第3話
「望月くんがどうして僕について来てくれるのか不思議だったんだよ」
学園内の喧騒を全て吸い尽くしたかのように静まり返った図書館の奥の書庫は、木造で温かみのある図書室とは対照的に打ちっぱなしのコンクリートでより一層その寒々しさを強調していた。
図書室は暖色の間接照明をあしらっているが、書庫は消えた部分もそのままにされた安っぽい蛍光灯である。
「ほら、望月くんも知っているだろうけど僕は生徒から嫌われているだろう。好かれようともしてないけれど、まさかここまで嫌われるとは思ってなかったんだよ。そんな中で君は僕を支持してくれていたろう」
「俺は牛間先生の授業好きですよ。生徒に考えさせながら進める形式は難しいでしょうけど生徒のためになると思いますから」
白衣を着ているが何となくボサついた色素の薄い茶髪を緩く後ろで縛っているその男は、この容姿にして司書であった。
現国を担当している堤が体調を崩しやすい為、しばしば諒のクラスで授業を行っていたのである。怪しげな空気と、笑いながら寝ている生徒をいじるような言動が生徒に気味悪がられていた。
低く透き通った声をしているので一部の生徒には人気があるとの噂があるとかないとか。
「嬉しいなあ。本心なのか、生徒会長としての建前なのかは分からないけどね」
口元だけで笑うと牛間は便所スリッパのようなサンダルでぺたぺたと書庫の奥へと進む。
「君は僕に何を聞きに来たんだろう。この間授業で話したお喋りな花の話かな。それとも」
「ファム・ファタールの宝石について」
牛間は諒から少し離れた所に立っていたが、瞳孔が細くなったのは諒からでも分かった。
「何でそれを知ってる?」
「探してるんです」
「誰が?」
「誰でもいいじゃないですか」
「なるほどな。俺がここに勧誘されたのはそいつが目的だったってことか。怪しいと思ってたんだ」
フッと目元まで歪めて笑う牛間は薄暗い蛍光灯に照らされて異様な空気を出していた。
「お前さんのお父さんにな、うちで働きませんかって言われたんだよ。こんな名門学園に俺を呼ぶなんておかしいだろ?わざととは言え見てくれはこんなだし、ただのしがない司書として町の小さい公民館で働いてた俺をだ。そこに来てお前がファム・ファタールの宝石について教えてくれときた」
ハハハ、と乾いた笑いをしてから牛間は諒の方へと歩き出した。
牛間の変貌を見ている諒は表情を変えない。
「どこまで知ってんだ?」
白衣が眼前に迫る。
「何も。ただ、人が生き返る石だってことだけです」
眉一つ動かさない諒の様子を鼻で笑ってみせると、牛間は大袈裟に肩を竦めた。
「誰がバラしちまったんだろうなぁ。ファム・ファタールの宝石。魔法使いが唯一創り出した命」
歌うように牛間は呟く。
「魔法使いですか」
「会ったことねえか。魔法使いってのは人と大して変わらないからな。違うのは魔法が使えることと、」
肩を震わせて牛間は鼻にかかった笑いをこぼした。
「新しいものを創り出すことが出来ない」
「と言うと」
「俺いい事考えちゃったな。提案だ、お前たちが俺の給料を十倍に弾んでくれたら俺は今知ってる話を教えてやるよ」
勝ち誇ったように笑う牛間に諒は一瞥をくれただけだった。
「馬鹿馬鹿しい」
「いいのか?この先お前たちが宝石を探している間に他の誰かが見つけるかもしれない。あんな代物、他に無いからな。さらに言えば俺は魔法使いのツテがある」
「その話は惜しいですけどね。検討はしましょう。」
牛間の舌打ちがコンクリートに跳ね返る。
「色良い返事待ってるぜ」
書庫の分厚い扉を開けると、牛間はそのまま図書室へと歩いて行ってしまった。
遠くの方でチャイムが聞こえる。
五時間目は梶の授業だったが、授業を受ける気にはなれなかった。
屋上庭園に誰もいないことを確認するとブレザーの内ポケットから煙草を取り出し、一本咥えて火をつける。
何としても手に入れなければならないのだ。
この学園と、自分の為にも。
校庭の喧騒が消え去り、諒は音の無い空に煙を流し続けた。
六時間目になっても諒は帰ってこなかった。
四時間目まで確かにいたのに、昼休みに用があると言って消えてしまってからそのままになっている。
「先帰るからな」
無人の席に声をかけて瑛介はリュックを背負う。
土曜日の午後に起きた出来事があまりに色々あり過ぎて、授業の内容は全く頭に入らなかった。
「綾瀬は魔法使いにゃん。ジョーシキよジョーシキ」
「常識くらい漢字で言いなよ。……魔法使い、って空想上の魔法使いのことですか」
瑛介の皿からエビフライを分捕ろうとしていたにゃん丸の頬をむぎっと摘んでから綾瀬の方へ向き直る。
「まあそんなものかな。皆が想像するみたいないいものでは無いけどね。おならもするし腹は壊すし勿論死ぬし」
綾瀬がソースの蓋と格闘しているのをいいことに、蝶子が綾瀬の茶碗に更に米をよそう。
「ちょっとしたエスパーが使える故に孤立した人達の集団みたいなものだよ」
言いながら綾瀬は蝶子のしゃもじをカウンターの奥へと走るように操って見せた。
「杏ちゃん!あのしゃもじいいやつなんだから汚したら殺すわよ!!」
鬼の形相で蝶子はしゃもじを追いかけて行ってしまった。
「なんで綾瀬さんは大学で働いてるんですか。もっとなんか……俺だったら、」
「ああそれは駄目だよ」
瑛介の言わんとしていることはお見通しであるらしい。
「俺たちに華が無くなったのはそうやって努力を怠るからなんだ。魔法使いの殆どは努力することを嫌悪したり見下してたりするんだけどね。努力なんてしなくても美味しく感じられる料理だって作れてしまうし、それこそ自分の指に魔法をかけてカンパネラだって簡単に弾ける。でもそれって、自分で時間と手間をかけて努力して弾けるようになったカンパネラとは全くの別物なんだよ」
ソースの蓋がようやく開いて、綾瀬の食事がやっと始まった。
「俺が人間たちの社会にいようとしてるのは人間と同じ立場で努力したいからなんだ。ああでも、別に教授になろうとは思ってなかったけどね」
「じゃあ何で……」
「大学の学長さんから声をかけられたんだ。給料を弾むからうちで働かないか、って。生物学を勉強してたから丁度良かったよ」
瑛介から貰えないと判断したにゃん丸はすかさず綾瀬の皿からエビフライを強奪していた。
「本当はうちの店でピアニストやって欲しかったんだけどねえ」
気がつくとしゃもじを取り返した蝶子がカウンターの前に立っていた。
「杏ちゃんがこっちに来た時なんてあたしが拾ってあげたのよ。まあイケメンが落ちてる! と思ったら生活力ゼロなんだからもう困っちゃって」
「人間って拾うものじゃないと思うんですけど」
瑛介の言葉が聞こえなかったのか蝶子は話を続ける。
「それでね、ご飯を食べさせてくれたお礼にってそこに置いてあるピアノを弾いてくれたのよ。そしたらお客さんたちが喜んじゃって」
小さいひな壇上の舞台と、その上に置かれたピアノ。ステンドグラスから溢れる光を受けてその姿は艶かしい迷彩色を映し出していた。
「それでしばらくここでピアノ弾いたりお皿洗ったりして働いてくれてたの。そしたら急に偉そうな人が来てねぇ……」
どうやら蝶子は望月学長のことをよく思っていないらしい。
「お客さん寂しがってるんだから今日くらい弾いていきなさいよ」
「分かったよ。蝶子さんのよしみだし、仕方ない」
にゃん丸が綾瀬の昼食をすっかり平らげてしまうと、綾瀬は席を立った。
「にゃん丸って、ご飯食べるんだ」
ぬいぐるみなのに。という言葉は飲み込んだ。
「にゃん丸は唯一無二の猫だから何でも食べるにゃん」
「確かに唯一無二かもね」
ふんっ、と偉そうな小さい姿を見て瑛介は少し笑った。
「じゃあ、俺はまだ少し仕事が残ってるから。先に帰ってるよ」
にゃん丸を抱き上げて綾瀬は店を出ていった。
食後に出された珈琲ゼリーがたまらなく美味しかったことと、蝶子の話す昔話があまりに面白かったこともあって瑛介が店を出たのは夕方の六時だった。
先に帰ると言ったものの何となく諒のことが気になった。生徒会長になる前から真面目に授業を受けてきたし、欠席などしたことが無かったあの諒が二回も授業をサボったのだ。
多分屋上庭園だろう。
理由や根拠はまるで無かったが、何となくそう感じる。
人が生き返る方法がどうとか言ったあの日以来、どうにも諒の考えてることが分からない。何か諒の身にあったのか。
「あ、そういえば……」
人が生き返る方法を教えると言っていた綾瀬に詳しい話を聞くのを忘れてしまっていた。
魔法使いだとか喋る抱き枕の登場で、すっかり忘れてしまっていたのだ。
屋上庭園へ向かおうと中央階段に足をかけた時、
「えー、抱き枕が落ちてる」
廊下から声が聞こえた。
「抱き枕って……」
嫌な予感がして声のするほうを覗いてみると、思った通りにゃん丸が廊下に落ちていた。おそらく落ちている訳では無いのであろうが。
瑛介のクラスメイトの女子生徒がにゃん丸を抱き上げる。名前は思い出せないがクラスメイトであることは間違いない。定期試験で席が出席番号順になる際に前の席に座っているのが彼女だからだ。
元々にゃん丸は大学棟にある綾瀬の研究室にいるはずなのに何故高校の校舎にいるのだろうか。
「誰かの落し物かな」
「ち、ちょっと待って」
彼女は予想外だったのかひどく驚いた顔をして見せた。
「児玉くん。これ、児玉くんのなの?」
「え、いや、そういうわけじゃ……」
彼女の腕に抱かれながらこちらを見ているように見える抱き枕からは異様なプレッシャーが湧き出ている、ように瑛介は感じた。
「うん、俺の」
ええっ! と更に驚いた彼女はにゃん丸を一度撫でると瑛介に手渡した。
「児玉くん、可愛い抱き枕持ってるんだね」
「まあ、うん。そう」
にゃん丸を抱えて一目散に男子トイレへと向かう。
幸い男子トイレは無人だった。
「男子トイレなんかに連れてくるなにゃん!!」
トイレに駆け込むや否や、にゃん丸は綿の詰まった短い足でぽかぽかと瑛介の胸板を叩く。
「しょうがないだろ、助けただけ感謝しろよな」
にゃん丸を抱えた姿を誰かに見られたくなかったが、トイレの床はもちろん、鏡台に置くこともはばかられた為、結局腕に抱えたままとなる。
「あの状態で助けないなんてひとでなしにゃん!」
「それよりなんであんな所にいたんだよ。綾瀬さんの部屋にいるんじゃないの?」
ぽかぽかと叩いていたにゃん丸は瑛介の言葉を聞いてハッと動きを止めた。
「そうにゃ、こんなことしてる場合じゃ無いにゃん」
さっきの勢いは何処へやら、元々折れている黒色の右耳に加えて茶色い左耳もシュンと折れてしまっている。
三毛猫じゃなくてスコティッシュフォールドだ、と瑛介は心の中でこっそり笑った。
「綾瀬と喧嘩しちゃったにゃん」
「綾瀬さんと? あの人怒らなそうだけど」
瑛介の着ているカーディガンにモソモソと顔を擦り付けながらにゃん丸は小さい声で話し出す。
「この学園に何か悪いことが起きるにゃん。にゃん丸にはそれが分かるにゃん。でも綾瀬にそれを話してもにゃん丸には関係ないって言うにゃん」
「悪いことって何?」
「それは分からないにゃん。でも、悪いことを企んでる奴がいるにゃん。唯一無二のにゃん丸のヒゲが察知したんだから間違いないにゃん」
「すごい自信だな」
「瑛介も信じてくれないのかにゃ」
更にスコティッシュフォールドになってしまったにゃん丸を瑛介は慌てて撫でる。
「いや、そういう訳じゃ無いけど。俺はまだ魔法使いの登場とかも夢みたいな気持ちなんだって」
「じゃあ信じてくれるにゃ?」
「うーん、まあ」
実際は半信半疑よりもちょっと疑心が強かったが、スコティッシュフォールドになってしまったにゃん丸を見ていると信じられないとは瑛介は言えなかった。
「着いてきて欲しいにゃん」
「え、どこに?」
ようやく左耳が元に戻ったかと思うと、にゃん丸はパタパタと綿の詰まった尻尾を振り出した。
「魔法使いの世界に。綾瀬はもう当てにならないから、綾瀬の親友に助けを求めてみるにゃん!」
「……それ、俺いるかなあ」
巻き込まれたくない気持ちと、諒へのちょっとの心配から零れてしまった瑛介の消極的な言葉は、にゃん丸をまたしてもスコティッシュフォールドにしてしまった。
「ごめん。着いていくよ」
「瑛介は嫌いにゃん。人がいるから、この先はにゃん丸は黙るにゃん。進んで欲しい方に尻尾を振るからそれに従うにゃん」
にゃん丸は瑛介の腹に背を合わせて抱かれる形に収まると、社長よろしく偉そうにふんっ、と鼻息を荒らげてみせた。
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