ビジネス(後)

 ドアの向こう側には上等そうな灰色のスーツを着た男の姿があった。

 その顔はミソラが確認した写真と同じく、高い鼻に掛けた眼鏡と茶髪のオールバックが特徴的で、会社の重役と言うよりはむしろマフィアのボスの方が向いているような、研ぎ澄まされたナイフの様な鋭い顔立ちしている。ネットでは30代後半と書いてあったが実際に見ると、実年齢よりいくらか老けているように見えた。


 ミソラとマネージャーが席から立つと、それを制するように手の平を二人の方へと向け、彼の隣に立っていた先ほどの社員が、


「座ったままで構わない、と」


 彼のドイツ語を日本語に直して伝える。どうやら彼女は案内役のみならず通訳でもあったようだ。


 ノエル・ラサールが二人の向かい側に座ると早速、仕事――内容はミソラが予想した通りノイマン製品のテレビコマーシャル出演に関するの物だった――の話が始まった。とは言え、内容を話すのも資料を出すのも全て女性社員の方で、ラサールの方はうんともすんとも言わずに、二人をじっと見て観察しているだけだった。

 彼はミソラに興味がある様子だ。しかし、その様子を見るミソラは彼の表情の下に在る思考には、元々考えていたような悪趣味な考えではなく、もっと別の何かであるような気がしてならなかった。


 この仕事に関する話はごく手短に終わった。結局のところ、この仕事は既に上で決まっている物であることは明白で、この席に座っている以上、それをわざわざ拒絶する事など初めから出来ない。故にミソラは頷いて、分からない所は確認して、そうやっていつも通り仕事をこなせばよいだけなのだ。


 女性が資料を全て出し終えた後、会議室には沈黙が訪れた。女性はそれ以上何も話そうとはしない。ラサールも同様だ。

 そんな異常ともいえるこの状況に困惑して、ミソラはマネージャーの方を見た。


 彼は机をじっと見つめている。


 更に数分が経った。


 はぁ、と最初に音を、ため息をついたのは沈黙を保ち続けていたラサールだった。


 そこではっきりとした。

 彼は待っていたのだ。マネージャーが何かを切り出すことを。

 ラサールは目を一度閉じて首を振った後、席から立ち上がろうとする。それを制止するようにマネージャーは口を開いた。


「ほんとに、俺はあんたを信用していいのか」


 ラサールの鋭い瞳はマネージャーの方を向く。


「あんたが、凄い人ってのは知ってるが、こいつを――千崎ミソラを守れるのか?」


「ちょっと、何の話をしてるの」


 突然名前が出たミソラは驚くように言う。


「本人にその意志は無いように見えるが? と」


「……」


 マネージャーは黙り込む。


「まさか私が仕事を辞めた後……いや、辞める前にノイマンと新しい契約させるつもりだったの……」


 ミソラが今になって気が付いたあまりにも鈍感すぎる自分を悔やむように言うと、彼は黙ったまま頷いた。


「どうしてそこまで重大なことになるのか、私には分からないな」


 不意に室内に響くその聞きなれない低い声の日本語に、思わず驚いた表情を浮かべながら二人はラサールの方を向く。


「契約切れば、それで手切れではないのか。それにどうして私が力を貸さねばいけないんだ? 君たちが所属している事務所はそれほど規模の大きな会社ではなかったはずだが」


「……支社長殿は北海道の事情を分かっていないようだ。良く札幌で商売をしようと思ったものですね」


 彼が日本語を理解していると知ってからはマネージャーはラサールに対して直接話しかけた。


「事情と言うのは、君たちが戦争のせいで『白人』が嫌いな事か。それとも『北市軍』とかいう奴らの事か」


「後者だ。あとは知ってるなら、分かるだろう」


「いいや、分からないな。彼らは君たちの味方ではないのか」


「北海道市民軍……かつては――もう30年も前のことだが――彼らは志の高い我々の味方だった。でも今じゃ、ただのマフィアだ。上陸したロシア軍を、正確にはその残党を殺しつくし、どさくさで千島と樺太を占領して、ついでに日本とも戦った。力ですべてを解決してきた結果、奴らは驕り、目的を失い、そして腐敗した。今の奴らは薬物だの武器だのを売りさばいているだけの金の亡者だ」


 一息ついてからマネージャーは続ける。


「北海道に住む政治家や経営者、そして一般市民でさえも皆、何等かの形で北市軍と接点を持っている。参加して共に戦いを経験した者、家族や親しい人が参加している者、或いはその力を借りている者。戦争世代の人たちは聡明な人が多かった。彼らはその力を道民の、皆のために使っていた。でも、彼らが引退した今はチンピラの様な連中が牛耳っている。他者の為でなく、自分のために力を使うような奴らが」


 彼の声には憎しみとも、悲しみともつかない感情が乗っていた。

 彼とミソラが所属している芸能事務所も当然ながら北市軍の少なくない影響下にあった。ただ、それ自体はさして異常なことではなく、大小差はあれど、北海道そして札幌に存在するほとんどの企業がそうで、問題はそのかかわり方だった。


 芸能事務所の先代社長は二人をスカウトした張本人だ。

 彼は北市軍の元士官で残党狩りや樺太出兵にも参加し、札幌支部の有力者でもあった。故に干渉を寄せ付けず、外圧から独立した経営を行っていた。しかし、今や彼は墓の中。変わって社長の座に就いた彼の息子に先代の様な力はなく、北市軍は事務所に対する干渉を隠そうともしていない。


 社長が気が付いているかは知らないが今や事務所を、そして所属している者さえも「食い物」にされている有様だった。


 ミソラが今の仕事を辞めようと考えていた理由は別にあったが、現社長の体たらくを見てその決意は一層固くなり、できる限り早く引退するために社長と交渉し交換条件付きで承諾を得ていた。しかしながら、果たして本当に社長はミソラを、美咲ライカをみすみす手放すのだろうか? マネージャーは社長のミソラに対するあっけない承諾に不信感を募らせていた。

 

 この数か月ライカの仕事は実に多忙を極めている。その上、本来ならば相応しくないような規模の会場でライブ開催を求められるなど、何かを狙っている様にも思えた。不祥事起こさせて契約で縛れる期間の間で何かをしようとしているのではないか、と。結局、マネージャーが思考をどれだけ巡らせようともその真意は分からなかったが、とにかく千崎ミソラが危うい立場である事だけは間違いなかった。


 人脈もそれほどないマネージャーが頼れる相手など少ない。そもそも北海道に居る以上、どんな組織、どんな人間、例え道外から進出してきたとしても、この大地で生きる以上、北市軍の影響は及んでいると考えてよい。


 国際機関であるIPASならば、一般市民に影響が出るような事態が起こればライブの時の様に出動してくれるかもしれないが、契約のいざこざとなれば、それは管轄外だと跳ねのけられるだろう。同じく、国際機関であり公平中立な国連下級裁判所に頼るという手もあるが、問題が何も起きていない現時点で提訴はできない。しかし、ミソラに実害が出た頃には何もかも遅いだろう。


 そうなると協力を頼める相手は道外の、特に日本の事情が通じない勢力。

 リターンのためにリスクを受け入れてくれるような、実利的な勢力。


 すなわち――。


「私を信じるも信じないも勝手だが、私は会社を背負い、日本や北海道を相手に商売をしている身だ。例え結果得られるものが美咲ライカというブランドだったとしても、たった一人の少女のために北市軍と戦うだけの危険を起こす価値が、本当にあるのか?」


 ただでさえ危険な賭けをするというのに、そもそも本人にその気がなければ話はこれで終わりだ、とラサールは付け加えた。


 ミソラは考える。

 マネージャーの目的は分かる、ノイマンの庇護下に入れば流石の北市軍と言えど危害を加えるような事はしてこないだろう。しかしながら、彼らは「ただの少女」を守ってくれる慈善家ではない。彼が今の今までミソラにこのことを黙っていたのはその為だろう。


 守られるにはその対価を払わなくてはならない。


 千崎ミソラではなく、美咲ライカとして。


 針地獄と蟻地獄。


 どうやら、どちらかを選ぶのは、今この瞬間のようだ。

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