すれ違わないA

 遅刻寸前の正多は走っていた。


 そもそものきっかけはサッカー部の助っ人に行く際に史家と合流して一緒に行こう、という話から始まった。ただ誤算があったとするならば、この日の正多も史家もまったく運に恵まれなかったところだろう。


 当初二人が立てていた計画はこうだ。


 二人がそれぞれ住むアパートは結構近かったので、最初はいつも登校に使っているバス停で合流し――琴似循環線では北円山高校に向かえない――そこから桜鳥へと向かって中央区行きのバスに乗り換える。

 こんな簡単な計画だったにも拘わらず、この日に限って珍しく正多が寝坊したことによってすべての歯車が狂いだしたのだ。


「寝坊した!」


 と慌てて服を着ながら史家に電話をかける。先に桜鳥行きバスに乗るように促し自分は一本後のバスで行くことを伝えた。とはいえ、もともと合流時間は早めだったので、次のバスでも全く問題はないはずだった……。


 しかし電話の後、急いでバス停に向かったものの今度は信号運に愛されず、寸でのところで二本目のバスも逃してしまい、合流をあきらめ現地集合へと切り替えることにした。そんなわけで時折すれ違う市民から向けられる目など気にしない様に、そこからさらに必死に道を走ることとなったのだ。


 琴似区に近いとはいえ、北円まで徒歩で行くのは現実的とは言えず、最も現実的だったバスも次の便では間に合わない。となると残る手段は地下鉄だ。

 そういう訳で、正多は駅を目指し走っているのだった。


 最寄り駅は円山公園駅の二つ隣にある二十四軒駅。地下鉄は本数が多く速度も速いので乗れば直ぐに目的地に到着するが、正多の現在地からはこの駅さえも決して近い位置ではなく、走って一番早い電車に乗らなければ試合の時間に間に合わない。


 焦る正多だが、普段地下鉄を使わない身からすると目指す駅の方向は普段足を踏み入れない場所で土地勘が無い上に、辺りは高くてもせいぜい三階程度の家々が並んでいる代り映えしない町並みで、自分の位置を知る唯一の手掛かりがデバイスに表示されている電子地図デジタルマップだけだった。


「あっ、一本間違えたっ」


 この辺りは碁盤の目状の道路ではあるが、必ずしも曲がれる道が多くある訳でもない。一本のミスがかなり遠回りになってしまう。そんな状況で道を間違えた正多はとっさに立ち止まり地図を見て、戻るか、それとも地図に表示された新しいルートで進むかを考えなくてはいけなかった。


「……はぁ、はぁ。戻るか」


 息を整えながら独り言をつぶやき、歩き始める。さすがにしばらくぶっ続けで走ったので、小走り程度の速度で道を戻っていると一台の自動車が正多の横を通り過ぎてから停車した。

 正多がその横を通り過ぎようとすると、車の窓がゆっくりと下がって行き、


「お、やっぱり正多君だ」


「奈菜先生」


 声を掛けられた方を見てみるとそこには奈菜の顔があった。


「今日って練習試合の助っ人しに行くんじゃなかった?」


「実はバスを乗り過ごして……」


「あらら、そりゃ大変。北円だよね? ほら乗って、送るよ」


「あ、ありがとうございます……」


 すっかり疲れ果てた様に言いながらふらふらと助手席に乗り込む正多に、奈菜は砂糖の恩もあるからねと言いつつ車を出した。


「家からここまで走ってきたの?」


「は、はい……」


「そりゃ大変だったね」


「先生は、家がこの辺なんですか?」


「ううん、今日は頼んでいた物を回収した帰りなの。そのお店がこの辺で」


 奈菜はチラリと後部座席を見て、正多も同じように後ろの席をのぞき込んでみる。するとそこには袋が一つ置かれていた。


「ほら、この前白衣にコーヒー溢したって話したでしょ? それで、新品を頼んでいたの」


「洗濯とかはしないんですか?」


「洗ってみたんだけど、ぜんぜんシミが落ちなくって。古い物だから、どのみち変え時かな~って」


 雑談をしながら車は進む。

 住宅地の細道から札幌環状線に入ってしばらく行くと北円山の正門からちょうど反対側にある運動場側の駐車場に到着した。


「せっかくだし私も試合見に行こうかな」


 奈菜は正多と共に車を降りた。二人は学校の守衛所に駐車の旨を伝えてから道を聞き、コートへと向かって歩き出す。


 しばらく道なりに歩いていると自動販売機とベンチが並んでいる休憩場についた。ここは高いフェンスに囲まれているサッカーコートの隣に位置している。するとそこには先客が二人いて、まだ距離があるにもかかわらず正多と奈菜の方にまでその声は響いてきた。


「なんで、よりにもよって!? 情報担当じゃないの!? サッカーなんて柄じゃないでしょ!」


「担当科目は関係ないだろ、ってか、そもそも顧問は前からずっとやってるし、前に話しただろ。それに俺がサッカー好きなこと知ってるだろ?」


「プロサッカーの試合は関係ないでしょ! あと部の話は聞いてないって!」


 一人はスーツ姿のいかにも教師といった感じな風貌の男で、もう一人は――。


「あ、あのぉ、城守じょうもり先生……どうもこんにちはぁ」


 ちょうど進むべき道の先で話していたので、無視するわけにもいかずにかなり気まずそうな感じで奈菜が言った。


「と、これはこれは、加藤先生。いやはや、お恥ずかしいところを……」


 城守は話を聞かれていたことに気が付いて照れ臭そうに言う。


「今日は観戦ですか? 宗谷先生ならすでに入られてますよ」


「ありがとうございます、お邪魔しちゃいましたね」


 奈菜の隣に立つ正多は唯一状況をまだ呑み込めていなかったが、彼の顔を見てすぐに城守の向かいに立っていた少女――ミソラが、


「あ、正多。えっと、これはうちの父親。ここで教師やってるの」


「初めまして。ミソラがいつもお世話になっています」


 いえいえこちらこそ、と挨拶を返した正多にミソラが寄ってきてロッテはもう来てるよ、と告げるとさっさと奈菜に一礼して父親から逃げるようにコートの方へと行ってしまった。


「あー、えと、俺も準備があるので失礼します」


 と正多もミソラを追いかけるようにコートの方へと向かって歩き出す。


「ミソラちゃんのお父さん、教師だったんだ」


 追いついた後、隣を歩きながら正多が言った。


「お父さんがいるから、今日はついてきてくれたの?」


「まさか。むしろ知ってたらついてこなかった」


 こんなはずじゃなかったのにと、ミソラは頭を抱える。


「あと、なんで”ミソラちゃん”なの?」


「千崎さん、よりはいいかなって思ったんだけど……」


 距離感間違えたかな、と気まずそうに正多は言った。


「いや、むしろ私のことはミソラって、呼び捨てでいいよ。その代わり私も同じように呼ばせてもらうけど」


「もちろん、同じ部員同士なんだから」


 まだまだミソラはロッテと仲が良いだけで、正多と接する機会は少なくまだまだ二人の間には距離感があった。

 しかし、正多は部活に参加してくれたミソラとは仲良くなりたいと思っていたし、ミソラからしても今後ロッテとの関係を一層深める際には――既にロッテとやけに距離感の近い――正多を自分の仲間にすることによって未然に敵を減らしておくという意図もあり、距離を縮めたいと思っていた。


「そういえば録達はどこ? 正多と一緒に来るってロッテは言ってたけど」


「いや、別々に向かうことになったんだけど、まだ来てない?」


 試合開始まであと十分ほど。コートから一番遠い場所にいたのは、バスから降りて正門に到着したばかりの史家だった。

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