【実話怪談】空いていた部屋

まちかり

・第一夜

  身も凍るような風の吹く二月、とある四国の駅前に到着したまちかりはバスから降り立ちました。駅前というのに通る人は少なく、空気は乾いておりひんやりとしています。都会の喧騒とはほど遠い静かな刻が流れていて、まるで自分が場違いな場所の来ているかのように感じる……そんな出張につきものの感傷にとらわれていると、同業のお得意様が話しかけてきました。


「すいませんまちかりさん、予約出来なくて……」

「大丈夫大丈夫、なんとかなりますって」


 まちかりは四国で仕事をする時はお得意様に事前に連絡して、宿の手配をお願いしていました。今のようにインターネットが広く普及していなかった当時、宿の手配は電話でしたので、よく四国に行く同業のお得意様が手配してくれていたのです。


 だが、この時は勝手が違いました。ビジネスホテルはどこも満室、まったく空き部屋が無かったのです。


「私が予約した部屋を使って頂いてもいいんですけれど……」

「いえ、こちらからの連絡が遅かったんです、急に出張が決まったものですから。御無理を言って申し訳ありません。じゃあ、ここで」


 まちかりは、お得意様と駅前のビジネスホテルの前で別れます。


「さて、宿を探すか……まあ、一人分の宿くらい何とかなるだろう」


 まちかりはそう呟いて、まず駅の横にある観光案内所に向かいましたが、まちかりは地方都市の宿泊事情を全くもって甘く見ていました。


「申し訳ありません。ビジネスホテルはもちろん、民宿やデラックスホテルも今日はいっぱいでございまして……」


 と丁重に断られてしまったのです。


 次に考えたのは飛び込みでした。ホテルはキャンセルが出ても観光案内所に報告していないパターンがよくあるのですが、今回は上手くいきません。デラックスホテルも駅前の新しいビジネスホテルもキャンセルがまったく出ていないのです。


「まいったな、これは……」


 まちかりは思わず呟き、ある建物をチラと見ます。それは駅前にある古いビジネスホテルでした。


 なぜそこに飛び込まなかったか?


 実は同業者の誰に聞いても、あまり評判が良くないのです。曰く、『暗い』『キレイに見えない』『設備が古い』とさんざんです。あえて泊まる必要がなければ泊まらない……そんな評判を聞いていました。


「まあ、一晩だけだから、どんな部屋でも文句は言うまい」


 まちかりは気を取り直して、そのビジネスホテルに向かいました。


 古臭い自動ドアが開き、古臭い受付=フロントがあります。昔ながらの古くさいカラーボードで装飾されたその受付の中に、一人の男性がいます。私服で、ホテルの受付には見えません。


 しかも、こちらをまともに向いていません。目を逸らすように斜め下に向けた顔から、チラ見するようにこちらを眺めます。あまり気持ちはよくありませんが、気にしないようにして声を掛けます。


「あのう、すいません。どんな部屋でもいいので、一部屋空いていませんか?」


 すぐには返事がありません。相変わらず斜め下からねめつけるようにこちらを見ていましたが、少し間をおいてポツリと言います。


「……トリプルの部屋なら……ありますけれど……」


 一瞬思考が止まります。


「……トリプル? つまりベッドが三つある、ということですか?」

「……ハイ……」

「あ、それでいいです。ところでいくらですか?」


 ビジネスホテルでシングルなら六千円台はします、トリプルならたとえ一万円と言われても文句は言えません。いざとなったらカードで払うしかないと、まちかりは腹をくくっていました。


「……六千九百円です……」

「え?」


 思わず聞き返しました。普通のビジネスホテルならシングルで同じくらいの値段がするのに、三つもベッドがあるトリプルの部屋がシングルの部屋と同じ値段なんて考えられません。


「……じゃあその部屋でいいです、お願いします」


 まちかりはお金を払ってルームキーをもらいます。部屋のある最上階に向かい、昔ながらの色の付いたプラスチックの四角い棒が付いたキーで扉を開きます。


 しかし、部屋に入ったまちかりの顔は凍りつきました。


 暗い……あまりに暗いです。ほの暗い部屋に三つのベッドが並んだその部屋の雰囲気はまるで……


〝霊安室〟そのものです。


 軽くパニックに陥ったまちかりは、部屋を明るくしようと電気を全て点け、窓を覆うカーテンも全開にしました。だというのに部屋の雰囲気はまったく明るくなりません。


 まちかりは荷物も降ろさず立ち尽くします。こんな部屋に泊まったら、どんな目に遭うか判ったものではありません。逡巡したあげく、まちかりは荷物を持ってフロントに戻りました。


 フロントには例の男性が立っており、相変わらずこちらをまともに見ないで、斜め下からチラリとこちらを見上げています。まちかりはキーをフロントにおいて、おずおずと切り出しました。


「あのう、大変申し訳ないのですが……キャンセルしてもいいでしょうか?」


 相変わらず、すぐには返事はかえってきません。チラリとこちらを見た後、おずおずと言います。


「……はい、わかりました……」


 え? 一言文句も言われてもおかしくない、宿泊客の勝手なキャンセルです。だというのにまるで「さもありなん」と言わんばかりのスムーズなキャンセル。まちかりは六千九百円を返金してもらい、そのホテルを出ました。


「さて、どうしたものか……」


 その時『ピ――ン』と閃きました。たしかここに来るまでのバスの中から、〝宿泊〟の文字があったことを思い出します。タクシーを拾い、そこに向かいました。


 そこは雇われ漁師やトラックドライバーが泊まる宿で、部屋に洗面所やトイレが付いていませんが、少なくともおかしな雰囲気はありません。小さいながらも湯船もあり、まちかりはそこで一晩を過ごしたのです。

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