第2話
その大邸宅は森の入口にあった。地面は全部芝生。ぼくはお屋敷勤めであらゆる雑用をこなしてたから、広大な芝生の整備がどれほど大変なことか想像がつく。ちょっとやそっとのお金持ちじゃ、これほど広い面積を管理しきれない。
ともあれなかに住んでいるのがジイちゃんだと思うと、不思議と気後れはなかった。
ぼくらは森から出てきた木こりとすれ違いつつ、門柱に挟まれた玄関の呼び鈴を鳴らした。ラインバッハ家のお屋敷にも似たようなものがあったけど、その音に盲目のジイちゃんが気づき、出迎えに来られるのか心配になる。
そうした不安を口にすると、ヒトラーさんがぼくを見下ろしてぶっきらぼうに言った。
「これだけの邸宅だ。お前の祖父が金持ちになった話が本当ならば、介護者にメイドの一人くらい雇ったであろ」
確かに、とぼくは思った。そして事のなりゆきはヒトラーさんの言ったとおりになる。
しばらく門柱のそばに佇んでいると、玄関のドアが静かに開き、重厚な彫刻の施された扉の向こうから女性のものとおぼしき声が聞こえたのだ。
「お帰りなさいませ、アドルフ様」
……ん?
「ここまでの長旅、さぞお疲れでしょう。ゲルハルト様がお待ちです」
「え、えっ――!?」
声の持ち主はやがて全身を現し、ぼくは彼女たちの正体に気づく。
予想に反し、挨拶をよこした女性は二人居たのだ。一人は重い扉を押し開けつつ頭を下げ、もう一人は土間に立ち深々とお辞儀をしている。
彼女たちは、ヒトラーさんの言ったようにジイちゃんの介護者なのだろうか。けどヒトラーさんの想像とは違う点もあり、それはぼくたちを出迎えた女性がメイドではなく、ゆったりとしたローブをまとって頭巾を後ろに倒す、聖霊教会特有の修道女だったことだ。
* *
「イヒヒッ、久しぶりじゃのう。お前のことは窓から見えてたぞい、アドルフ」
ぼくとヒトラーさんは修道女たちの案内で邸宅に入り、ダンスパーティーが開かれそうな広間を横目に2階へ昇って、これまた目を疑うほど広い居間へ連れて行かれ、そこで1年ぶりにジイちゃんと対面した。
ジイちゃんはロッキングチェアに座り込んでいて、椅子を前後に揺すっている。ぼくは聞きたいことが山ほどあるがひとつの質問に集約した。
「一体何があったのさ!? 街の警官も知ってたよ、手紙で教えてくれればよかったのに」
「黙っておったのは帰省するお前の驚く顔が見たかったからじゃよ。アドルフこそ急にポツダムに戻ってきてどうした?」
「またぼくをからかって……って、そんな話はいいや。ぼくはお屋敷を解雇されて冒険者になりました。隣にいるヒトラーさんとパーティーを組んでて、明日にもマニ遺跡へ発つ予定です。きょうはジイちゃんの家でゆっくりさせて貰っていいかな?」
「仕事をクビになるとは意外じゃが、泊まっていくのはもちろん構わんよ」
お屋敷で起こった出来事をぼくはバッサリ語り落としたけど、ジイちゃんは何ら不審感を抱かなかった。そのかわりに彼はべつのことに着目した。
「ところで隣の方は軍人さんかの? 妙な男と組んだもんじゃな。というか、お前こそ仕事を辞めたなら辞めたで、わしにひと言連絡してもよかったはずじゃが?」
その文句が、意識に触れた。ぼくを見つめる輝きをおびた眼差しも。
そもそも邸宅で顔を合わせて以来、ジイちゃんはぼくと絶えず視線を合わせていた。その理由をぼくは遠回しに聞く。
「連絡って……目が見えないジイちゃんに通信を送るわけないよ。まさかジイちゃん、目が見えるようになったの?」
「イヒヒ、ご明察じゃ」
子どもっぽい笑みを浮かべつつ、目玉の片方をギョロリと動かしたジイちゃん。そこから彼は、ぼくの知らない間に起きた事の顛末を語りだす。
「全てはわしが☆7の宝呪を掘り起こしたことに遡る。宝呪は魔獣が落とすタイプと、岩石にめり込んでるタイプがあるじゃろ。お前の仕送りがあるとはいえ、わしにも意地があった。何としても孫の世話にはなるまいという執念が実り、人生最大の高ランクを掘り当てたのじゃ。そしてそれを教会へと売り払い、半分寄付したお礼に修道女を預からせて貰い、今に到っておる」
相変わらず躁病ぎみに捲し立てたジイちゃんだが、そこでいったん話を区切り、両脇の修道女に「そら、わしの目が治ったくだりについて語ってやりなさい」と声をかけた。確かに目が治ったのにいまだ介護を受けているのは謎ではあるが、二人の修道女は「畏まりました、ゲルハルト様」と答え、おもむろにしゃべりだす。
「盲目を治す手段はいくつかありますが、ゲルハルト様は法外な請求に耐えうるお方だったので、呪いの解除にとどまらず、【生体錬成☆☆☆☆☆】の術者にお任せ致しました」
「【生体錬成】?」
「さようでございます。ゲルハルト様のかかった呪いは深く、【呪術解除】だけでは取り去りきれませんでした。仕方なく、魔法で錬成した眼球を新たに設置する手術をお受けになったのです。いくら麻酔があるとはいえ、大変な苦痛をともなう手術。乗り越えられたのは本当にご立派だと思います」
先に切り出したのはとても若い女性。次にこれまた若いが、大人な感じのする女性があとを引き継ぐ。
「本当に。それでも視力は完全には戻らず、わたしどもがお世話をさせて頂くことになったわけですが、錬成した眼球が馴染めば徐々に元通りになるとのこと。心の広いゲルハルト様は、その日が訪れることを誇り高く待ちわびておられます」
「神のご加護を信じておられるのです。敬服するより他ありません」
「な、なるほど……」
二人の修道女がステレオで話しだし、その内容もよく聞けば、大金を払ったわりに元々の呪いが強くて改善に時間を要しているというクレーム案件だった。
ぼくとしては持参した【呪術解除】が無意味になって悲しかったが、問題はあっても一定の視力を取り戻せたことは喜ぶべきことだ。隙あらばジイちゃんを持ちあげる口ぶりは不可解ではあったけど、ラインバッハ家のお館様も似たようなものだった。
人は金持ちに媚びるのだろうというドライな気持ちを得て、ぼくは二人に簡単な挨拶をした。
「あらためまして。ぼくはジイちゃんの孫のアドルフ・シュタイナーです。こんなことになって戸惑っていますが、ジイちゃんのことよろしくお願いします」
「もちろん、精一杯お勤めさせて頂きます。わたしはルナと申します。アドルフ様、以後お見知りおきを」
「わたしはマイヤです。修道院ではルナの先輩でした。明日にはここを発つとのことですが、それまではどんなことでもお気軽にお申しつけください」
髪が金色で先輩のほうをマイヤさん、同じく銀色で後輩のほうをルナさんと覚えた。
「お気遣いありがとうございます。さっきも言いましたが、こちらは相棒のヒトラーさんです」
「……ヒトラーである」
事前に懸念はしていたが、想定外の状況に巻き込まれ続けたヒトラーさんは不機嫌さを隠さず、ろくに視線も合わせないまま宙を睨んでいた。
「そう言えば、アドルフ。そちらのルナは修道女見習いでお前と同じ13歳じゃ。この機会に仲良くなっておくといい」
「えっ、同い年?」
出し抜けに言われたぼくは偶然の一致に少しだけ親近感を覚えたが、よく見るとジイちゃんはニタニタ下衆な笑いを浮かべ、ぼくとルナさんを交互に眺めている。
その魂胆は容易に想像がついた。年頃のぼくが女性にたいしてどう反応するのか確かめたいのだろう。仕事がら女性の相手に慣れてはいたけど、それがつねに発揮されるとは限らない。
「とても13歳には見えませんでした、ルナさん。もっと経験を積んだ方かと思いました」
「よく言われますが、まだ若輩者です。アドルフ様もポツダムを出て働いていらっしゃると伺いました。どんな仕事をされていたのか、お暇があればお聞かせください」
「はい、よろこんで」
何となく勢いで答えてしまったがルナさんは
そんな照れ隠しを見て、ジイちゃんは忍び笑いを洩らしていた。ぼくをからかって反応を楽しんでいるのは間違いなかったが、そこから彼は話題を大きく転換させる。
「ところでアドルフ、お前さん確か星無しじゃったよな。そんなひよっこがマニ遺跡なんぞ行って大丈夫かの?」
宝呪に関わる問いかけはある程度、想定していたものでもあった。何しろぼくとヒトラーさんはともに11の枠を持ち、それは公言をはばかられる類いの情報だ。ぼくは疑いの余地を与えないように表情を弛め、事前に考えておいた当たり障りのない返事をかえす。
「ぼくの枠なんだけど、不思議なことにゼロが◇3つに増えたんだ。お館様に聞いた話だと、本来の枠が何らかの障害で発現しなかった可能性があるって」
「ウホッ! 枠が増えるとは珍しいこともあるもんじゃな?」
「うん、ぼくも驚いたんだけど安心していいよ。こちらのヒトラーさんはなかなかの強者なんだ。遺跡の浅い層なら彼の力を借りながら頑張れるし」
「頼れるパーティーメンバーがいれば不安はないわな。……というか、お客人を突っ立ったままにさせておくのは無礼じゃし、皆でお茶でも飲もうかの。マイヤ、ルナ、お茶を淹れよう、お茶を」
「畏まりました、ゲルハルト様」
ジイちゃんの問いかけが追及に変わる前に、若干の緊張を含んだやり取りは無事に終わった。
お茶の用意を指示された修道女の二人は、先輩のマイヤさんがルナさんに耳打ちをして、打ち合わせのようなことをしている。
そんな二人を招き寄せ、ジイちゃんはマイヤさんの肩に掴まり、部屋の外へと歩き出した。まだ完全には目が見えてない証拠だが、ジイちゃんは盲目のときからなぜか器用にお茶を淹れることはできていた。
介護の二人に頼らず自分で用意する気なのを見て、ぼくは正直ホッとした。信じられないほど金持ちになったとはいえ、ジイちゃんは少しも変わってないと確信できたから。
けれどそうした楽観主義は、ヒトラーさんのつぶやきによってかき消されてしまう。彼は、「お茶の用意ができるまでくつろいでな」と言い残したジイちゃんたちがいなくなった後、近くのソファに腰かけ、ぼくを手招きつつこう言い放ったのだ。
「さっきはうまくごまかしたな、お前の◇11を話せば教会の人間が絡んできて面倒なことになる。答えに詰まったら助け舟を出すつもりだったが杞憂で済んだ」
「うん、そうだね。緊張はしたけど、信じて貰えたようでよかったよ」
「どうかな。マイヤとかいう先輩の修道女はこちらを警戒しておったぞ」
「えっ、それって……」
悪人だと疑われたのかな、とぼくは消え入りそうな声を洩らしてしまう。
「だろうな。聖隷教会の仕組みはよく知らんが、聖職者ならではの勘というか、お前の祖父とは違う目で我を見た可能性は高い」
「どうしよう、ぼく気づかなかったよ。今からでも外の宿屋を探そうか?」
「バカ者。どんなに疑われようと尻尾を出さなければよいのだ」
まったく意に介した様子のないヒトラーさんだけど、ぼくのことを
「スターゲイザーのような最高ランクの宝呪を持ってると意識するからビクつくのだ。こんなもの、靴と同じだ。靴の存在を意識しながら街を歩くかね?」
神域の宝呪は人類最悪しか使えない~アドルフとヒトラーの奇妙な冒険~ 影山ろここ @Lelouch_0424
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