第2話 破

 指示された公園に蟹江かにえはいた。

 確かに五、六十人ほどの人間がひとところに集まって何かを叫んでいる。先頭の数人が広げ持つ横断幕には「秀英社しゅうえいしやは即刻解散せよ!」とあった。秀英社とは先日、少年誌に毎回セクシーと呼ぶには実用的すぎるグラビア写真が掲載され、残酷描写が売りの人気漫画を連載していることがネット上で批判を集めた大手出版社である。専属漫画家への脅迫事件や不買運動も起きていた。とはいえ、遠目に見た感じでは単なるデモだ。テロ集団がまぎれているような雰囲気でもない。警備の制服の姿が見えないのが不審ふしんと言えば不審だが。

 電話の相手は「キュウカの真田さなだ」と名乗った。妙に高音の響く耳障みみざわりな声だった。

「どこの真田さんか知らないが、休暇中に仕事とは御苦労だな」

 蟹江が皮肉を込めて言うと、相手はふふっと鼻で笑った。

「ローマ字のQに捜査課の課だ。正式名は警視庁設備特課研究開発部。まあ聞いたことはないだろうが」

 また秘密部署か。蟹江はあきれて思わず口に出してしまう。

「世間にしてみれば税金泥棒とか無駄遣いとか言われるようなことも、現実には必要なものでね」

「何だQってのは」

「007だよ。イメージがわかりやすい」

「秘密部署のくせにイメージを気にしてるのが、俺に言わせりゃいちばん無駄だと思いますがね」

「面白い男だな。聞いていた通りだ」

 どこでどんな噂をされているんだ、と蟹江はいぶかしんだ。

「テロ対策分室が外されたのは案外君のキャラクターのせいかもな。計算できない駒は邪魔なだけだ」

「何の話ですか」

「第四層がコンタクトしてきただろう。彼らも表に出ざるを得ないんだ。いまや我々だけが名実共に『警察』だってことだよ」

 蟹江は考えようとしてやめた。考えない方がマシであることは考えなくてもわかる。

「で、用件は何です」

「明日予定されているデモの情報があるんだが、どうも怪しいと第四層が言っている。SNSで扇動を行ったアカウントはどれも捏造ねつぞうされたものなんだが、明らかに素人の仕事ではないというんだ。ひょっとすると混乱に乗じて何かをたくらんでいるかもしれない。そこで我々は最新式のユニットを投入することにした。君にはその護衛を頼みたい」

 護衛?

「なにしろ初陣ういじんなんでね。いろいろ不安がある」

「そんな不確実な物を?」

「行けばわかる」

「そいつの名前くらい聞いておこうか」

C・A・R・Mシー・エー・アール・エム……CARMカームだ」


         ●


 曾根崎そねざきの表情が次第に曇る。

「……おい、これ規定枚数で終わるんだろうな」

「いや、終わらない」

「は?」

「全七回の予定だ」

「俺たちは何年生だ」

「三年だな」

「定期誌は年二回だということは知っているな」

「もちろんだ」

「終わらないじゃないか!」

「小説は自由だ!」

 俺は叫んだ。

「終わるとか終わらないとかは二の次だ!

 俺は今これが書きたいんだ! その衝動こそが小説なんだ!」

 曾根崎の目が細くなった。

「OBの寄稿ということで続けるのはどうだろうか」

「主旨を変えるな」

 恐ろしく冷静に曾根崎は言った。


         ●


 作文で人を笑わせるのが好きだった。

 教室に笑いが起こると、自分はここにいてもいいのだと思えた。それは存在意義の確認のようなものだった。

 ある日、国語の教師が言った。

「君の文章は確かに面白いが、意味がない。何を伝えたいのかがわからない」

 まるで自分の存在には意味がないと言われたように感じた。

 けれど先生、文章って何かを伝えるためのものですかね。意味がなくたって、何にも伝わらなければ、誰も笑わないんじゃないですかね。伝えるものじゃなくて「伝わる」ものなんじゃないですかね。そして、それって、決して意味なんかじゃないんじゃありませんかね。

 俺は小説で立ち止まるたびにあの中学校の先生を思い出す。そして意味がなければならないとか、何かを正しく伝えなければならないとか、そんな教科書的な呪縛じゅばくに知らないうちにとらわれてはいないかと自問する。

 隅から隅まで意味にあふれている世界なんて、想像しただけでも窒息してしまいそうじゃないか。


         ●


 デモ隊が列を作って動き始めた。おそらく秀英社に向かうに違いない。交通課は何をしている。なぜ誰もいない。暴動の恐れがあるならなぜ機動が出てこない。蟹江は「我々だけが警察だ」という真田の言葉を思い出して身震みぶるいした。

 その時だ。デモ隊の進行方向、公園の入口から黒塗りのワゴン車が現れて道を塞ぐように横向きに停まった。オートマチックのスライドドアがゆっくりと開いて、後部座席から降り立ったのは、セーラー服の女子学生だ。高校生だろうか、前方をきりりと見据えた鋭い眼差しが、大人びた顔立ちと相まって蟹江の視線を釘付けにした。肩まで伸びた髪の先が風に流れて波を打つ。

 尋常じんじょうではない空気に、デモ隊を先導していた大柄の男は片手を上げて後続の動きを制すと、荒ぶった声で叫んだ。

「邪魔だ! そこを退け!」

 だが少女は身じろぎもしない。背筋をすっと伸ばして、同じだけの声量で叫び返す。

「このデモは届出がされていない違法な集会です! 直ちに解散しなさい!」

「何だ貴様は!」

 男の恫喝どうかつに、少女は足を一歩踏み出して答えた。

「警察庁特務課特務係、朝宮あさみやマサキ!」

 あの少女が? 警察官だと? 警察庁? 現場に出ないはずの警察庁が?

 しかし見よ、少女の長い黒髪をまとめているカチューシャの中央に、燦然さんぜんと輝く警察組織のあかし、金色の旭日章きょくじつしょうを!

 混乱する蟹江は任務を忘れて立ち尽くす。

「構わん、排除しろ!」

 男の指示に隊列から数人の若者が飛び出す。ポケットから取り出した黒い棒が一瞬にして三倍の長さに伸びた。特殊警棒! 茫然としていた蟹江は慌てて走り出すが明らかに遅い。しまった!

 しかし少女は逃げもひるみもせず、右手で左腕を掴むと、セーラー服の袖を肩から引きちぎった。

(何だ?)

 服の下に隠されていたのは銀色に輝く金属製の義手。いや、ただの義手ではない。外殻フレームの隙間からLEDライトの赤色光に照らされた複雑な機構がのぞいている。そしてモーターの回転音。

 少女は迫り来る襲撃者に向かって左腕を伸ばした。開いたてのひらをぐっと握る。次の瞬間、手首の上の外殻フレームが開いて、鈍色にびいろの物体が高速で射出された。物体は先頭の男の頭部を直撃、男はぎゃっと叫んで勢いよく仰向けに倒れた。男を弾き飛ばした物体はそのままの速度で少女の腕に戻り、再び飛び出すと二人目の男を襲う。

(あれは……ヨーヨー?)

 そう、少女の義手には特殊合金で作られたヨーヨーランチャーが内蔵されているのだ。それが彼女の右眼に仕込まれた照準センサーと連動して、正確に敵を打ち倒しているのである。五人の襲撃者はわずか三秒あまりの間に全員地べたにうずくまって呻き声を上げていた。

 眼前で展開された出来事を理解できず、誰もが口を半開きにして凍りついている中、先導の大男の口元だけがゆっくりと歪んだ。


         ●


「パクリじゃないか!」

 曾根崎は椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がると、原稿を机に叩きつけて叫んだ。

「セーラー服の少女が警察の配下ででヨーヨー使い、だれがどう見たって『スケバン刑事デカ』だ!」

「はて、何の話でしょうね」俺は真顔でとぼけてみせた。「タイトルくらいは聞いたことがありますがね。そんな古い番組は見たことありませんね」

「だいたいタイトルからして既視感があると思ったんだ!『とある』だよなこれ!」

「それはパクリじゃなくてオマージュだな」

「黙れ! じゃあ『超電磁ちょうでんじヨーヨー』ってのは何だ!『コンバトラーV』だよなあ!」

「なんだ、新旧いろいろと知ってるじゃないか」

 曾根崎はもはや怒っているのか泣いているのかわからない表情になっている。

「ラノベでもいいよ! エンタメでもいいよ!」

「ダメだって言ったじゃないか」

「そうじゃない! パクリよりはまだマシだと言っているんだ!」

 数秒間、部室に沈黙が降りた。

 俺は机にひじをついて、指を組んだ両手を顔の前に置いた。これは真面目な話をするときのポーズだ。自分で説明するのもどうかと思うが、曾根崎は経験でわかっているはずだった。

「なあ曾根崎、ちょっと想像してほしいんだが」

「あ?」

 不機嫌な視線を壁に投げていた曾根崎が、顔だけをこちらに向けた。俺は落ち着いた口調で話し始める。

「俺だってラノベが場にそぐわないことくらいはわかっている。パクリなんかすべきじゃないことも承知している。だがたとえばだ、この小説のタイトルを、そうだな……『復讐の義手』とかに変えたとしよう。目の前には普段小説なんか読まない奴がいる。そいつに二つの原稿を見せて、どちらか読んでみないかと言う。一つは変更したタイトル、もう一つはこのままのタイトル。さて、そいつはどちらを選ぶだろう」

「いったい何を言っているんだ」

 曾根崎が眉根にしわを寄せて俺を見る。

「文芸部の定期誌、校内配布分があるよな。ご自由にお持ちください、ってやつが。あれ、どのくらいなくなる。文芸部はボッチの集まりじゃねえよな。みんなそれなりに仲のいい奴だっているよな。で、どのくらい持って行ってくれるんだ」

 曾根崎が、黙った。もう一度外した視線が宙を泳いでいるのがわかった。都合のいい答えを探しているのだろう。でもそんなものはない。あるはずがないのだ。

「OBに配る。そりゃ中には感想を送ってくれる優しい人もいるだろうさ。けどそれは配布した数に見合っているのか」

「作家のOBはみんないつも批評を送ってくれるじゃないか。ちゃんと読んでくれる人はいるさ」

 努めて明るい声で。だが、もう俺は気付いてしまったんだ。

「それは、作家だからだよ」

「え?」

「無名のアマチュアの、しかも高校生の書いた、どこかの賞を獲ったわけでもない小説を進んで読もうなんて奴は、自分も小説を書いている奴くらいのものだろう。上手い表現があれば盗み、自分の方が上だと安心し、自信たっぷりならアドバイスの一つもしてやろうかと思う」

「いくらなんでもそれは失礼だろう」

 曾根崎がいささか気色きしょくばむのを、俺は静かに無視する。言い過ぎなのは承知している。純粋に読むことが好きな人だってたくさんいる。でも、読んでもらえることは決して当たり前のことなんかじゃないはずだ。

「では聞くが、おまえわざわざ美術部員の絵を批評しようと思うか」

「何だって?」

「そう、そんなことはしない。俺もしない。だが、おまえも絵を描いているとしたらどうだ。そして自分の画力に結構自信があるとしたらどうだ。ここの色使いがいいとか、ここはもう少しこうしたらどうかとか、きっと言いたくなるだろう。同じことだ。俺たちの書くものは俺たちが望むようには読まれない。それとも何か、おまえは誰かにめられたくて書いているのか。そんなくだらねえ自尊心のためじゃねえだろうよ」

 曾根崎はしばらく言葉を探していたが、やがて諦めたように言った。

「そんなこと、他の部員には言うなよ」

 俺は立ち上がった。原稿を手に取ろうか迷って、結局置いていくことにした。たぶん曾根崎は続きを読むだろう。

「曾根崎よ」俺は立ち去り際に彼の背中に言った。「俺たちは伝統芸能をやっているわけじゃねえんだ……おまえ、何のために小説を書いている」

 もちろん、確かめる気などない。たとえ本当にちっぽけなプライドのためだったとしても、彼を責めたりはしない。ただ、胸の内で軽蔑するだけだ。

「俺たちは書くことで救われている」

 部室のドアに手をかけた時、曾根崎はようやくそう言った。

「それだけは否定するな」

 わかっている。そんなことはとっくに自覚しているのだ。問題は書くという行為がそれだけでは完結してくれないことなんだ。


(「急」に続く)

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