悩める青年

びっくり

 部室にある壁掛けテレビからは午後のニュース番組が流れていて、キャスターがなんだか小難しそうな専門用語を使って時事の話題を話していた。このところテレビで戦争の速報が流れることは無くなったが、それと入れ替わるように飢餓やテロ、組織犯罪などが流れ、結局のところ物騒な話が消えることはない。


 このテレビは元々シュミットの待機室にあった物で、寂しい部室でもこれがあれば多少賑やかになるだろう、と言って譲られた物だ。

 と言っても実のところはペンダント騒ぎのお詫びであることは明らか。三人はそこまでしなくてもとシュミットに言ったのだが、いつの間にか勝手に設置されていたので受け入れることにした。


「これ面白いね~。一気に読んじゃったよ~」


「だろだろ? その漫画、特にその七巻のラストが最高なんだ。なんせずっと暗躍していた人物の正体が実は……」


「わー! ストップ! ストップ! まだ読み終わってないから!」


 ロッテは史家と雑談をしながら紙媒体の漫画を読んでいた。


≪……また、統合後の社名はノイマン・アジア社となる事、ラサール氏が代表となる事などが発表され、同社はアジア地域における欧州系企業では最も巨大な……≫


 部室の中にはロッテと史家の二人だけ。ミソラは学校を休んでおり、正多は授業が終わった直後に野暮用があると言って帰宅していた。


「そういえば、ロッテちゃんって休日は何してるの?」


「あ、えっと、うーん、何してるって言われても……勉強して、漫画読んで、家のお手伝いして、とか、まあそんな感じかな?」


 ニュースの話題が変わるや否やその視線をテレビに移したロッテはだいぶテレビの方に集中していたようで、飛んできた史家の問いに少し驚きながら答えた。


「そのニュース気になる?」


「まぁ、うん……ちょっとね」


「音量上げよっか」


≪……続いて、16日に欧州連邦の首都リヨンで起きた攻撃の続報です……≫


 ノイマンがロッテの故郷、ミュンヘンの企業であることを知っていた史家が気を聞かせてそう言った時、ちょうどニュースの話題は切り替わってしまった。


「終わっちゃったみたいだから、大丈夫」


 ロッテはそう言うと視線を漫画に戻したが、残り数ページまで読み進めていたため、ペラペラとページを何枚か捲ると直ぐに読み終わる。


「あの人が黒幕なんて……予想できなかった……」


「だろ?」


 確かに史家の言う通り衝撃的な物だったのだが、どうにもまだ続きそうな展開だ。続きが気になって仕方ないロッテはイスモドキから立ち上がると壁掛けテレビの下に置かれている横長な本棚の前まで来てしゃがんだ。


≪……捜査当局は欧州解放戦線、通称「ELFエルフ」の象徴としても知られる傭兵アダム=ユリウス氏を信奉する過激な一派の犯行とみて……≫


 このテレビは画面の下部にスピーカーが置かれているタイプだったので、ロッテの頭上では特段興味のないニュースが響いている。


「えーっと、次は八巻だよね。八巻、八巻……あれ? シカ君、この漫画の八巻って持ってないの?」


 本棚にはぎっしりと紙媒体の小説や漫画が並んでいる。ロッテの読んでいる学園日常漫画は二十年ほど前の古い物だが一巻から七巻まで置かれていたので、てっきり続きも揃えているものだと思い込んでいたのだが、見つけることができなかった。


「あぁ、それは……」


 顔の前に漫画の表紙を持ってきて尋ねたロッテに対し、史家はその漫画は七巻で打ち切りになったことを伝えた。


「えぇ! あんなにいいところで!?」


「作者が兵役に行ったきり行方不明になって」


「そんなぁ~」


「だから、あれはラストが素晴らしい作品なんだ、七巻の……」


「ラストはラストでも最後のエンディングまで見たかったなぁ」


 ロッテがしょげていると、部室の扉が開く。

 ひとだすけ部の部室に訪れる人間などシュミットか正多ぐらいなので、どちらかだろうと思い二人は特段反応しなかったのだが、


「あ、あの。ここで人助けをしてくれる部活があるって聞いたんですけど……」


 とそんな不安げな少女の声を聞くな否や史家はイスモドキから飛び起き、ロッテは驚きながらも嬉しそうな笑みを浮かべ、扉の方を向く。少女は黒く長い髪に眼鏡をかけていて、如何にも大人しそうな外見をしていた。


「ほんとにシャルロッテ先輩が居る……」

 

 彼女は教室の入口から部室の中をぐるりと見渡しそこに噂通りロッテ居ることにまず驚いていた。


「いらっしゃい!」


 満面の笑みを浮かべるロッテはスタスタと少女の所に近寄る。


「こ、こんにちは……シャルロッテせんぱ…………あっ、ど、どうもぉ」


 どこかオドオドとしている少女はロッテの顔を見た後に、史家の存在にも気が付くと素早い動きで入口の影に隠れてしまった。


「大丈夫?」


 ロッテは心配そうに声をかけた後、この少女はもしかしたら史家と何かあったのかもしれないと考えて史家の方を向く。


「シカ君、この子の事知ってる?」


「いや、知らないけど……」


 史家は困惑した表情を浮かべながら答える。


「すみません……先輩が悪い訳じゃないんです……私、男性が苦手で。ごめんなさい……」


「そういう事か。だったら俺は一旦出た方がいいか?」


 気遣いのできる男、史家は今のでこの子が何等かの悩みを抱えているかは何となく分かったので、後はロッテに任せようと少女の居る方とは別の扉から出ようとする。


「い、いえ、大丈夫です。お気になさらず……」


(いや気にするだろ……)

(気にするよね……)


 とはいえ、本人にそう言われてしまっては仕方ないので史家は少女を案内してイスモドキに座らせ、自身はロッテと共に彼女の前に座った。


「えっと、まず自己紹介を。私は一年の宮滝みやたにつぐみと言います」


「ふむふむ。ツグミちゃん、それで一体どんな風に助けて欲しいんでしょうか!」


 初めての相談者になんだかテンションの高く場を仕切るロッテに、俺が部長なんだけどなぁ、と史家は苦笑いをしながら思う。


(しっかし、これはたぶん男性恐怖症を何とかしたい、って感じだろうな)


(この感じ、きっと男の人と話せるようになりたいとかだ)


 最初に「苦手」と言っておきながらわざわざ史家を残した彼女の行為に二人は同じ推測を立てる。


「私……その、部活を新設したいんです!」


「「違った!」」


「えっ、何の事でしょうか……」


 予想とは全然違う相談内容に思わず声が出てしまう二人につぐみはびっくりしながら、オドオドとしたように声を上げる。


「い、いや……その、この部活に相談に来た人はツグミちゃんが初めてだから、まだ勝手が分かってないっていうか何ていうか……」


 ロッテは思わず出てしまった自分と史家の心の声を忘れさせようと、別の話に切り替える様に言い訳をする。


「えっ、私が一人目なんですか? シャルロッテ先輩がいらっしゃるのに?」


「それが……」


「その……」


 史家はロッテという看板娘が居るにも拘わらずなぜか誰も来てくれない事を、ロッテは勇矢聞いたからひとだすけ部が怪しい部活扱いを受けていると言う事をそれぞれ伝えた。


「まぁ、四階はシュミット先生に何か用事がある時以外は訪れませんから、そもそも存在を知らない方も多いのでは……」


「「確かに」」


「あの……すみません……相談に来たばかりで申し訳ないのですが少し席を外しても……」


「ツグミちゃん、どうかしたの?」


「お花を摘みに……」


 それ以上は二人共何も聞かず、つぐみはイスモドキから立ち上がり部室から出た。


「違ったね」


「あぁ、違ったな」


 帰ってくるまでじっとイスモドキに座って待つ二人だったが、足音が近づいてくるので今度は心の声を出さないぞ、と覚悟を決めるのだが――。


「遅ればせながら戻って来たぞ」


 とそこにいたのは、ツグミではなく正多だった。


 しかも、その髪色はつい数時間前までの黒単色ではなく黒いハイライト混じりの金髪だった。


「はあああああああ!?」


「うわぁぁぁ!?」


 突然の事に二人は驚いて、とにかく叫び声を上げる事しかできない。


「えっ、えっ、えっ、どうしたんだ正多! 床屋の店員に騙されたのか!? 髪の色が逆伏見さんみたいになってるぞ!」


 二人は驚きの声を上げながら立ち上がって、部室の中に入ってきた正多の周りをグルグルと回りその髪を観察する。


「ど、どうしちゃったのセータ君!? ヤンキー!? 不良なの!? この短時間でグレちゃったの!?」


「いや違うけど」


「だ、だったら、間違えて頼んだとかか?」


「も、もしかしてお金がなくて元に戻せなかったとか……。そ、その良ければ、私がお金貸そうか? いくら必要? セータ君にならいくらでも貸すよ?」


「俺も出すぞ!」


「だから違うって! ただのイメチェンだよ!」


「イメ?」


「チェン?」


 史家とロッテはその言葉の意味がしばらく認識できずに、唖然としたまま棒立ち状態になり、お互いに顔を見合わせてからもう一度正多の方を見てみるが、やっぱり理解できず、二人の頭の上に?が浮かんでいる。


「……そんなに……変だったか?」


 初めてのイメチェンを否定されて恥ずかしくなっているのか、やけに初々しい正多の反応に二人はそれ以上何か言う訳にもいかず、とりあえず大きく深呼吸をして冷静になることに決めた。


「えっと、その、何て言うか黒髪に慣れてたから、突然変わったことに驚いちゃって、そ、それにのセータ君は元々かっこいいから、イメチェンなんてする必要ないと思うなっ! 私は!」


「あ、あぁ。正多は量産型主人公みたいな見た目をしてるけど、なんだかんだ言って黒髪のお前が一番だと思うぞ」


「それって、つまり似合ってないって事だろ。あと誰が量産型主人公だ……」


 二人の必死のフォローの端々から流石にそれは似合わないと伝えたいオーラがバシバシと出ているので正多はすっかり落ち込んでしまって、ツッコミもなんだか落ち込んだように言った。


「申し訳ありません、お待たせしてしまっ――」


 ひとだすけ部がそんな会話を行っている中で、すっかり忘れられていた依頼人つぐみがタイミング悪く、部室に戻ってきた。


「ひっ!?」


 正多の後ろ姿を見たつぐみは自分がいない間に突如現れた不良みたいな見かけの男に驚いて一目散に部室を後にする。


「えっと、今の誰?」


「今の子はね……」


「ひとだすけ部初めての相談者だ……」


 こうして、ひとだすけ部がその創設から待ち望んで居た依頼人はイメチェンした正多に驚いて逃げられるという結末を迎えたのだった。

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