(ジャン)

 ジャンは枝を組んで作られた粗末な檻で運ばれた。


「ジャン坊ちゃまの御帰還である!」


 大道芸人は–––––否、本物のジャンは、わらわらと集まってきた他の召使いたちに連れられてどこかへと消えた。


 ジャンもどきは自問する。


 一体、いつから自分のことをジャンだと思い込んでいたのだろう。


「あれが儀式の生贄か」


「だいぶ弱っている様子だが生きているな。本当に良かった……」


 ジャンもどきは村の広場へと連れてこられた。


 広場の中心には、巨大な木彫りの偶像が鎮座している。


 あちらにもこちらにも大道芸人がいた。


 誰もが強い日差しに焼かれて真っ黒になった肌を粗末な布のような服で覆っていた。


 しかし頭を鳥の羽で飾り付けてみたり、獣の牙を紐で繋いでネックレスのようにして首に巻いたり、顔に極彩色のペイントを塗りたくってみたり、全員が頭がおかしくなるほど派手だった。


 ジャンもどきは自問する。


 一体、どうして村人のことを大道芸人だと思い込んでいたのだろう。


「お前、お前、本当に大義ぞ」


 一際派手な村人がジャンもどきの檻に近づいてきた。


「光栄にございます、族長様」


 ジャンもどきをここまで運んできた召使いが恭しく頭を下げる。


「異国の生ハム専門業者から買い付けた高価な豚だ。この豚には一匹で黄金ほどの値が付いたのだ」


 族長は潤んだ目でジャンもどきを見ていた。


 召使いは輝く目でジャンもどきを見ていた。


「ええ。まさしく今日という大事な儀式に相応しい、その肉を持って我らに神の血を与えてくださる特別な豚ですわ」


 族長は召使いをよくよく労っていた。ジャンもどきはその様子を眺めながら、ぼんやりと思い出す。


 ––––昔は、海の向こうの国で暮らしていた。この地ほど太陽は暑くないし、蒸してもいない国だ。


 どこまでも広がる清々しい高原の中にある、美しい牧場で、ジャンもどきは家族や友達、そして自分を世話してくれる主人たちと幸せに過ごしていた。


 牧場には毎日たくさんの客が来て、ジャンもどきと仲間たちに挨拶していった。


 いかにも幸福そうな一家や食材の調達に来たシェフ、主人と付き合いの長い友人たちに、牧場を見学に来た近所の小学校の子供たち。


 旅芸人一座が通って、牧場でショーを開いてくれたこともあった。踊り子や火の輪くぐりをするライオン、さまざまなパフォーマンスを披露する大道芸人の活躍は、実に見ものであった。


 主人は人が良く、牧場自慢の生ハムを必ず彼らに味わってもらっていた。


 しかしある日、ジャンもどきは目撃してしまた。兄弟の一人が信頼していた主人に殺され、肉塊にされいる姿を。


 そしてジャンもどきは知ってしまった。主人が来客に振る舞っていた生ハムは、ジャンもどきの血を分けた兄弟であると。


 ジャンもどきはその日から震えて暮らした。


 自分もいつか、ああなるのだ。いつかは大好きだった(最早嫌悪の対象だった)主人に残酷な仕打ちを受け、巨大なナイフでスライスされて食卓にのぼる日が必ずやってくる。


 そう考えると、夜も眠れなかった。


 しかし、その日が来ることなく、ジャンもどきは遠い国から来た、まるで大道芸人のように派手な姿の一団に買われていった。


 ジャンもどきはそのとき思った。


 自分は救われた––––。


 自分は、特別な存在なのだ!


「くっ、ジャン……あのドラ息子め!」


 族長が激怒している。


 相変わらず本物のジャンの姿は見えない。その代わり、たくさんの村人がジャンもどきを取り囲んでいた。


「我らが一族に神を下ろすための生贄を盗み出すなど! あそこまでおかしい奴だったとは!」


「ジャン坊ちゃまは御自身を特別な存在だと思い込んでいらっしゃいましたから……」


 本物のジャンに拉致されてから、毎日のように聞かされ続けた台詞。


 汝はジャン。


 高貴なる血。


 特別な存在。


 ジャンもどきは、あの家で、本物のジャンとの暮らして、腹を空かして、日々擦り減っていくなかで––––気づいたら信じていた。


 汝はジャン。


 そう、自分はジャン。


 神の血を受けるに相応しい者。


 そう、ジャンは特別だから、神なのだ。


「けれど族長様、ジャン坊ちゃまは生贄の胃をほとんど空にしておいてくれました」


 召使いは檻の隙間から腕を伸ばし、ジャンもどきの頭を撫でる。


「下ごしらえの手間が省けました。これでこの子を神の国へ送ったあと、すぐに加工できます」


「うむ」


 族長は咳払いをして頷く。


「では、すぐに取り掛かれ。ジャンへの処遇は後で考える」


「はっ」


 村人の集団の中からぞろぞろと、屈強な男たちがジャンもどきの元に集まり始めた。


 男たちは皆松明を掲げていた。男たちの頭上で、煌々と火が輝いている。


 他の村人たちは一斉に地面に這いつくばり、大仰に祈りを捧げながら次々と叫んだ。


「神の依代よ! その血肉をどうか我らにお与えください!」


「尊い御方の身代わり! その肉を通して我らを慈しんでください!」


「我らは卑しい豚と同等の存在、しかし貴方様を食らえば神の血をこの身に宿せるのです!


「さぁ」


 族長は言った。


「生ハムを作ろうか」


 ジャンもどきは叫んだ。


 プギー! と豚が鳴く音が辺りに響いた。

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家と大道芸人と生ハム(ジャン) ポピヨン村田 @popiyon_murata

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