第10話 小説家 山野さくら 1

 病院から出ると、急に眩しくて立ち止まった。先日梅雨入りしたのに、ちっとも雨が降らない。宣言が早過ぎたんじゃない?とも思うが、日差しの強さはもう初夏だ。駅までは歩いても行けるけど、病院前のバス停の屋根の下に非難する。今日は疲れた。

 検査の結果は、不整脈だった。激しい運動や、心臓に悪い事しなければ普通に生活していいらしい。AEDを埋め込む手術を勧められたけど、なんだか気が乗らなくて保留した。

 50歳で死のうとは思ってたけど、現実味が出るとちょっと驚いた。運命ってやつだろうか。数人並んでいるお年寄り達が、病院帰りとは思えない程お元気なのを不思議な気持ちで見る。あの姿になる私は多分いない。

 バスが来て乗り込む。平日の昼間だからか空いていた。ゆっくりと動き出す。

私は元々生きるのが面倒と思うタイプだった。何かやってみようと思う事があっても、それがなんの役に立つ?なんて考えてしまって、先に進めない。そうやってすぐ辞めてしまうから、やっぱり役に立たない。ただ日々を何もせずのんびりするのが幸せだった。

 外を流れる昼下がりの町の景色が落ち着く。あれ、もしかしてその生き方なら長生きしてしまうのでは?と思いついて、ふふ、と笑ってしまう。長生きしたいわけじゃないのよ、と自分につっこむ。最近の私は自由に楽しんで生きるがモットーだ。

 駅前でお惣菜や少しの野菜、ヨーグルト、食パンを買って家路に向かう。今日はナオの動画更新日だから、さっさと夕飯を済ませてゆっくり見よう。軽めのチューハイも買った。

 今日の動画は、お仕事中の彼を追いかけたものだった。真剣な表情で話し合いをしている顔が、一瞬カメラを向いた。きゅん、とする。優しく笑う彼も好きだけど、真剣な表情も素敵だ。ちょっと息苦しい。

 ふと、思いついた。もし、私がこのままリアルきゅん死にしてしまったら、彼は罪に問われるのかしら?と。そんなわけないと思いながらも、じゃあ、どうだったら罪になる?と考え始める。アルコールも手伝って、妄想がはかどる。とりあえず、動画を見ていただけでは無関係としか扱われないだろうから、直接会っている時にきゅん死にしなければならない。ライブでは、ナオは不特定多数にきゅんを起こさせている。その状態で私だけが死んでしまっても、罪にはならないだろう。ナオと、1対1で会う機会が必要だ。そんな機会はあるのだろうか。それはなかなかに高いハードルなので、後で考えるとして。

 次に、ナオに私が死んでしまうほどのきゅんをしてもらわなければならない。死んでしまうほどのきゅん。自分で言ってて笑う。なにそれ、幸せ過ぎる。ナオが、私がナオのファンでなおかつ心臓病であることを知っているにも関わらずそんなことをしたら、もしかしたら罪に問われるかもしれない。

 せっかくだから、これで小説を書いてみようと思う。タイトルは「きゅん死に裁判」。判決は是非有罪で。


 そんなバカなことを考えていたら、以前書いた小説が映画化される話がきた。奇跡だ。一気に高いハードルを越えてしまった。もちろん主役にはナオをお願いした。私はただの原作者だけど、脚本家の方にお願いしたら、雑用係として勉強させてもらえることになった。

 脚本は小説とはまた違う。映像の設計図を描くから、まず頭の中でイメージが出来上がっていないとできない。私の小説は一人語りが多いから、それをどう映像にするのか、あのシーンはどんな、とか考えたら楽しくて仕方がない。初めての打ち合わせの前日は楽しみ過ぎて眠れなかった。

 打ち合わせ当日。関係者が全員揃い、挨拶をしていく。ナオもいた。私の挨拶は少しテンションの上がった頭で、嬉しさを爆発させていたと思う。まあ、奇跡が起きたんだし、私的には仕方ない。

 その後の打ち合わせは、私の知らない世界で、専門用語も飛び交い一気に目が覚めた。今までは一人で書いて完結していたストーリーが、こんなに大勢の人たちの手で、映像として形作られていく。私の手から離れて、大きなものになっていく感じがして、寂しさとわくわくと、こんな現場で勉強させてもらえるということに気が引き締まる思いだった。

 打ち合わせが終わって、ナオに声をかけた。主役を受けてくれたことに対するお礼を言おうと思っただけなんだけど、ナオがこちらを見た瞬間、それだけで心臓が跳ねた。今日はやばい。まだ死ねない。なるべくクールに、お礼だけ言って離れる。この分だと、私はいとも簡単にきゅん死にしてしまうに違いない、と確信した。せっかく映画の撮影がこれから始まるというのに、今死ぬわけにはいかない。ナオは危険だ。近づくべからず。推しは遠くから眺める位がちょうどいい。

 なのに、ナオから話しかけてきた。嬉しい反面、本当に心臓に悪い。あまりに楽しそうに話すからつい私も相手してしまうけど、ころころ変わるナオの表情に、私の動悸の変化もすごい。本当に危ない時は、来ないでくださいって冗談混じりに言ってみたけど、意外としつこいのがなんか可愛い。

 撮影は順調に進み、知らなかった世界での毎日が楽しくて仕方がなかった。ナオとは世間話くらいしかしていないけど、少し仲良くなれた気がする。何より私の思うナオと本人がほぼ同じなのが嬉しかった。本当に素敵な人。この人を好きになって良かった。ナオのおかげで今私はここにいる。

 映画化された小説を書いたのは、去年の夏頃だった。私がナオを好きになって、その気持ちをそのまま小説に落としてみよう、と思って書いた作品。割と赤裸々で恥ずかしい上に強引にハッピーエンドにしてしまったのが我ながら痛々しいのだけれど、ナオにならって堂々と公開してみた。同じ年代の女性から、共感してもらえたり、夢見てもらえたりと、前向きに読んでくれる人がいて嬉しかった。

 この頃の私は、まだそこまで自由を求めてはいなかったと思う。小説のヒロインは、好きな男の為に自分の人生を捧げる。年の功でリアルに見えている将来を分かった上で、覚悟を決めてその年下の男に賭ける。そんなエンドにした。無気力な以前の私からは随分変わったけれど、今の私なら、こんな終わり方はしないだろうと思う。

 そもそもこの歳で子供を産む事は考えられない。折角子育てが終わったのに、これからの人生を自分の為に使いたい。だから、多分もう結婚もしない。私は私が、自由な人が楽しそうにしているのを見るのが好きなのを知っている。それで元夫の為に自分を犠牲にし過ぎてしまった。同じ轍は踏まない。私が自由に楽しむのを私が見てればいいのだ。

 結局、今この小説を書いたとしたら、物語は破綻する。同じ人間が書いても、何を経験するかで結末が変わるのが面白い。これからの私が何を書くのかが楽しみだ、と思える自分が楽しい。

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