四人目のあの子

続・目を見て話を

 夜はいつだってそこにあるのに


 日は沈んても、また昇るのに


 夜はまるですべての終わりの様に例えられる


 アルミで出来た流星の夜よ


 傭兵の骸で出来た魔女の夜よ


 夜は――


「あの、いや、もういい……」


「えっ、これからがいいトコなんですけどっ」


 その、詩のような何かを読んでいたロッテは遮られた事に抗議の声を上げるが、半分ほど聞いた段階でシュミットは頭を抱えるしかなかった。


「確かに英作文を書いてとは言った。でもいつ僕が詩を書けと?」


「いいじゃないですか、どっちも似たような物ですよ!」


「ラテン語の勉強サボって提出した課題がこれか……」


「私のセンスはサッポロに光り輝きますよ! 文学賞間違い無し!」


「この課題は再提出だ」


「え~!?」


 放課後、ロッテはシュミットの待機室に遊びに来て……ではなく、呼び出されていた。


 理由は課題の未提出。


 提出期限はとっくに過ぎてはいたものの、ついこの前まで部活動として猫探しをしていたため大目に見ていた。しかし、週が明けても一向に課題が提出されなかったため、部室に乗り込んでロッテを連れてきたのだが、既に英語の方は完成していると聞いて、確認してみればあの有様。


「ちゃんとした英作文を明日までに出してくれ、ラテン語はその後でいいから」


「ホントですか!」


「真面目に書けばすぐ終わるのに」


 シュミットは呆れたように言った。


「ふぅ」


 ロッテは待機室を出ると、廊下で胸をなでおろすように息を吐く。


 実のところ、あの謎ポエムモドキは別に真面目に書いた物――ただし傑作であることは自負していた――では無かった。ではなぜ、課題にわざわざ書いたかと言うと、それは史家から依頼されたから。


 ひとだすけ部の部長、史家は英語が天才的に苦手で、シュミットから二年生全体に出されていた課題が一向に終わらず提出期限を過ぎていた。


 そんな折、ちょうどロッテもラテン語の勉強にかまけて、史家の物とは別の課題の提出を忘れていたため、彼に「課題が終わるまで時間稼ぎをして欲しい」と頼まれてしまい、今日出すはずだった課題をしらばっくれる形で時間稼ぎ、更に英作文をあえて再提出になるであろう形に書き直して、シュミットを待ち構えていたのだ。


 泥をかぶる形になったとはいえ、ロッテ自身はシュミットに詩を発表出来てご満悦だったのだが。


「もどったよ~」


 ロッテは意気揚々と部室のドアを開ける。


「過去形と過去分詞の違いぐらいは覚えてくれ!」


「なんで似たようなのが二つもあるんだよ!」


 部室のイスモドキには正多と英語に文句を言う史家が向かい合う形で座っていて、その間の机には課題と英語の教科書とノート。そして、この前もらった招き猫が置かれていた。


「シカ君の調子はどう?」


「ダメだ。コイツ信じられないレベルで英語ができてない。お前ほんとに学費免除の成績優秀者なのか?」


「英語以外は全教科学年一位だ」


「なんでそう極端なんだよ……」


 頭を抱えながら言う正多を傍から見るロッテは、ミニ冷蔵庫を開けてアイスを取り出そうとする。


「アイス~アイス~。あれ……な、無い!?」


 しかし、ミニ冷蔵庫の中は空っぽで、その虚無空間をしばらく見つめた後にバッと勢いよく正多と史家の方を見た。


「……」


「……」


 ロッテの視線の先に居る二人はお互いに顔を見合わせて、


「史家のじゃなかったの!?」

「正多のじゃなかったのか!?」




 シュミットにしょっ引かれる少し前、ロッテは放課後一番に学校を飛び出し、すぐそばにあるコンビニへで自分用のアイスを二つ買っていた。

 わざわざコンビニまで行ったのは、桜鳥高校には飲み物用の自販機は置かれているが、校内に購買が無く、お菓子やアイス、雑貨を買うには道路を一本挟んだ先にあるコンビニまで行く必要があったからだ。


 彼女が冷蔵庫にアイスを仕舞った後、部室には英語の課題が終わっていない事をシュミットに問い詰められた史家と、彼女にロクタチの課題を手伝ってやってほしい、と頼まれた正多が遅れてやって来た。


「あ、二人とも遅かったね~。どうかしたの?」


「ロッテちゃん! 一生のお願いがある!」


「えぇ!? いきなり!?」


 部室に入ってくるや否や、史家は開口一番に課題が終わるまで時間稼ぎをしてほしいと頼んだ。


 それから数分、ロッテは時間稼ぎをするために英作文を書き直し、あの謎ポエムを執筆。時を同じくして、ロッテの課題が未提出だったことを思い出したシュミットが乗り込んできて、発表会へと至る。


 シュミットが頭を抱えながらロッテの詩を聞いていた一方で、正多がトイレに行ったため、史家は小休止についていた。


「ふぅ。ロッテちゃんが時間を稼いでくれているし、少しぐらい休んでも……」


 そう言いながら、飲み物を取ろうとミニ冷蔵庫を開ける。


「お、アイスだ。正多のか? ……あいつなら勝手に食っても金か現物を返せば許してくれるだろ。頭を使って知恵熱も出てることだし」


 と、冷蔵庫に入っていた二つのアイスの内、一つが史家のお腹の中に入った。

 

「……あ。う、急に冷たい物食ったから、腹が……」


「戻ったぞ。さっそく続きを――」


「悪い正多、俺も便所行ってくる!」


 お腹を押さえながら部室を飛び出した史家を横目に、ため息をつく正多はミニ冷蔵庫から昨日買っていた飲み物を出そうと、その中を見る。


「全く、この調子でいつ終わるんだか。はぁ、今日は暑いなぁ。…………ん、このアイスって、史家のかな。まぁ、あいつなら代金を払えば勝手に食べても――」


 という訳で、二人のお互い微妙に噛み合っている信頼のせいで、ロッテのアイスは勝手に食べられてしまったのだ。

 


「まさかあの二人がつまみ食いをするなんて」


 ロッテはまたコンビニに居た。二人から貰った硬貨を握りしめながらアイスを物色しつつ、ドイツ語で独り言を言う。


「うーん。グレープ、バニラ、イチゴ、チョコ、ココア。どれにしようかな~」


 彼女自身は別に食べられた事を気にしていなかったが、当然、二人からは「勝手に食べて悪かった」と謝罪され、ポケットから取り出した硬貨――電子通貨が主流なこの時代でも、非常用に少しだけ硬貨を持ち歩く人は多い――を数枚渡されていた。


 そんなわけで新しいアイスを買いに来たロッテは中腰で冷蔵ショーケースに並べられたアイスたちを眺めていたのだが、


「あっ」


 と、不意にすぐ隣から声がしたので顔を上げてみる。

 するとそこには黒髪ショートボブヘアの少女、ひとだすけ部第四のメンバーにして、一度も部室に訪れたことの無い幽霊部員である千崎ミソラが居た。


「ミソラちゃんだ!」


 名前を呼ばれた事にかなり驚いたようで、彼女はビクリと反応する。


「名前、覚えてたんだ」


「もちろん! 同じ部活の仲間なんだから、当たり前だよ!」


 明るく話しかけるロッテとは対照的に、私幽霊部員だから別に仲間じゃない、と言わんばかりの表情を浮かべるミソラは小さく「そう……」と返した。


「ミソラちゃんもアイス買いに来たの?」


「私はそこのプロテインバーを……」


「はい、どうぞ!」


 ミソラがアイス売り場とは通路を挟んで反対側にある棚に陳列されていたプロテインバーを指さすと、そちらに向き直ったロッテはそれをひょいと一本取ってミソラに笑顔を見せながら手渡す。


「ありがとう」


「ミソラちゃん、それ好きなの?」


「え、まあ、うん……じゃあ、その、また学校で……」


 ミソラは何故か自分のことを熱心に聞いてくるロッテからさっさと逃げようと無人レジに向かう。一方のロッテはミソラとは対照的に、もう少し彼女と話してみたかったので、適当にアイスを五つ選ぶと、同じようにレジに向かい、彼女の横に立った。


「あの、学校でもう少し話さない? もし良かったら部室に――」


「……」


 完全に無視を決め込んで黙々と会計を済ませるミソラは、プロテインバーをポケットに突っ込むと、出入り口の方へと向かった。


「え、あ、ちょっとまって~」


 商品とデバイスを無人のレジに交互にかざすだけで支払いが終わるのでさっさコンビニを後にしようとするミソラに対して、ピッとアイスの商品コードを五回読み込ませた後、機械に紙幣を入れて、おつりが出てくるまで待たないといけなかったロッテはだいぶ遅れを取ってしまっている。


「ねぇ、ちょっとまってー」


 一生懸命、袋にアイスを詰め込むロッテの声など意にも返さぬように、ミソラはコンビニを後にし、それから少し経ってロッテも急ぎ足でコンビニから出た。


「………………! ………………!」 


 歩道を歩くミソラだったが後ろから何やら声が聞こえてきたので振り返ってみると、そこには金髪の少女が手を振りながら向かってきていた。このまま歩いていればロッテに確実に追いつかれるので、できるだけ距離を取ろうと速足になる。


 一方、後ろを追いかけるロッテは、ミソラの歩く速度が明らかに速くなったため自分が避けられている事は分かっていたが、何としても捕まえて話をする、と意地になって彼女の背中を追い続けた。



 そんな、奇妙な追いかけっこは靴を履き替え、学校の廊下に舞台が移っても続いていたが、突然、


「あっ、やばっ――」


 と声を上げたミソラの足が廊下の真ん中で止まる。


「え、あっ、えっ、だっ、大丈夫?」


 ロッテはミソラが突然左目の辺りを手で押さえながらうずくまったため、声をかけると、小さく「大丈夫だから」と言うが、その様子は明らかに不審で、


「ホントに大丈夫? 頭痛いの? ナナ先生呼ぼうか?」


「いや……コンタクトが取れただけだから」


「コンタクト?」


 それを聞いて、ロッテはどこかにコンタクトが落ちてないかと一歩後ずさりすると、ちょうど一歩目踏み出した時に、プチッと何かが潰れる音がした。


「あっ…………えーっと、その……」




 少し後、二人は女子トイレに居た。


「ごめんなさい……。コンタクトはちゃんと弁償するから……」


「別にいいよ。そんなに高い物じゃないし、予備も持ってるから」


「でも、そういう訳には……」


「なんで私の事追いかけてきたの?」


 隣で項垂れるロッテに対して、ミソラは洗面台の前で左目を閉じ、鏡の方を見ながら尋ねる。


「えっと、ミソラちゃんに買ったアイスを上げようと……」


「アイス?」


「うん。今は廊下に置きっぱなしだけど、同じ部の仲間としておすそ分けしようと思って……」


「なんでそんな……」


 ロッテの口から出た予想だにしていなかった言葉に、ミソラは意識的に閉じていた左目を不意に開いたまま、振り返ってロッテの顔を見てしまう。

 彼女の、ミソラの左目、その瞳は赤い色をしていた。


「あ、赤い目……」


 ロッテの言葉にはっとして、ミソラは左目を覆い隠し、「……誰にも言わないで」と小さく呟く。


「え、えっと、あ、あれ? ミソラちゃんの目の色って茶色じゃなかった?」


 突然のことにロッテが混乱したように首をかしげると、


「茶色いカラコンを付けてるの。右目も」


 ミソラはそれ以上に特段隠す様子はなく、直ぐに答えを言うと、大きなため息をつき、女子トイレの出入り口から顔を出して付近に人がいない事を確認してから、右目のカラコンも外した。


「この通り」


「わぁー! 綺麗な瞳だね」


 ロッテは彼女のルビーのような赤い瞳をじっと見て、自身の碧色の瞳を輝かせる。


「え? 綺麗? 怖がらないの?」


「怖がるって、何を?」


 ミソラ言う「怖がる」の意味が理解できていないロッテは首をかしげた。


「…………あー。もしかして欧州では赤い目って珍しくない感じ? だったら今の私、だいぶ滑稽だから、すごく恥ずかしいんだけど……」


「欧州でもどちらかと言えば珍しいと思う。でも私、身近に赤い目の人が居るから」


「そうなんだ」


「あ、そうだ! ミソラちゃんのこと、これから、ミっちゃんって呼んでもいいかな?」


「え? いきなり何言って……」


 ロッテは嬉しそうに手を握ってから顔をぐいっと近づける。


「ひゃっ……ちょ、何急に!?」


「日本語だと、ミから名前が始まる人にはそういう愛称を付けるんだよね?」


「い、いや、そうかもしれないけど、突然あだ名なんて」


「ふふっ。ミっちゃん」


 ミソラの困惑を他所に、ロッテは嬉しそうに笑みを浮かべながら、彼女の顔を見て呼びかける。


「な、何……」


「なんだか、かわいいなって」


「か、可愛い? 私が?」


「……うん! ミっちゃん、すごくかわいいと思うよ!」


 ロッテは名前の響きが可愛いと言うことを言ったのだが、その反応からどうやら別の意味に取られてしまったことに気が付いた。しかし、顔を逸らしながらモジモジと照れるミソラの反応はまるで小動物の様に可愛かったので、そのままの褒め続ける。


「私、その、そんな事言われたの初めてで……」


「ホントに? みんな見る目が無いんだね」


 ロッテの顔はぐいぐいとミソラの方に近づいてくる。この距離での男性に対する耐性も、まして女性に対する耐性も全くないミソラは、急に恥ずかしくなって顔を逸らしていたが、少しだけ顔を上げてみた。


「ふふっ、恥ずかしがるミっちゃんもかわいいね」


 するとそこには、ミソラよりも何センチか背の高いはずのロッテが、少し腰を曲げて目線を合わせており、その顔は文字通り目と鼻の先にあって、気が付けば二人の鼻が触れ合うのではないか、という距離まで縮まっている。


「……」


 優しく手を握りしめながら笑みを浮かべる彼女と目が合って、ミソラの心臓はバクバクと勢いよく跳ねているが、先ほどとは少し違っていて、今度は彼女から目を逸らすことができなかった。


「……」


 恥ずかしい、その感情は先ほどから何も変わっていない。顔も耳も焼けるように熱いし、真っ赤になっている。でも、彼女から目が離せない。こんな感情は初めてだったが、ミソラはその名前は知っている。


「ミっちゃん?」


 それは、まさしく恋だった。


「えっと、その、ロッテ、その……」


 ミソラの頭に一瞬、このまま彼女に告白しようかな、という考えが頭によぎって口から言葉が勝手に出ていく。


 しかし、それはなんてひどいアイデアなんだ、とギリギリのところで思いとどまったミソラは、恋と言う熱に浮かされる自分に驚きながら、考えを振り払うように首をぶんぶんと横に振った。


「どうしたの?」


「あ、いや何でもない……。じゃなくって、えっと……。あ、そ、そうだ、連絡先、交換してなかったよね」


「そうだね、じゃあ交換を……って、あ! アイスの事忘れてた!」


 ふと、すっかり忘れていたアイスの存在を思い出したロッテはこのままでは溶けてしまう、と焦りながら急いで連絡先を交換した後に、


「ご、ごめんね、ミっちゃん! 後で連絡するね! あとあと、今度一緒に遊びに行こうね!」


 ロッテは廊下に放置されていたアイスの入った袋を回収すると、早く冷蔵庫で冷やすために部室に向かって走り出した。

 遊びの約束がロッテからしてみればそれは単なる友達との遊びの誘いで、ミソラからすればそれがデートに近しく恋仲になれるチャンスである、という致命的なすれ違いを抱えたままに。


「ただいまー」


「おかえり。ロッテ」


「ロッテちゃんどこまで言ってたの?」


「そこのコンビニだよ~」


「それにしてはだいぶ時間が経ったけど、何かあった?」


「えっとね、さっきミっちゃん、えと、ミソラちゃんに会ったんだ~」


「「みっちゃん?」」


 ロッテの口から突然発せられた愛称に二人はお互いに顔を見合わせて、しばらく理解が追い付かなかった。


「……って、あ! ミっちゃんにアイス渡すの忘れてた!」


 ロッテは冷蔵庫に入れようとして、アイスの数が買った時と同じ数の五つな事に今更気が付いた。







 ――「赤い目」は、あの核戦争の後に発見された新たな瞳の色である。


 ――これは所謂アルビノとは根本的に原理が異なる物であり、眼底の血液の色が透けている訳ではなく、虹彩その物が赤い色を持っている。


 ――この赤い目を持つ人間は世界各地で確認されているが、日本を含む東アジアではその確認例が極端に少なく、差別や偏見に晒されている。


 ――未知なる物に対する恐怖。大人たちは差別や偏見を表立ってしない。しかし、目には見えない社会規範に縛られない子供たちの無邪気さはとても残酷で、大多数と人間と異なる瞳の色をした私は恐れられ、からかわれ、仲間外れになった。


 ――だから私は自分の瞳を嫌い、隠して生きていくことに決めた。


 ――でも、この目を綺麗と言ってくれた少女が居た。彼女は海のような美しい瞳を持つ金髪の少女。お世辞で無く、何の下心も無く。ただ、純粋にそう言ってくれた。


 ――たとえそれが文化や価値観の違いから出た言葉でも私は嬉しかった。




「……あだ名なんて、初めて。ふふっ」


 一方その頃、アイスを貰えなかったミソラはというと、女子トイレの壁に寄りかかりながら、両手で赤面した顔を覆い隠し、ロッテの顔を思いだして一人で悶々としていた。


「連絡、早く来ないかな」

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