・第二夜
前回の出張から二週間後、まちかりはふたたび、とある四国の駅前に降り立っていました。同じバスで到着したお得意様が心配そうにまた話しかけてきます。
「まちかりさん、今週もまた出張なんですか! 大変ですね。でも、宿の手配はしていませんよ?」
「ああ、大丈夫です。今回はちゃんと手を打ってありますから」
お得意様の不安そうな問いに、まちかりは余裕をもって答えます。
「今回は、地元のA社の社長に宿の手配をお願いしてありますから!」
「ああ、それなら大丈夫ですね」
そう、まちかりは今回の出張前に地元のお取引先の社長に、宿の手配をお願いしておいたのです。
『まちかりさん、宿は確保してありますから心配せずにおいでください』
既にそう言ってもらっていたので、まちかりは何も心配していませんでした。
「じゃあ、先方と待ち合わせしていますので、ここで」
そう言って、まちかりはまた駅前の新しいビジネスホテルの前で同業者と別れたのです。
◇
まちかりはそのあとA社の社長様と駅前で落ちあい、タクシーで少し駅から離れた美味しい炉端焼きのお店に行って瀬戸内海の新鮮な海の幸を堪能しました。
「じゃあ、そろそろ宿にご案内しましょう」
お酒も入って少しいい気分のまちかりと社長は、タクシーを呼んで社長が予約したという宿に向かいました。
「社長、お手数をお掛けしてすいませんでした」
タクシーの中で、まちかりは社長にお礼を言います。
「いやまちかりさん、実はけっこう苦労したんですよ。」
「そうだったんですか」
「ビジネスホテルはもちろん、デラックスなホテルも、ちょっと離れた民宿もすべて満室だったんです」
「はあ……」
「それでも一室だけ空いていたんですよ! いやあ、そう云う事ってあるんですね!」
そう言われた瞬間、まちかりの頭に引っかかるものがありました。そしておずおずと切り出したのです。
「社長……まさか……その空いていた一室というのは……駅前にある古いビジネスホテルの……トリプルの部屋じゃありませんか?」
「ええ、そうですよ! よくご存知ですね!」
自分の顔の血の気が引く音というのを、その時初めて聞きました。マンガにあるような『サーッ』なんてモノではありません、『ゴウゴウ』という濁流のような音です。まちかりは社長に慌てて言いました。
「すいません、社長! そこは先週あまりに不気味なので、断った部屋なんです! すいませんが、その部屋はキャンセルしてください!」
まちかりの勢いに社長は面喰らっていました。
「わ、わかりました! すぐにキャンセルします!」
社長はタクシーの中からすぐに電話をしてくれて、キャンセルしてくれました。こちらの勝手なキャンセルにもかかわらず、相変わらずあっさりとキャンセル出来ました。電話を終えた社長が心配そうに尋ねます。
「キャンセルは出来ましたが……まちかりさん、宿はどうしますか?」
「とりあえず、社長をお送りします。海の近くに船員用の宿があるので、お送りしたあとにこのタクシーでそのまま向かいます」
そうしてまちかりは、再びあの海のそばの格安の宿に泊まる羽目になったのです。
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