第2話 地獄よりも地獄である場所

 人間の女の体をかぶった怪物は、気づけば柔らかい台の上に寝ていた。清潔な白い布にくるまれている。

 真っ白な天井と、怪物を覗き込む、数人の人間たちが見える。彼らは怪物が目を覚ましたのを見て、一斉にほうっとため息をついた。


「目を覚ました」


 柔らかい台の上に突っ伏し、よかったと言って泣く者もいた。怪物の手を固く握る者もいた。怪物が今かぶっている人間の女の仲間なのだろう。

 怪物はその光景を淡々とながめながら、もう獄卒ごくそつらに追われることもなく、裕福な暮らしができるだろうと思った。同時に、向けられる悪意のない関心から、握られた手のあたたかさから、なぜだかむしょうに逃げ出したくなった。




 女の皮をかぶったままの怪物は、大きく立派な家に連れていかれた。

 血の池のふちでたまたまかぶった女の正体は、この家のあるじらしい。怪物は人間の男にやさしく手をひかれ、二人の小さな人間の子供が開けた家の扉をくぐり、部屋にいる年をとった人間の男女に抱擁ほうようされた。

 人間たちの肩越しに、怪物は窓の向こうの広い庭と、明るい日の差す清潔な部屋を見た。

 


 家の人々は、怪物に親切にした。

 人間の男は、怪物を一番大きな部屋の、柔らかく大きな、ソファとかいう椅子に座らせた。体をいたわり、食事を持ってきて、やさしい言葉をかけた。

 小さな子供たちは、怪物の膝の上に頭を乗せ、怪物に外であったことを話した。年とった人間の男女は、怪物に不自由のないよう、多くの物を持ってきた。

 時々友人という人間たちが、甘い菓子を持って、怪物と話をしにきた。



 怪物はこれ以上ない愛情と親切のただ中にいた。傷つける者はいない。愛さない者はいない。何もしていないのに、誰からも有用とされる。ここにいてもいいのだと、認められる。

 平穏と安全にくるまれた。



 怪物は独りになると、ソファに座り、窓の向こうの明るい庭を見ながら、しばしばこう考える。

 自分は今、幸せなのだと。幸せなはずなのだと。日に日に自分をむしばんでいく、胸の奥を侵食するような虚無感も、ゾッとするような恐ろしさも、逃げ出したい衝動も、感じるはずないのだと。

 ふいに肩に針の塊が刺さったような感じがして、小さく悲鳴をあげてソファから離れた。

 人間の男が拍子抜けして怪物を見ていた。彼が怪物の肩に手を当てたのだ。


「あ、ごめん。驚かせた?」


 じわじわと目から涙がしみ出した。やさしい男が、地獄の獄卒ごくそつよりも恐ろしい。それが悲しかった。男は慌てふためいていた。


「ごめん、そんなつもりじゃ」


 彼の怪物を気づかう様子がまた、怪物の胸を苦しくさせた。

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