第三章 ポツダムの姉妹

第1話

 朝早く街を発つ隊商の荷物に身を潜め、ぼくとヒトラーさんはポツダムに向かった。


 連邦でも有数の大聖堂を誇るポツダムは、聖隷教会の支配地であるプロヴァンキア教会領に属しており、そこには◆8以上の人間は領地に入れない悪人禁止令が敷かれている。


 ◆11の枠を持つヒトラーさんは当然その決まりに引っかかるのだけど、ポツダムはぼくの故郷でもあるため、ジイちゃんの家に顔を出すにはヒトラーさんの正体を隠す必要があった。

 ヒトラーさんの目的はアルザス自由領領都ストラスブールまで行き、そこで勇者選挙の本エントリーを完了することだ。とはいえぼくことアドルフ・シュタイナーにもべつの目的があり、それは呪いで両目が見えなくなったジイちゃんの呪いを解いてやることで、必要な【呪術解除☆☆☆】をぼくはヒトラーさんから貰い受けている。


 悪人であることを隠したいヒトラーさんに迷惑をかけることは不本意だったものの、彼は文句を言わずこちらの目的に付き合ってくれ、ぼくらは大量のジャガイモに身を隠しつつ、無事入国審査を通り抜けることができたのだった。


「これはこれは。ラインバッハ商会のあった街に比べると雲泥の差だな」


 関所を通り抜けて10分以上経った頃、積み荷を載せた馬車からヒトラーさんが飛び降り、どこを見ても教会が目に入るポツダムの街を眺めまわして、その偉容を珍しく褒めた。

 ちなみにぼくはと言えば、馬車を降りるタイミングがなかなかつかめず、仕方なくヒトラーさんに抱きかかえられながら、土に塗れる散々な格好で着地した。


「この街は聖職者がやまほどいますが、特に大聖堂の辺りは聖職者しかいません。悪人であることがバレないために大聖堂は避けて歩きましょう」


 ぼくは土の着いたズボンを両手で払い、ヒトラーさんに注意を促した。彼には悪人禁止令が死罪のありえる厳しい法律であることを伝えていたため、ぼくが行動を決めても不満は口にせず、淡々と付き従った。

 彼にしてはひどく大人しい様子。だけどヒトラーさんは、やはりヒトラーさんだった。


「悪人禁止令とやらに引っかからないためには、端末を外しておいたほうがよさそうだな」


 ぼくが指示するまでもなく、彼は端末を脚へと巻きつけた。無駄のない行動に驚いていると、ヒトラーさんはさらに自分のペースで会話を進める。


「ポツダムですごすのは最大二日だ。悪人であることが露見すれば、宝呪を使う機会がおのずと生じる。できる限り速やかに街を離れ、マニ遺跡へ向かう。そこで何としても【魔力強化】を発掘し、お前の魔力不足という弱点を補う。目的がはっきりしてる以上、我の正体がバレる危険は極力減らしたい。明日にはポツダムを発つぞ」


 ジャガイモに埋もれながらぼくたちはろくに会話ができなかったけど、ぼくが漠然と考えていた以上のことを告げ、ヒトラーさんは再び石畳の上を歩き出した。

 確かに【魔力強化】を入手するためにマニ遺跡へ行くことは想定内だったけど、ジイちゃんに会うのは一年ぶりだし、一緒に二日しか居られないのは心細い気持ちになる。可能なら何日でも滞在して気の済むまで実家暮らしを満喫したかったけど、現実的には難しそうだ。


「ポツダムに居られるのは明日までですか。でもそのぶん、きょうはジイちゃんと遊び尽くしますからね」

「遊ぶなら家で遊べ。あまり外をうろつくな」


 颯爽と歩き出したはいいものの、実家のある場所はぼく以外知らない。なのでぼくは先頭に立ち、慣れ親しんだポツダムの街を西側にある古い住宅街のほうへとむかう。


「うちは貧乏だからびっくりするほどくたびれた小屋ですよ。寝る場所はありますけど、ベッドは硬いし、不満があれば宿屋に泊まるのも悪くありません」

「外をうろつく気はない。これでも総統地下壕での暮らしで鍛えられておる」

「またぼくの知らない話を。いつか前世のこと掘り下げさせて貰いますからね」

「不愉快な記憶が多い。黙秘権を行使する」

「認めません」


 そんな雑談を交わしながら、ぼくたちは自然とジイちゃんの話をはじめる。


 呪いで目が見えなくなる前、ジイちゃんは現役の鉱山夫だった。そして正確には、盲目になっても鉱山夫であることをやめようとしなかった。

 生活を維持するためでもあるけど、遺跡の構造を知り尽くしていたジイちゃんは、ランプの灯りという手がかりさえあれば、驚くことに発掘を続けることができ、それで何とかお金を稼ぎ続けられた。


 ぼくのお屋敷勤めをきっかけにようやく鉱山夫は引退したはずだけど、端末が読めないジイちゃんには帰省する件を相談していない。だから性懲りもなく遺跡にむかった可能性はゼロではなく、ぼくは漠然とした不安を抱えながら平屋の並ぶ貧民窟へと足を踏み入れた。


 隙間風の吹きそうな街並みを目印もなく進むこと15分程度。ぼくはようやく目的地に着いた。というか、そのはずだった。


「あれ……?」


 不意に洩れたのは頼りない疑問。なぜならぼくは実家の小屋ではなく、野菜を売る小さな市場に立っていたからだ。

 よく見ると店頭には果物のジュースが売っていて、ちょうど一人の警官が金を払い、容器を受けとっているところだった。ポツダム名物のざくろジュースだ。


「どうした、アドルフ?」


 黙々と長時間歩かされたヒトラーさんは心無しか憮然とした様子で、ぼくと市場の店主を交互に眺めている。ただでさえ威圧感のある視線を浴び、ぼくは口ごもってしまった。けれど黙っているわけにもいかない。怒られることを承知で、ぼくは毅然と言った。


「実家の小屋が、知らないあいだに市場になってました」

「なんだと!?」


 実家が忽然と消えて別の建物になっていることにぼくは困惑を隠せないが、ヒトラーさんの驚きようもなかなかのものだった。

 二人して野菜市場の前で声を失ったまま、呆然と佇む。しかしそんなぼくたちを見逃してくれない人がいた。ざくろジュースを手にした警官だ。


「そこの軍服、見慣れない顔だな。面構えも悪いし、胸騒ぎがする。一応端末を見せたまえ」


 警官が声をかけたのはヒトラーさんだ。しかも端末の提示を求めてきた。理由は一目瞭然だ。彼を胡散臭く感じ、悪人であるかもしれないと疑ってきたのだ。

 ぼくは心臓の鼓動を感じて気持ち悪くなってきたけど、さすがヒトラーさんは肝の座り方が半端ない。顔色ひとつ変えずに両手首を見せ、端末を巻いてないことを堂々と見せつける。

 しかし相手は警官だ。それくらいの証拠では満足するわけがない。


「見たところ軍人のようだが、端末も持たずに仕事はできんだろう。どこに務めている?」

「大道芸人で食っておる。端末は壊れて1年は経つが、買い直す金が貯まらないのだ」

「なるほど、芸人にしてはサマになってるな。まあ、売れるようになるまで頑張りたまえ」


 ぼくの動悸は速まる一方だったが、ヒトラーさんは何気ないやり取りで用心深い警官をあしらってしまった。

 確かに大道芸人は変わり者が多いし、端末がなくてもできる仕事だ。瞬時に出す切り返しとしては百点満点だろう。


 結局、その警官は不審感を解き、ざくろジュースを飲みながら大聖堂のある方角へ歩いていった。


「いまのはヒヤリとしたな。事前に端末を外しておいて正解だった」

「でも危なかったですね。こんな感じでポツダムは悪人には厳しいので、警官だけじゃなくて聖職者にも注意してください」

「お前の祖父とだけ会えば滅多なことになるまい。というかアドルフ、お前の実家はどうなった?」

「そうだ、ジイちゃんの家だ!」


 ぼくはいちばん肝心なことを思い出した。実家の小屋がなぜか市場になっていたこと。


「すみません、ざくろジュースをください。それと、ここにあった小屋はどうなりました?」


 財布を出してお金を払いながら、ぼくは市場の店主に聞いた。小屋の跡地で商売をしているからには、何か事情を知っていると思ったからだ。

 案の定、店主はざくろジュースを容器に注ぎつつ、訳知り顔でこう答えた。


「小屋の持ち主ならここにはいないよ。というか、ポツダムの市民は皆知ってるさ。ゲルハルト・シュナイダーってジジイが一夜にして大金持ちになったってな。見えるか坊主、あそこに建っている豪邸がやつの移り住んだ家さ。貧民窟のクソジジイがおれたち市民を見下ろしてる。さぞ爽快な気分だろうよ」


 店主は肩をすくめ、半ば呆れた様子で言った。ぼくはその話を部分的に聞き損なったけど、かろうじて重要なところは意識にとめた。そして店主が指で差した丘の上を振り返る。


「ほら、あの赤い屋根の豪邸だよ。ひょっとして坊主は、ゲルハルト・シュナイダーの孫か何かか?」


 店主はケタケタ笑いながら話を続けるが、ぼくはもう彼の会話を聞いていなかった。一夜にして大金持ちになったというゲルハルト・シュナイダー。それはまぎれもなく、ぼくのジイちゃんのことだ。

 街を睥睨する大聖堂の遥か先、ポツダムの街全体を見下ろす緑の丘に赤い屋根の豪邸があった。


 でもそれがジイちゃんの新しい家?


 丘のある方角をヒトラーさんも一緒に見上げているが、確かにそこにある家はまるで旧貴族たちの保有する邸宅そのものだった。


「どういうことだ、アドルフ?」


 言葉を失ったぼくをよそに、ヒトラーさんがこちらを振り向いた。けれど彼には悪いが、「どういうことだ」と聞きたいのはぼくのほうだ。

 ジイちゃんは目が見えないから端末のメッセージ機能を使えない。だからひと言も教えてくれなかったのは仕方ないことだけど。


 それでも思わざるをえなかった。せめて手紙のひとつは送ってくれても良かったのではないか――と。

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