合流
関係者以外立ち入り禁止、と書かれたドアを通過し、会場スタッフが慌ただしく行き交う通路をしばらく進むと更衣室にたどり着く。
「それじゃあ、着替えてくださいね」
それだけ言われて部屋に取り残された二人だったが、スーツを見つけることは容易かった。何故なら、ベンチの上に大きなプラスチック製の箱が置かれており、そこにはマジックペンか何かで雑に大きな文字で「スーツ」と書かれていたから。箱には黒いジャケット、ネクタイ、ズボン、ベルトが四つずつ入っており、二人はその中から自分の丈に合う物を探し出して着替えた。
「着替え、終わりましたかー? 二人に渡したい物があるんですけど~」
「今行きますー。……渡したい物ってなんだろう?」
「そりゃぁ、この格好なんだし、サングラスに決まってるだろ」
二人が更衣室を出るとサングラスでは無く、無線機と首から下げるタイプの名札入れを渡された。しかし、無線機の方はともかく、名札はマジックで雑に名前が書かれた白いカードが入っているだけの粗雑な物で、これで本当に大丈夫なのか、と二人が不安な表情を浮かべると、伏見は「まぁ、急ぞろえなんで」とSecurity officer Fushimiと書かれた立派な名札を下げながら返す。
「これで準備は完了です。持ち場に案内しますね」
伏見に続いて従業員用の通路を歩く二人は警備員の仕事と聞いて、ちゃんと務まるかどうか不安だったが、彼女から仕事の内容を聞いてみると緩いと言うか実質立っているだけ。持ち場に到着すると二人にはそれ以上何の説明も無く、伏見は「後はがんばってね~」とだけ軽く言って、どこかに去って行った。
「ライブ会場って初めて来たけど、こんなに広いんだ」
持ち場に立って、緊張で少しソワソワしている正多は驚いたように言う。
更衣室からこの会場に入って、まず驚いたのはその広さだった。二人は外から見た感じで、てっきりビルの地下にあるアングラ的な、小さい会場を想像していたが、実際に入ってみると、この建物の床が丸ごと立席になっているのではないかと思うほどの解放感で、正面部分にある入り口から反対側にあるステージまで一切仕切りや柱、まして壁も無い。
そこから少し高い位置の従業員用の通路で、先ほど話を聞きつつ見た景色はそこに埋め尽くされた観客を合わせて正しく壮観だった。
「これなら猫の手も借りたいっていう意味が分かる。……っていうか、ほんとに猫が必要かも」
「二人程度じゃ増援足りないだろ、これ」
「そもそも、俺たちの目的はミソラちゃんを探す事だからな。史家、ちゃんと探すんだぞ」
「と、言われましても、この数じゃなぁ……」
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた観客を眺めていると、なんだか違和感を感じてくる。
そもそも美咲ライカは新進気鋭、引っ張りだこで、超売れっ子アイドルだ。それゆえにこれだけのファンが押し寄せている訳だが、明らかに会場の規模が足りていない。列の長さを考えれば、全員が入れた訳ではないだろう。
さらに言えば、老若男女に好かれる高校アイドルで、未成年のファンも多い。このライブハウスは十分に大きいし設備も整っているが、周辺の店の臨時休業や警備員と会場スタッフの不足、IPASの動員など、どれもここでしなければ解決した事ばかりで、彼女が公演を行うには明らかに場違いだった。
≪あーあー、テストテスト。こちらは警備主任の伏見です。聞こえてますか?≫
ふと、無線機から伏見の声が聞こえてきた。どうやら警備員は多国籍らしく、伏見は日本語の後に英語とスペイン語で同じ言葉を続ける。
「あっ、波木です。聞こえてます」
「録達、聞こえてます」
初めての経験でぎこちない感じではあったが、あらかじめ決められていた順番に沿って二人も返事した。
≪あと少しで開演です。本日の主役が登場すると確実に何かしら起きる可能性があるので、観客をしっかりと見張っていてください≫
伏見の通信が終わると同じぐらいに、会場の明かりが薄っすらと消えて行き、ステージを照らす紫や黄色のスポットライトの明かりを残して、すっかり暗くなった。
開演が近い事が分かると観客たちのざわめきは熱へと変わり、その熱に油をぶち込むが如く、それまで落ち着いたテイストだったBGMがポップな物へと変化していく。そうなれば、会場はもはやフライパンだ。熱に炙られた油のごとく、主役の登場を待ちわびる観客が床の上をパチパチと跳ねている。
「始まるな」
「あぁ、緊張してきた」
そして、
「こんばんわー!」
熱狂の渦の中、イメージカラーである赤と黒の衣装に身を包んだ美咲ライカが赤く長い髪を靡かせながらステージに登場した。
≪揉め事が……えっーと、dispute near the venue gate……≫
開演からしばらく経つと会場の熱に浮かれてか揉め事がちらほらと出始め、伏見がその対応に追われる様子が時折無線機に流れてくる。
その一方で、正多と史家が立っているステージの付近は開場前から並んでいた熱狂的なファンが多い事や、そもそもアイドルのすぐ近くと言うこともあってか治安は良好で二人は観客を見渡しつつ、歌声に耳を傾けるぐらいの余裕はあった。
「今日はありがとうー!」
そして開演から何時間かが経ち、ライブが終わる。歓声の中でライカは観客に手を振りながら、舞台袖へと消えて行った。
≪ライブは終わりましたけど全員気を緩めずに警戒を続けてください。人が動くときが一番厄介事が起こると相場は決まってますから≫
気を緩めず、と言っても熱狂が徐々に緩んでいく会場の空気感の中で二人はどこか肩の力が抜けてしまう。
「すごかったな」
「あぁ。さすが大人気アイドルって感じだ」
≪付近に居る……≫
会話を交わす二人の間に突然入った伏見の全体通信はそこで途切れてしまった。
「あれ、無線機が壊れた?」
「いや、俺も途中で切れた。あっち側の問題かな」
二人は腰に下げていた無線機を確認するが特段故障などはしていない。
≪正多君、史家君、聞こえてますか?≫
確認がてら無線機をいじっていた二人は突然、名指しされたことに驚きつつ返事をする。
≪特別席の方で問題が起きたようなんですが、そこで警備していた人が不在なんです。代わりに二人で対処してきてくれませんか?≫
「ステージ周辺は俺と史家だけですけど大丈夫なんですか?」
≪そっちには私が行きます≫
会場内の間取りも知らなかった二人は壁に掛かっている会場の地図を確認した後に特別席と言う場所に向かって歩き出した。
「特別席なんてあるんだ」
「VIP用の席なのかな」
「特別って言うぐらいなんだからそうだろ……あ、ここみたいだ」
しばらく狭い通路を歩いて、関係者用の扉を開ける。そこは立席よりも少し高い場所に椅子とテーブルの用意されているスペース。しかし、その印象はVIP用の豪華な席、と言うよりは座席の存在しているので、幾分かは特別といった感じだった。
「それで問題っていうのは……なんだろう?」
正多は特別席を見渡してみるのだが、観客は帰り支度をしてたり、席に座って別の観客と交流にふけっていたりと落ち着いた雰囲気で、特段問題が起きている様には見えない。
「あー、あー、伏見さん? 録達です。問題が特に見当たらないんですが」
そもそも問題の詳細を教えてもらっていなかったな、と伏見に連絡を取ろうとしたが返事は帰ってこない。
「伏見さん、どうしたんだろう」
「問題もないし、返事もないし。一体何なんだろうな」
状況がよくわからな過ぎて、正多も史家もお互い顔を見合わせた。
「あれ? セータ君とシカ君?」
そんな中で、聞き馴染みのある声が響く。
「あっ、ロッテちゃん」
「ロッテ? なんでここに」
「それはこっちのセリフだよ~。二人もライブを聞きに来た……というか、なんでスーツ姿なの?」
席から立ち上がったロッテは二人の方へスタスタと近寄ってから首をかしげ、二人はロッテにこれまでのことを説明した。
「まさか一日に三回も説明をするなんて」
史家は一日に正多、伏見、ロッテと三回も何が起こったのかを説明する羽目になるとは、と驚くように言う。
「ロッテって、ファンなの?」
正多の質問にロッテは首を横に振った。
「私はミっちゃんに誘われてきたの」
「みっちゃん……って言うとミソラちゃんか。やっぱりこの会場に居たんだ」
「おぉ、話が繋がった、予想通り会場にいたんだな。これで一安心じゃないか」
ロッテの話で予想が当たったことを確信した二人はほっと息をつく。しかし、そんな二人の姿を見るロッテは違う様で、不安気な表情を浮かべて、
「えっと、そういうでも……ないかも……」
「「え?」」
「ミっちゃん、途中で急用が入ったって言ってどこかに行っちゃったの」
「「どこか?」」
「私に『ここで見てて』って言って……」
「ミソラちゃんと別れたのって開演前?」
なんだか不穏な気配を感じた正多は即座に質問する。
「うん、開演前。学校終わってすぐに待ち合わせして、ココに来たから結構早めに会場に入れたの」
「入場開始から一時間であの行列だったろ? 早めには入れたって事はロッテちゃんとミソラはそれよりも早く並んでたってことか?」
「特に気にしてなかったけど……開演まで結構時間あったから多分一時間以上前だったかな? 別れたのは入場したすぐ後だから同じぐらいだったと思う」
それを聞いて三人は顔を見合わせた。
説明を聞く限り、二人は待ち合わせをしてこの会場に向かったのだから、ミソラが謎の男性と話していたのはロッテと別れた後だと分かる。つまり史家がミソラを見かけた時点でロッテは会場に入っていて、その目撃以降は消息不明と言うわけだ。
「ちょっとまって、ロッテの話を聞く限りだと何も解決してないのでは!?」
「そ、そうだよな。結局この会場に居ないってことだろ? じゃあ一体どこに……。ロッテちゃんは連絡取れないの?」
ロッテは横に首を振って、既読のついていない「用事大丈夫だった?」というチャットが表示されているデバイスを二人に見せた。
「こ、これってやっぱり誘拐だったりするのかな……」
ロッテはデバイスを両手で握りしめて不安そうに言う。
「高校生だし、流石に無い……とは言い切れないな……」
正多の言葉に三人を包む雰囲気は重くなって行き、これからどうすると話し会おうとしたとき、一人の男性が席に入ってきた。
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