数日前

目を見て話を

 正多と史家はシュミットの待機室のドアの前で待ちぼうけを食らっていた。


「まだ話終わんないのかな」


「そう言うなよ。何か大事な話なんだろ」


 待機室のドアは全開に空いているのだが、ドイツ語で言葉を交わす二人は廊下に立っている二人の事にはどうやら気が付いていないようだ。



 この少し前、三人はシュミットの待機室で家具代の申請を終わらせた所だった。


「本当に持っていっていいんですか?」


「構わないよ。どうせ座る人なんていないし」


 正多は部室に家具を買うまでソファーを借りて良いのかと確認するが、シュミットはあっさりと答え、その言葉を聞いて正多と史家の男手二人はそれぞれソファーの端を息を合わせて持ち上げるが、


「うっ、重いな」


「こっちも重いんだからちゃんと持ってくれっ」


 重たいと言った瞬間に史家の腕にかかる負荷が増えたことから、反対側を支えている正多が力を抜いたことは明白であり、文句声を上げたが正多はこれが限界だからと言い張った。


 そんな、二人の姿を見守るロッテは「わ、私も手伝おうか?」と重そうに持ち上がっているソファーの周りでどうやって協力しようかと考えている。


「ロッテ、大丈夫だから、そこで大人しくしてて」


 彼の言う事が正しい事は自覚していたが、遠回しに邪魔だから、と言われたような物だったので少しシュンとしつつ、その場で見守ることにした。

 ソファーはロッテとシュミットに見守られながら、ゆっくりと待機室から運び出されて行き、ロッテは二人の後ろを付いて行こうとしたが待機室から出る前に「ちょっといいか?」とシュミットに日本語で呼び止められた。


「は、はい!」


 何の脈絡もなく呼び止められたため驚いてビクリと反応したが、シュミットそんなにビックリすることじゃないだろう、と言った感じの表情を向ける。


「それで、少し話があるんだけど」


「もちろん!」


「よかった。……でも今ソファーは運ばれちゃったし、この椅子座る?」


 シュミットは椅子から立ってその椅子に座るように促したが、自分は立ったままでいいと断られてしまい、再度着席する。


「それで話なんだけど――」


「ごめんなさい!」


「え?」


 ロッテは話を振られた途端に頭を下げて謝罪した。

 しかし、謝罪されたシュミットの方と言えば、突然の謝罪に困惑しながら頭を上げるように言う。


「あれ? シュミット先生、私に怒ってるんじゃ」


「怒るって何をさ」


「それは、その、故郷の事を無理に聞いてしまって……」


「故郷?」


 心当たりを考えてみると、昨日自己紹介した際の出来事を思い出す。


「あの事で怒って……」


「あぁ……すまなかった」


 ロッテからすれば声を掛けられる用事なんて他に見当が付かなかったのに、逆に何故か謝罪されてしまって、シュミットの顔を見ながら困惑を通り越しきょとんとすることしかできなかった。


「って、え? なんで先生が謝ってるんですか?」


 予想外の展開に驚きながら返すロッテに対してシュミットは深く項垂れながら少し首を振ると、少し訛っているバイエルン語で、


「ヴァイセンシュタイン・アム・ヴァルト。30年代に放棄された町だよね」


「……よく、ご存じで」


 なぜ彼女が言語を切り替えたのか分からなかったが、ロッテも合わせるように一番標準的な南ドイツ諸語であるバイエルン語のミュンヘン方言で返した。


 ロッテの故郷、ヴァイセンシュタインはかつてオーバーフランケン地方に存在していた、人口僅か数百人ほどの小さな町の名前であり、その町は自然豊かなフランケンの森ヴァルトと呼ばれる地域の山々の中に在って、無法地帯ダークゾーンでありながらも閉鎖的で平和な場所だった。


 しかし、そんな小さな町は近隣で起きた戦乱に巻き込まれ、今その場所は人っ子一人住んでいない廃墟の塊になっている。


「本当に……悪かった。キミを傷つけるつもりで言った訳じゃなかったんだ……」


 深刻そうな面持ちで、とても申し訳なさそうに改めて謝罪の言葉を言うシュミットだが一方で、ロッテはあの戦乱の時代に小さな町一つが住民ごと”なくなる”などはさして珍しい事ではないし、そこまで深刻に思う事ではないだろうと少し困惑した。


「え? えっと、そんな、ぜんぜん大丈夫です。私は傷ついてませんし、気にしていませんから」


 両手を振って、使って気にしていないとアピールしながら、


「それで私を呼び止めたのはその……謝罪のためでしょうか?」


「いや、違うんだ。本題に入ろう。キミを呼び止めたのはこれからの勉強についてだ」


「勉強?」


 ロッテは相変わらず特段心当たりが無かった、と言うかそもそも編入二日目で成績を付けるようなテストなどもしていないので、何の話なのかサッパリだった。


「英語についてなんだけど、キミは第二言語が英式英語だからさ、新式と違う部分を重点的に教えていこうと思うんだ」


「なるほど」


 合点がいったロッテは頷く。


「基本的には授業は皆と受けてもらう感じで、追加の宿題を出す感じかな。もちろんキミが嫌なら無理強いはしないけど」


 そう言って、タブレットを手渡されたロッテが中身を確認すると、英語で書かれた問題文が表示されていて、その内容は「英式英語では……ですが、新式ではどうなるでしょうか」と言った具合だ。


「そんな感じの宿題を定期的に出す感じ」


「嫌ではないので、それで大丈夫です。あ、そうだ、えっと……」


 特段難しくも無い英語の宿題にホッとしつつ、タブレットを返却した後にロッテは勇気を振り絞って昨日から考えていたある相談をしてみることにした。


「先生、ラテン語が話せるんですよね? もしよろしければ私に、その、ラテン語を教えてくれませんか?」


 シュミットの存在はロッテからすれば奇跡の様なモノだった。何せ自分と同じく南ドイツ出身な上に、前々から学びたいと思っていたラテン語まで話せて、それを教えてくれる、とまで言ってくれていたのだから。それは正しく渡りに船だ。


「突然だね。話せるというよりは読み書きができると言った感じだが」


「私、どうしてもラテン語を読めるようになりたいんです。……もちろん難しいのは承知してます」


 頼み込まれたシュミットは少し困った様な表情を浮かべ、しばらく何かを考えこむ様に下を向いてから、ぐっと眉をひそめる。


 何をそんなに考え込んでいるのかが分からなかったが、とにかく頼み込んでみる他に無く、ロッテはこういうにはじーっと、相手の目を黙ったまま見つめて訴えかける事にしていた。


「……」


 そんな訳でロッテは床を見つめているシュミットの顔を見つめて、その顔が上がるのを待つ。


 少しして、シュミットの顔が上がり二人のそれぞれ灰色の瞳と碧い瞳が見つめ合う。しかし、目が合ったのもつかの間、顔を横に向けて目線を逸らされてしまった。


(先生、意外と恥ずかしがり屋さんなのかな)


 そんな様子を見たロッテはこれは逆効果かもしれない、と想いすぐに止めて自身の視線を彼女の顔から少しずらす。


「……分かったよ。そんなにラテン語が読みたいなんて、何か余程の理由があるみたいだね?」


「えっと、あはは」


 ロッテはその質問に答えたくなかったため、頼み込んでおいて答えないのはズルいと分かりつつも苦笑いで誤魔化す。シュミットの方もその苦笑いで事情を答えたくない事を察し、それ以上特段詮索はせずにラテン語を教えることになった。


「呼び止めておいてだけど、そろそろ部室に帰る時間かもね。あの二人、さっきからずっと待ってるし」


「え?」


 気が付くと日本語に戻っていたその言葉に首をかしげながら、ロッテが待機室の入り口を見るとそこには正多と史家が居て、どうやらしばらくそこで待ちぼうけを食らっていたようだった。

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