第3話 突き刺さった楔
「正直道添さんのことは諦めていたんだけど、いったいどういう風の吹き回しなんだい?」
「あの後、何件か回ってみたのだけれどピンとくるのがなくて」
と答えるも本当の理由は別にあって……とは言えなかった。
私は寄本さんと肩を並べ、廊下を歩いていた。どうやら紹介したい場所があるらしいとのこと。
「意外と即決する方なんだね。さっき見学に来てくれていた子たちは入部するかどうか迷っていたみたいだったよ」
「元々何かを決断するのが苦手だっていうのは自覚してたの。だから高校からは変わらなくちゃ、って思って」
「へえ、高校デビューってやつ?」
「そう……なのかな」
ふふっと、二人で笑い合いながら階段を上るにつれて廊下の方からズンズンと楽器特有の振動が響いているのがわかった。
幾つかドアを過ぎて、“ジャズ研究会”と書かれた扉の前で足を止めた。
「さあ、入って。ここが練習用のスタジオだよ」
ジャズ研究会は別館校舎の2階に会議や事務作業を行う部室と3階に楽器の練習ができるスタジオの二つを保有しているらしい。
寄本さんに案内されて私はジャズ研究会が使用している練習用のスタジオに着いた。スタジオの扉は防音仕様になっており普通の扉よりも分厚く重みがあったので寄本さんは体で押すようにして扉を開いた。
「それぞれのパートで部屋を区切っているんだ。ギターパートは奥だよ」
スタジオは大部屋を白の仕切り板で5つの小部屋に分けられており、部活の練習時間ではそれぞれのパートで練習ができるようになっていた。
私は一番奥の部屋に通された。どうやらここがギターパートらしい。寄本さんは失礼しますと一言声をかけてから部屋に入った。
「どうやらまだ誰もいないみたいだね」
部屋にはアンプとスタンドに建て替えられたギター、パイプ椅子がいくつか並び部屋の隅に教室にあるのと同じ机が置かれている。
まあ座ってよ、と寄本さんに促され私はパイプ椅子に座った。4畳半ほどの部屋は周りの壁が真っ白で防音のためか小さな穴がポツポツと孔が空いた構造となっていた。
「今日はギター持ってきてるの?」
「いいえ、今日は見るだけのつもりで来たから」
「ふーん、そっか」
ギタースタンドから寄本さんはギターを取り出し私に手渡した。
「ねえ道添さん。ちょっとギター弾いてみない?」
「ええっ!今ここで弾くの!?」
突然のことに私は素っ頓狂な声を出してしまった。
「ここはスタジオだよ。せっかくギターが弾ける場所なんだから」
今日はあくまでも見学で、雰囲気を感じるだけだと思っていた。そんな心持ちで来ていた私はすうっと全身の熱が急激に下がる感覚がした。
「でも、ダメじゃないかしら。勝手に他の人のギターを使うのは」
「これ初心者用のやつで誰でも使っていいものだよ。私もたまに弾いてるし」
「2年ぐらい弾いてなくて、ブランクがあるのだけれど……」
「とにかく弾いている姿が見てみたいんだ。道添さんの容姿からギターをかき鳴らしてるのをなかなか想像できなくてね」
テンション上がったらヘドバンしてもいいよ、と彼女が付け加えたのでそんなことできませんとワナワナと手を振り否定した。
寄本さんから手渡されたギターはストラトタイプのギターでボディーはピンク色の可愛らしい女の子が好みそうな色合いだった。寄本さんはワクワクした表情でこちらを見ている。
手汗が滲んできて知らずのうちに足が震えてきている。中学生時代のあの子たちの厭らしい笑みを思い出し思わずギターから視線を外す。
――いけない、また過去に囚われている。
そうだ、変わるためにここにいるんだ。憧れの人の前でそんな無様な姿を晒すわけにはいかない。
恐怖心を押し殺して私はセッティングを終えアンプのボリュームを上げて、大きく深呼吸をしてからえいやと気持ちのまま音を奏でた。
左手でコードを抑え右手で6弦から下に向かい弦を鳴らした。何度かコードを変えながら、単音のギターリードを演奏した。2年ほど弾いていないにも関わらず指は私が思っていた以上に言うことを聞いてくれていた。
「おお、すごい。本当に弾けるんだね!」
没頭させ自分だけの世界に閉じ籠る。でなければ過去を想い返してしまうからだ。見ているのが寄本さん一人とはいえど、やはり今でも人前で演奏は怖いと感じていた。
「今日はここまで」
ギターのフレットから手を放し膝の上で握り拳を作った。それは弾かないことへの私なりの意思表示だった。
これだけ弾けば十分だろうと思いそそくさと弾き終えたギターをスタンドに戻した。ドッと疲れが全身にかかり、大きく息を吐いた。私はもう弾かなくていいことにホッと胸をなでおろし弦を押さえていた左手の指を揉んだ。
「指痛むの?」
「ええ、少しだけ。久しぶりに弾いたから」
2年のブランクがあったが演奏する感覚は残っているらしい。ただ久しぶりに弾いたせいか弦を押さえていた指が痛む。ギターを弾き続けていたら指の皮は厚くなり痛みを感じなくなるが、2年で指の皮は元に戻ってしまったらしく、もう少し鍛錬が必要だと感じた。
「弦楽器をしている人はみんなそうなんだけどさ……」
「えっ……きゃ!」
寄本さんはおもむろに私の左の指先に触れムニムニとマッサージをするように揉みだした。羞恥から私の体温がどんどん上がっていく。
「ちょっと、寄本さん!?」
「やっぱり弦楽器をしてる人はみんな指がかたくなるみたいじゃないか。」
――女子高ってこれが普通なの!?
彼女は何の恥じらいを見せることなく、純粋で無垢な子供のように私の指を弄り続けて、動機がはげしくなってきている。
と、満足したのか私の指を触っていた手が離れていき私は安堵した。これ以上続いていたら赤面していることに変に思われたかもしれない。
「私も少しは経験があるんだけど、どうしても指が痛くなって続かなかったんだ。それとFコードだね。あんな形に指を広げるなんてできないよ」
「よく初心者の難問といわれているものね」
「ゆくゆくは弾き語りもしてみたいと思っているんだけど、なかなかギターは上達しなくてね」
寄本さんは嘆息と共に呟いた。
「見て私の手。小さいでしょ」
寄本さんは私の前に自分の手を差し出した。手を触られたときに気づいていたことだが、私が思っていたよりも彼女の手は小さく女の子らしい手だった。ギターに関していうと手が大きい方がギターを弾くときフレットを押さえるのが楽になるので、手が小さい寄本さんからしたらギターを弾くことはハードルが一つ上がると言える。
「私の手を合わせてみてよ。どれくらい小さいかすぐわかるよ」
彼女は手のひらを私の前に突き出していた。
何気ない申し出に私は一瞬何を言われているのかわからなかった。
――また、彼女と……手を!
意味を理解したとき、手を合わせるという行為にせっかく落ち着いてきた動悸がまた激しくなり背中から汗が滲んできた。
悪気のないその笑みに私は断ることができず、つき出された手に自分の手を恐る恐る合わせる。
「道添さんの手大きいね。私よりも一回りも大きい。指なんてすらっとしてて綺麗」
恥ずかしさのあまり恐縮してしまい小さく頷くことしかできなかった。私の手から彼女の手が離れていき、私は制服のシャツをパタパタと扇ぎ熱を逃がそうとした。熱い?と聞かれ私はたどたどしく大丈夫です、と返した。
「これだけ弾けるなら道添さんは即戦力として重宝されるよ。ぜひ1回生バンドで組んでみたいものだね」
扇ぐのをやめ聞きなれないワードに疑問を抱いた。
「1回生バンドって?」
「入部したての1回生でバンドを組んでみんなの前で演奏するんだよ。確かお披露目は7月ぐらいだったかな」
「7月ってそんなに時間ないわよね。経験者ならともかく初心者の人も演奏するのよね?」
「そこは初心者に合わせて簡単な曲にするらしいよ。一回生バンドに関してはジャズオンリーではないからね。Jポップでもロックでもいいんだって」
そうなんだと私は納得した。今まで演奏してきたのはポップ調の曲が多かったので安堵した。でも、寄本さんの歌っている姿を思い出し、せっかくなら演奏するのはジャズがいいなと思った。
「おっ、やってるかい」
不意に私の真後ろにある扉が開かれる音がして私は振り向いた。間宮先輩がギターケースを背負って私の前を通り過ぎ部屋の隅にある椅子に座った。
「はい、道添さんの演奏を見てました」
「おお、経験者だったのか。なら助かるよ。ギターパートは私だけだったから。去年は他パートの入部希望が多かったんだけど、ギターパートには誰も来なかったんだ。この学園の女の子はみんなシャイなんだろうね」
と人好きのする笑みを浮かべながら話した。淑女が多く通う学校というのもあるのだろうかたしかに、派手な見た目の女子生徒は見かけたことがなかった。
「それよりも奏音。お前、道添さんの演奏見てたって」
「スタジオを案内するついでにお先にちょっとだけ。見させていただきましたよ」
「なんと!お前だけズルいぞ。道添さん、私にも見せてくれないか」
言われて、グッと声が遠くなり脂汗が滲んできた。安心しきっていたのがいけなかったのか、寄本さん以外の人に聴かれるのがいけないのか、私の心は中学生時代とリンクしてしまった。あの時の、無様な自分の姿を見られたくない。
私の心はひとつのことに集約されていった。
――逃げたい。
手も足も震えだし、寒気と吐き気がこみ上げてきた。一刻も早くここを出ないと……。
「す、すみません先輩、それはまた今度で。ちょっと……席を外してもいいでしょうか」
「ああ。大丈夫かい?顔色が悪いみたいだけど」
「大丈夫です……大丈夫」
私は覚束ない足取りでスタジオを後にした。
――スタジオから離れなきゃ。もっと遠くに。
体が拒絶反応を起こしてあの場所に長居するなど無理だった。
脳裏には拒絶され投げかけられた心無い言葉が蘇る。必死に記憶の奥に追いやろうとも消えはしなかった。
顔には脂汗が滲み、血の気の引いた感覚と吐き気で足はふらふらとなりながらもスタジオから離れるために歩き続けた。
人目に付かず独りになれる場所を求めてたどり着いた先は屋上だった。
辺りを見渡す。幸い誰もおらず屋上の入り口から死角になる隅っこで私はうずくまった。
「私は変わることができないの?」
自分でも情けないと思っている。変わろうと思ってもう一度ギターを手にすると決めたのに、こんなことで逃げてしまって。でも、あの場所にいることに耐えられなかった。ズタズタにされた傷口に塩を塗られるような痛みを感じ、逃げることしか考えられなくなっていた。
いつになったら治まるだろうと考えていた時。屋上の扉が開かれる音がした。
私を見つけて息を切らし戸惑った表情の寄本さんが駆け寄ってきた。私は立ち上がって彼女と対面する。しかし、急に立ち上がったことで立ち眩みが私を襲いよろける。膝に手をついて何とか倒れずに持ちこたえた。
「あっ!道添さん、大丈夫?」
私は何も言えなかった。正直、大丈夫ではなかった。でも彼女になんと言えばいいのかわからなかった。寄本さんの目を見ることはできず視線は泳ぎ、私はどう答えるべきか思考を巡らせていた。
「あの私って、道添さんに悪いことしたかな……」
私は顔を上げ、彼女の方を見た。ばつが悪そうな顔で視線をそらしながら言葉を続けた。
「道添さんがギターを弾いてた時にふと思い出したんだ。人前で演奏するのが苦手だって。でも、特になんともなさそうだったから気にしなかったんだ。……ムリをさせてしまったのかなって、今になってそう思ってる」
「あっ、えっと……」
私は言葉を詰まらせてしまった。それは事実だからだ。だがそれは彼女の所為ではない。悪いのは私だ。原因は私の方にある。
――勘違いのままにさせておきたくない。
私は息を整え自分の思いを言葉にした。
「ぅ……あ、あの、ち、違うの、寄本さんの所為じゃない。謝らなければいけないのは私の方なのよ。本当のことを言うとね。ギターを弾くことが……その、怖いの」
「怖い……弾くことが?ならなんで……うちの部活に?」
「それは……」
口にすることができなかった。過去の自分を知られて相手はどう思うだろうか。理由を話し彼女に拒絶され距離を置かれないだろうか。私はただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「道添さん、何か嫌な思い出があるんじゃない?それも、あまり言いたくない話なんだね」
図星を突かれ私は彼女との視線をそらしてしまった。
「…………」
「そっか……なら私と同じかもね」
寄本さんは小声で、はっきりとは聞き取れなったが何かを口にした。その時の彼女は何かを思い出し悲しむ表情だったように思えた。
「とりあえず、保健室に行こう。顔色はまだ優れないみたいだからね。さあ、腕を」
彼女に腕を取られ、肩を貸してくれた。保健室に連れ言ってくれるまでの間、寄本さんは何もしゃべらず、ただ傍にいてくれた。
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