ガチ百合バレして脅され中! 二年生編

やまめ亥留鹿

1 躾がなってないみたい


 私、夢川ゆめかわ琴莉ことりが"ガチ"の百合の園出身であることは、絶対に秘密で隠さなきゃいけないことのはずだった。

 同性の女の子を好きになるだなんて、『変だ、おかしい、普通じゃないんだ』と、そう思っていた。

 

 小学五年生のあの日から、私は現実の恋愛というものに恐れを抱いていたから。

 女の子を好きになっちゃうんだから、そもそも資格がないのだ、と。


 しかし今では、そんな私にも大好きな恋人がいる。

 はて、これはどうしたことか。

 "あんな" とんでもないと思っていた人を好きになるだなんて、人の心とは分からないものだ。あはは。

 

 とは言え、女の子との恋愛に対する恐れを完全に取っ払ってくれたのは他でもない彼女な訳で……彼女がくれる絶対的な安心感に、私は完璧に平伏しているのだ。

 もはやこうなることは、彼女に"バレた"時点で決まっていたのかもしれない。


 

 三学期の終業式が終わり、最後のホームルームも終わり、放課後の教室で自分の席に座ってボーッと思いを巡らせていた。

 そんなところへ、彼女が横からネコのように擦り寄ってきた。


「ことりー、さっきからぼーっとして、何考えてるの?」


 上目遣いに悪戯っぽい視線を寄越す彼女、緋野ひの綾里あやり

 小悪魔で時折天使な彼女は、私の大切な恋人だ。


 真っ直ぐに前方の黒板を見つめながら口を開く。


「んー、この一年間、色々あったなあって。一年っていうか、約八か月くらい?」

「あ、私のことか」


 ニヤニヤする彼女を横目で見遣る。

 図星は図星なんだけど、なんか腹立つから肯定しないでおこうっと。


「いやいやそんなわけ。古水こすい先輩と西原さいばら部長のことね」

「えー、ことりってば照れ屋さんなんだから」


 あまり聞いたことのないキャピキャピした声色でそう言った瞬間、綾里の人差し指が私の制服のそでの下に滑り込んできた。

 そして、私がいつも右手首に巻いている赤いブレスレット……もとい、小型犬用の赤い首輪に指先を引っ掛けてぐいっと引っ張った。


 くっ、いかんですよ、いけない流れですよ!

 つい魔が刺しただけなんです! ついね。


「おかしいなあ、躾がなってないみたい……」


 え、何ですかその悲しそうな顔は。

 眉を八の字にして、ちょっとかわいいじゃん? いや、めっちゃかわいいじゃん。 かわいいよ綾里!


「いけないわんこには、ちゃんと首輪してリードもつけなきゃ」

「わんこはもう卒業したはずですけど」


 いや、ツッコむべきはそこじゃないな。

 どうしていつもリードを持ち歩いてるんだというところにツッコミを入れなければ。

 

 なんて考えてる隙に、すでにリードのフック部分が首輪にあてがわれていた。

 教室のど真ん中でそんなことされたらとんだ羞恥プレイですよ!


「つけるね? それで今から学校中をお散歩しよっか」

「ごめんなさい嘘つきました。綾里のことを考えてました」


 すると、綾里はリードをくるくると手早く束ねてポケットに仕舞った。


「最初から素直に答えればいいのに。こうなるって分かってるくせに」

「いやあ、ちょっとした出来心で」


「ことりはどえむだから、やって欲しかったんでしょ? だからわざと嘘ついたんでしょ? 知ってる」

「違います」


「恋人の欲望を叶えてあげる私、えらいね」

「あはは、自分が愉しんでるくせによく言うわ。あとドMじゃないから」


「うぃんうぃんってやつ?」

「Win-Lose、だね」


 綾里が私の発言には興味がなさそうに床にしゃがみ込んだ。

 そして横から、椅子に座る私の太ももに顔をうずめてくる。

 すんすんと鼻を鳴らし、深い息遣いが聞こえる。

 少しくすぐったい。


「んーふふ、ことりーことりー……ことり、前より肉付きが良くなった?」

「なんてことを言うんだ!」


 綾里の衝撃の一言に、思わず反射的に大声を上げてしまった。

 なんだか教室中の視線を集めている気がするが、気にしないでおこう。


「それはほら、た、タイツとか履いてるし、ふ、冬だから……ね」

「目が泳いでるよ」

「ふ、冬だから脂肪は増やさないとダメでしょうが!」

「なに、ことりは冬眠でもするの? もうすぐ春だよ」


 熊じゃないよ!

 くそー、分かってるよ、自分でも分かってたよ!

 心で涙を流す私をよそに、綾里はまた太ももに顔をうずめた。


「たとえことりがクマでもブタでも、私は一生愛してるからね」

「見てろよ、すぐに痩せてやる」

「程々にねー」

 

 

 放課後の教室での戯れを切り上げた私たちは、園芸部の部室へと移動した。

 部室に入ってカバンを机におくや否や、綾里が私の制服の袖を両手できゅっと摘んできた。


「ちゅーして」


 綾里の要求に、私は躊躇ためらいなく応えようとした。

 しかし、もう僅かで唇が触れ合うというところで、私は動きを止めた。

 至近距離で見つめ合う綾里がキョトンとして小首をかしげる。


「どうしたの?」

「いやあ、耳を澄ましてみ」


 閉め切ったカーテンを見て言うと、綾里もそっちを向いて目を瞑った。

 すぐに目を開き、ぱちくりと目を丸くした。


「部長の声だ」


 そう、遠くからだんだんとこちらに近づいてくる西原部長の元気な声が聞こえるのだ。

 西原"部長“ といっても、園芸部の部長はとっくに綾里に変わっているのだが……私たちは何故か相変わらず、西原部長のことを部長と呼んでしまっている。


 綾里がまた私の目をじいっと見つめてくる。


「じゃ、ちゅーしよ」

「んん?」


 何を言ってるんですかねえこの人は。あはは、ほんと意味がわかりませんわー。


「ねーえー、早くして」


 綾里が子どものように、体を上下に揺らして催促してくる。


「いやいや、部長たち来るから今はやめようって話ですよ」

「でも、まだ来ないから。この声の距離感、あと十五秒はいける!」


 『いける!』じゃないんだよ! この子はほんとにもう!

 しかしまあ、サッとして終わればまだ余裕か、仕方ない。


 観念した私は、右手を綾里の頬に添え、軽く唇を重ねた。

 すぐに顔を離そうと思ったその時。綾里の両腕が私の首に回され、キツく身体を密着させられ、半ば強制的にキスを継続させられたのだった。


 ヤバイヤバイヤバイ、すぐそこまで来てるよお!

 部長さん、こけて! そこでこけて! 

 いや怪我しちゃうかも、やっぱりこけないで! 


 なんてことを必死に思っている間に、綾里はうっとりとした表情で私の下唇をハムハムと甘噛みしていた。

 なんでこの人はこんなに余裕かましてるの!


 そして間もなく、入り口の方からガチャリと音がした。


「久しいな諸君!」


 ドアを開けて現れた西原部長が、右手を上げて満面の笑みを浮かべる。

 部長の背後から、古水先輩も顔を覗かせ「こんにちは」と挨拶した。


「ぜーんぜん久しくないですけど。一昨日も来たじゃないですか。暇なんですか?」


 呆れた声でそう言う綾里は、いつの間にか、ただ私の手を握っているだけだった。

 すごいよ、この人は。どうしてそんな平然としていられるのよ。

 私なんてもう心臓バクバクでお顔が熱いこと熱いこと。


「そうなんだよ、暇なんだよ」

「いや、引っ越しの準備とか色々忙しいから。花緒はなおがここに行きたい行きたいってうるさいんだ」


 古水先輩の手刀が部長さんの頭にお見舞いされる。

 「いだっ」と声を漏らした部長さんは、両手で頭を押さえながら訝しげに私を見てきた。


「ところで夢川ちゃん……顔真っ赤だぞ。風邪ひいたか?」

「ゔぇっ、あっ、えっ……」


 返答に困り、綾里に目配せして助けを求める。

 私の視線に気が付いた綾里は、ニヤリと口辺を緩めた。


「ほんとだー、お顔真っ赤っか。かーわいいー」

「いや、緋野ちゃんも少しは心配しろよ」


 部長さんに言われ、悪びれもせずに「えへへ、ごめんなさい」と謝る綾里。

 そして、私たちのやり取りを黙って見ている古水先輩はというと、明らかに何かを察して気まずそうに顔を俯けていた。

 

 うう、古水先輩、何も言わないでくれてありがとうございます。


「あ、そういえばなー、あたしとかえでちゃんな、一緒に住むことになったぞ。借りる部屋も決まった。いえい」


 ……は?

 えーっと……うん、とりあえず、


「お二人の生活の事細かな情報やお写真などは幾らで売ってくれますか!」


 部長さんがケラケラと可笑しそうに笑う。


「食いつきがすごいな」

「いや、もっとツッコむべきところがあるだろ」


 古水先輩が苦笑して、部長さんが「そこはもういつものことだもん、慣れたよ」と言う。

 慣れちゃいましたか、そうですか。


「それにしてもまさか同棲とは……二人でお部屋を借りて家具を共用して一緒にご飯食べて一緒に……ふへへへへ」


 妄想が膨らんで夢見心地になって漏れる私の声に、綾里が気色の悪いものを見る目を向けてくる。

 

「ことり、きもちわる」

「ドストレートですね」

「はー、いいなー。私たちも卒業したら一緒に暮らそうね」

「あっ、はい」


 ふむ、綾里と同棲か……私、色々と耐え切れるかな。主に体力面が心配だ。


「あと数日もすればあたしと楓ちゃんはこの街からおさらばだ。そうなればこうやって気軽に後輩ズに会えなくなるんだ」


 顔を手で覆い、「ううっ……」とあからさまな泣き真似をする部長さん。

 そんな部長さんを湿っぽく見る古水先輩が、後ろから口を開く。


「電車で一時間ちょっとだけどな」

「すごい、気軽に帰って来られるな! 毎週のように!」


 パッと泣き真似をやめて力強く頷く部長さんの言葉に、綾里が苦々しい表情を浮かべる。


「私とことりの愛の育みを邪魔するつもりですか、やめてください」


 いや、私は一向に構いませんよ。

 むしろ部長×先輩を定期的に供給してくれたら非常に助かります!


「そんなこと言うけどなあ、緋野ちゃんよ。新学期になったら新入部員を集めなきゃならないんだぞ」


 部長さんがそう言うと、綾里は「えっ」とこぼし、まるでギギギと音がしそうな程ぎこちない動きで私に顔を向けた。

 この人、絶対そんなこと頭になかったな。


 綾里の反応を見た部長さんが、腰に手を当てて困ったという顔をする。


「当たり前だろ、園芸部の存続のために部員は必要だぞ」

「わ、私とことり、ふたりだけのイチャラブ空間はどうなるんですか?」

「そんなものは……ない! 諦めろ!」


 バッサリ斬られたね、どんまい綾里。

 というか、どこでもかしこでも他人の存在なんて関係なく勝手にそういう空間を作り出してるじゃないのよあなた。

 だから人が何人いようと綾里には関係ないと思いますが。

 私はもっと他人の存在を気にして欲しいですけれども!


「まあ、今の二年は部員ゼロだし、誰も入ってくれないことも十分にあり得るけどな。とにかく、園芸部のために勧誘頼むぞ二人とも」


 綾里が「任せてください」と胸を張る。


「部活動紹介では呪詛でも念仏でも時間いっぱい唱えときます! そうすれば誰も近寄って来ないでしょう!」


 こらこら、血迷ったことを思いつくんじゃないよこの人はまったく。


 真剣なのか冗談なのか分からない綾里の目を見つつ、近い未来に一抹の不安を抱いてしまうのだった。

 しかしまあ、綾里は私と古水先輩、部長さん以外に対しては、無邪気で天真な外面を崩しはしない。

 だから、大丈夫だよね? ね?

 

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