02

 サンタは窓を開けて外へでていった。巨体のかれが窓をくぐるようすは、ちいさな穴をくぐりぬける猫みたいだ。かれは天翔るトナカイにひかれる橇に乗って、夜空の向こうへ行ってしまった。


 ぼくは呆然とそれを見送った。

 それにしてもなんてサンタクロースだろう、あれじゃあ、プレゼントをくれに来たのではなくて、ぼくを試しに来たみたいだ! 


 1人部屋にとりのこされたぼくはイラついてきた。でも反対に、ぐっと期待が高まってきたのも、じじつだった。サンタの言うことがほんとうなら、かれが持ってきたのは、ぼくがほしいと思うもの、しかも、ゲームやマウンテンバイクやCD・DVDよりも、もっともっとほしいと思っているもののはずなのだ。いったい、それってなんだろう? 気にならないわけがなかった!


 じっさい、さっき口にしたものたちが、ほんとうにほしいと思っているわけではない気がした。たしかにほしい、でもいちばんほしいと断言はできない。正直、そう断言するには、なんだか胸につかえを感じるのだ。サンタがぼくをうそつき呼ばわりするのも無理はない。

 とはいえ、ほかにほしいものがすぐには思いつかないのだって、ほんとうだった。きっとぼくはなにか忘れているんだ。ぼくじしんにとって、とても大切なことを忘れている。でも、なにを忘れているのか、うまく思い出せない。


 ぼくは目を閉じて、自分の心のなかをのぞこうとしてみた。


 まっくらで、なにも見えない。けれども、しだいに、記憶のかけらたちが、あわい星ぼしのように光ってくる。謎にみちた星ぼしのつぶやきも、目がなれてくるほど、はっきり見分けられるようになる。ぼくはそのなかでもより強く光っている星たちを線で結びつけて、ふかい闇にとざされたなかに星座を描いた。

 そう、それはみごとに1つのきらめく絵になった!


 ぼくは目をひらいた。


 そして、机の引出しのなかから、日記に使っている1冊のノートをとりだした。スタンドの下にひろげて、さいきん1週間分のを読んだ。そこには、いままさにぼくが思い出したじじつが記されていた。たくさんの文字が費やされて、そのときの気持ちを切実にうったえていた。

 こんなに大事なことを、どうして忘れてしまったのだろう!

 気に病んでこんな文章を書いたのもぼくだし、たった1週間前のことだ。それなのに忘れていた。ほしいものを訊かれたときに、すぐに気になりさえしなかった。いまではそのほうがおどろきだった。サンタがプレゼントをしぶるのも、当たり前というものだ。

 サンタに苛立つ気持ちはすっかり失せていた。かわりに、自分じしんにたいする苦い幻滅、それから反省するチャンスをあたえてくれたサンタへの感謝があった。


 サンタクロースが戻ってきた。


 かれが戻ってくるのをぼくは待っていた。いま気づいたことを、これ以上黙っているのはつらかった。気持ちが腹のなかであばれていた。かれがぼくになにかを言うまえに、ぼくの口からは言葉が飛びだした。


 「待ってました! たった30分ですけど。すごく長く感じました。ぼくがほんとうにほしいと思っているものがわかりましたよ! あ、わかったというのは、ただしくないですよね……思い出したんです。さっきのことは、誤解しないでください。ぼくはあなたをからかっていたわけではないんです。ひねくれたり、うそをついたりしてたわけでもないんです。忘れていたんです。


 「たしかに、ヒントなんて必要なかった。ほんとうなら覚えているはずなんです。でも、さいきんいそがしくて、いろんなことがあって……、さっきも寝起きだったせいで、急に思い出せなかったんです。だから、うまく答えられなかった。どうかゆるしてください」


 サンタはにこやかにうなずいた。

 「いい子だ」

 それから、かれはなにか言おうとした。


 たぶん、ぼくがほんとうにほしいものはなにか、また訊ねるつもりでいたのだろう、しかし、ぼくは手のひらを示してさえぎった。問われるよりもまえに、みずから答えをつきつけた。それはあるマンガのタイトルだった。


 「もうすこし正確に言うと、その単行本の6巻から10巻です。このマンガはぼくの友だちの間で流行っているんです。でも、だからほしいって話じゃないんです。きっと、サンタさんはなにもかもご存じだろうと思いますが、言わせてください。ぼくはほんとうに悩んでいたんです。


 「ぼくの両親は毎月500円しかおこづかいをくれません。クラスのみんなに聞くと、普通は2000円や3000円です。貧乏な子だって、ぼくよりはもらってますよ。しかも、うちはお金がないわけじゃないんです。なんか親たちは子どもにはお金をやらないほうがいいと思ってるみたいなんです。だから500円。それじゃあ、なにも買えません。月に1冊マンガ本を買ったらおしまい。ろくな買い物できません。


 「誕生日やクリスマスみたいにとくべつわがままを言わせてくれるときでなきゃあ、なんにも手に入らないんです。ゲームも買えないし、マンガだってシリーズを買い揃えたりできません。気になるものはたくさんあるのに……。あのマンガもそうでした。ぼくが買えるのは5巻まで。その先どうなってるのか、気になっても読めません。


 「友だちに葉介ってやつがいるんです。マンガに詳しいやつで、たくさん持っているんです。あいつの家にいったときは驚きましたよ。家の壁中に本棚がならんでいて、マンガや小説がたくさん入っています。じっさいは、葉介のものじゃなくて、葉介の父さんとか兄さんのものらしいんですけどね。どちらにしても、好きなときに読みたいだけ読めるんです。うらやましくてしかたないですよ。ぼくのうちにはなにもないんだもの。


 「で、葉介は、ぼくがそのマンガが好きで、それでいて先を買えないでいるのを知ると、貸してくれたんです。兄貴のマンガだけど、たぶん気にしないだろう、って。それが、さっき言った6巻から10巻のところなんです。


 「そりゃあ、うれしかったですよ。持つべきは友ってもんでしょう。内容も文句なし、おもしろかった。でもそのあとがまずかったんです。ぼくは塾に通っているんですけど、塾へ通う電車のなかでも読もうと思って、そのマンガを紙袋のなかに入れて持っていったんです。でも、じっさいは読みませんでした。まず行きは混んでて座れませんでした。それから帰るときも、電車の椅子に座りはしても、マンガを入れた紙袋は床に置いて、脚のあいだにはさんでいました。塾の先生がいったことで、ぼーっと考えごとをしていたんです。注意を受けて、落ちこんでいたんですね。


 「ふと気づいたら、もう家の最寄り駅についていました。だから、いつもどおり降りて、いつも通り家に帰りました。紙袋ごとマンガを電車に置きわすれたと気づいたのは、ずっとあとです。ベッドのなかで、これから寝ようというときでした。それまで、すっかり忘れていたんです。なんてことでしょう!


 「次の日に鉄道会社に問い合せたんですけど、マンガは落し物にはなっていませんでした。網棚なとかに残された雑誌やマンガを集めて路上で売りに出すような、ろくでもないやつがいるから、たぶんそいつらが持っていったんだと思います。新しいのを買って弁償することもできません。買えないから、借りたんですからね。借りたものなんだから、自分のものよりも大切にしなきゃいけないはずだったんです。それなのに、ぼくは失くしてしまいました。


 「葉介にはほんとうのことを話しました。ほかにどうしようもありまんでしたから……。あいつは、やれやれとため息をつきましたが、気にしないと言ってくれました。もともと自分のじゃないし、兄貴はたくさんマンガを持っているから、すこしくらい失くしても、なんとも思わないだろう、って。あいつはぼくを責めなかったんです。でも、ほんとうでしょうか? もともと葉介の兄さんのマンガなんだったら、ぼくがそれを失くしたことを許すかどうか、決めるのはその兄さんのはずじゃないですか。葉介にそれを決められるわけがない。あいつはうそをついたんです。ぼくが葉介から借りたマンガを失くしたってことは、葉介が兄さんから借りたマンガを失くしたってことですよ!


 「ぼくからそれ以上詮索はできませんけど、そもそもマンガをたくさん持っているマンガ好きな兄さんが、それを失くして許すものでしょうか? 話を聞いてるかぎり、あまり優しい兄さんでもなさそうです。ぼくのことが原因で、兄弟喧嘩になったかもしれないじゃないですか。ひょっとしたら、葉介はマンガを失くしたことを兄さんに隠しているのかもしれない。いずればれるときが来ますよ。永遠に隠すなんてことできるはずないんです。

 「でも、そうなったらどうでしょう? 葉介は、どうしていままで隠していたのか問い詰められるんじゃないですか? そのときに、友だちに貸して、そいつが失くした、なんて答えて、信じてもらえるでしょうか? ぼくがその兄さんだったら、責任をなすりつけるうそにしか聞こえない。喧嘩決定です、葉介は殴られるかもしれない……! やっぱり、ぼくは失くしちゃいけなかったんですよ! どうしてもあのマンガを取り戻しかった。それができないと、申し訳ない気持ちでいっぱいで、もう葉介相手に小突きあうことも冗談を言うこともできない。目を合すのだって、つらいくらいだったんです」


 ぼくの言葉はとめどなかった。

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