憧れは身近
そんな騒動の数時間前、正多は一人悩んでいた。
俺、存在感薄くない?
とはいえ、この悩みは突然湧いて出てきた訳ではなく、前々から自分の影が薄めな事を気にしていた。前々、つまりこの都市に来る前から薄々感じ取っていた事なのだが、転校後は特に意識せざるを得なかった。
――何せ、同日に来た転校生が金髪碧眼美少女だったのだから。
――何せ、隣の席に座っている友達は秀才なのだから。
――何せ、幽霊部員の正体は人気アイドルなのだから。
十七歳の正多はもう子供ではない、と本人は自負している。故に「憧れ」という感情を目をキラキラとさせながら楽しそうに表に出すことはできない。彼が出来る事はただ、それに比べて自分は……と落ち込み、一人で悩む事だけ。
悩みと言うのはよく迷路に例えられがちだが、青年の悩みというのはどちらかと言えば、出口が見えない程に長く薄暗いトンネルの様な物だ、と悩める青年の一人である正多は考えていた。
迷路の様に道を間違えながらでも進むような余裕は無いし、そもそも何が間違いかも分からないから、真っ暗なトンネルをただ進んでいくことしかできないのだ。
「はぁ……」
「どうした? 何か悩み事か?」
隣の席に座る史家は正多の深いため息に気が付いて、心配そうに問いかけた。
「……いや、別に、史家は俺よりも勉強が出来て羨ましいなって」
「ふふーん、俺の脳内はスパコン並みさ。どんな難問だっておちゃのこさいさい、ってな」
「どうやら、そのスパコンには英語モジュールは搭載されてないらしいな」
ふふん、と自慢げに言う史家に対して正多は呆れるように少し遠く、具体的に言うと史家の後ろを見ながら言った。
「英語なんて必要ない、言葉の壁なんて翻訳機を使えば……」
と、そこで正多がさっきから何を見ているのかを察した史家は押し黙る。
「ほら続きを聞かせてくれよロクタチ」
「ナンデモナイデス」
次の授業が英語であるため教室に入ってきていたシュミットはつい先ほど音もなくやって来て「英語なんて必要ない」と言い切った史家後ろに立っていた。
「まあいい、キミに一つ報告だ」
「なんですか?」
「キミの補習、今日は無い」
「!? って事は俺の英語力が遂に補習卒業段階へ――」
「違う、むしろ逆だよ。前に試験をやっただろう? あの結果、補習生徒がキミ以外全員卒業した。そういう訳でおめでとう、君は一人留年だ」
「えっ、そんな」
「よかったじゃないか史家。これからは先生と二人っきりの補習授業だぞ」
「嬉しいはずなのに全然嬉しくない」
今日は準備があるから休みなだけで補習からは逃げられないからな、とシュミットは言うと教卓の方へ戻っていった。
「英語以外はあんなに得意なのにな」
「なんだなんだ、さっきのため息と言い、まだ勝負で負けたの落ち込んでるのか?」
史家の見当違いとも言えない言葉に対して、正多はまぁね、と返す。
勝負と言うのは一つ前の授業である数学が派遣教師の体調不良で自習になったため史家が正多に持ち掛けた物で、自習用に配布された問題を時間内にどちらが早く、正確に解き終えられるかを競うといった内容。
自習用とは言え難易度は大学受験レベル。数学に自信があった正多は本気で挑んだが正答数で敢え無く敗北し、最も得意としていた分野で負けたという事実に正多は少々落ち込んでいた。
と言っても少し落ち込んだだけでため息とは直接的な関係は無かった。
――何せ、勝敗など最初から分かり切っていたのだから。
ところで、正多は史家に対して何かと疑問に思う点が多い。
英語が極端にできない事もそうだが、それよりも気になっている点は、それなりのコミュニケーション能力があって、たまに寒いギャグを言う点を除けば話は面白いし、行動力だってかなりの物にもかかわらず、史家がロッテとミソラそして自分以外の同級生と話している所を見たことが無いというところだ。
事実、彼は前に友達が居ないらしい事をほのめかしていた。
正多も余り人のことを言えない立場ではあるのだが、それは彼が転校生であることに加え、普段はロッテや史家と一緒にいるだけで満足しているので、わざわざ新しい交友関係を積極的に作らないだけな上、仲がいいというわけではないが同級生と少しの雑談をすることぐらいはある。
一方で、先輩も後輩も居ない一期生という環境の中で共に学校生活を送っているのに、史家が孤立している事は不思議でならなかった。
もし可能性があるなら――と考えている中、
「あの~」
もうすぐ授業が始まるギリギリの時間だったのだが、なぜか彩里が少し緊張した面持ちでやって来た。
「正多、一生のお願いがあるんだけど」
「どうしたの?」
突然やってきた一生のお願いに、正多は驚きながら返す。
「今度サッカー部の試合があるんだけどさ、少し人数が足りなくって、それで前に経験があるって言ってた正多に助っ人を頼みたいんだけど」
「助っ人?」
「うん、スタメンの人数は足りてるから、ほんと、ベンチに座っていざって時に出てくれるだけでいいからさ、お願い!」
正多が具体的な内容を聞こうとしたその時、チャイムが鳴る。
「詳細は後で話すから考えておいて!」
それだけ言うと彩里は小走りで自分の席へと戻っていた。
「ほぅ……運動部の助っ人とは、まさしく俺たちの部活らしい活動じゃないか、やったな! 正多!」
ずっと話を聞いていた史家は満足そうに頷きながら言い、彩里が居なくなってから突然口を開いたな、と思っていた正多はそこでふと、彩里が少しだけ史家の方を意識している事に遅れながら気が付く。そういえばペンダントの時も彩里は史家のことを気にしていたことも思い出した。
「なぁ史家、ここだけの話、お前、何かやらかしたのか?」
もうこれしかないだろう、と言った感じで核心に迫ったような表情を浮かべながら小声で尋ねる正多に対して、全く心当たりの無い史家はただキョトンとしていた。
英語の授業が終わって昼休みになると、彩里が助っ人の詳細を話しに再度やってくる。先ほどは焦ったように話していたので、今日明日にでも試合があるのかと思いきや、日程は少し先だという事が分かった。
そして、やはりと言うべきか、説明している最中も相変わらず彩里は史家の事を気にしている様で話が終わり彩里が席を離れた後、正多は疑惑を追及するような眼差しを史家に向け、本当に心当たりのない史家はなんでそんな目で見られているのか分からないままにとりあえず話題を逸らそうと話を振った。
「どのぐらいサッカーできるんだ? 実はかつて神童と呼ばれたサッカー部の元天才エースストライカーだったり……」
「んな都合の良い話ある訳ないだろ。中学でサッカー部だっただけだし、試合だって基本ベンチだ」
「なんだ、普通だな」
「……」
「あ、いい事思いついた。ほら、サッカー選手って頭にヘッドバンド付けてるだろ? アレ付けてみたらどうだ」
「なんで形から入ろうとするんだ」
「形から入ることだって大事だろ。あとそうだ、ヘッドバンドのついでに髪も染めたらどうだ? お洒落なサッカー選手なんてきっとモテモテに決まってるから、これでお前もモテ男の仲間入りだ!」
「なるほど」
「なるほどって……お前モテたいのか!? 全くなんて奴だ! ロッテちゃんという人がありながらっ」
「いやいや」
とツッコミを入れる正多だったが、彼が言った染髪の方については結構よいアイデアなのではないかと冗談ではなく真剣に考え初めていた。別にモテたい訳ではなく、自分の影の薄さを少しは改善できるのではないか、と考えたからだ。
割とアリかもしれない、と正多はその後の授業中も脳の片隅で考えていた。
実際、何故か知らないが史家の短い髪をよくよく見てみると、目立たない程度だが茶色に染めているし、ロッテに至っては天然のブロンドなので多少染めても極端に浮いたり悪目立ちはしないだろう、と踏んだのだ。
そういう訳で放課後、思い立ったが吉日と言わんばかりに正多は床屋へ向かおうとする。
「よし、部室行こうぜ。本棚の中にな、お前とロッテちゃんに読んでほしい漫画があるんだ。すっげぇ面白い奴で――」
「悪い、ちょっと野暮用ができた」
「なんだ、サッカーの練習でもするのか?」
「練習じゃないけど、とにかく野暮用だ。時間がありそうなら部室に戻ってくるよ」
OK~と史家の返事を聞くと、正多はロッテにも同じように声をかけてから教室を出た。当然、野暮用の正体は床屋だが、そのきっかけとなった史家はそもそもそんな話をした事すら忘れていたため、まさか帰ってきた正多の髪が金髪になっているなど思いもしなかった。
とはいえ、彼も彼でこの時想像もしていなかった。
本当は茶髪にする予定だったのに店員に似合う似合うと言われ、よく分からないまま二つ返事で返していたらその色になっていたのだ。しかし、それでも本人はイメチェンならこのぐらいしないとな、と割と肯定的に捉えていたのだった。
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