第2話 生徒会協力員・沙門慶一郎


 2日後──。

 五徳市立龍骨たつぼね中学校。

 2年4組。担任は、家成いえなり千歳ちとせという小柄な女性だ。

 チハヤと目が合うなり、なぜか肩をきゅっとすくませた。


 朝のホームルーム。高校生が入ってきたと勘違いした視線を浴びるのも前回と同じだ。

 ここからまたやり直しか。チハヤは前回と趣向を変えて、正直になることにした。


「えー、墨東区から引っ越してきました。雨宮千速です。補導歴18回。転校と児童養護施設転籍2回。不起訴処分は1回あったけど、保護観察処分になったことは一度もないです。あと、趣味は──」


 ぴゃーぁああああっ!

 突然、担任が泣き出した。教室が凍りつく。


「あーあ。チトセちゃん。泣き出しちゃったよ……」

「そりゃあビビるっしょ。転校の挨拶に補導歴18回とかウケ狙いのブラックジョークにしてもさ。続けて転校転籍2回とかリアルすぎだって。超フダ付きじゃん」


 そんなひそひそ話を耳に入れて、〝三度目の正直〟ってこういうことじゃなかったかとチハヤは頭をかく。


「家成先生、何事ですか!」


 となりの教室からベテランそうな男性教師が飛び込んできて、嗚咽する担任を廊下に引き出した。

 結局、転校の通過儀礼は二人の教師が、チハヤが〝扱いに困るセンシティブ〟生徒だと理解が進んだだけに終わった。それでも前歴カミングアウトが尾を引いたのか、誰もあたしの席に近寄らなくなった。


 こりゃあ、あれか。転校デビュー失敗したかも。


「転校生・雨宮千速は、いるか」


 ホームルームの終わり。偉そうな男子の声で名前を呼ばれ、チハヤは内心驚きつつ腕枕から顔を上げた。

 振り返ると、廊下に薄い眼鏡をかけた長身の男子。チハヤよりデカい。180センチはある。知らない顔以前に、もろ外国人系。詰襟つめえりが笑えるほど似合ってない。鼻たけー。てか、それで同級生タメかよ。


「なんだよ」

 廊下からすぐそばなので、机に突っ伏したまま応じる。

「お前が、雨宮千速か」


「だから、なに……ちょっと今、割とヘコんでんだけどっ」

「放課後。生徒会室に来い」

「なんで命令?」


「2日前の、菊川駅で起きたことの事情を訊きたい」

 こいつ、どっち側だ。

「やだよ。あれ、生徒会関係ねーし」


「プライベートかつセンシティブな話をする場として生徒会室を使わせてもらうだけだ。余人を交えず関係者だけでな」


「ゴメン、日本語でしゃべって。余人ってナニ人。あん時の関係者にお前入ってねーよな」

「ふっ。確かにな」

「いや、そこ笑うとこじゃねーから」


 男子生徒は教室に入ってくると、あたしの正面に立った。


「申し遅れた。2年1組、沙門さもん慶一郎けいいちろうだ。今期生徒会長の補佐をやってる」


「ほさ? 使いっ走りってこと?」


「そうだな。個人的なサポート。たまに知恵を貸している。現生徒会長とは小学校時代からの腐れ縁でな」


「ふーん。それで? 生徒会長が何聞きたいわけ。追いかけてた男たちに心当たりはねーけど」


 結局、都営新宿線デッドチェイスは、船堀駅の到着のほうが追っ手よりもひと足早かった。

 チハヤは荷物を女子小学生に任せると、シーフーをお姫様だっこして車両を脱出。駅構内をぶっちぎって、タイミングばっちりに現れた白いクラウンのタクシーに飛び乗った。


 運転乗務員/一反木 錦  


 おばちゃんタクシー。支払いを運転手がなぜか断ろうとするのを、あの女子小学生が〝一葉〟を押しつけた。釣りも受け取らなかった。どういう関係かいまいちわからなかった。


 その後、チハヤは〈荒の江児童養護施設・ヒマワリ学園〉から少し離れた場所でタクシーを降り、親子と別れた。

 直後、チハヤはこの事件を気持ちよく忘れることにした。


(今日もいい〝ナサケ〟をした)


 あの車両を貫いてきた七本の黒い矢をさっさと忘れたかった。被害者も見えていたようだが、周りには見えていなかったようだ。だから人助けをしたその達成感だけもって、自分の現実に帰った。はずだった。


 それなのに、この沙門慶一郎とやらはデリカシーなく言い放つ。


「その騒動をふまえてお互いの情報を共有しておこうと思ってな。砕いて言えば、後日その男たちがお前を捕まえて拷問しても、恨みっこなしにしておきたい」


「恨むに決まってんだろ。あたしは応急処置をしてやっただけだ。お前、サーモンだっけ? なんで、生徒会のパシリが示談しにきてんだって話だよ」


「鮭じゃない。示談でもない。何も知らずに巻き込まれるより、多少面倒でも耳に入れておいた方が、お前自身のためだと言っている。お前が助けた二人はそういう事情だ」


「さっぱり事情が掴めねーつってんのぉ。けどまあ、行ってやってもいいよ」

「いいのか?」


「まだ処置代もらってねーしさ」

「そうだった。すまんな。切り出すタイミングはもっと後だと思っていた」


 沙門が上着ポケットから薄い白封筒を机に置く。


「これが先方からの、処置代だそうだ」


 助けた側か。チハヤは受け取るなり、すぐ封を切って中を確認する。

(ちっ、〝栄一〟じゃねー……の、かよ)

 代わりに薄い明細書1枚だけ。だが徐々に千早の瞳孔がすぼまった。


「え……うそ。マジかっ」目玉が前に剥き出るのがわかった。


 大手医療機器メーカーの気管挿管セット。シリコン製の酸素バッグ。消毒液ボトル8本。止血パッチLサイズ36枚入り2ケース。さらにさらに帝国陸軍用の応急処置キット。


(じゅ、10万超えてる……これ全部っ!?)


 本物の救急装備だ。これさえあれば、中学生のお医者さんごっこじゃなくなる。


「お前、サンタかよ。これメチャクチャ欲しかったんだって!」


 沙門は一瞬、不思議そうな表情を見せてから、頷いた。


。来れば、用意しておく」


「いくいくっ! 今日の放課後な。てか、これウソじゃないよな。ウソだったらガチで暴れるかんなっ」


「落ち着け。がっつくな。報酬に関しては、その明細書と引き替えだ。確かに伝えたぞ」

 沙門は廊下に消えた。


 チハヤはイスに座ったまま足をばたつかせて歓喜に奇声をあげた。


「クゥ~ッ! これだから〝ナサケ〟はやめられねぇんだっての!」


 それからハッと我に返った。クラスメイトがゴリラの盆踊りを眺めるような目でこっちを見つめてくる。チハヤはとっさに明細書を後ろに隠した。


「な。なんだよおっ。見せもんじゃねえぞ。こっち見んな!」


「ねえ、雨宮さんさあ。本当にあの1組の沙門くんのこと知らないわけ?」


 女子が声かけてきた。チハヤはあれの仲間にされるのは心外だと顔の前で手を振った。


「ないないっ。今日、転校してきたばっかだって。このあたしが留年してたみたいに見える?」


「えー……割と?」

「いや、そこは見えても、見えないって言ってよ。傷つくわ。で、あいつマジなんなん?」


 この教室の敵でないことの意思表示はしたつもりだ。女子たちは顔を見合わせている。


「1組の沙門慶一郎。この学校の生徒を牛耳ってる〝雪の女王〟の手下だよ」


 窓ぎわにいた男子から情報が投げられた。


「雪の女王?」チハヤはそっちを向く。


「同じ1組の神楽木かぐらきアリサていって。去年、あの二人が授業で教師を〝氷漬け〟にして、学校側と揉めて勝っちまったんだ。その後いろいろあって、生徒会長代行ってことになってる」


(教師を〝氷漬け〟か……会長の代行ってことは、会長はどこいった。まあいいや)


「んじゃあ、あたしが呼びつけられたのって? その雪の女王にケンカ売られた?」

「いや、知らねぇよ。それを放課後、聞きに行くんだろう?」そりゃそうだ。


 すると、その男子のそばにいた男子も話の流れに乗ってきた。


「でもさ。あいつらと一緒にいると、うまいメシが食えるって聞いたことあるぞ」


 何かのたとえか。甘い汁的な。教師殺しの優等生コンビと、うまいメシ。意味不明だ。


「ああ、それな。家庭料理同好会だろ」男子生徒が憎みきれない顔で言う。

「家庭料理の同好会?」


「去年。神楽木と沙門が、学校の反対押し切って一年限定で起ち上げたサークルだ。今じゃ部員が30人ほどいるんだっけかな。放課後に一食500円で、30食限定の〝日替わりどんぶり〟が食える」


「ほっほぉ。で、味は」ワンコイン丼には興味ある。


「親子丼くったけど、そば屋のと同じくらいうまかった。あそこ運動部がバックについててさ。去年いた先輩たちも、あそこの同好会だけは手を出すなって、みんな言ってたぜ」


「逆らったら、どうなんの?」

 そう訊いたら、教室の空気が急に変わった。

「あれ。もしもし? どうなんの?」


 誰も反応しない。すると前のほうで座っていた別の男子がぼつりと言った。


「人生破滅する」 


 チハヤは割と本気で笑った。馬鹿馬鹿しくなってきた。

「あのさー。それって、この学校の怪談とか、七不思議なんか?」 

 なぜか同級生たちのリアクションはなかった。

「……マジかよ」


  §  §  §



 放課後。

 生徒会室は、教室塔最上階3階の西の奥。3年生はまだだいぶ残っていて、こちらを見る視線が潮風のようにまとわりつく。

 だが、チハヤはそんなのは気にしない。


(そこのけそこのけぇい、こちとら10万円分の応急器材が手に入るってんだよっ)


「おい。ここは高校生が入ってくるとこじゃないぞ」


 生徒じゃなく教師に呼び止められた。おっさん教師。チハヤは学校規定の制服だ。見た目でからかわれたらしい。頭にくるが、オヤジギャグだと思って聞き流す。


「今日から転校してきたんだよ。2年4組。生徒会から呼び出しくらってさ」

「うそをつくな。転校初日で、アイツらに呼ばれようがないだろっ」


 学年の違う教師でさえ生徒をアイツら呼ばわり。相当目をつけられてるヤバい連中のようだ。


「知らねーよ。けど遅れると〝柏崎〟かしわざきって先生みたいになるの嫌だからさ。もう行っていい?」

「あっ。ああ……っ」


 明らかに教師の顔に驚きと恐怖がよぎった。どうやら聞き回った噂は本当らしい。スポーツバッグのストラップを肩にかけ直し、チハヤは廊下を進む。生徒会室の扉を開けた。


「頼もう!」

「あら、入れ違いになっちゃったわね」


 教室の奥に座っている女子生徒が微笑んだ。おそらく彼女がこの学校の〝雪の女王〟らしい。プラチナブロンドに、派手な顔立ちだ。化粧っ気はあまりないのに、育ちの良さがにじみ出ている。墨東もこの五徳市もたいがい下町だけど、彼女には私立のお嬢様学校が似合いそうな気品みたいなのがある。たぶん。


 その女子生徒のはす向かいに座って沙門慶一郎がコーヒーカップを口に運ぶ。こっちは挨拶ナシ。

 それにしても、この部屋はいい匂いがする。


「いいニオイがするな。甘栗でも食ったのか」


 二人は顔を見合わせて、クスリと笑った。


「焙煎コーヒーだ。いいブレンドだろう?」沙門が誇らしげにカップをかかげる。


「学校でコーヒー飲んでて、違いまでわかる中学生って、おかしいだろ」

「別に大した違いじゃない。うまいコーヒーだけを飲んでいれば、自然とわかってくる」


「ふぅん。そんなもんかい」

 こいつら、中学生の学校生活にしては自由すぎる。だがこういうヤツら、嫌いじゃない。


「どうぞ。雨宮さん。好きなところにお座りになって結構よ。何かお飲みになる?」


「牛乳」

「はいはい。ふふっ、この上まだ大きくなろうとしてらっしゃるのね」


 やんわりとした嫌味。挨拶代わりってところか。生徒会長代行は席を立つと、冷蔵庫からビンに入った高級そうな牛乳を取りだして、グラスに注いで持ってきてくれた。


「お、さんきゅー」

「あら、補導歴18回の義賊さんにしては、お礼が言えるのね。すごいわ」


 朝の挨拶がもう耳に入っているらしい。でも盗んだわけじゃない。義賊では褒められた気がしない。チハヤは牛乳をひと息に飲み干すと、本題を切り出した。


「おとといの処置代をもらいにきたぞ。早くくれよ」

「あらあら。それさえもらったら高飛びするつもりかしら」


(あったりめぇだろ。放課後になるまで、こっちだっていろいろ聞きこんできたんだ。お前らみたいなヤバい〝学級強盗団〟なんかと付き合ってられっか。こっちも黄色信号なんでな)


 生徒会長代行がうなずくと、沙門慶一郎が足下から、オレンジ色のバッグをテーブルに置き。こっちへ滑らせた。


「うおっ。オックスフォードの塩ビコーティングじゃんっ!」チハヤは目をしばたたいた。

「中身を確認しろ。それが終わったら明細書をこちらに渡せ」


 ご禁制品の取引かな。テレビでよくあるヤツ。

 チハヤはジッパーを開いて、中にある器材をあらためた。


 気管挿管セット。やった。デラックスタイプのヤツだ。咽頭いんとう鏡ハンドルとブレード。気管内チューブはL・M・Sの三種。とくに新生児用の細いのまで付属されてるのは心強い。スタイレットは挿管前のガイド器具。最近は滅多に使わないけど3本ついていた。混じりっ気なしの純正品。


「キターっ! シリコンのエアバッグ。収納できてるぅっ。マジでうれし~っ」

「医療器具でこんなに喜んでる中学生、初めて見るわね」


 生徒会長代行が何か呆れているようだが、チハヤは半分も聞こえてなかった。


 次に、帝国陸軍緊急メディカルパックを開く。鼻腔挿管。CATターニケット(止血帯)や、救急包帯バンテージ、4.5インチ圧縮包帯。気密性止血パッチ。ダクトテープ。ストラップカッター。どれも新品の純正品だ。


「あはぁんっ。骨盤固定帯サムスリングまで入ってりゅう。しゅごぉい! うひひひっ」


「気色悪い。まったくこれを実際に使のだから、なおタチが悪い」


 沙門慶一郎の言葉に、チハヤの警戒レベルが跳ね上がった。

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