3 地獄の果てまで追いかける


「人生とはこんなにも虚しいものだったのか」

「私がいるのに」

「それとこれとは話が別なんだよう。うう……私の癒しが……」


 とうとうこの時が来てしまった。引っ越しのために先輩たちが乗った電車を見送り、襲いくる喪失感に私は打ちひしがれていた。

 どうして神様は私から大切なもの(百合)を奪い去ってしまうの。

 

「先輩×部長がないと餓えちゃうよお」

「はいはい、諦めなさい。部長のことだからどうせ月に三回くらいは帰ってくるでしょ」

「足りない……」

「だったらお得意の、ほら、妄想をノートに書き殴りなさいよ」

「駄目駄目! ナマモノはナマモノのままじゃなきゃ駄目なの!」

 

 綾里が私に背中を向け、流し目をくれた。


「めんどくさ。私今から本屋行くね」


 そう言い置いて、足早に歩いていく。どんどん遠のいていく綾里の背中。

 しばらく無言で彼女の背中を見つめた後、私は大慌てで綾里を追いかけた。


「あれっ、綾里なんか冷たくない? ちょっと待ってよー!」


 すぐに追いつき、横に並んで歩く。

 ちらと綾里に目を向けると、ふいとそっぽを向いた。


「そんなに寂しいなら一緒に引っ越しちゃえばいいじゃん」


 ヤバい、綾里さまがお怒りだ。

 ま、まあ、これはちょっと私が悪かったかなあって、反省してますけどね。


「だったら……綾里は私がいなくなってもいいの?」


 その問いに、綾里が横目でギロッと睨んできた。

 ひいいい、こわこわ、恐ろしや、ものすごい迫力だ。

 なに、オーラっていうの? なんかそんな感じでね、熱風が吹き付けたみたいな感覚がしましたよ。

 これが強者の圧ですよ。


「そんなわけないでしょ、いなくなっても地獄の果てまで追いかける」

「うわこわっ、それ敵に言うやつでしょ! 少なくとも恋人に言うセリフじゃない! 怖い!」

「じゃあ天国まで追いかける」

「あのー……私にもしものことがあっても、後追いだけはしないでくださいね……」


 歩きながら、さりげなく綾里の手を取る。

 すると綾里は、ギリギリと握り潰す勢いで私の手を握り返してきた。


「ことりはどうなの、先輩たちの近くにいた方が幸せなんじゃないの。私とい・る・よ・り・も!」

「いっ、いてて、痛い痛い! 骨が食い込んでるから! わっ割れる! 骨が割れる!」


 折れるとかじゃなくて割れるという表現が正しいよこの痛みは!

 あああ痛みに耐えて質問に答えねば! さもなくば右手がなくなる!

 

「いやいや、綾里と離れ離れになるってことが一番イヤだし考えられないから、いやマジで!」


 すぐに右手が圧迫から解放された。

 ふう、よくやった、私えらい。

 でも、今言ったことは紛れもない本心だ。今の私には綾里の存在が何よりも大切なのだ。


 綾里がまた、そっぽを向いた。しかし耳がほんのりと赤らんでいるのが丸見えだ。


「ふんだ、知ってたけど」

「ははは、ちょろ」

「バカわんこ」

「ばっ、バカじゃないです」

「わんこは否定しないんだ」


 はッ、私としたことが……まさか私の心はご主人様のわんこになり切ってしまっていたの? 

 いやいやそんなわけないわ。私は綾里の恋人なのよ! もはや対等なのよ! 

 ……そうだと信じたい。


「まあ? わんこがそこまで言うなら、恋人でありながらご主人様の役目を再び負ってあげてもやぶさかではないけど?」


 どうしてそんなに嬉しそうな笑みを浮かべているんですかねえ! このドSめ!

 

「ふん、まっぴらごめんだよ」

「え? 『よろしくお願いします』?」

「あー、ご主人様はお耳の調子がよろしくないようで」

「『綾里大好き愛してる』?」

「はいはい、愛してる愛してる」

「私も愛してるよ」

「知ってます」


 そうこう話しているうちに、駅に併設されたショッピングモールの書店についた。

 綾里が迷いなく、漫画本の区画に歩いていく。

 

「漫画買うの?」 

「うん、そろそろ新巻発売だったから」

「百合漫画?」

「他に何があるの」


 いやまあ、知ってたけどさあ。ほんと、私に影響されて百合に染まってしまったなあ、この人は。

 棚の前に立って陳列された漫画に視線を流す綾里が、不意に「あっ」と声を漏らした。

 前方に手を伸ばし、一冊の漫画を抜き取った。

 無言のまま、手にした漫画の表紙をじいっと凝視する。私も横から覗き込む。

 そこに書かれたタイトルを目にして、私は何故か思わず吹き出してしまった。


「『わんことご主人様』? ふふっ、ウケる」

「よし、買おう」

「即決ですか」


 この人、自分たちの境遇に似た設定が大好物だからなあ。というかこれはドンピシャだろうなあ。

 

「『SNSで話題。待望の書籍化』だってさ。チェックしとこ」

「へえ、全然知らなかった」


 最近はそういう展開の仕方も多くなってきたものだ。良いことです。


「これでご主人様攻めとかだったら燃やして捨ててやる」

「ええ……やめてよ?」

「冗談」


 冗談に聞こえないんだよなあ! あらゆる百合本が聖典なんだよ! それをぞんざいに扱ったら綾里相手でも私は怒るよ! 

 ……いや、やっぱりそれとなくやんわりと、悲しみを伝えるだけにしとこ、後が怖いわ。


 しかし改めてみるとコレ、表紙のイラストに既視感しかない。

 手首に首輪を巻いた女の子を、繋いだリードで引っ張るしたり顔の女の子。なんだかなあ、どこかで見たんだよなあ、知ってるんだよなあ。まず手首に首輪ってのがなあ……。

 

 綾里と繋いだままの右手を持ち上げ、手首に巻いた赤い首輪に目を落とす。

 すると、綾里が私を上目遣いに見上げ、いつの間にか取り出していた赤いリードを、これ見よがしにちらつかせた。


「何、ことりも繋がれたくなった?」

「取り出すな取り出すな」

「私はウズウズしてたまらない」

「絶対やらないでくださいよ、絶対ですよ」


 私の必死のお願いに、綾里は渋々といった具合に「わかった。おうちでしようね」と言って、リードをポケットに仕舞った。


 うーん、人前でなきゃいいって話ではないんだよなあ。この場の難は逃れたからまあいいか。



 その後、私は綾里の家にお邪魔していた。

 部屋に入るや否や、綾里は先ほど買ったばかりの漫画を袋からさっそく取り出した。


 どんだけ読みたかったんだよ。という心の声を口に出さないように気を付け、私は絨毯に腰を下ろしてローテーブルに頬杖をついた。

 続いて、漫画を開きながら綾里もすぐ隣に腰を下ろす。

 しばらくの間、綾里がページを繰る音だけが流れる静かな時間を過ごした。


「それ、面白い?」


 何気なく問うと、綾里は漫画に目を落としたまま、私の左肩に頭を預けてきた。


「ウチのわんこの方が五億倍かわいい」

「あ……そう」


 面白いかどうかを訊いたんだけどなあ。照れるなあ。あと私はもうわんこじゃないです。

 

「でもまあ、主人が主導権を振りかざしてわんこに命令して無理やり自分を攻めさせてるところは評価してあげよう。不覚にもニヤニヤゾクゾクを抑えられない」


 偉そうに胸を張り、批評を述べる綾里先生。


「何目線だよ。というかそれ、まんま前までの私たちじゃん」

「えへへ、最近はことりの意思で積極的にしてくれることが増えてきたから、幸せがすごい」


 うぐっ、そういうことを言うのはやめてくれませんかね、恥ずかしいじゃないの。

 視線のやり場に困って宙に泳がせていると、綾里が漫画をパタリと閉じてテーブルに置いた。

 そして、お胸を私の腕に押し付けて、なぜか瞳を煌めかせる。


「ことりに押し倒されたい」

「なに、その漫画でやってましたか」

「大正解」


 そういえば、と、ふと思い返す。

 綾里に押し倒されたことはあるけども、逆に私がしたことはなかった、ような気がする。意外にも。

 しかし……、


「押し倒してって言われて押し倒すのは……なんか違くない? こう、雰囲気とか状況の流れとかさあ、必要でしょ」

「やりなさい」


 にっこりと笑顔を浮かべて間髪入れずに言う綾里様。

 圧がすごい! 圧しかない笑顔だよ! 

 だが、わんこ時代よりもはるかに成長した私は、このどす黒いオーラになぞ負けるはずがないのです。

 

「い、いやだから――」


 口ごたえを試みた瞬間、綾里が私の脚にまたがり、キスをして口を塞いできた。

 半ば強引ではあるけど、確かに愛を感じる優しいキス。

 そのまま綾里は私を導くように床に倒れ、私は当然これに抗う意思も薄れて彼女の唇を追いかけていた。


「私の勝ち」

「うるさい」


 挑発的に微笑む綾里に覆いかぶさり、両手をとって指を絡める。

 絨毯に流れる綾里の髪が、どこか妖艶に私の目をひきつける。

 ゆっくりと綾里に顔を近づけると、落ちる私の髪と綾里の髪が混ざっていくようだった。


「ことりが私に何かさせられながらドキドキしてるのを感じる瞬間が好きなの」

「奇遇ですね、私も嫌いじゃないです」


 結局、私は彼女の手のひらの上で、かくいう私もそれがまんざらでもなく心地よくて。

 つまるところ私は、どうしようもなく綾里のことが好きなんだなあ、なんて、毎度のことのように思い知らされるのだった。

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