大道芸人
それでもジャンには、唯一無二の希望があった。
自身をここまで、それはそれは大切に育ててくれた召使いが、この家を探り当てジャンを救い出してくれることだ。
「おおジャン、汝はジャン! 神の血を受けるに相応しい者なり」
その希望を胸に、ジャンは何とかこれまで生きてこれた。
ふいに、部屋が明るくなった。
「神の国への誘い––––!!」
大道芸人は、事もあろうに屋内で火を吹いて見せた。
この大道芸人からは、およそ『正気』というものが感じられない……それを目の当たりにするたびに、ジャンはげんなりした。
芸の練習ならば、外ですればよいことだろう。この村にはおえつらえむきの広場があったはずだ。
あそこならば衆目を存分に浴びれる。丁度良いではないか。何故お前はこんなに無意味なことを–––––。
大道芸人の手で拉致されてからというもの、ジャンは、それは必死に大道芸人へと語りかけてきた。
「ああ神よ! しかして汝は偶像なり!」
が、大道芸人はジャンの言葉に耳を貸したことがない。
それどころか、今などは木彫りの人形に話しかけている始末である。
ジャンは、日に日に摩耗していく自分を感じていた。
あれは何かのパフォーマンスなのだろう。しかし、物言わぬ人形よりも、自身の言葉に少しばかりでも反応してくれてもよいはずだ。
この、高貴なるジャンの。
ジャンは耐える毎日を送っていた。
そのうちに、この異常事態に慣れすら感じて始めたが–––––しかしそれでも、たったひとつだけ許しがたいことがある。
「神の血をこの身にいただく刻限だ」
大道芸人は芸の道具をいそいそと避けると、いつものようにどこからか生ハムを取り出す。
ジャンは、ごくりと唾を飲んだ。
大道芸人は手掴みで(なんと蛮族的な)生ハムをつまみあげ、顔を天に向け、ゆっくりと、実にゆっくりと口に落とし込む。
ジャンは、その姿から目が離せない。
やがて、薄切りの長い生ハムがすべて口に収められ–––––絶妙な塩加減が口内に広がったのか、幸せそうな顔でそれを咀嚼し、飲み込んだ。
「ああ神の血、尊き血、しかしこれなるは紛い物–––––しかし来たるべき日には真なる神の血を肉とし神性を得ることとなる–––––ああ、汝、その名はジャン!!」
ジャンは、その名を呼ばれて生ハムが大道芸人の口に消えていく様を見せつけられるたびに、叫び出したくなった。
––––なんて気の狂った男だ! この卑しい豚め!! 私を敬うのならせめてその肉の一片でもこちらによこせ!!
しかし、ジャンの願いは大道芸人には届かない。
ジャンの胃は、満たされた大道芸人のそれと違ってほとんどからっぽだ。
ジャンは知っている。生ハムというものを。
故郷にいた頃には主人がよく来客に振る舞っていた––––気がする。豚を弱い火でじっくりと焼き上げたあと、たっぷりの塩で漬け込むのだ。
あの生ハムを食べた人は、誰もが笑顔だった。
「ああ、ジャン……もうすぐ……もうすぐだ……」
ジャンは、疲労と空腹でおかしくなりそうだった。
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