4 ことりの方が数千億倍も魅力的でしょうが!


「あっ、別々のクラスになっちゃったね」


 新学期。私と綾里は二年生になった。

 クラス分けの紙が張り出された掲示板を見つめ、まだ自分の名前を見つけてもいないうちに私はそう口に出していた。

 ちょっとした茶目っ気ですよ。そういうお年頃なんです。


 綾里と繋いだ右手に、締め付けられるような痛みが走った。


「そんなわけないでしょ、私とことりが離れるわけないでしょ、しょうもない冗談はやめなさい」

「いだっ、痛い痛い痛い、ごめんなさい反省してます!」


 綾里が力を抜き、どや顔で掲示板を指さす。


「ほら見なさい、一緒のクラス。私の勝ち」

「おお、呪縛……」

「なにか言った?」

「わ、わーほんとだ、嬉しいなー」


 うへえ、こわいこわい。

 とはいえ、同じクラスで安心した。だってもしクラスが違ったら、私と同じクラスになれなかったことの腹いせに、イロイロとあれやこれやとやってきそうだもの。ふへへ、恐ろしい恐ろしい。


 ざわざわと騒がしい人混みの中、私と綾里は手を繋いだまま校舎に入り教室へと向かった。

 教室に入り、座席表を確認する。出席番号順、私は窓際の後ろから二番目の席だった。

 そして隣の席は……綾里さん。

 綾里の目が爛々と輝いて、繋いだ手を嬉しそうにブラブラと揺らしてくる。

 この小悪魔、わかりやすくテンション上がっててかわいいな。


「愛のなせるわざだ」

「偶然ですよ、偶然」

「必然だよ。人はそれを運命と言う」

「言いません」


 席につくと、机にカバンを置いた綾里がぴょんと跳ねて私のすぐそばにしゃがんだ。

 そしていつものごとく、私の太ももに両肘をつき、頬杖をついて上目遣いに見上げてくる。


「二年生一発目の教室ちゅー、する?」


 何言ってんだこいつ。


「何言ってんだこいつ」


 綾里の動きがピタリと止まり、笑顔が硬直する。

 ああああ口が滑ったああああ! 完全にやらかしてしまった!


「え、今何て?」

「あ、あー、ええっと、その……」

「はい決定。そっかそっか、そんなにしたかったんだね」


 というかクラスメイトが続々と教室に集まり始めてめちゃくちゃにぎやかになってきてるんですけど! 

 ヤバい、綾里様の目が本気だ!


 

 この人はなあ、人目のあるところでいかに隠れてそういうことをするのかっていうのが好きなんだよなあ。ほんと、やっかいなんですよ!

 まあ教室だと大体隠れる選択肢は限られてて、カーテンか、もしくは私がいつも持参してる膝掛け用のブランケットか……。

 しかし考えてもみてほしい。カーテンにしてもブランケットにしても、その中に二人がほぼ密着状態で包まれてモゾモゾしていたら客観的に見てどうよ! って、話なんですよ。

 それも、常に人目をはばからず異様に距離感の近い二人が、ですよ。

 

 仮に私が第三者の視点でそんな場面を目撃したら、そりゃもう妄想に妄想を膨らませてぐへへへへ、ですよ! 当たり前でしょうが!

 だから私はもう、綾里がこの行為を仕掛けてくるたびに、ドギマギヒヤヒヤしてしょうがないのです。

 周囲に変な目で見られてないかなあ、変な噂がたたないかなあ、ってそりゃあもう心配で心配で。

 しかし不思議なことに、今まで一度もそんなことはない。

 みんな、綾里の天使で無邪気な外面に騙されているんだわ。



 さて、私を蔑むような目をしながらも笑顔を浮かべる綾里。

 言葉で言い表すには謎すぎる表情で、綾里が私の太ももに、対面でまたがった。いいよ、これはもう教室ではいつものことだ。

 続いて身体を密着させ、軽く抱きしめてくる。綾里の口が私の左、つまり窓側の耳元に寄せられた。


「後ろの人、まだ来てないね。こっちのお耳に何しても、今なら誰にも見えないね」


 綾里が囁き、熱い吐息が耳を撫でる。思わず背筋が震える。


「あは、ビクってした。ことりってばホントお耳弱いよねー」

「お、お願いだからここでそれだけはひッ――」


 耳たぶを甘噛みされ、おまけに耳の縁を舌先がなぞる。声を殺すので精いっぱいだ。

 

「静かにしててよ、じゃないとバレちゃうよ?」


 だったらやめなさいよ!

 というか、ああ、なんかこっちを見てる人が何人かいるけど、みんな微笑ましそうにしてるなあ。大方『綾里さんったら相変わらず琴莉さんに抱きついて甘えてるわね、うふふ』なんて思ってるんだろうなあ。

 もう周りも慣れちゃってるんだよなあ。去年違うクラスだった子もいるはずだけど、おかしいなあ。

 綾里様がどこでもかしこでもベタベタしてくるからだろうなあ。


 くそう、この私たちの印象を崩さないようになんとか耐えなければ! 落ちつけ私、冷静になれ、今だけは心に蓋をするのです。


「んっ、んぅ……」

「ことり、我慢できてないよ。あーあ、朝っぱらから教室でヘンなことするヘンタイコンビになっちゃう」


 もうとっくになってるよお……。


「しょうがない、ことりのかわいい反応で満足したし……」


 ふう、ようやく終わったか。私頑張った! えらい!


「最後に、はじめの目的だったちゅーをして終わろうね」


 なんでだよ!


 おもむろに、綾里がポケットをまさぐってハンカチを取り出した。

 右腕を私の首にまわしたままの状態でハンカチを広げ、教室中の視線から私たちの顔が遮られるように位置を調整する。

 ……面積小さくない? ねえ、面積小さくない?


 などと思った次の瞬間、綾里がこちらに顔を向け、唇同士を触れ合わせてきた。

 

 うおおお、ハンカチがピラピラ揺れてるよ! ちゃんと腕と手を固定しなさい! 

 


 おそらく数十秒程度だったとは思うが、いやに時間の流れが長く感じた。

 満足そうに口辺を緩める綾里が私の上からおりる。

 私は背もたれにダラリと身を預け、深くため息をついた。


「はあああああ、朝からドッと疲れたよ、疲労困憊だよ」


 すると、隣の席に座った綾里が、口元をおさえて可笑しそうに笑った。


「ふふっ、私は元気満タン、今日を生きる活力がみなぎったよ。この背徳感がたまらない」

「さすが小悪魔、人間の私とは感性が違うようですな」

「もっかいしよっか」

「ごめんなさい勘弁してください」

 

 と、その時、不意に私の背後から声がかかった。


「相変わらずラブラブみたいだねえ」


 綾里がちらと視線を動かし、私も後ろを振り返る。

 白い分厚い手袋をして、ピンクと白のマフラーを二本も巻いて、ピンクの耳当てまでつけて、クリーム色のコートを着ている重装備の女の子が、いつの間にか後ろの席に座っていた。


 四月の格好じゃない、雪国じゃあるまいし……。


 というか誰。見たことない顔だ。


「わあ二人ともすっごい無言で見つめてくるじゃん。照れるなあ」


 そう言って、綾里の方に顔を向けて微笑む女の子。


「緋野さん久しぶりだねえ」


 綾里が怪訝な表情のまま小首をかしげる。


「……久しぶり」


 え、だから誰? 私全然知らないんだけど。綾里は知ってるの?

 続けて綾里が口を開く。


「それで、どちら様?」


 綾里も分かってないのかよ!

 重装備の女の子が破顔して、ケラケラと笑い出す。


「だと思った。ほら、小学校も中学校も一緒だった六見ろくみ雪菜ゆきなだよ。私もここに引っ越してきたんだ」

「あー……うん」


 絶対ピンと来てないな。

 つまるところ、この子は転校生という解釈でいいのだろうか。会話からしておそらくそうだろう。道理で見覚えがないはずだ。

 しかし、だとしたら、少し引っかかる点がある。


「うちの綾里がすみません」

「いやいや。そこまで接点があったわけでもないしねえ」

「ところで、さっき『相変わらずラブラブ』って言ってましたけど、それはどういう……?」

「どういうも何もそのままの意味だよ。去年の花火大会の時に見かけてさあ」


 私は思わず、ガタリと音を立てて立ち上がってしまった。

 

「まっ、みっ……」

「まみ? むめも?」

「ま、まさか見たんですか?」

「おー、ばっちり見させてもらったよ」


 六見さんがにこやかに答え、私は頭を抱えた。


「ああ……だからあれほど警戒心を持てと……」

「あはは、しかしいかんせん薄暗い場所だったからねえ、結構近くに寄った私と妹以外は気づいてなかったんじゃないかなあ、知らんけど」

「ほんとですかあ?」

「ほんとほんと。というか、教室で堂々と抱き合ってるのに、そういうの気にするんだ? てっきりおおっぴらにしてるのかと」

「いや、アレはまた色々と違うでしょう」


 自分の唇に人差し指をあてがい、六見さんは宙に視線を泳がせた。


「ふむ、確かに。指をくわ――」

「ああああ言わなくていいです!」


 六見さんの言葉を必死に遮る。恥ずかしさに身悶えする思いだ。

 そういえば、さっきから綾里が静かだなあ。

 そう思って顔を上げると、綾里は私の後ろに立っていて、左腕は私の腰にまわされていた。

 ふと右下に視線を移す。綾里の右手の人差し指が、私の右手首に巻いた首輪にかけられている。


 え、何ですかこの状況は。


 呆気にとられていると、綾里は六見さんに向かって、


「ぐるるるる」


 とそのまま声に出して言い始めた。


「こら、威嚇すな。ちょっと可愛いけども」

「だって、ことりと初対面の女の子だし、とりあえずことりは私のものだという意味を込めて威嚇を」


 そんなことしてたら綾里の方が犬っぽいぞ。いや、可愛いから一向に構いませんけれどもね。

 六見さんが顔の前で手を振った。


「あー、大丈夫大丈夫、どちらかというと緋野さんの方がタイプだから」


 ……は? え? なんですって?

 六見さんの衝撃発言に私が絶句していると、後ろにいた綾里が素早く前に出てきた。そして、机に手をついて六見さんに詰め寄る。


「ふざけないで、ことりの方が数千億倍も魅力的でしょうが! どう考えても!」


 綾里さん、そこじゃないんだよ……。

 綾里の猛烈な異議に、六見さんはまたケラケラと可笑しそうに笑った。


「冗談だよ、冗談。ごめんね。正直なところ、私は妹にしか興味がないのだよ」


 ……は?

 今度は私の番のようだ。すぐさま、六見さんにずいと詰め寄る。


「ちょっとそこのところ詳しくお聞かせ願えますか?」

「こら百合脳のバカわんこ」

「あうっ」


 綾里の手刀が脳天にお見舞いされた。

 だってえ、気になるんだもん。しょうがないよね。


 私たちのやり取りを見て、六見さんは楽しそうに笑顔をこぼしていた。



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