迷子

「ねえ。きみ、大丈夫?」


 ロッテは少年のそばまでくると、優しく日本語で話しかける。すると、うなだれていた少年が顔を上げ、彼女の顔をじっと見てから、


「Begrijp je dit woorden?」


「Begrijp……die Worte? Ja,ja Ich komme aus München! Woher kommst du?」


「München? kom? Ik……Ik kom uit Brabant in E.F.Nederlanden」


「ロッテ、この子の言葉分かるの?」


  後ろから追いかけてきた二人はロッテが何やら少年と話をしている内容が分からなかったので、話し終えたタイミングで問いかける。


「うーん。えっとね、この子の言葉はオランダ語だと思う。ちょっとだけなら習ったことはあるから、多少なら意味が理解できるかなって感じかな」


 二人に向けてそう言うと改めて少年の方を向き、少し詰まりながらもなんとかオランダ語を思い出して、


わたし、キミの言葉分かるよIk weet wat je bedoelt少しだけならEen beetje maar


本当に!?Echt!


 その言葉を聞くや否や少年が嬉しそうに言うとロッテは頷く。

 ロッテは少年から事情を聴いた。その様子を傍から見ると意思の疎通はある程度取れていることが分かった。


「なるほど……」


「何が分かったんだ?」


「親の仕事に付いて来て観光しに来たんだけど、はぐれちゃったって」


「ほんとに迷子だったのか。外国で迷子なんて、親御さん心配してるだろうな。早く見つけないと」


「見つけるって言ったって、これだけの人じゃなぁ……」


 史家は周囲をぐるり見渡す。そこには人、人、人。

 この辺りは日本人とアジア人が占めているのでヨーロッパ系の人が居れば目立ってすぐに分かるとはいえ、そもそもこの周辺にいるのはロッテと少年だけで親らしき人物は全く見当たらない。しかし、このまま立ち尽くす訳にも行かない三人は捜索し始めることにした。


 しかし数分が経っても、状況は特に変わらず少年は不安そうな顔を浮かべる。

 そのことに気が付いたロッテは少年の隣に座ると、


「大丈夫! 私たちが絶対見つけるから!」


 とびっきりの笑顔を浮かべながら少年の頭をやさしく撫でた。


 その時、正多が国連警察F.I.S.Policeと表記されたベストを身に着けている警官を見つけ「あ!」と声を上げる。

 その声に反応したロッテも同様に警官の姿を確認すると、「ちょっと待ってて!」と言って勢いよく飛び出し、ほんの数秒で警官を少年の下まで引っ張ってきた。


「え、えーと、それで一体何が?」


 腕を掴まれて強引に引っ張られてきたインド系の男性警官は困惑しながら日本語でロッテに尋ねる。


「この子が迷子みたいで、それでお巡りさんに助けてほしかったんです」


「そういう事でしたか。分かりました」


 それを聞くと、警官は膝を附いて少年と同じ目線に立ってから、英語で一度話しかけてみる。しかし言葉は通じなかったようで、隣に立っているロッテから少年の言葉がオランダ語らしく、自分は少しだけ意思の疎通が取れることを伝えた。


「オランダ人、少年……うん、間違いなさそうだ」


 どうやらこの少年に心当たりがある様子の警官は警察無線で連絡を取ってから、ロッテに通訳をお願いし、


「君のご両親から捜索依頼が出されているんだ。すぐに人が来てくれるよ、と」


 ロッテは頷いてからやさしく語りかける。すると少年は安心したようで顔がぱあっと晴れやかになった。


「君たち、制服ってことは学生さんだね? 迷子の子を見つけてくれてありがとう。ここは見ての通り人が多い場所だから、迷子も多いし探すのも一苦労で」


 警官が言う横で、少年が何やらロッテに話しかけていて「なんて言ってるんだ?」と史家が問いかける。


「もう行っちゃうの? って」


 しゃがんでから少年の頭をもう一度やさしくなでると、別れの言葉を言った。それに対して少年は何かを言うとロッテがそれに驚いたように声を上げる。


「ええっ!? そ、それは困ったなぁ」


「ロッテ、通訳、通訳」


「大きくなったら私と結婚したいって」


 ロッテは照れ笑いを浮かべる。


「わぁお。いきなりプロポーズなんて、可愛い顔してなかなか男前な子だな」


 史家はそう言うと、笑いながら少年の頭をゴシゴシと少しガサツになでて、ロッテを指さし「シーイズノーボーイフレンド、ナウチャンス!」


「おい史家、she isじゃなくて、she hasだぞ」


「二人とも、そもそも、この子は英語分からないんだよ?」


 そんな三人の様子を見ていた警官が「来たみたいだ」と声を上げ、その声に反応するように皆が道路の方に目をやる。一台の黒い車がゆっくりと路肩止まって、中からスーツ姿にIPASと表記された腕章を付けた男が杖をつきながら降りてきた。


 男は敬礼をしている警官にご苦労と一言声を掛けてから少年と話すと、三人の方にも来て、


「君たちがこの子を見つけてくれたんだね」


 ラテン系の堀が深い顔立ちをしている壮年か中年ぐらいの男が流暢な日本語で話かけると、正多は「見つけたのはこの子です」とロッテの事を紹介した。


「……」


 しかし、ロッテは男の顔をじっと見つめるだけで特段反応はしない。


「あなたの息子さんですか?」


 そんなロッテを横目に見ながら、史家が尋ねた。


「いや、私の元部下の子でね。あと十分ほどで見つからなかったら、IPAS総出で探すと約束した所だったんだ」


 男はそばにやって来た少年を一度見てから三人の方に向き直り、


「この子を見つけてくれた事に私、カルロス・アヴリルが心から礼を言うよ」


「「え?」」


 二人は驚いて声を上げた。

 なにせ目の前の男性は、あのカルロス・アヴリル――国連警察アジア局、すなわち「IPAS」の長官にして国連軍大将。欧州連邦の建国者であり、西欧統一の英雄として数年もすれば歴史の教科書にその名が載るであろう人だ。

 当然、彼との邂逅に二人は衝撃を受けていたが、一方でロッテは最初から気が付いていた様で全く驚いていなかった。


「君は……そうか」


「当然、私はミュンヘン共和国市民ですから。あなたのことを知っていますよ、カルロス・アヴリル」


「偶然と言うのもある物だな」


 少し黙った後、ロッテはカルロスを真っすぐに見ながら震えた声で、


「Así es」


 その言葉の意味を正多と史家、そして少年も理解できなかったが、その声音には確かな怒りを感じ取るほどの強い感情が込められていた。


「……私は感謝しているよ。この恩は忘れない。君の、君たちのこともな」


 カルロスはそれだけ言うと少年を車に乗せて行ってしまった。微妙な空気の中、警官と別れ帰路につく三人。しかし、ロッテはというと二人にはできるだけ隠しているようだったが、その機嫌は悪いままだった。




「……って言うことがあって」


 翌日の放課後、正多はシュミットの待機室にあるソファーに座ってシュミットと話していた。理由は当然、ロッテの事。


 別に彼女のご機嫌を取ろうというわけではない。

 やはりそれでもロッテには嫌な気分のままではいてほしくないというのが正多の正直な感想で、前日の事情を考えても根本的に何かをしてあげられる訳ではないが、多少彼女に寄り添ってあげる事ぐらいならできるのかな、とミュンヘンの事情を知っていそうなシュミットを訪ねたのだ。


「あの子は自由人というか、感性で生きてそうなタイプだから。あんまり深く考えなくていいんじゃないかな」


 デスクの前に座るシュミットは正多の方を向きながら答えた。

 彼女の待機室は四月の終わりに工事をしていて、広すぎた教室内に簡易的な壁を作ったため初めて正多たちが訪れた時に比べ、半分ほどの大きさになっている。家具はそれほど多いとは言えないままだが、前に比べてテレビにベッド、簡易キッチンなどが増えていて、そこで暮らせるレベルには揃っていた。


「そもそも、この札幌マチにはさ、百万人近くの人が住んでるっていうのに、あんな奴とバッタリ出くわすなんてシャルロッテの運が悪かった、としか言えないし」


「それはそうですけど……」


 正多はソファーの前にある長机に置かれたティーカップでシュミットが淹れてくれた紅茶を一口飲んでから、


「やっぱり”最初の英雄”もドイツ人からすればただの侵略者って訳ですか」


「まぁね。特にミュンヘンに住んでれば恨みつらみも多いだろう。独立してた頃はさ欧州最大規模の人口と経済力を誇った都市国家だったのに、今じゃあのザマだ」


 そう言って壁に掛けられたテレビに視線を移し、正多も同様に視線を移した。


≪……ここ、ミュンヘン自治市の庁舎前では今日も独立支持者によって大規模なデモが行われています。デモは5月1日に欧州戦線終結記念式典に合わせて行われたものです。昨日に引き続き、大勢の市民がデモに参加していて……≫


 テレビニュースではネオゴシック様式の市庁舎前に無数の人が集まって、国連旗と欧州連邦旗を燃やす人々の映像や、旗にバツ印を描いたプラカードが挙げられている映像などが流れている。


「あと、そうだね。もしシャルロッテの機嫌をこれ以上に損ねたくなかったら、彼女のことを”ドイツ人”って呼ばないように」


「え?」


「僕やシャルロッテみたいな”南ドイツ語圏”に生まれた人間は、それぞれバイエルン人とかフランケン人とかシュヴァーベン人とか色々分かれてるんだ。しかも、南部諸国と戦争を繰り広げていた北ドイツ圏の人間がドイツ人って名乗ってる事が多いし。とにかくあまりいい顔はしないと思うよ」


「そういえばロッテもドイツ人ではなく共和国市民って言ってました……」


 ミュンヘン共和国は多民族国家だったからね、とシュミットは手元にティーカップに紅茶を注ごうとしたが、ポットの中身は既に空だった。

 仕方ないので新しく紅茶を淹れ直そうと椅子から立ち上がると、ちょうど正多も紅茶を飲み終えていた事に気が付いて、「もう一杯入れるか?」と尋ねるが正多は追加の紅茶を断ってソファーから立つ。


「紅茶おいしかったです」


「そうか。まあ、いつも通り接していれば、機嫌もいずれ良くなるんじゃないか」


 と、どうやら正多に関係なく追加の紅茶を飲むらしく、簡易キッチンの前に立ったシュミットは言った。


「そうですね……」


「あぁそうだ。シャルロッテとはちょっと話す事があるから、暇なときにでも来る様に言っておいてくれ」


 シュミットはそう言うと、正多を見送った。

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