いつか、その重みが消えますように

虚ノ真

第1話 彼女との出会い

 舞う桜の花弁を見つめながら思う。

――今度こそ、私は変われるだろうか。

 新しく始まろうとしている高校生活への不安に思考を巡らせている。

 きちんとおしゃべりできるだろうか、挨拶はできるだろうか、そして……今度こそ本当の友達はできるだろうか。

 父の仕事の都合で以前住んでいた地域よりも遠くに移り住むことになった。だから知り合いは一人もいない。

 だがそれは関係ない。どの道以前住んでいた地域の高校に行ったとしても友達と呼べる者はいないのだから。

 忘れたくても消えることのない記憶。かつて私が通っていた同級生の顔が厭らしく私を見下ろす光景が今でも脳裏にこびり付いて剥がれることはない。

 だから、もう腹は括っている……と思う。

 私がこれから三年間通うことになる女子高校の立花女学院。新しい環境に身を置く不安で押しつぶされそうになる。

 だが、必ずしも絶望だけではない。私の中には小さな、とても小さな希望が輝こうとしている。

 もう一度部活に入って最初からやり直す。そう決心していた。

「道添 椿さん、話を聞いていますか?」

「はっ、はい!」

 突然、私の名を呼ばれ慌てて返事をした。

「どうかしましたか?」

「……大丈夫です」

 座っている姿勢を正し教壇に立つ教師に視線を向ける。

 ああ、またやってしまった。物思いに耽った時にでる悪い癖だ。考え事しているとどこか一点だけを見てしまう癖がある。机の中央一点を見ていて教師からは俯いていて寝ているかのように見えたのかもしれない。

 背中まで伸びた自分の黒髪を手櫛で軽く整える。

 始業式が終わり自分の教室に向かい自分の席に着いた後、担任の教師となる先生がこれからの学院生活についてのあれこれを話していた。授業内容、中間・期末テスト、食堂の利用方法、そして……

「次は部活についての説明です。部活は大きく分けて運動部と文化部の二つです。それぞれの部活が勧誘を行っているので興味のある人は部活見学をしてみてくださいね」


「すごい人数だ……」

 下駄箱に近づくにつれて漏れ聞こえる声音に察しはついていたが、校舎から校門まで、部活動の勧誘のために学生がごった返している。上級生たちは今日入学したての一年を見つけるやいなや早足で接近し自己紹介からの己の部活のすばらしさを説いていた。

 私はその光景を見て足が竦んでしまった。まるでその様子は餌に飛びつく腹をすかした猛獣のようだった。

――部活には入りたい。だけど……。

 服を買いに行きたいが、店員に話しかけられたくない。あのときに感じる初対面の人に対する苦手意識に似ているなと思った。

 私は上級生に恐怖心を抱きながら下駄箱で硬直していた。

「おっと、こっちもすごい人だかりだ」

 突然私のすぐ横から声が聞こえ驚き私はその声と反対方向に後ずさる。

「あっ、脅かしてしまったかな。ごめんね、悪気はなかったんだけど」

 そこには胡桃色の髪を持つ少女がいた。首筋まで伸びた髪に背は私よりも少し高く、髪の色と同じ色の瞳に華奢な両手を後ろで組んで佇んでいる。

 少し異性を思わせる中性的な声と見た目で思わず同性の私でもドキリとしそうになる。

「い、いえ……」

 声をかけてきた少女の首元のリボンの色が私と同じ色をしていることに気づいた。

 この学校では学年ごとに色が決められており、一年生は赤、二年生が緑、三年生が青だ。

 同い年の女の子に話しかけられたのは何年振りだろうか。急に私の中で焦りと羞恥がにじみ出てくる。

 私は何か返事をしないといけないと思うも、久しく年の近い女の子とまともに会話をしていない所為か言葉が出てこず頭がパンク寸前になっていた。

 えっと、えっと……と言葉を詰まらしていた彼女はキョトンとした後、何かに気づいたように口を開いた。

「もしかして、部活の見学?運動系の部活に入りたいの?」

 と聞かれ私は小さく顔を横に振る。

「そうか、校門前は体育会系しかいないから、文科系の部活を見たいのなら体育館に行くといい」

 彼女はこっちだよと手招きしながら言い、奥の廊下の方へと向きを変えた。

「自己紹介がまだだったね。私の名前は、寄本 奏音」

「あっ、道添 椿です」

「じゃあ、一緒に行こうか」

 寄本さんは朗らかな笑みを私に向け、手繰り寄せられたかのように私は彼女の後を追った。


 寄本さんに導かれ到着した体育館。壇上と中央に2面分のバスケットコート。今コートにはパイプ椅子が並べられ新入生が座っている。私たちは壇上から離れた後ろ側の席に座っていた。

 壇上では写真部、美術部、ボランティア部などの紹介があって今は茶道部が部活紹介をしている。着物姿の女子生徒が茶筅を手に持ち抹茶の点て方を説明していた。  おっとりとした風貌の部員の仕草は愛らしく、頭をなでたときに微笑みかけるゴールデンレトリバーのような印象を受けた。

 私は隣に座る寄本さんを横目で見た。

 さっき知り合ったばかりの人に誘われ、こうして一緒に部活見学をしていることが信じられなかった。

 どうして私みたいな根暗が誘われたのだろう。それもこんな綺麗な人に……。

「道添さんはどの部活に入りたいの?」

 私の右横に座る寄本さんが抑えた声で耳打ちする。

「ええと……あまり派手じゃない部活がいいかな」

「じゃあ今の茶道部とかいいんじゃない。道添さん綺麗な黒髪で美人顔だし、和服姿とか似合いそうじゃないかな」

「そ、そんなことありませんよ」

 世辞だと思いつつも恥ずかしさで額から汗をかきながら首を振った。

「私なんかよりも寄本さんの方が似合うと思いますよ」

「ないない。私はあんなおしとやかに振る舞うなんてことは性に合わないよ」

「でも、寄本さん……綺麗な、お顔ですし……」

「えっ?そ、そうかな」

 彼女はそう呟き、頬がさっと朱に染まり、照れるように髪に触れた。

「そうだ、道添さんいいの?もっと前に行かないで」

「はい、私は後ろで大丈夫ですけど……」

「そう、私はもうちょっと前で見たいかな。せっかくだし、もっと前で見ようよ!」

 そう破顔して告げる彼女にそ、そうですか、と言い私は愛想笑いを返した。前の座席に座ることにいい思い出がなかった。

 嫌な思い出が蘇る。なるべく目立たないように後ろの席に座っていたかったのだが嫌とは言えず私は重い腰を上げ前方の座席へと歩んでいった。

「以上が私たち茶道部でした。ご清聴ありがとうございました」

 私と道添さんが着席してから1分もしないうちに茶道部の部活紹介は終わってしまった。

「もう終わりか……。もうちょっと見ていたかったんだけどね」

 と言って寄本さんは残念そうに肩を落とした。壇上の幕が下り舞台袖からマイクを持った女子生徒が現れ一礼をした。

「次はジャズ研究会の紹介となります。彼らの部活紹介はバンド演奏となります。演奏を披露しますので、ぜひ壇上の前まで来てください」

 私の胸がざわついた。


 体育館の照明は落とされ、三十人は超えるであろう生徒が壇上の前でガヤガヤと愉し気な声が聞こえていた。

 あの日から私が遠ざけてきたもの。それが緞帳の裏で蠢いているのを感じる。

 舞台の裏から音出しのためであろう楽器を鳴らす音をはっきりと聴きとることができた。

 自分でも知らずのうちに自身の身体を両腕で抱きしめていた。

「今から演奏するんだって。もっと前に見に行かないかい?」

 私の隣にいる寄本さんに問われ、拘束が解けたかのように両腕が自由になった。

「ん?どうしたの?」

「いえ……なんでもないのだけれど……」

 正直行きたくない、そう思った。私は大勢の人がいるところが怖い。

 だがそれ以上に演奏している姿を見たくない。

 音楽番組を見ただけでも忌まわしい過去を思い出してしまう。

 恐怖心とこの場から去りたいという気持ちに心が支配されようとしていた。でも……

――せっかく誘ってくれたのだから。それに私は彼女と仲良くなりたい。

 自分を変えたくて新しい環境で部活に入ってやり直したいと思った。だから、もう何からも逃げたくない。憧れの友達がもしかしたら今、目の前にいるのではないか。 自分を鼓舞し私は寄本さんと共に壇上へと向かった。

 私と寄本さんは人込みをかき分けながら前へと進む。

ああ、これだから人だかりは……、と思いながら前進する。誰かにぶつかり私はそのたび小さくすみませんと呟く。知らない人に謝るたびに罪悪感を抱きつつも私たちは最前列に到着した。着いた早々、寄本さんは私の耳元で囁いた。

「私ちょっと用事があるからちょっと抜けるね」

「えっ、どうして?」

「そこを動かないでね。動かれると道添さん、どこにいるかわかんなくなっちゃうから。大丈夫、また戻ってくるから」

 じゃあ、と言って寄本さんはまた人込みの中に姿を消してしまった。

――ここを動くなと言われても……

 独りにされてしまった。周りの雰囲気とは裏腹に私の心は深く沈んでしまい考えなくてもいい不吉なことを想像してしまう。

 ちゃんと戻ってきてくれるだろうか。このまま独りにされてしまったらどうしよう。ずっと待つのだろうか。かといってこの場をはなれて後で再会したときに責められないだろうか。やはりこの場を離れない方がいいのか……。

 すぐによからぬことを考えてしまう。私のいくつもある悪い癖の一つだ。勝手にありもしないバッドエンドを作り出し自分の人生に落胆する。

 どうして私はこんな風にしか考えられないのだろう。

 もう何も考えたくない、見たくもない。

 そう念じながら目をつぶろうとしたとき、壇上の幕が上がった。

「眩しい……」

 暗がりに目が慣れていたせいもあるのか、燦々と照らされる照明に目を手で覆う。スポットライトが壇上の4人に当てられる。

 指の隙間から覗いて見えるのはギター、ベース、キーボード、ドラムの4人だ。彼女たちの表情はみな笑顔で光輝いているように見える。

――彼女たちはあんなに輝いて……。

 同じように舞台に立っていた時のことを思い出す。あの時の私とは大違いだ。

 演奏が始まった。

 出だしはグルーヴィーなベースラインとスタッカート気味にハイハットを鳴らすドラム。その次に単音カッティングでリズムを刻むギターと優しいメロディーを奏でるピアノが続く。

 私はあまりこのジャンルに疎くあまり耳にしたことがなかったが、なんとなく曲の雰囲気でジャズっぽさが感じ取れた。

 壇上の上手側の脇幕が微かに揺れる。舞台袖からマイクを持ったボーカルが遅れて登場した。胡桃色の髪の持つ少女が髪をかきあげたときに私は気づいた。

「えっ、寄本さん?」

 声をかけるが私の声は彼女らの演奏でかき消される。

 そこにはマイクを握りしめ壇上の中央に堂々とした姿の寄本さん。どうして彼女がそこにいるのか、と私の疑問と驚きを無視するかのように彼女は歌い始める。

 力強い声が体育館に響き渡る。中性的で大胆ながら繊細にも感じとれる歌声が私を包み込み私の耳朶をくすぐる。彼女の声音は心地よく情熱的に私の心に溶け込んでくる。

 可憐で美々しく、私を含み観客の心を揺さぶった。私は彼女から瞳を外せないでいた。

 その時、辺りを見回しながら歌う彼女と偶然目が合う。寄本さんは私にキラキラとした笑顔を向けてくれた、その時に、

 私の中でドクンと音がして心の芯の部分から熱を感じた。

 自己否定や過去を忌む感情など私の内から消え去っていた。今あるのは、音楽に対して初めて憧れを抱いた時の高揚感、演奏する喜び。その感情を思い出しながら私は願った。

――私も……私も彼女と同じ舞台に立ちたい。

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