第3話 麻美①呪いの猫、チャタロウ捜索依頼!

 麻美の溌剌はつらつとした肢体は人混みでもよく目立つ。上背は百六十五、十七歳。亡くなったロシア人クウォーターの母親から受け継いだ美貌が、日本人離れした派手な顔立ちに拍車をかけている。

 渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしてた丸山は、対角にある信号機の下で大きく手を振る麻美を見つけ、苦いため息をついた。


 渋谷と麻美は、最悪の組み合わせだ。


 職業柄、目立つことを極端に嫌う丸山にとって、ただそこにいるだけで人の注目を集めてしまう麻美のような人間は、本来ならもっとも敬遠すべき存在だった。それが、なんの因果か五年前に起きたある事件をきっかけに、丸山と麻美は養子縁組を結ぶことになった。以来、中野のボロアパートで寝食をともにし、まるで本当の親子のように暮らしている。もちろん、今では戸籍上も列記とした父子関係にあるのだが。


 信号が青に変わり、波のように人が押し寄せる中、麻美はその合間を器用に縫って駆けてきた。


「おまたせー! 珍しい依頼、きたんでしょ?」


「声が大きい」


「自意識過剰。誰も聞いてないって、うちらの会話なんか」


 丸山は顎をしゃくって、麻美に周囲を見るよう促す。道ゆく人の多くが、ちらちらと麻美を見ていた。芸能人のような華やかな雰囲気をまとった麻美は、やはりなにをしても目立ってしまう。


「可愛いって罪だね」


「バカ野郎。事務所に行くぞ」


「はーい」



✢✢✢✢✢



 道玄坂の奥まった場所にある古びた雑居ビル。その一室に丸山探偵事務所はあった。狭い室内に客用ソファーとテーブル、探偵机があるだけの殺風景な事務所だった。独立してから十数年、食うのがやっとのギリギリの生活が続いていたが、五年前に麻美をアルバイト探偵として雇い始めてから、瞬く間に業界で事務所の名が知れ渡った。


「ペットの捜索なら丸山探偵事務所へ! 他社には真似できない圧倒的捜索力! 行方不明のペットを迅速無事に飼い主のもとへ届けます!」


 そんな宣伝文句を書いたチラシを配布したら、あれよあれよと依頼が舞い込んだ。麻美が三毛猫の写真にトレンチコートやルーペをコラージュして作った可愛い探偵猫ポスターも功を奏し、丸山の事務所はペット関連で大いに繁盛した。


 迅速な捜索能力は他の追随を許さず、丸山と麻美のコンビは界隈で一躍有名になった。あまりの人気ぶりに、一時は商売敵からの嫌がらせもあったが、ペット捜索においては彼らにかなわないことがわかると、やがてそれもなくなった。


 同業者に勝ち目がないのも当然だった。現在の丸山は、犬の十倍の嗅覚を持っており、嗅覚受容体の遺伝子総数は一万個近くに達している。依頼主から提供されたペットの遺留品を嗅ぎ、その経路を辿るだけで目的の動物にたどり着く。こんな簡単な話はない。そして、麻美がいればどのような動物――たとえば空を飛んで逃げる鳥でさえ簡単に捕まえることができるのだ。

 

「ねえ、おじさん。珍しい依頼ってなんなの?」


 来客用のソファーで板チョコをかじりながら麻美が尋ねた。丸山は机の引き出しから取り出した書類を手渡す。麻美は書類をパラパラめくりながら、


「なにこれ、普通の捜索依頼じゃん」


「最後までよく見ろ」


 言われてみるといつもより書類が分厚い。最後のページから逆にめくっていくと、ある文面が麻美の目を引いた。


「は? なにこれ」


「飼い主は当該猫を発見したあと、殺処分して欲しいそうだ」


 確かにひどい話だが、この猫にはそれ以前の問題があった。


「それより、この猫……って、どういうこと?」


「書いてある通りだ。資産家である杉沢夫婦の飼っている三毛猫『茶太郎』は、人間の言葉を完全に理解し、さらに、あらゆる不幸を呼び込む呪われた猫だそうだ」


「ちょっとまってよ、呪いはさておき、人間の言葉を完全に理解できる猫なんているの?」


 丸山は「なにを今さら」といった面持ちで、


「ありえない、絶対に存在しない、なんて、言い切れるか? 俺たちがどうやってこの商売を成り立たせているか考えてみろ」


「あっ、そっか」


 言われてみればそうだ。おじさんは犬みたいに鼻が利くし、わたしは――


「なにしてる」


 気づくと部屋の中央で書類と板チョコが宙に浮いていた。


「この世にありえないことなんてないってことを証明してるの」


 書類は空中で踊るようにひらひら舞い、板チョコがクランキーな音を立てて割れた。数個の破片になったチョコのひとつが、意志を持ったようにすーっと宙を移動し、麻美の口の中にするりと入った。


「無闇に力を使うんじゃない」


 丸山が言うと、チョコの破片が高速回転し始めた。


「わかってないねえ、おじさん。これもコントロールの訓練なの。言っとくけど、チョコの破片一個一個の回転方向を全部変えて、同時に操作してんだよ、これ。まーまー集中力いるんだよ? おわかり?」


 板チョコの回転がぴたりと止まり、今度はパズルを組み合わせるように割れる前の形に戻った。チョコと書類はそのまま静かにテーブルの上に舞い降りる。丸山はやれやれと言った様子で口を閉ざした。


「呪い猫のチャタロウかぁ、超気になるー! こんなワクワクする依頼久々じゃんね!」


「アポは取ってある。今から杉沢邸に向かうぞ」


「イエーイ!」


 麻美のはしゃぎように呆れながら、丸山はチャタロウ捜索のための準備をはじめた。

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