第2話 再出発への決断
「おまたせ、どうだった?」
「どうだったって言われても……」
「ちょっとは驚いてくれたかな」
意地の悪い、でも親しみを感じるような笑みを見せる彼女。演奏を終えて寄本さんは約束通り、私のところに戻ってきてくれた。
だが、演奏する前よりも私は彼女との会話に緊張し、心臓が早鐘を打っていた。
「本当のことを言うとね、少しでも観客を増やしたくて道添さんを誘ったんだ。せっかく歌うんだ。もっと多くの人に来てほしいと思ったんだよ」
「だったら言ってくれれば」
「理由は一つだよ。君の驚く顔が見たかったんだよ」
とまた意地の悪い笑みを浮かべた。
「まあそんなことより、何で私があそこで歌っているのか疑問に思った?」
私と同学年のはずなのにどうして?他の演奏者は私たちとリボンの色が違ったので上級生のはずだ。
「理由が知りたいだろ。ここじゃあれだから、部室においでよ」
「部室って?」
「私の所属するジャズ研さ」
私のクラスのある本館とは少し離れた場所に各部活が席を置いている別館校舎がある。寄本さんに案内され着いた先は彼女が所属している……らしいジャズ研究会、略してジャズ研だった。
彼女は躊躇いなく扉を開いた。
「ただいま戻りました、一年生勧誘してきました!」
高らかに宣言しながら寄本さんは部屋に入っていく。
――本当に同じ一年生よね……
同学年のはずなのに一年先に入学したかのような雰囲気をもつ彼女。
部室は壁にバンドのポスターやレコード、CDが飾られており、中央に細長の机を二つ並べた奥行のある部屋だった。奥には上級生が一人で座りながらノートに何か書き込んでいる。こちらに気づき、“よう”と声をかける。
「奏音、その子が例の子か?」
上級生は彼女を下の名前で呼んでこちらに歩み寄ってきた。
「そうです。ちゃんと連れてきましたよ」
「よし、よくやった。勧誘はうまくいったみたいだな。ライブ後の片付けサボった甲斐があったな」
「いやいや、よしてくださいよ」
困り顔で返事する寄本さんとからからと笑う上級生。
「ああ、紹介するよ。ジャズ研の部長の間宮先輩」
よろしくね、と私に挨拶して私も自分の名前を言う。
色白の肌に長身にほっそりとした美しい両足。背にかかる黒い髪をシュシュで結び、ポニーテイルにまとめている。部の長ということもあるのか頼りがいのある印象を受けた。
「道添さんは体育館での演奏は見てくれていたんだよね。こいつの歌ってるところどうだった?」
「えっと……すごく素敵な演奏でした」
「驚いたんじゃない?いきなり入学したての同級生が歌ってたら」
間宮先輩は私の疑問をずばり言い当てた。それはね、と自慢げな顔で寄本さんが話し始めた。
「学校に入学したのは道添さんと一緒で今日だよ。でも三か月ぐらい前から学校に行ってジャズ研には顔を出して練習に参加させてもらってたんだ。元々入部するってことは決めていたからね」
「そこで部長である私が提案したんだ。入学式のライブに出ないかって。同じ一年生がライブに出場したらいい宣伝になると思っていろいろと準備してきたんだ」
私の疑問が解決したと同時に寄本さんがすごい行動力と決断力の持ち主なのだと知った。
それで、と間宮先輩が続ける。
「道添さんは音楽に興味あるのかな」
間宮先輩の顔は笑顔を作っているが真剣な目線を送っている。その視線に私は直感的に試されていると感じた。
「興味は……ありますが、そこまで詳しいわけではなくて。ジャズもほとんど聴いたことないかも……しれません……」
「何か楽器を習っていたことは?」
「それは、えっと……」
私は間宮先輩の質問に答えるべきか迷っていた。
本当は音楽とは距離を置きたい。ましてや演奏など。自分を変えたいと願って部活見学に来たが自信を持つにはまだまだ時間が……。
回答に時間をかけていたら間宮先輩がハッとほんの少しピクリと跳ねる。
「ああ、悪い悪い。まるで部に入れと強要しているみたいだったね」
間宮先輩は慌てて両手を振って謝罪した。
「もう先輩、真剣な目で見つめすぎですよ。見学に来たから入部しろって話でもないし。そう難しく考える必要ないよ」
と寄本さんは私の肩にポンっと手を置いて話しかけてくれた。
以前の私なら楽器はしていないと即答していただろうし、音楽系の部活に近づこうと思わなかっただろう。でも……。
私の迷い。それはきっと彼女が私を変えたのだろう。
寄本さんは私をせっかく誘ってくれた。もしかしたら友達になれるかもしれない。そのチャンスを私から手放していいのだろうか。
「それじゃあ、私は勧誘に行ってくるからお留守番頼むね」
はい、と寄本さんは返事をして間宮先輩は部屋を後にした。
「じゃあ、最近こっちに引っ越してきたんだ」
「ええ、だからこっちの生活にまだ慣れていなくて……」
間宮先輩が部屋を出て行ってから部室を訪れるものは現れなかった。その間ジャズ研の部室で寄本さんとおしゃべりをしていた。といってもほとんど寄本さんからの質問に答えるような形になっていた。同年代の女の子と久しぶりに会話していることに少し緊張しながらも会話を続けることができており、ほんの少し自分を褒めたくなった。
だが、私だけの話をしていて寄本さんは退屈なのではと思った。私は会話の切りのいいところで少し勇気を出して尋ねてみた。
「そういえば、入学前にこの部活を訪れていたのよね?」
「うん、そうなんだ。歌うのが大好きでね。学校のホームページにジャズ研究会を見つけて、いても立ってもいられなくなっちゃって。行ってみたら間宮先輩が体験入部って形で部活に参加させてくれたんだ」
だから正式な入部は今日からなんだ、と付け加えた。
「すごい行動力ね。入学前に学校に行って見学しようなんて考える人あまりいないと思うわ」
「いや、ただ歌うのが好きってだけさ。私には歌うこと以外にやりたいことがないから」
「プロになろうとか?」
「それはないかな。ただ歌うことが自分の生きがいで、人生のすべてみたいなものだから」
「素敵ね」
「そう?自分で言ってなんだけど、照れくさいね」
でも彼女が歌について話すときの目は輝きを宿して屈託のない笑みを私に向けてくれた。きっと心の底から好きなのだろう。
それに他の部活メンバーとの関係も良好なように思えた。こんな短期間で“奏音”と下の名前で呼ばれているのだから。
――私もいつか呼んでくれたらな……“椿”って。
そんな寄本さんだったが、笑みが崩れ少しばつの悪そうな視線を私に向けた。
「そういえばちょっと気になったんだけど、道添さんは何か楽器をしてたの。さっきは……その、あまり言いたくなさそうだったけど」
「あっ、それは……」
私は口を閉ざしてしまった。
私は思い悩んでいた。何もしていないと嘘をつくのは容易いことだ。そうやって逃げることもできる。でもそれでいいの?と自問する。
私は……寄本さんと繋がりが欲しい。彼女には少しぐらいなら話してもいいかもしれない。そう決心してようやく私は口を開いた。
「実はギターを……少しだけ弾いていたことがあるの」
「ほんとに!」
「でも、人前での演奏はちょっと……それに私には向いていないと思ってもう何年も触ってないの」
そうなんだ、と残念そうに頬を掻く。
「へえ、意外だね。道添さんの見た目からあまり想像がつかないけど……。いやでも、黒髪ロングでギターを弾いている女性ってかっこいいかも!」
「ぁ……ぅ、か、かっこよく弾くなんてとてもそんなこと……」
想像しただけで恥ずかしさから顔が熱くなる。
「別の機会でいいから弾いてるところ見てみたいな」
「ごめんなさい。せっかく誘ってくれたのに」
「ううん、謝らないで。ちょっと残念ではあるけど。でも道添さんと知り合えてよかった。この学校に来て同級性とこんなにお話しできたのは道添さんが初めてなんだ」
「えっ、そうなの?」
「そうだよ。知っている人はみんな上級生で寂しかったんだけど……。だから今日は道添さんに会えて嬉しかったんだ」
彼女の意外な告白。人当たりのよさそうな雰囲気なのに意外にも本人は孤独を感じていたらしい。
「でもいつか、道添さんの演奏で歌ってみたいな」
その言葉を聞き他者から自分を求められていることに嬉しさを感じた。
彼女の期待にどうにか応えられないか。彼女のためならもう一度だけ。もう一度だけギターを手に取ってもいいかもしれない。
暗い天井を眺めながら寄本さんと出会った日の出来事を思い返す。あれから1週間が過ぎていた。
ジャズ研究会を訪れたあの日。気が付けばお昼を随分過ぎた時間になっていた。寄本さんは勧誘の仕事があり、私も久しぶりに長時間慣れない学校に居たこともあって疲労感を感じていたのでお暇することにした。
別れ際、彼女は私に大げさに手を振って見送ってくれた。素敵だったと、その時の朗らかな笑みを思い出し私は相好を崩し、ベッドで寝がえりを打った。
寄本奏音。心の中で彼女の名前を唱えた。彼女は私が憧れている友達にしたい人物像だった。綺麗で何より歌っている姿は凛として美しかった。
ジャズ研究会を見学した後、いくつか他の部活を見学したが惹かれることはなかった。
――私はどうしたいのだろう。
私の心に引っかかっているもの。彼女をもっと知りたい、近づきたい。そのためには……でも。
私はまたギターを続けることができるのだろうか。
胸にしまっていた過去。
忘れることができればどれだけ楽に生きられるだろう。あの時の光景は楔のように私の胸に突き刺さっている。
今でも音楽に触れるたび、想い返しては胸が焼けるような痛みが走る。
でも、あの時だけ。彼女の歌声だけは違った。悩んでいることなど馬鹿馬鹿しく思うようになっていた。あの歌声は私を変えてくれたのだ。
あの日からずっと避けてきたものだが私にとって音楽は、ギターはどういうものなのだろう。好きなのか。それとも忌むべきものなのか。
はっきりとわかっていることは、私自身が寄本さんと演奏したいと願っている。それは本心だ。もう一度彼女が微笑んでいる姿を幻視する。
過去からもう逃げたくない。変わりたいと願ってその機会が訪れたのだ。
それならば、と私は逃げないための決断をした。
昨日の夜、悩みぬいた末に一つの答えを出した。今日の朝、起きて朝食を食べて学校に行って授業を受けてもそのことだけを考えていた。そして放課後。私は今、ジャズ研究会の扉の前で私は立ち止まった。
私は一度だけ大きく深呼吸をしてからノックをすると、はいと、声が聞こえた。すると開かれたドアから間宮先輩が現れた。
「あれ、君はたしか……。前に来てくれた子だよね。今日も見学に来てくれたの?」
間宮先輩の後ろでは部員と思われる生徒と見学に来たであろう一年生の何人かで雑談をしているようだった。その中の一人が私に気づきこちらに近づいてくる。私が誰かわかった途端、彼女は陽気な笑顔を向けて私の手を取った。
「道添さん、また来てくれたんだ!」
「うん、来ちゃったんだけど……」
「いいよ、いいよ!こっちは大歓迎だ!ねっ、間宮先輩」
「ああ、人数が多い方が賑やかってもんだ。今日も来てくれたってことは、もしかして入部する気になったのかい?」
その言葉を聞いてぎくりとした。でも、ここで引っ込んでしまってはダメ。もう、逃げたくない。
「あの実は、そ、そうなんです。入部しようと……思っているんです」
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