閑話
大人はかく語る?
四月最後の週末。教師陣は居酒屋に居た。
「――つまりぃ、何が言いたいかって、言うとぉ、わたしらってみーんなはぐれ者って事ですよぉ! わかりますかぁ!? シュミットせんせぇ!」
酔っ払い、酒に飲まれた奈菜は隣に座るシュミットの肩にもたれ掛かって絡む。
「まあ。それでも生きてるだけ良かったんじゃない?」
「生きてても気分は最悪ですよ! そもそも戦争以来、世紀末状態の北米に軍人じゃない医者見習いを送ったのは医療省の官僚どもじゃないですか! それで死人が出れば隠蔽なんて、ほんとクソったれのバカどもですよ!」
暴言を吐きまくった奈菜はコップいっぱいに入った酒を一気に飲み干した。
「さすがに飲み過ぎじゃない? もう止めておいた方が」
理事長こと荒川は泥酔して倒れた宗谷を介抱しながら奈菜のことを心配して声をかけるが、そんなものは意にも介さない様に、
「りじちょー。だぁいじょうぶですよぉ、ね~シュミット先生もそー思うでしょ?」
「いや、飲み過ぎ」
どうしてこんな事になったのかと言えば、始まりはこの日の夕方。
生徒たちが全員帰宅し教師陣も帰ろうかと一度職員室に集まっている時だった。
「僕の歓迎会?」
「せっかく同僚になったんですから、この機にさらに親交を深めましょってことで」
奈菜の提案に荒川は”何故か”難色を示したが、宗谷と八山の二人も歓迎会は必要だと思っていたため、結局皆で飲みに行く事になった。
週末と言う事もあり、決して気温の高くない中でも歓楽街は人でごった返している。そんな中、桜鳥の教師陣には行きつけの居酒屋があるらしく、シュミットは四人の後ろをついて行く形でその店に入った。
イラッシャーイ、と店員の大きな声が店内に響く。
「なんというか、古風なお店」
シュミットは決して広いとは言えない店内をキョロキョロと眺めながら言う。
店内には炭とタバコと酒が混ざりあった独特で特徴的な匂いが漂っていて、厨房に隣接するような位置に木製のカウンター席が、その上には達筆な日本語で様々な料理名が書かれていた。
「この店は戦前からこの場所にあるのよ。あ、畳大丈夫? カウンターにする?」
そのカウンター席から動線を挟んで反対側には二組分の畳席があり、いつも通りの勢いでそこに足をかけていた荒川が心配するように言うと、
「大丈夫ですよ。僕はこう見えても正座できるんですよ。右目は無くても足は有りますからね」
とシュミットは不謹慎な冗談を軽く笑いながら言うと畳席へと座る。
教師陣は特に何も注文していなかったが、全員座るのと同じタイミングでテーブルには五人分のジョッキいっぱいに注がれたビールが置かれた。
「初めまして! お姉さん、ご出身はどちらなんですか?」
ビールを持ってきた女性店員はシュミットに興味深そうに尋ねる。
「僕は……南ドイツだよ」
「へー! ドイツ! じゃあビールの本場じゃないですか! ぜひ、北海道のビールも飲んでみてくださいね!」
明るく声を掛けられたシュミットは苦笑いしながら「実はお酒飲めなくて」と言ってメニューを見ながら店員の女性に、僕はぶどうジュースを。あぁ、ワインの事じゃないよ、と付け加えて注文した。
「シュミット先生下戸なんですね」
「ゲコ?」
「お酒が飲めない人の事ですよ~」
そう答える奈菜は楽し気にビールジョッキを自身の近くに寄せると、早く飲みたいと言わんばかりに持ち手を握りしめている。先ほどの店員がジュースをシュミットの席まで運び、それを確認すると荒川が音頭を取って乾杯をした。
「うわ、すごいね」
それから、ほんのわずかの間にジョッキをグイっと持ち上げて一気に飲み干す奈菜を見てシュミットは思わず声を上げる。
「
ビールを飲みながら彼女の横に座る宗谷が答えた。
「へー」
「シュミット先生、タバコを吸っても?」
シュミットの隣に座っていた八山はタバコの箱を出して問いかける。
「大丈夫ですよ。僕も一本貰ってもいいですか?」
「どうぞ。タバコを吸われることに少し驚きました」
八山は自身のタバコに火を付けた後シュミットの咥えるタバコにライターを向けて火を付けながら言った。
「子供の頃からの精神安定剤みたいな物です」
「あぁ、なるほど」
八山はそれ以上深くは問いかけず、シュミットの方も特段気にしない様に煙を吐く。教師陣の中でタバコを吸うのはどうやら八山だけだったらしく、それ以外の面々はつまみを頼み会話をしながら酒を飲むのだが、その中でも明らかに奈菜のペースだけ早かった。
「……シュミット先生は~前の仕事って何してたんですかぁ?」
奈菜はすでにだいぶ酔いが回ってきていて、どこか緩く話しかける。
「僕は……えっと……フリーランスの……フリーター……かな?」
「へ~」
シュミットの返答を聞くとビールを一気に飲み干し、店員にお替りを頼むとペースの速い奈菜を周りの咎めるように教師陣は心配するが、大丈夫、大丈夫とビールを飲みほした。
「先生は相変わらずですね。……おっと、私はこの辺で」
どうやらいつもの事らしい奈菜の様子を見ていた八山は手早くビールを一杯だけ飲んだ後、腕時計を確認すると立ち上がる。
「あら、もう帰るの? だったらお土産買っていったら?」
引き留めるように荒川が声をかけるが、
「焼き鳥を土産にしたら怒られまして。今日はケーキを買って帰るつもりです」
それでは、と八山が居酒屋を出た後も四人の歓迎会は続く。
「彼、既婚者だったんですね」
八山が席を立った時に、ふと薬指に輝く結婚指輪が目に入ったシュミットはぶどうジュースをちびちび飲みながら言った。
「ええ。この中では唯一のね」
「そ~ですよぉ~。どこかの行き遅れ理事長と違って可愛い娘さんがいらっしゃるんですよぉ~」
「あら、言ってくれるわね。あなただってあと少しで
行き遅れと言われた荒川は笑顔のまま返答するのだが、その目は笑っていなかった。
「わたしは~まだ27ですし~。それに最悪博也くんがもらってくれるからダイジョブ~ですよねぇ?」
奈菜が隣に座る宗谷の肩に手を回すと、彼はドンと勢いよくそのままテーブルに突っ伏した。しかし、奈菜も荒川も額を勢いよくぶつけた宗谷を心配すること無く、もう酔いつぶれたか~と当たり前のように言っている。
「えっと、大丈夫なの?」
唯一心配するシュミットに二人はいつもの事だから大丈夫、と声をかけた。
そう言うわけで、宗谷に絡めなくなった奈菜はズリズリと畳の上を腕で這ってシュミットの隣へとやってくる。
「ねぇ~シュミット先生は浮いた話とか無いんですかぁ?」
「そういう事を聞いて困らせないの」
荒川は酔っぱらっている奈菜に対して子供に叱るかのように咎める。
「いいじゃないですかぁ! シュミット先生は美人さんだしぃ、ぜーったいなんか~面白い話ありますよぉ。ちなみに~今まで経験人数は何に――」
「こら!」
「ちょっとぐらい、いーじゃないですかぁ。ん~じゃあ、なんで
「なんで、って言うと?」
「別に札幌が悪い街とは言いませんよぉ? でもぉ道外出身の人間からしてみれば、ココ含めて北海道はこわ~い場所なんですよぉ」
奈菜は酔いながらも店員を気にするように小さめの声で言う。
「怖い?」
「えぇ。大戦中に二回も独立闘争を起こして~。今でこそ釧路条約で日本帝国の構成地域ですけど道民って人たちはぁ日本人も外国人も大っ嫌いで、とーっても排他的なんですよ?」
「へぇ、知らなかった。僕は別に理由もなく札幌に来ただけだし。でもさ、怖いならなんでキミはここに来たの?」
シュミットがゆっくりとぶどうジュース飲みながら問いかけると、奈菜は声の大きさに戻して答える。
「ここは奴らの影響が少ない場所なんですよぉ」
「奴ら?」
「統制省の
「亡命? 日本は安定した国だって聞いていたけど」
「私ぃ、前は筑波ってとこの医大に居て~学生時代に軍属医師として北米解放戦争に従軍したんですけど、……そこでシカゴ事件に出くわしちゃいまして……うっ、うぐっ」
呂律が回らず聞き取りづらかった言葉が、少しだけ正確になって奈菜は涙を流し始めた。シカゴ事件と言うのは現地に派遣されていた軍属の医師団が現地のレジスタンスに皆殺しにされた事件の事だ。
泣き出した奈菜の背中をシュミットはなでながら耳を傾ける。
「私、事件の生き残りなんですよぉ。偶然その場を離れててぇ、うぐっ、それで帰ってきたら血の海でぇ、うぐっ……」
「それは、辛かったね」
「ひどいのはここからですよ!」
涙ながらに過去を語る奈菜はくわっとシュミットの顔の近くまで寄った。
「政府と医療省の奴らは事件を隠蔽しようとして、それで私は『反政府主義者の思想犯だっ!』な~んて有らぬ疑いを掛けられて、予防拘禁されたんですよぉ!」
奈菜は涙ながらに頼んだハイボールを飲んで口を潤してから続ける。
「で、そんな時にジャーナリストだった時のりじちょーの手引きで当時、国連管理都市に指定されたばかりの札幌に逃げて来たわけですぅ」
「なるほどね。色々体験してるわけだ」
「そうなんですよぉ! 私だけじゃないです! 教頭も亡命者なんですよぉ?」
「へぇ……じゃあ宗谷君も亡命者?」
「いえ。彼は元軍人ですけど亡命者じゃないですよ~」
奈菜はぐでん、とテーブルに頭を突っ伏しながら続ける。
「教頭わぁ、兵役で大ロシア戦争に参加した時に、なんか戦争犯罪を見ちゃったらしくてぇ。軍とか社会警察にマークされる生活が嫌で亡命したらしいですよぉ~」
「あんまり他人の過去を話す物じゃないよ」
「だってほかに話すことなんてないんですもん! まあ、とにかくですよぉ。えっとぉ。つまりぃ、何が言いたいかって、言うとぉ、わたしらってみーんなはぐれ者って事ですよぉ! わかりますかぁ!? シュミットせんせぇ!」
奈菜はシュミットの肩にもたれ掛かった。
「まあ。それでも生きてるだけ良かったんじゃない?」
「生きてても気分は最悪ですよ! そもそも戦争以来、世紀末状態の北米に軍人じゃない医者見習いを送ったのは医療省の官僚どもじゃないですか! それで死人が出れば隠蔽なんて、ほんとクソったれのバカどもですよ!」
そう言って奈菜はコップいっぱいに入った酒を一気に飲み干す。
「さすがに飲み過ぎじゃない? もう止めておいた方が」
「りじちょー。だぁいじょうぶですよぉ、ね~シュミット先生もそー思うでしょ?」
「いや、飲み過ぎ」
「んー。いーや。何と言われようとまだ飲みます! 飲まないとやってらんないんですよ!」
奈菜は荒川の前に置かれていた飲みかけのビールを勝手に飲み干した。
「あっ、ちょっと……もう、本当に酒癖が悪いんだから」
「確かにこれは酒豪ですね」
「自分がどれだけ飲んでいるかも分からないぐらい酔っているだけよ」
「ぷっはぁ! 今の日本はぁ、じょーじおーうぇるの
「日本はKaiser、いやエンペラー? とにかく君主の下で、自由と平等と民主主義を謳歌する国じゃないのかい?」
「えぇ。報道の自由と選挙で選ばれた議員が居る国ですよぉ。ただ、マスメディアの後ろには官僚がいて、当選する議員の後ろにも同じように居るだけですけどねぇ~」
奈菜は酒を頼む。店員もさすがにやめておいた方がいいと止めるが、あと一杯だけと懇願してハイボールを持ってこさせた。
「これを飲んだらお開きですってぇ、嫌ですよわたしぃ」
「そう言わないの。博也くんも目を覚ましそうだし、彼が起きたら帰りましょう?」
「ん~。そうだぁ! シュミット先生も飲めばいいんですよ!」
「は?」
「えっ? いや、ちょっと待ちなさい――」
荒川はテーブルから身を乗り出して奈菜を止めようとするが、
「ほら~」
「ちょ、やめ、んぐ」
奈菜はジョッキをシュミットの口元に近づけて無理やり飲ませようとし、抵抗はしたものの酔って馬鹿力を発揮した奈菜に無理やりハイボールを口に入れられると、シュミットは一瞬で倒れた。
少し後、何とか意識を取り戻した宗谷はふらつきながらも一人で帰宅し、店内には泥酔した奈菜とシュミット。そして荒川ともう一人女性がいた。
「だからこの人にお酒は飲ませないで、って言ったじゃないですか」
「ごめんなさいね。奈菜ちゃんが無理やり飲ませてしまうものだから」
「…………まぁ、飲んじゃった物は仕方ないですけど」
女性は奈菜の顔をチラリと見た後、シュミットの肩を持ち上げて力の入っていない彼女の体を無理やり立たせた。
「ほら、帰りますよ。車を用意してますから」
「んぐ、
「あなたを迎えに来たんですよ」
シュミットは泥酔したまま伏見と呼ばれた女性に連れられて店を出る。
「さ、私たちも帰りましょう、家まで送るから。立てる?」
「うぅ。私の
荒川は訳の分からない事を言い出す奈菜を無理やり担いで店を出た。
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