第4話 家庭料理同好会には手を出すな


 去年の11月。2学期も半ばを過ぎた頃の話らしい。

 体育祭文化祭も終わって、みんな気が抜けていた頃。中間テストの学年成績で数学が極端に低かった。その数学科主任が柏崎令司という5年目の男性教師だった。


 柏崎は、自分の受け持つ2年1組だけでもマシにしようと、授業時間全部を使うだけでは足らず、ホームルーム時間まで使って持論をだらだらと熱く吐きだしていたらしい。そして、


『成績が悪かったのは、先生の教え方が悪いからです』


 突然、それを言ったのが、朱住明星だった。


 柏崎はこの時、説教でヒートアップしていた上に、ご高説を邪魔されてカッとなったらしい。その生徒の胸倉を掴み、イスから張り倒した。


 この時の担任に、気弱そうで親に告げ口もしなさそうだった少年が、実は全校に幅を利かせた群れのボスだと気づけ、というのは酷な話だ。


 この体罰当時、教室で神楽木アリサをはじめとする生徒が激高し、沙門は彼らの制動役に回っていた。ただし、部活に行く者は行けと、教師にことわりなく指示を出した。


 この辺、沙門慶一郎ってヤツは、やっぱり人並み外れて冷徹だった。

 チハヤはこの話を聞いてすぐ、沙門が制動するフリをして〝敵〟へ反撃を開始したと思った。


 柏崎は、生徒に手をあげたことにいくら動揺しようとも、教室の解散を認めるべきじゃあなかった。体罰現場に居合わせた生徒全員に説明し、謝罪し、彼らを落ち着かせるアフターケアをしなかったのは悪手だった。もちろん、次善策を打てないように沙門が仕向けたのだ。


 さらに生徒の間で情報が伝わるのを加速させるのは、横のつながり縦のつながりが凝縮される部活動だって、帰宅部のチハヤでも知っていた。


 あと、体罰のタイミングが最悪だった。


 この時すでに、あの家庭料理同好会は設立されおり、神楽木アリサ以下、女子部員9名によって運動部連の胃袋が握られていたようだ。


 つまり、柏崎令司は、沙門慶一郎や家庭料理同好会部員によって〝家庭料理同好会に手を出した〟ことを校内生徒に通報されたことになる。


 そこからわずか3日後。翌月曜日。柏崎へのバッシングが始まった。

 教頭からの事情聴取と厳重注意ですんだと思っていたらしい柏崎は、さぞ面食らっただろう。


 1年生から3年生の全クラスに家庭料理同好会の会長に手をあげた教師の名前が知れ渡っていた。柏崎が授業で訪れる教室はドアが施錠され、教壇で沙門慶一郎が数学の授業をしている。冷たいガラス窓から顔を出してドアを叩いても、教室内の生徒は終業チャイムが鳴るまで無視し続けたそうな。


 チハヤはこの話を聞いた時、妙だと思った。この時の柏崎は、教室内の教師を捕まえることに一度も成功しなかったらしい。


 当然、柏崎は激怒し、すぐに2、3学年の主任教師が仲裁に入ろうとした。

 ところが、


「はっ? 先生なら教室にいましたよ。ずっと授業受けてましたし」


 何食わぬ顔で口裏を合わせる生徒は一人や二人ではなく、クラス単位だった。


 この悪夢のような〝氷漬け〟が、一ヶ月半。都立高校受験日前日まで続いた。


 高校受験を目の前に、柏崎の周辺で何が起きているのか。。学校は「教諭する」相手を見つけられずに、立ち往生したようだ。


 一方、職員室では、柏崎は他の教師から朱住への体罰を責められたらしい。


 ところが、これで柏崎は逆に意固地になったのかもしれない。担当クラスだけでなく全校生徒から総スカンを食らってるなんて認めたくもなかったんだろう。居直った憎まれ口を叩いたそうだ。


「ならいっそ、その幽霊教師にやらせてみりゃあいいんですよ。どこの馬の骨が授業をやったって学力が上がるはずもありません。それで受験目前の追い込み時期に、学力が落ちても自己責任でしょう?」


「柏崎先生、そんな無責任なっ」


「無責任もへったくれもあるかっ。私はね、生徒から教室にすら入れてもらえないんですっ。責任を果たしたくても、ヤツらがそれを拒んでるんですよっ。畜生っ!」


 ところがなぜか、柏崎のこの目論見は外れた。


 12月の2学期末テスト。数学の2学年成績が16%向上。パーセント表記だったそうで、チハヤにもどの程度なのかわからなかった。きっと平均しても数点アップくらいだろう。

 それよりも高校受験を目前にひかえた柏崎が担当していた頃より、3学年クラスの数学科目への苦手意識が聞かれなくなった。そして都立受験合格率が82パーセント。これは龍骨中学校の受験データでは13パーセント増。驚異的な数字だったそうだ。


 謎の教師がした授業で高校受験生の学力が瞬間的に上がったというのは、さすがのチハヤでも無理だとわかる。でも……。


 結局、このことがあって、柏崎令司は面目カオを潰された。

 さらに話は、これで終わらなかった。


 冬休みに入ってすぐ、柏崎が車で人身事故を起こした。


 被害者は同じ龍骨中学校の男子生徒で、即死。柏崎は運転席でひどく酩酊しており、ブレーキ痕もなかったそうだ。


 男子生徒は、180センチの長身と眼鏡。

 そして彼は、現役の生徒会長だった。 


 冬休み明け。

 訃報とともに生徒会副会長だった神楽木アリサが、会長に繰り上げ選出されたが、彼女は代行という肩書きをずっと使っている。


 沙門慶一郎は、盟友である彼女を私的に補佐しているが、事実上この二人が生徒会を回しているそうだ。あと、チハヤが聞いている限りで、柏崎令司が家庭料理同好会を設立当時からケチを付けているという噂も拾った。


 これが、ここ龍骨中学校に語り継がれていくかもしれない、学校の怪談『凍る教室』だ。


「あれ以来、教師の俺たちを見る目が厳しくてな。そんな中で、清水若菜先生だけが気にかけてくれた。となりの第2化学実験室の火元責任者だ」


「ははーん。調理実習室が使えてないのは、教師側の抵抗かよ」


「ほぅ。転校初日でよくそこまで調べられたな。家庭科で授業目標以上のことをしてしまうドウジが担当教諭から嫌われていてな。そこで困っていたところに、清水先生から夕飯のおかず提供を条件に、第2化学実験室を借りた。

 今年になって柏崎がいなくなったことで〝日替わり食堂〟の活動実績も学校が渋々認めはじめ、今春から正式に顧問を引き受けてもらえて部昇格する目処もついた、はずだった」


 沙門は黒い布に掛かったままのウェディングドレスを見て、鼻息した。

 チハヤは思い切り伸びをした。


「なんで、その清水先生、自殺したんかな。動機は? 結婚相手が、柏崎だったとか?」


 沙門は少しだけ微笑んだ。一瞬視界がくらっと揺らぐ。吸引力。チハヤは内心で舌打ちした。


「それだけ単純なら、柏崎もあそこまで自暴自棄にならなかったと思っている。とにかく、年末年始と二月の半分は俺も私用で忙しくていてな。ドウジに頼まれていた彼女の内偵をずっと保留にしていた。それに痺れを切らした形でドウジみずから調査に動いた途端……、貴様に出会ったわけだ」


「んだよ、それ。まるであたしが犯人みたいじゃん」

「ふっ。今回は犯人より対処に困る。まったく手に余る難事件だ。今日はすまなかった。……それじゃあ、また明日」


 沙門は会釈すると、被服室を出て行こうとする。


「あーっ。待った。ちょっと待てよ」

「なんだ?」

「あの、さ。そのぉ……」

「どうした。早く言ってくれ」


 チハヤは恥を忍んで、スマホを取り出した。


「ら、連絡ライン、交換してくれない? 三人の」


 沙門は、意外とあっさりと自分の黒いスマホを取りだして戻ってきた。

(偉そうなヤツでもトモダチ対応してもらえると、結構嬉しいんだが……)


「ドウジと神楽木には明日、直接聞いてみてくれ。あっちは家庭の縛りが厳しいのでな」

「了解。ちなみに生徒会長の家って、金持ち?」


「小学生の時からの付き合いだ。家庭事情も知っている。だが、本人のいない所で踏みこんだ話をするのはアンフェアだろう?」

「確かに」


 チハヤは黒いスマホを近づけられた直後、沙門の手首を掴んだ。


「何だっ。雨宮、何の真似だ」

「悪い。ちょっと。ちょっとだけ、確認したいことがあるんだよ」


 チハヤは掴んだままスマホに回り込んで、アドレス帳を出す。

 アドレス帳に並ぶのは、個人名だけでなく、法律事務所や税理事務所、大手の進学塾などなど企業名が多かった。リーマンか。その中で、目的の名前は見つかった。


 【 朱天童子 】


「しゅ、しゅてん、どう……こ? これが、朱住あずみのハンドルネームか?」

「違う。〝しゅてんどう・じ〟だ」


 ムッとする沙門の手を離すと、連絡を受け取った。沙門はさっさと自分のスマホをしまう。


「朱天童子は、平安時代に多くの無頼漢を集めて国司荘を襲い、のちに国家反逆とみなされ、暗殺された人望家だ。貴族を目の敵にしたが、民への慰撫を忘れたので平将門のように神格化されず、室町の早い時期から妖怪化されて、現代では妖怪の皇子おうじという地位だな」


「ふぅん。なるほどね。それで〝ドウジ〟か」

「本人から、ボスと呼ばれるくらいならとオッケーをもらった。どうかしたのか?」


「電車ん中でさ。朱住のスマホのアドレス帳、妖怪の名前ばっかりだったんだよ。いったんもめんで、一反木錦? ほら、タクシーの」


「彼女なら俺も知ってる。ドウジが解決した家庭の問題をいまだに恩に感じてくれている女性運転手だ。どういう偶然か、ドウジの周りには妖怪の名前にちなみそうな人物がたまに現れるな」


「だからさ。沙門や神楽木は、朱住からなんて呼ばれてんのかなあって、気になってさ」

「ノーコメントだ」

「あれ、怒った?」


「怒ってなどいない。だが、俺にだって答えたくない個人情報くらいある」

「じゃあさ。あたしは朱住と……友達になったら、さ。なんて呼ばれるんだろね」


「さあな。少なくとも交際を申しこんだ相手を、カッパとは呼ぶまい」


「だ、だるぉっ!?」

 チハヤが思わず前のめりに同意を求めたので、沙門に引かれた。


「い、言っておくが、この名はローカルネームだ。一般で広言すると頭がおかしいヤツだと思われるぞ」


「はっ。よく言うぜ。あたしの前でさんざんドウジ言ってるの、お前だからな。充分おかしいって。それにあたしは元もと頭悪いほうだしさ。気にしねーよ」

「そういう意味で……やれやれ。うちのリーダーはとんでもないヤツを見初めたものだ」


 ん、なんて言った? こいつ、いちいち日本語が難しいんだよ。


   §  §  §


 みそめ……みそめって、何だろ。

 ベッドに寝転んだまま、チハヤはスマホをいじる。あの聞き慣れない言葉が妙に引っ掛かった。普段はろくに辞書なんて使いもしない。言葉の意味をネット検索。すぐに出た。


 顔が爆発した。


【 める 】 [動マ下一][文]みそ・む[マ下二]

 1 その異性を一目見て恋心をいだく。

 2 初めて見る。初めて会う。

 3 初めて男女のちぎりを結ぶ。


 [類語] 愛する・惚れる・好く・焦がれる・思う・慕う・恋する・愛慕する・恋慕する・恋する・惚れこむ・見惚れる・惚れ惚れ・一目惚れ


「さ、沙門の野郎ぉ。はっ、はは初めての男女の、何をちぎって、どこに結ぶってんだよっ。あたしまだ何もされてねーしっ!」

 チハヤは抱える荷物からエアバッグを出して、自分の鼻と口に押し当てた。




※参考資料※

 コトバンク デジタル大辞泉「見初める」(一部改変)

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