2 私の束縛を求めてるから
三月下旬、春休み。
どうやら今日は体育館で入学説明会があるらしく、朝から学校に集まる新入生で賑わっていた。
それはさておき、園芸部は今日も今日とて部活動。
花壇の手入れが一段落し、私と綾里は中庭の端、園芸部でつくった小さな庭園に設えたベンチに座って一息つく。
すぐ隣に座る綾里が、互いの太もも同士をぴたりとくっつけて密着し、私の肩に頭を乗せてきた。
「はあー、幸せ」
「そうだねー」
「でもちょっと寒い」
「まだ三月だからねえ」
「んうー、部室いこ、部室」
綾里は堪りかねると言いたげに立ち上がり、左手で私の右手をつかんだ。
彼女の細い指先が冷えている。
「しょうがない」
呟いて私も立ち上がる。
手首を捻り、綾里の指先を包むように私の方から握り直した。
綾里が頬を緩め、嬉しそうに私を見つめてくる。
なんだか無性に照れ臭くなって、「なによ」と聞く。すると綾里はフルフルと首を横に振った。
「なにも」
「そう?」
「そう」
どちらからともなく歩き出すと、綾里は私の右腕を体全体で抱えるように抱き締めた。
「歩きにくいのですが」
「愛ゆえにね」
「何言ってんの」
綾里が「えへへへへ」と笑い、さらにキツく右腕が締め上げられた。
部室に戻ると、綾里が私の腕を手放してテーブルに置いたエアコンのリモコンまでトテトテと駆けていった。
すぐさまスイッチを入れ、私を振り返る。
「ことり、早く椅子に座って」
「はいはい」
言われるままに椅子に座る。
綾里が何をしたいのかは分かり切っているので、私は綾里に向かって両手を広げて見せた。
「ほら、おいで」
満面に喜色を浮かべ、綾里が私の太ももにまたがる。
綾里の腕が私のわきの下をするりと通り抜け背中に回される。
彼女の頬と私の頬がぴとっとくっつき、すりすりと頬擦りをしてくる。
「ことりー、好きだよー。ぎゅーう、ぎゅー」
甘ったるい猫撫で声と共に、熱い吐息が私の耳をくすぐる。
背筋がぞくりとして、思わず綾里を抱く腕に力が入る。
それにしても、やっぱりふにゃふにゃタイムの綾里は可愛いなあ。
普段とのギャップがね、また良いんですよ。
「んーふふふ、ことりー、抱きしめる力強いよー」
「ごめん、つい」
「ん、いいよ、もっと強くぎゅーして」
そうこう軽くイチャイチャしている間に、十分程が経過していた。
綾里が私の太ももにまたがったまま、もぞもぞと身じろぎをする。
そして、一瞬ピタリと動きを止め、今度は辺りをキョロキョロと見回し始める。
「どしたの」
声を掛けると、綾里は私の目を見つめて小首をかしげた。
「ポケットにね、リードが入ってないの」
「どっかで落としたんでしょ。どうしていっつも持ち歩いてるのよ」
「だって、ことりのこの首輪とセットだもん。ことりがコレをつけてる限り、肌身離さないよ」
綾里の指先が、私の右手首をそっとなぞるように這う。
なんだかなあ、私たちの力関係と言おうか、関係性を暗に示そうとしているようで恐ろしいなあ。
いやまあ、付き合う前まではまさにご主人様とわんこの関係だったんだけどさ。
現状、名目上はその関係が解消されているとしても、結局のところ、強いものは強いのよ。綾里は強いのよ。いや、私が弱いだけかも。
だってさ、綾里が可愛いからさ、何をされてもヘロヘローっと力が抜けてしまうんだもの。
そうなれば私はもう綾里の言いなりよ。
「ことりがこの首輪をずっとつけてるのと一緒」
「なるほど……いや、私はただ綾里から貰ったものを大切にしてるだけですが」
「嘘つき、ことりが私の束縛を求めてるからだよ。私はそれに応えてあげてるの」
そんな確信ありげに言われましても。
まあ、八割ぐらいは綾里の言う通りですけれどもね。占めて八割ぐらいだよ。
それはそれとして、あなたが独占欲の化身であることを棚にあげないでちょうだい。
『応えてあげてる』だなんてとんでもない。
本当に、恐ろしい人ですよ。
綾里が「さてと」と言い、私の背後にちらと目配せをする。その目が何か探るように細められ、一度まばたきをすると今度は私の目を覗き込んでいた。
後ろは温室側の窓だけど、今の意味深な目の動きはなんだろう。
気になって後ろを振り返ろうとする。が、そんな間もなく一瞬のうちに、綾里の瞳が熱っぽく妖艶に光り、それどころではなくなった。
えっ、何、今の一瞬でモードが変わってないですか?
なんてドギマギしている間に、互いの鼻先が触れ合う至近距離に綾里が顔を近づけていた。
綾里が口を開き、吐息が唇を撫でる。
「ことり、ちゅーして」
別に、この人の誘惑にあらがうつもりもないけど、綾里の思うままなのはやはり、なんだか悔しい。
だから私は彼女へのせめてもの反抗として、次に来る彼女の惚けた表情を拝むのだ。
そんなことを考えながら、私は綾里に、深く深く、彼女の深くまで私を感じさせるようにキスをした。
頬を紅潮させたまま、綾里がほうっとため息をつく。
「満足したし、リードを探しがてら、そろそろ作業に戻ろっか」
「そうしよう」
綾里が私の上から降りて、私も立ち上がった
ごく自然と当たり前のように手を繋いで部室を出る。
しかし、出入り口のすぐそばの地面にあったソレを目の当たりにして、私と綾里はすぐに足を止めた。
ご丁寧に丸めて置かれたソレ、落としたと言っていた赤いリードを見つめ、綾里が「んー」と唸り声を漏らす。
私が何も声を発せなかったのは、そのリードが明らかにいつも綾里がしている束ね方と違ったから。もう何度も見てきたから、今目に映っているリードの違和感が、異常な大きさで迫ってきていた。
誰かがここに置いていったのだろうか。だとしたら、コレが綾里の持ち物だということを知っていることになりはしないだろうか。
そしてその先に繋がれているモノが私だってことも知っていることに? さすがに考えすぎですか?
「……ことり、さっきね、窓の外に誰かいたのよ。カーテンの隙間からちょっと見えただけだったけど、こっちを覗いてたの。多分その人がどこかで拾って、ここに置いたんじゃない?」
あー、なるほど、そうなんですね。
……って、いやいやいや、どうしてそんな落ち着いてるの! やーばいでしょそれは!
「なに、さっき明らかに気付いてたよね! なのにキスしようとか言ってきたのか! 信じられない!」
「その人が着てた服、ことりが通ってた中学の制服だったよ」
そうか、今日は入学説明会があったんだっけ。
って、聞いちゃいねえなこいつ!
「あーもう、キスしてるとこ見られた?」
「ううん、私が視線向けたら慌ててどっか行ったよ」
「はあ、よかった」
「良くないよ、ことりのストーカーだったらどうするの。だから見せつけたかったのに」
いやいやいやいや、どんな思考回路だよ! いくらなんでもぶっ飛びすぎだよ!
「ま、たぶんその前のイチャイチャは見られたんじゃない?」
澄まして言う綾里に、私はこれ見よがしにため息をついた。
「そこはいいよ、あれくらい教室でも普通にしてるじゃん……」
ほんと、それなのに付き合ってるとか噂が立たないことが不思議だ。
これも綾里の無邪気な外面がなせるわざだ。
「綾里ちゃんがまた琴莉ちゃんに甘えてるー、かわいー」で済まされるんだもん、もうわけがわからない。
ひとり呆れる私をよそに、綾里は手の繋ぎ方を恋人繋ぎに変え、どこか清々しい笑みを浮かべていた。
「今は放っとくけど、もし何かあったら……私とことりの邪魔をする奴は絶対に許さない」
こーわ、その表情で言うセリフじゃないでしょそれ……。
私が無意識のうちに空いた左手で右手首の首輪に触れていることに気が付いたのは、その手に綾里の右手が重ねられてからだった。
作業を再開してすぐ、古水先輩と西原部長が手伝いに来てくれていた。
二人はもう卒業したっていうのに、なんだかそんな気が全然してこない。
「何、覗かれた? 誰に」
「知らないですよー、でも綾里が言うには今度の新入生みたいです」
私と古水先輩が話すすぐ左隣で、綾里はふくれっ面でスコップを持った手を動かしている。
「あらら、でもその、き、キスしてるところは見られなくて良かったね」
「はい、本当に。でも綾里ってば、見られたかったとか言ってるんですけどね」
先輩が控えめに笑う後ろから、西原部長が先輩の肩に両手をかけてひょっこりと顔を覗かせる。
えへへ、そういう何気ない触れ合いが最高です、もっとください。
「すごいな、緋野ちゃんらしいな。ある種の嫉妬心がそうさせたのか?」
部長さんの言葉に、綾里が顔をもたげる。
「ふんっ、覗かれたことで不意に奪われたふたりきりの時間を取り戻したまでです。正体不明なのが尚更ムカつきますけどね」
「おお、なんとなく分かりそうだけどやっぱ全然理解できないぞ」
そう言って、部長さんがケラケラと可笑しそうに笑った。
「まあ、そんなところがクセになっちゃいますよね。意味わかんない、けどそんなところが好き」
「えへへ、ことりったら。もっと言って」
「そう言われるとあんまり言いたくない」
「ふーん……ふーん?」
綾里のなじる視線が私に突き刺さる。
私と綾里のやり取りに、部長さんがまた「あははっ」と笑う。
「後輩ズは相変わらず仲良しだなあ。良いことだ」
部長さんが「なあ?」と古水先輩に同意を求めた。
古水先輩が部長さんを振り返り、何事か話し始める。
二人の視線が逸れた瞬間、綾里が私の左耳に口を寄せてきた。
私が綾里と先輩たちに挟まれる立ち位置だから、綾里の口元はちょうど私に隠れて先輩たちからは見えないだろう。
私の身体は思わず硬直した。
なぜなら、逃げると後々もっと酷いことになると経験上知っているから。
ううう、なんて悲しい学習をしているの私は……。
綾里がわざとらしく吐息を多く含んだ声でささやく。
「ことり、私あんなこと言われて傷ついちゃった。後で、お仕置きね」
あああ、ありがとうございます!
はッ、そうじゃなかった、やり直し。
ひえええ怖いよお!
なんて頭の中で考えていた次の瞬間。
私の左耳の縁を綾里の舌先がツーっと這って、しまいにはぱくりとくわえられた。
全身の力が抜け、思わずその場にへたり込んだ。
綾里と、そして先輩たちが一斉に私を見下ろしてくる。
「ことり、かわいすぎ」
えっ、なに、なにこの……恥ずかしいいいいい!
綾里はなんか瞳にハートが浮かんでるように恍惚としてるし、先輩たちは不思議そうに見てくるし!
両手で顔を覆いながら、改めて綾里の恐ろしさを実感したのだった。
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