上げたとされる宝石なんですがね。特に私たちなんていうのは寿命が短いものですから。四十五年以上は生きられないのですよ。そんな中で、遂に魔法使いが長生きをする宝石を作ってしまったわけです」

諒が見つけたと言っていた『人が生き返る方法』は、恐らくこれだろう。

「でもその宝石は、魔法使いの世界の秩序を乱してしまったのです。短命だからこそ出来たこと、短命だからこそ感じられた物事が希薄化してしまいました。そして宝石を手に入れようとする者が多く現れたのです。それで、その魔法使いは魔法使いの世界から追放されてしまいました」

ガネーシャの優しいお爺さんのような声が少し掠れる。

「じゃあ、その偉大な魔法使いは人間の世界にいるってことですよね」

「正しくはいた、ですよ。宝石が作られたのは今から二百年以上前の話ですから。その魔法使いはとうに死んでいます」

「宝石はどうなったんですか?」

「それもまた魔法使いの世界で騒ぎになりましてねえ。どこにも見つからなかったのです。私は製作者の魔法使いが壊してしまったんだと思っていますが、今でもどこかにあるのでは無いか、と探している魔法使いも多くいるのが現状です。魔法使いの世界は汚い人ばかりになってしまいました」

牛の骨は表情を浮かべることは無かったが、今の世界をガネーシャは憂いているようだった。

「製作者も、世界も破滅に導かれてしまったのです。それで製作者が亡くなった後に、その宝石はファム・ファタールの宝石と名付けられたのですよ。さあ、着きましたよ」

気付くとマネキンの首のエリアは終わっていて、辺りはオフィス街のような風景に変わっていた。

ガネーシャはガラス張りのビルの扉を開けると、オートロックを解除して中へと入っていく。

「これは誰が建てたの?」

キョロキョロと周りを見回すも、辺りに人の姿は無かった。

「日本のどこかの街のコピーにゃん。コピーだったらいくらでも作れるからにゃ」

「何故オフィス街なのかは私も分からないんですがね」

レトロチックなエレベーターで最上階まで上がると、ガネーシャの部屋はそこにあった。

吹き抜けた造りになっているようで、ワインレッドのカーペットが敷かれた廊下からは先程瑛介たちが通ってきた一階のホールの床が見える。

「凄い所に住んでるんですね」

「タダですからね。私たちの世界にはお金はありませんから。自分で作ればいいだけの話なのです」

部屋に入ってもガネーシャは燕尾服を脱がなかった。

リビングにたどり着くと、にゃん丸は瑛介の腕からポンと飛び出して大きな黒い革のソファへとダイブする。もちろんぬいぐるみなのでポスッと小さな音がしただけだったが。

窓から見下ろす街の景色はどこかで見たことがあるようだった。

ただ一つ、車も電車も人の姿もまるで見えないことだけが不気味なのだ。

「瑛介さんは綾瀬とは何だか対照的に感じますね」

今まで嗅いだことの無い独特な香りを放って、そのお喋りパンジーのお茶は現れた。

金色の縁どりがされた白い陶器のカップが瑛介の前に置かれる。

「ああ、心配しなくても変な効果とかはないですよ」

強ばった顔で鮮やかな花弁が浮かんだ紅茶を見ていた瑛介を見てガネーシャは笑った。

恐る恐る口に含むと、芳醇な茶葉の甘みの後にスッとパンジーの香りが鼻を抜ける。

「美味しいです」

「それは良かった。パンジーの花びらと、すり潰した葉から香りを出しているんですよ。にゃん丸さんは紅茶が嫌いなんですよね」

にゃん丸はテーブルの中央に置かれたハイティースタンドから直接プチショートケーキを頬張っていた。

「猫は紅茶なんて飲まないにゃん」

「猫はケーキも食べないだろ」

にゃん丸は食べるのに忙しいようで、瑛介の言葉に返事をしなかった。

「綾瀬さんと対照的、ですか」

「ええ。貴方を見た時に、その髪とシャツが真っ白だったもので、ピンと綾瀬が思い浮かんだのです。綾瀬は真っ黒ですから」

ふふふ、と笑いながらガネーシャはカップに口をつける。

「変ですよね、この髪」

「そんな事ないですよ。ロマンスグレー、憧れるじゃないですか。私にはもう髪がありませんから」

笑っていいのか分からない冗談に瑛介は顔を強ばらせた。

「その髪、どうしたんでしょう。私のこの顔と情報の交換しませんか?」

「大した話じゃないですけど」

「ええ、ええ、大丈夫ですとも。お聞かせください」

いつの間にか、にゃん丸は食べるのをやめてじっと瑛介の話を聞いていた。

「母親が亡くなった日に突然白くなったんです。本当に理由は分からなくて」

「不思議ですねえ。ちなみになんですけど、ファム・ファタールの宝石を作った魔法使いは白髪なんだそうですよ」

「え、いや……俺は魔法使いじゃないんでなんとも」

「分かってますとも」

ガネーシャは数年ぶりに人と話したかのように楽しそうだ。

「私のこの顔はですね、こういう風に見せているだけなんです」

どこまで聞いていいのか分からず、瑛介は牛の目があったであろう窪みを黙って見つめた。

「火事で顔が無くなっているんです。魔法で火傷のダメージは抑えられたんですけどね、無くなった細胞の再生は魔法では出来なかったんですよ。大きな火事だったみたいでしてねえ。その時ですよ、綾瀬に出会ったのは。彼もその現場近くに居たらしいですが、火傷は負っていませんでしたから少し離れていたのでしょうねえ」

「なんの火事だったんですか」

「それが……理由が分からなかったのです。火元が分からなかったもので。ああ、言い忘れましたが、この火事は人間世界の方で起きたものです。何年前だったでしたか」

その疑問に答えたのは意外な人物、いや猫だった。

「三十年前にゃ。にゃん丸はその火事の日に突然目が覚めたんだにゃん」

「にゃん丸が?お母さんから生まれてきたんじゃないの」

「ぬいぐるみにお母さんがいるわけ無いにゃん」

猫なんじゃ無かったのか、という言葉は紅茶と一緒に飲み込んだ。

「そうでしたか、にゃん丸さんもあの時近くにいたのですね。なんとも不思議ですねえ……」

「突然目が覚めたところを、綾瀬に抱えられて火事から飛び出して来たにゃん」

「綾瀬は火の中にいたんですか?」

ガネーシャが驚いたように返す。

確かに、ガネーシャの話だと綾瀬は火事から離れた所にいたことになっている。

「そうにゃ。火に囲まれた部屋の隅で呆けていて、にゃん丸が暑いにゃ! って叫んだらハッとしてにゃん丸を抱えて部屋を飛び出したにゃん。危うく尻尾が燃えるところだったにゃ」

「私の話はあくまで推測ですので、にゃん丸さんの話が恐らく正しいんでしょうね。魔法で火を払ったんでしょうか……」

紅茶が冷えてしまったと、ガネーシャは首を傾げながらキッチンへと下がって行ってしまった。

「すっかり話が逸れてしまいました」

紅茶は冷めきっていたが、ガネーシャがカップの縁に指だけ触れると紅茶からは湯気が立ち始める。浮いた花びらから、クスクスと笑う声が聞こえた。驚く瑛介にガネーシャは優しく笑うと、

「お喋りパンジーですからね。今度お見せしましょう」

とカップを揺らせて見せた。

「本当に話すんですね」

「ただ彼女たちは嘘つきで噂好きなんですよ。気をつけないといけません」

ガネーシャは深いため息をついた。

「もしかすると喋る花が漏らしてしまったんですかねえ……。宝石の存在を人に知られてしまったかも知れない。私が考えている事なんですが、恐らく……恐らくですけど、ファム・ファタールの宝石はまだ現存しているんじゃないでしょうか。そして、宝石は人間の世界にあります。私は初め宝石は無くなったと考えていましたが、今更になって人間に知られるのはおかしすぎます。きっと現存する宝石の情報の欠片を誰かが知ったのでは無いでしょうか」

何となくその宝石はどこかの世界にあるのではないか、瑛介もそんな風に感じていた。

「人間まであの宝石に魅入られてしまったら、本当に大変なことになるでしょうね……。特に人間は我々と違って、努力や研究、創造も出来ますから」

「俺の親友が、もしかしたらその宝石を探しているかもしれないです」

ガネーシャの「えっ!」とにゃん丸の「えっ!」がユニゾンを決める。

「確かにファム・ファタールの宝石なんでしょうね?」

「いえ……名前までは聞いてないんですが、確かに『死んだ人を生き返らせる方法』だと言っていました」

「にゃん丸の危険察知はこれだったのでしょうか……。その親友は魔法使いでは無いんですよね?」

「では無いはずです。少なくとも俺はそんな素振りを見た事がないです」

「なるほどなるほど。では人間に宝石のことを知られてしまったのは事実の可能性が濃厚になって来ましたね」

うーむ、とガネーシャは牛の顎の部分に手を当てて天井を仰いだ。

「そのお友達に詳しく話を聞いていただけないでしょうか。調査を協力したい、と言うなどして」

諒を騙すことにあまり気乗りはしなかったが、諒から初めて死んだ人が生き返る話について聞いた時、なんとも言えないあの違和感をどうしても拭いされなかった。

諒は多分何か危ないことを企んでいる。

「やってみます」

「ありがとうございます。私もこちらで色々調査してみます。あまりこの話をするのは気乗りしないんですがね。ああそれと、」

ガネーシャは立ち上がった瑛介に大きなレジ袋を手渡した。

「綾瀬に渡してください。あの人また何も食べてないでしょうから」

袋の中にはかぼちゃやピーマン、柿の葉で包まれた肉が入っている。

「料理はしていると話していたので、材料の方がいいかと思いましてね」

ぽかんとしてしまったにゃん丸の顔を隠すように抱き上げると、瑛介は愛想笑いで返した。

「分かりました。渡しておきます」

ホッとしたようなガネーシャに少しの罪悪感を抱えながら、瑛介はようやく魔法使いの世界から帰還した。

恐らくあの材料たちは蝶子に渡されるのだろうと思いながら。

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