ビジネス(中)
二人は地下駐車場のエレベーターに乗った。
マネージャーはパネルに表示された何十と言う階層の中からオフィスロビーの在る階を選んでいる。ミソラがエレベーター内の広告や表示を見ると、すぐに自分がどこにいるのかが分かった。
ライラック・センタービル――札幌、そして北海道で一番高い超高層ビル。
通称「戦争景気の遺物」「無用の
地上から数階は映画館やショッピング施設などが置かれており、その上の高層階には大企業数社が入居できる大規模なオフィスフロアが置かれている。この複合超高層ビルは札幌一等地にそびえ立つ道民の戦後復興の象徴であり、北海道経済の中心になるはずだった。
しかし、国連都市指定の際に起きた第二次独立闘争や戦後の不景気によって、その広大な空間に現在オフィスを構えているのはたった一社だけ。
「ノイマン……ね」
オフィスロビーに着くと、そこはスーツ姿のヨーロッパ人で溢れかえっていた。
ミソラのごく身近にもロッテやシュミットのような例がある通り、近頃はこの札幌でもヨーロッパ人、特に欧州連邦に敗れた南ドイツ人の姿はここ数年で急激に増えていた。なぜ彼らがわざわざユーラシア大陸を越えて札幌に集まるのかと言えば、その理由はここに支社を構えるノイマン工業であった。
ノイマンは敗戦によって職を失った軍人を多く雇い、終戦後の新グローバリゼーションの波にのって商品を世界展開しつつ、社員とその家族を世界各地に送り続けた。そして彼らのアジアにおける拠点がここ札幌であり、つまりこの場所はアジアに住むドイツ人の砦――在アジア・ドイツ大使館に等しいのだ。
そういう訳で、先述の二人もノイマンで働く家族が居て、その都合で札幌に引っ越して来たのではないだろうか、とミソラはなんとなく予想していた。
(ど、どこかにロッテの親とか居るかもだし、お仕事モード中でも感じを良くしておかないと……)
仕事とは別のプレッシャーを感じつつ、受付で手続きを済ませると入館証を渡され、それを首にかける。セキュリティゲートはやけに厳重で、そこにはサブマシンガンで武装した警備員が居て、ミソラは思わずギョッとした。早々に異文化を見せつけられながらも無事にゲートを越えた二人は、案内役の社員と共に社員用のエレベーターに乗り込んだ。
「お二人が高所恐怖症でなければ良いのですが」
「大丈夫ですよ。私も彼も、高所は得意です」
恐らくはドイツ人であろう黒い髪の女性が流暢な日本語で問いかけると、ミソラは笑みを浮かべながら答えた。
「それは良かった」
それを聞いてほっと胸をなでおろすようなしぐさを取ると、エレベーターの内部に設置されていたパネルを操作する。
すると、入口の向かい側にあった黒色の壁には白い線で六角形が写し出され、その黒い六角形はまるでオセロをひっくり返す様に一枚、また一枚と色が抜けていって、最後には透明な一枚のガラスへと変化していた。
「そちらの壁は特殊な素材で作られているんです。こんな感じに風景を一望できるようになっているのですが……その、高所が苦手な人にはいささか刺激が強いと一部からは不評で」
彼女の言う通り、この壁一面ガラス張りのエレベーターは高所恐怖症にとっては地獄以外の何物でもないだろう。
エレベーターは重力を置いて行ってしまったような乗り心地と速度で、上へ上へと進んでいたようで黒い六角形が消え切って壁一面がガラスになった頃には既に周囲雑居のビルより高く、宅配ドローンが飛行するような高度を進んでいる。
≪62nd floor――62階です――62. Stock≫
内部の案内パネル表示と機械音声がご丁寧に三か国語で目的の階に到着した事を教えてくれる。ガラスの向こう側には国際平和記念通りの全景が広がっていた。
62階は大小さまざまな会議室が置かれているエリアでロビーとは打って変わって、大きな直線廊下の先に見える人の姿はまばらであり、絨毯の布かれた床の上では足音さえもごくわずかにかき消され、この階層全体が静寂に包まれている様だった。
「こちらで少々お待ちください」
二人が案内された会議室。テーブルの上にはペットボトル入りの水が二つポツンと置かれている。
「支社長は間もなく到着するので――」
「えっ? 支社長?」
社員に促されイスに腰を掛けた頃、さらりと衝撃的な言葉がミソラの耳へと届く。
「え? ……えーっと」
ここまで案内してきた少女の驚きっぷりに、もしかして案内する相手を間違えたのではないか、と社員は手元のタブレット端末を操作して、
「ミサキ・ライカさん、とそのマネージャーさんのハシモトさん……ですよね? もしかして人違い?」
「あー、いえいえ、大丈夫です、合ってます」
マネージャーが割って入ると、社員は「ならいいですけど」と首を傾げなら会議室を後にした。
「……」
ミソラはじっとりとした瞳で隣に座るマネージャーを睨むと、
「いや、その、お偉いさんが来るとはちゃんと伝え――」
流石に我慢の限界が着て、ミソラは彼の足を蹴っ飛ばす。
「いってぇ! じ、実はな、支社長から素の君、千崎ミソラがどんな人物なのか知りたいと言われてて、だから俺はてっきり身分を隠して出てくるモンかと……『水戸黄門』とか『暴れん坊将軍』みたいな感じで……」
申し訳なさそうに言うその姿を見るにどうやら今回は彼が悪い訳では無く、単に支社長が人を騙して観察するのが好きな悪趣味な奴だったようで、ミソラは直ぐに「蹴ってごめん」と小さく謝った。
ミソラはこれからそんな悪趣味な奴と会って仕事の話をしないといけないのか、と気持ちが随分落ち込んだ。ともあれ、仕事は仕事。彼女はいつも通り、待ち時間を使って仕事相手の情報を調べるためにデバイスを起動した。
時間が限られる中で既にノイマンという企業についての知識は「ミュンヘンに本社を置き、自動車と強化外骨格の分野で世界的なシェアを持つ大手メーカー」といった具合に一般人並みにはあったので、今真っ先に調べるのは支社長の素性だった。
とはいえ、ネットと言うのは便利で「ノイマン工業 アジア支社 支社長」と入力すれば目的の人物が秒で出てくる。
目的の人物の名前はノエル・ラサール。
フランス系ドイツ人でノイマン工業が自動車整備工場だった頃から創業者である現会長の右腕として会社を支えた重鎮中の重鎮。悪趣味な支社長は一体どんな成金野郎なのかと思いきや、どうやらかなりの実力者のようだ。
しかし、彼の性格はともかくとして、どうしてそんな重鎮が本社ではなくアジア支社に居るのだろう。もしかすると、これまで以上にアジア市場を拡大する計画があるのかもしれない。となると、この仕事も――と、ミソラが色々と思考を巡らせているさなか、会議室の扉が重たい音を立て開き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます