とらぬ狸の超電磁ヨーヨー(とらぬたぬきのハイパーウェポン)

小林猫太

第1話 序

 朝宮真咲あさみやまさきの父親は名の知れたライトノベル作家だったが、あの丸山書店ビル爆破テロに巻き込まれて死亡した。真咲自身もまた左腕と右眼を失う重傷を負った。早くに母親を亡くし男手ひとつで育った真咲は、ささやかな高校入学祝いとして二人で食事をしようとロビーで父親を待っていたのだ。数日後、テレビの地上波ではすべてのチャンネルで数分間に渡ってまったく同じ映像が流れた。大規模な電波ジャックだった。映し出されたのは黒い目出し帽の男。加工された甲高い声。

「我々の名は『新世紀焚書教会しんせいきふんしょきょうかい』、丸山書店ビルの爆破は我々の同志の手によるものだ。しかし、これは始まりに過ぎない。今、世の中にはくだらない書物が溢れている。書とは本来、教養を高め、正しい価値観の人間を育てるためにあるものだ。それがどうだ、煽情的、暴力的、非現実的な妄想を掻き立てるものばかりではないか。この国の未来のために、それを生きる子どもたちのために、我々は社会から悪書と、それらを作り出さんとする者共を一掃する。これは清廉せいれんかつ希望に満ちた明日のための革命である。誰も我々を止めることはできない。これはこの世界の必然的な流れの支流に過ぎないのだ」

 真咲は病院のベッドの上で、大量の鎮痛剤に朦朧もうろうとする頭でそれを聞いた。ふざけるな。真咲の父の代表作『とらぬたぬき胸算用イマジネーション』は、男子高校生である主人公の妄想が世界に干渉して大事件を引き起こすという内容で、無論思春期の男子であるから御都合主義のエロティックなシーンが頻発、表現の規制を求める界隈かいわいからは終始批判が寄せられ、出版社の不買運動までもが起こるほどであった。彼女自身もまた「ティーン向けエロ作家」と揶揄やゆされる父の存在を恥じていた時期があった。けれど真咲は見せてもらったことがある、父に届いたファンレターの一部を。

「毎日とてもツラいです。楽しいことなんて有りません。でも狸矢まみやくんを見習って勝手な妄想をすることで頑張って生きています」

「はっきり言ってサイテーの小説だと思います。でも他のどんな作品よりも元気になれます。僕のバイブルです」

「私は女子ですが『とらイマ』にハマっています。ある日最新刊を買っているところをクラスメイトに見られてしまったのですが、その子も隠れて『とらイマ』を読んでいて、初めて親友と呼べる相手が出来ました」

「受験生です。母親に『とらイマ』を捨てられてしまいました。大人は何もわかっていません。もう親の勧める大学を目指すのはやめて、好きな絵の勉強をしようと思います」

「家庭に問題があって、死にたいと言っていた友人に朝宮先生の本を貸しました。真剣に悩んでいた自分がバカみたいだと、少しだけ明るくなりました」

 どんなにくだらない物語でも、それで救われる人はたくさんいるのだと真咲は知った。批判するのはいい。だが排除するのは間違っている。それは自分以外の人間に対する想像力の欠如けつじょだ。真咲は思った。今は戦う時だと。だが父は死んだ。理不尽に殺された。自分もまた自由を奪われた。誰のためだって? 何のためだって? ふざけるな!

(力が欲しいか……)

 白濁はくだくした意識に声が届く。

(力が欲しいか……)

 欲しい。戦える力が。物語を守る力が。

 残った右手を伸ばした先に、手術台を照らすまばゆい光があった。


         ●


「いろいろと引っかかるところがあるんだが……」

「それは良かった」俺は言った。「引っかかりのない小説なんて読み飛ばされて終わりじゃないですか」


         ●


 警視庁捜査課テロ対策分室の蟹江敬一かにえけいいち警部補はあせっていた。丸山書店ビル爆破事件から一ヶ月が経とうとしているのに、未だ犯人につながる手掛かりはまったくつかめていなかったのだ。おまけに長官直下に置かれた捜査本部からは締め出され、そのくせ情報だけを逐一執拗ちくいちしつように求められてもいた。ナメやがって。これではまるでていのいい下働きではないか。

「だって我々は元々国の下働きではないですか」

 ふた回りも若い部下の柄本えもとに平然と言われて、蟹江は思わず声を荒げた。

「オメエには警察官としての矜持きょうじがねえのか。矜持ってもんがよお!」

 蟹江は今や絶滅危惧種の江戸っ子だった。出身地だけが栃木だった。

「なんですか、キョウジって」

 人を苛立たせるような間の抜けた口調で柄本が言った。

 知性の敗北! だが蟹江は切り替えの早い男だ。つい先立ってもTVCMを観るやいなや自動車保険をネット損保に切り替えたくらいだ。

「仕方ねえ、こうなったら見込で行くぞ。表現規制関係で書類送検された奴らのリストがあったな」

 現場検証も聞き込みも防犯カメラ解析も不発なら、動機のありそうな連中を片っ端から当たるしかあるまい。

 ツイッターで怪しげな情報と猫画像を探していた柄本は、仕方なく警視庁のローカルネットワークへ飛ぶ。

「……ありません」

「WHAT?」

 蟹江は外国人のように両腕を広げて叫んだ。

「データベースから消えています」

「どういうことだ!」

「知りませんよ!」

 と、突然部屋のドアが開き、現れたのは冷ややかな顔立ちの痩せた男。額の癖っ毛を絶えず指でいじっているのが、いかにも神経質そうな印象だ。人によっては萌えポイントかもしれない。

「お呼びですかな」

 芝居がかった調子で言う。

「誰も呼んだ覚えはないが何者だあんたは」

「お初にお目にかかります。警視庁サイバー捜査課第四層所属、青木ヶ原樹あおきがはらいつきという者です」

「西尾維新にでも名付けてもらったのか!」


         ●


「何を言っているんだ!」

「お言葉ですがね」と、俺は椅子の背に身体を預けながら言った。「この程度で何を言っているのかわからないようでは、既に価値観がアウト・オブ・デイトと言わざるを得ませんね」

「そうじゃない。文芸小説に出てくるような台詞じゃないと言っているんだ」

「文芸小説?」

「そもそもこれは……どう見たってラノベじゃないか!」

「知らねえよ!」

 俺は反論した。

「そもそも文芸作品だとかラノベだとか意識して書いちゃいねえよ! だいたい何だよライトノベルって。どこがどうライトなんだよ。じゃあ純文学はヘビーノベルかよ!Show me the way to you かよ!」

「何を言ってるのかわからん」

「では仮にラノベだとしましょうか。それでもいいよ、気にしちゃいねえんだから。で、その言いようは何なんだよ。ラノベを馬鹿にしちゃいねえか!」俺はここぞとばかりに身を乗り出して声を張った。「ラノベは文芸じゃないとでも言うのか! いいですか、茶川ちゃがわ賞作品十年分の売り上げを合計したって人気ラノベタイトル一年分の売り上げに敵わないんだ。何と言おうと小説は読まれてナンボだ。読まれない小説なんざあ日記と一緒だ。ただの自己満足だ。現実から目を逸らしておいて何が文芸ですか! 何が人間が描かれていないですか! 何が社会を投影していないですか! 笑っちゃうねえ! 顔は笑ってねえけどな!」


         ●


「第四層……実在していたのか……」

 柄本が幽霊にでも出会ったような表情で青木ヶ原を見た。

「何の話だ」

「インターネットは多層構造になっていて、我々一般人が辿り着くことのできない階層がいくつもあるんです。そこは違法な情報が飛び交う無法地帯になっている。そうしたエリアで活動するためにネット犯罪者や凄腕ハッカーをスカウトして作られた部署、それが第四層なんです。都市伝説の類だと思っていたのに……」

「サブキャラのくせに長ゼリフじゃねえか」

 蟹江が横目で見ながら言うと、青木ヶ原は視線を落としてフッと笑う。

「極秘情報がいとも簡単に漏れる。脆弱ぜいじゃくもいいとこですよ、警察のシステムなんて」

 蟹江があごを突き出し気味に向き直った。

「で、そのネットの地底人さんが陽の当たる場所にどんなご用ですかね?」

「面白い人だな」青木ヶ原はそう言いつつ、たいして面白くもなさそうに首だけを蟹江に向ける。「この事件を解決させたくない人間がいるということです。テロ対策分室が蚊帳かやの外に置かれているのもそのためでしょう。ですから顔見せです。我々は嫌でも連携せざるを得ない」

「警察内部に奴らの味方が?」

 柄本が甲高い声を上げ、慌てて口を押さえた。幸い他の職員は自分の仕事に忙殺ぼうさつされているようだ。

「だとすると自分の身が危ういんですよ。邪魔ですからね。我々は上のコントロールがもっとも届かない部署なんで。とはいえシステム上では末端です。第三層以上で制御されるとローカルネット経由では手も足も出ない。現に情報の書き換えやら漏洩ろうえいやらが頻繁に起きている。そこで嫌々ながらこうして表に出てきたわけです」

「面倒なことに巻き込まないでくれ。すねに傷のある奴と一緒にされちゃ困る」

 蟹江の嫌味を青木ヶ原はこともなげに無視する。

「なるほど、消したということは危険な情報だということですか。では、早速さっそく掘ってみますか」

「掘る?」

 きびすを返しかけた青木ヶ原が、面倒くさそうに振り向く。

「消去したとしても、データベース自体には痕跡が残っているはずですから」

「あんた、警視庁のメインシステムに侵入するつもりか!」

「安心してください、ここからはやりませんよ。ヘタすりゃ戦場になる」

 嬉しそうに笑いながら、青木ヶ原は背中を向けて歩き出した。蟹江が「結果は知らせてくれるんだろうな」と声を投げると、そのまま右手だけ軽く上げてみせた。

「喰えねえ奴だ……」

 誰の席でもない机の上の、いつもは鳴らない電話がけたたましく鳴った。少し前に装備開発課の奴等が何の説明もなしに設置していったものだ。

 嫌な予感がした。


         ●


「どうだ、続きが気になって仕方がないだろう」

「あのなあ小林……」文芸部部長曾根崎理そねざきおさむは暗い表情で上目遣いに俺を見た。「これはラノベな上に思い切りエンタメだ。伝統ある我が米峰学園べいほうがくえん文芸部の定期誌には相応ふさわしくない」

「うわっはっはっはっ!」

 俺は思い切り哄笑こうしょうした。自分でもわざとらしいと思うが仕方ない。

「今度は本当に笑っちまったぜ部長さんよ。いちばん既成概念に囚われるべきじゃない若者が、しかもピッチピチの高校生が、」

「おまえにその表現はおかしい!」

 電撃のツッコミ。伊達だてに部長の看板を背負ってはいないということか。しかし。

「もとい! 頭の柔らかいはずの高校生が、伝統とやらに縛られますか。薄っぺらいジャンルの壁の前で立ち止まりますか。まさかあなた、純文学は高尚こうしょうでエンタメは低俗だなんて思っちゃいないでしょうね。思っちゃいないでしょうね!」

 曾根崎は口をじ曲げてこれ見よがしのため息を吐いた。

「そうじゃない。定期誌は諸先輩方にも配布されるんだ。なかには名の通った作家だっている。知ってるだろう、茶川ちゃがわ賞作家の近野手前こんのてまえさんだってOBなんだぞ。それが突然、ラノベみたいな作品の載った後輩の会誌を見たらどう思う」

「知ったことじゃないねえ!」俺は高らかに断言した。「じゃあ何かい、何ですかい、部長は先輩方に感心してもらうために小説を書いているんですかい。自分の表現よりも部の体面たいめんの方が大事ですかい。とんだ権威主義の犬ですなあ!」

 曾根崎の顔が紅潮していくのがわかった。もちろん知ったことではない。

「作家は誰にも尻尾を振らない猫であるべきだ! そうだ、俺は今から『小林猫太こばやしねこた』と名乗ろう! 名前を書き直してください。『ヨシオ』を消して『猫太』に!」

「だいたいおまえなんで文芸部になんか入ったんだ!」

 曾根崎が反論もせずに筋違いなことを言いだす。

「中学の時は野球部だったじゃないか! 国語の時間に島崎藤村しまざきとうそんを島崎フジムラって読んだじゃないか!」

「藤村はフジムラだろうが! 島崎より甲子園の方が有名だろうが!」

「知らんわ!」

「何だと!」

 俺と曾根崎は同時に腰を浮かしながら顔を見合わせ、次の瞬間我に返った。

「最後まで読め」と、俺は言った。「最後まで読まずに批判すると、炎上するぞ」

 曾根崎はこちらを見据えたまま、スローモーションのようにゆっくりと椅子に座り直した。

「俺はツイッターもインスタグラムもやっていない」

「奇遇だな、俺もだ」

「嘘を言え」

「おまえもな」


(「破」につづく)

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