第4話 暁摩耶 ①願い

 どこまでも果てしない闇が広がっていた。

 外界の一切を遮断した特殊領域の中で、あかつき摩耶まやは静かに目を閉じた。


「あなたの願いは、なに?」


 その声に反応するように、輝く無数の粒子が空間に舞い始めた。光の粒子は意志を持ったように蠢きながら徐々に密度を増してゆき、やがてそれらは、一つの形を成して顕在化した。


 瞼を開くと、目の前にひとりの女が立っていた。ホログラムのように透き通った体が宙に浮いている。これまで視てきた多くの死者と同じように、女の目には深い悔恨かいこんの念が宿っていた。衣服は乱れ、血で固まった髪の束が頬に張りついている。両腕に点在する刃物による防御創が、女の死因が他殺であることを物語っていた。


「お願い……たすけて」


 思念は言葉を超えて直接心に届く。


「誰を助けるの?」


「……ミクを……わたしの娘を……たすけて」


 女の頬を一筋の涙が伝った。

 次の瞬間、摩耶の虹彩が金色の光を放ち、周囲の空間に様々な映像を映しだした。小さなアパートの一室。窓の外には雪がちらつき、ストーブの焚かれた暖かな部屋で笑顔を浮かべるひとりの少女。


——橘花たちばな早苗さなえ。これがあなたなのね。


 それは早苗が覚えているもっとも古い記憶だった。クリスマスの夜、早苗の母が早苗に手編みのマフラーをプレゼントしている。首に巻かれたマフラーを嬉しそうに撫でる六歳の早苗。翌日、彼女は養護施設にあずけられ、以後、母と再会することは二度となかった。


 映像は走馬灯のように高速で移り変わり、やがて小さな赤ん坊を抱いて微笑む早苗の姿が映し出された。麻耶は確信する。


——橘花たちばな未来ミク。この子が、あなたの願い……。


 摩耶は早苗の生涯を追体験しながらミクと出会い、幼い少女が取り残された部屋の場所を突き止めた。早苗が殺害されてから三週間が経過している。ミクは早苗によって監禁されているため、急がなければ命が危ない。抗うことの許されない宿命の中で、摩耶は早苗の願いに応えるほかなかった。


「早苗さん――あなたの願い、聞き届けます」


 

*****



 特殊領域が収束すると、視界のすべてがいつもの見慣れた自室に戻った。家具や雑貨がほとんどなく、とても女子高生のひとり暮らしとは思えない殺風景な部屋の中で、摩耶はミクが閉じ込められているマンションの住所を紙に書き写した。

 遠い……。今から電車に乗っても、ここからだと二時間はかかる。掛け時計の針が二十時を指しているのを見て、摩耶はセーラー服のまま慌てて自室を飛び出した。

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