第3話 墨東の河童


 沙門は腕組みすると、突然、念仏を唱え始めた。


「雨宮千速。本籍・墨東区本所。同所の造園業〈風ま屋〉専務・雨宮兵吉の長女。補導歴18回は、すべて深夜徘徊による青少年保護育成条例違反。暴力事件による補導歴は皆無。

 ただし、不起訴処分1回は、昨年の夏に起きた歌舞伎町での火災で5人の救急救命に尽力したことによる。表彰されてもおかしくない現場活躍だったそうだが、緊急車両備品強奪の窃盗および医師法違反で表彰相殺で起訴された。この訴追には消防関係と捜査関係者も消極的だったという」


 神楽木は自分のコーヒーカップから唇を離して、吐息した。


「なるほどね。誰が女子中学生の訴追に〝前向き〟だったのかは、こっちで調べておくわ」


「よろしく頼む。また、警察沙汰は一度もないが、墨東では相当な〝不良狩り〟で鳴らしていたらしい。相撲すもうに似た強烈な組み付きと怪力。見えない蹴り技を使うそうだ。不良の間でついたあだ名が〝墨東の河童〟。だが不良グループ〝餓車ガシャ髑髏ドクロ〟に目をつけられそうになり、仮住まいの児童養護施設にもいられなくなって転校と転籍が2回」


(……ちっ。あそこ数が多かったしな。けどしっかり潰しておくんだったな)


「かっぱ? 女の子なのにどうして?」神楽木が見た目通りのお嬢様らしい質問をする。


「昔話にもよくあるだろう。相撲が河童の得意技だからだ。そして、この雨宮千速もカッパのごとく相手を池や用水路へ引きずり込むのだそうだ。墨東地区はその手の水路には事欠かない街だしな」


「それって。もしかしてケンカの中で相手を溺れさせてから、自分で助けているの? そのための気道挿管?」


 生徒会長代行の指摘に、沙門慶一郎はゆるゆると顔を左右に振った。こちらをじっと見据えてくる。チハヤの背筋に鋭い悪寒が走った。まるで検事だ。


神楽木かぐらき。昨日、聞いて廻った限りで、俺は逆だと思ってる」


「逆? ……補導歴が夜間徘徊だけで18回。なのにケンカでの補導はゼロ。そうね、〝墨東の河童〟と呼ばれるほど目立ったにしては不自然かしら」


「その通りだ。グループから不良狩りと目をつけられるほどの暴れん坊にしては、ケンカによる暴行や傷害の補導歴がない。にもかかわらず、夏からの深夜徘徊だけで補導18回だ。これでは、まるで意図して捕まっているようだ」

「いやぁ、割と深夜徘徊で二桁補導されてるヤツ結構いるし」

「そこで、俺は推察した」

 聞いてもらえなかった。


「雨宮千速は、ケンカの手段として用水路に引き込む。これは間違いない。だが彼らをケンカの成り行きで溺れたのを助けているのではない。不良たちを気道挿管の練習台にするために、あえて水に引きずり込んで溺れさせているのだ、とな」


「えっ!?」神楽木の眉が驚きにはねあがった。


「実際に、墨東区で川に引きずり込まれたという大野ヤスシという人物に会ってきた。1月の末。小名木川の万年橋の上から水中に引き込まれたらしい。犯人の顔を見ていない上に、よほどの恐怖体験だったのだろう。1ヶ月ほど経った現在も、まだ放心状態にさいなまれているそうだ」


「それってもしかして、昔話でてくる〝河童のアレ〟かしら」

「そうだな。〝シリコダマを抜かれた〟状態だ」


 沙門慶一郎は言葉を継いだ。


「雨宮千速は、そのマッチポンプ的な溺水できすい暴行の事実をうやむやにするため、夜間徘徊をアリバイ作りに利用するために補導された節がある。18回もな。それなら気道確保も、ボウガンで被弾したキズの処置判断も手慣れていても不思議じゃないだろう。

 そして今回。救急医療器材が手に入る。──雨宮。ここから先は、お前にとっての正義悪行も〝ごっこ遊び〟にするつもりはないのだろう?」


(こっ、こいつの推理力……っ!?)


 チハヤは、背中にかいた汗の冷たさを感じつつ、そっと自分のグラスを差し出した。


「あの……おかわり、いただけないだろうか」

「あら、ほんと良い度胸してるわね。んふふっ」


 神楽木が笑顔で冷蔵庫に立った。そして、180センチの長身が立ち上がる。


「次の一杯を飲んだら、来てくれ。荷物はここに置いていって構わん。この部屋は施錠するからな」


「け、警察にあたしを突き出す気かよ。しーふーの話するのは騙しだったのかよ!」

「落ち着け。何を言っているのだ、貴様は」貴様って何様っ。


 沙門は薄いレンズの眼鏡をくいっと押し上げた。


「貴様の〝荒療治〟の話がしたくて呼んだわけじゃない。我々の情報を共有するために呼んだのだ。だが上からの要望で順番が変わってな。まずそっちを片付ける。会わせたい人がいる」


 チハヤはグラスに注がれる白い液体を見つめる。今度は味までわかるだろうか。


「会わせたい人? 上って誰だよ」

「その、貴様の処置代を払った人だ。我々のボスが、雨宮千速に会いたがっている」


  §  §  §


 連れて行かれたのは第2化学実験室のとなり。家庭科被服室。

 入ってすぐ織布独特のニオイが鼻をついた。ミシンが収められた棚。悪いニオイじゃないんだけど、生活臭じゃない。どこか異世界な雰囲気の部屋だった。


「あら、縫製が進んでる。またやる気がでてきたみたいね」

「そのようだな」


 二人が見つめたのは、トルソーに着せられたウェディングドレス。上から黒いヴェールがかぶせられていた。


「なあ、なんで学校にウェディングドレス?」チハヤは訊いていた。

「これは、ある女性教師の依頼で仕立てられている物だ」

「は?」


「その依頼人。今、病院で昏睡状態なの」

「神楽木」

「ごめんなさい。雨宮さんには関係のない話だったわね」


 そこで話止められたら、むしろ気になるだろうが。いや、いやいや。こいつらは策士だ。こちらの気を引くように言ってるだけかもしれん。

 

 そこに廊下から上履きの走る音が近づいてきた。被服室の戸が開いて、あのウサギバンダナが飛び込んできた。


「ひや~、ごめんねごめんね~。ハンドボール部が春季大会で留守だって言ってたのに、放課後に学校へ戻ってきてるとか予想外──」


「あっ、お前っ!」

 チハヤは思わず声をあげた。声と身長と顔立ちは記憶に刻んでいた。

「あの時の、しーふーの娘っ」


 ウサギバンダナを外して、〝彼〟は一瞬きょとんとした後、ほんわか微笑んだ。


「あの時は助けてくれて、ありがとうね。雨宮千速さん。ぼく、2年1組あずみあきお、っていいます」ご丁寧にも、学生手帖を出してみせる。

 

 五徳市立龍骨中学校 学生証   氏名 朱住 明星


(男なのはなんとなく気づいてたけど、こいつまで同級生タメかよ。しかも生年月日。一ヶ月、年上とか)


 神様よぉ。あんたキャラ設定が極端なんだよ。

 天を仰がんばかりにショックを受けていると、朱住がはにかんだ笑顔で言った。


「あと、雨宮さんのことが好きです。ぼくとお付き合いしてください」


  §  §  §


 荒の江児童養護施設・ヒマワリ学園

「雨宮っ。門限は18時って言ったでしょ! 入所早々門限破りしてんじゃないわよ!」


 玄関口で、先輩入所者がわめき立てるが、あたしはその横を通り過ぎた。


「ちょっと、雨宮ぁっ!?」

「悪い。……メシ、いらねぇから」

「はあっ!?」


 チハヤは自分に割り当てられた部屋に入った。さっきのガミガミ女と同部屋。制服のまま、医療器具が入ったバッグを抱いて二段ベッドの上階に寝転がる。

 

『雨宮さんのことが好きです。ぼくとお付き合いしてください』


(今日、まだ転校初日だぞ……っ)


 生まれて初めて、男子からコクられた。

 男子……いや、男っぽくない見てくれのチビだけど、でも男らしい気持ちは感じた。

 本気だってわかった。正気を疑うのは……野暮か。


(マジかぁ……。マジかぁ……。マジでぇ?)


 風邪をひいたみたいに頭がぐらぐらして何も考えられん。

 顔が熱くて、胸がいっぱいで、腹減ってるのに何も喉を通りそうにない。

 嬉しかったのか腹を立ててるのか。戸惑っているのか狼狽えているのか……全部な気がする。

 自分の顔が今どうなってるか鏡すら見れん。助けて。


 だってさ。あたしはアイツのこと、全然知らねーもん。

 朱住明星。あずみあきお。どんな男なんだろう。


   §  §  §


 朱住あずみは、あたしに告白した直後、仲間二人に両脇を抱えられて被服室から強制退場させられていった。それっきり結局、帰ってこなかった。


 しばらくして沙門慶一郎があたしのバッグ2つをもって戻ってきた。面目なさそうに。


 ひとりぼっちにされた小一時間を、チハヤは何に費やしたのか憶えてない。帰る選択肢すら思いつかなかった。イスにただ座ったまま記憶が飛ぶなんて初めての体験だった。


「すまんっ。雨宮。今日のところは帰ってくれ。また日を改めて話をしよう」

 沙門は腰を直角におって、頭を下げられた。


「いいってそんな、謝らなくても。……あいつは?」

「神楽木と説得して、反省させている。あまりにも短兵急すぎる事態だったからな」


「あんたらとしちゃあ、あたしみたいなデカ女に告ったのが気に入らねって?」


 沙門は高い鼻梁を左右に振った。


「そうではない。ドウジが誰に恋するかなど我々が止めるべきではないし、我々で止められることでもない。だがしかし、その……なんだ。貴様の身辺を調べていた時点で、まさか恋心から調べさせられているとは、思ってなかったのだ」


「あんたらもビビったって?」


「ああ。偽らざる本心を言えばな。実際、神楽木も困惑してる」

「ダチとして、河童カッパ女に惚れるなんて、喜べねぇか」


「だから、そうではない。俺たち三人はなんというか……家族なんだ」

「どういうこと」


「ドウジは、両親とすんでいない。祖父殿は他界し、祖母が一人だけだ」

「マッ……そうなんか」

 境遇は同じ。なぜか胸がドキドキと跳ねた。この気持ちは憐れみなんかじゃない。むしろ。


「うむ。だからと言って、俺たちが親代わりなどと言うのもおこがましいほど、実情、彼の世話になりっぱなしだ。だから俺たちなりに彼を支えていこうと決めたのだ。いまだ未成年では、できることも少ないがな」


「じゃあ、もしあたしがアイツと付き合うって言ったら?」


 沙門はあごを引いて視線を落とし、沈黙した。


「俺たちは、ドウジの気持ちを家族として尊重する。だが」

「だが? なんだよ。判断材料にしたいんだ。はっきり言えよ」


「後にはもう引けなくなるぞ。今回の会合で話す予定にしていた情報共有の内容よりも深く、貴様は朱住明星を知る必要がある。ドウジを悲しませる者は、悪だ」


 沙門の薄茶色の瞳をじっと見つめた。その光は厳しい。


「それって、朱住明星の恋人が〝敵〟の標的にもなり得る、って意味でか?」

「っ!? ……そうだ。あれが現実に貴様に起きる可能性があることを考慮しておいてくれ」


「敵の素性は?」


「今ここで貴様とサシで詳細を説明するには、時間が足りない。それにドウジの許可もいる。お前の覚悟を彼に伝えろ。そうすれば、ドウジの抱える問題を本人の口から説明してもらえるはずだ」


「それって、恋人より女房に近くね?」

「さあ、どうかな。ドウジは女性にモテるが、一人に決める態度を見せたのは今回が初めてだ。話すかどうかの判断は俺にも予測不能だ」


「ふぅん。だから、あの一発退場だったわけか。納得した」


「すまん……。俺も神楽木も本当に動揺している。あまりにも突然で。兆候は全くなかった。これまでも近づく女性の身元は調べてきたが。今回は、うん。本当に驚いている」


 チハヤは笑顔を作った。いや、本当に可笑おかしかった。

 沙門慶一郎は、誰にも言っていない裏訓練を見破った名探偵のくせに、一番身近にいた親友の指示をあっさりと誤解するなんてな。間抜けな名探偵だ。


(こいつら三人、本気で家族ごっこしようとしてるんだ)


「あとさ。柏崎の〝氷漬け〟の話、他のヤツらから聞いたよ」

「ん。ああ……貴様が嗅ぎ回ってることは、こっちの耳にも入っている」


 沙門がようやく最初に会った時の顔に戻った。チハヤは少しだけ肩を落とした。


「学級崩壊は聞いたことあるけど、学級強盗ってのは初めて聞いたからさ」




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