第16話

   *  残った者たちの晩餐  *


 アドルフたちが町を発った後、ロベルタは家にまっすぐ戻らなかった。妹のためにお粥を用意してあったし、おまけに夕食のシチューは作りかけだ。家に帰っても食事を摂れないため、彼女は巨神が来る前にひと騒動あった食堂へと足を向けていた。

 馴染みの店で夕食を摂るつもりでいたが、色々あった憂さ晴らしに酒を飲みたい気分もあった。

 そんなロベルタの隣には、なぜかフリーデ一行がついてきている。


「おれはリッピだ。あっちの巨人族はガンテ、武闘家はハイド。そしてパーティーのリーダーがあそこにいるフリーデだ」


 リッピと名乗った盗賊は陽気で明るい男で、自分たちが食堂に行くことを語り、ロベルタも同じ店へと向かっていることを知ると馴れ馴れしくつきまとってきた。

 妙な因縁のできた相手と行動を共にするのは気が引けたものの、他にろくな店がないことをロベルタは知っている。やがてひと塊となった彼女らは、先ほど散々荒し回った店へと足を踏み入れた。


「さっきは済まなかったな。無理を聞いて貰った挙句、営業の邪魔をした」

「あの軍人、相当な悪人なんだろ? 全然気にしてねぇよ。巨神って野郎を倒したおかげで、町の連中はすっかり英雄扱いらしいがね」


 ロベルタはヒトラーの素性を話したわけではなかったが、彼に関する噂はトルナバ中に広まったらしく、食堂の店主は平然とした顔だ。暗殺の依頼をしたばかりというのに、悪人だと聞いて合点がいったような雰囲気でもある。

 良心の呵責がないのはロベルタを娘同然に思っているからだろう。トルナバは狭く、町民は全員が家族ぐるみの付き合いだ。店主はそれなりにこわもての男だが、物腰は柔らかかった。


「注文は何にする?」

「シチューはどうも受けつけない。肉野菜炒めみたいなのがいいな。つまみと酒を一緒に」

「あいよ。そちらのお客さんは?」

「そうだな、ソーセージとチーズを4人分頼む。あと酒は何が置いてある?」

「うちで酒と言えばワインだ。赤と白がある。ロベルタは赤しか飲まないがな」

「白にしよう」

「あいよ」


 同席したフリーデの注文を聞くと、店主は厨房に戻っていった。そしてすぐ酒が出てくる。

 ちなみに店はちょうど満席で、地元民と思しき男たちが酒を飲んでいた。話し声は少々大きく、店主に負けず劣らずこわもての連中だった。彼らは巨神を倒した謎の軍人、ヒトラーのことを話している。


「ずいぶんガラの悪い客がいるな……」


 グラスにワインを注ぎながら、フリーデがぽつりと言う。連邦国家の成人年齢は16歳なので、彼女はおそらくそれ以上の年齢なのだろうとロベルタはあたりをつけたが、彼女は同時にべつのことを考えだし、その思いは小さなつぶやきとなった。


「確かにトルナバは荒っぽい男が多いけど、わたしたちに彼らを腐す権利はないでしょう。目的は違えど、ヒトラーさんを殺そうとした。アドルフ君を傷つける恐れがあったのに」


 屋敷の執事を務めただけあって、彼女は温厚で思慮深い。しかし一方では生真面目なところがあって、不用意な発言を見逃せなかったのだろう。

 反論されたフリーデは無言でワインを口にしたが、代わりに彼女の仲間――巨人族のガンテが、ワインを片手に声を潜める。


「滅多なことを言うもんじゃねぇぞ、おれたちはあの小僧を人質に取るつもりだったんだ。殺す気なんざ微塵もねぇ。迂闊な行動に出たのはあんたのほうじゃねぇのか?」


 ガンテはフリーデを擁護すべく言い訳を口にしたが、言い訳ならロベルタにもあった。


「わたしだって同じだ。食堂の店主にはヒトラーさんに出すシチューの鶏肉にのみ毒を仕込むよう頼んだ。アドルフ君を巻き込まないためだ」

「巻き込まないって保証はないだろ」


 ここで武闘家のハイドが口を挟み、ロベルタの顔を冷ややかな目で眺めた。


「ヒトラーが毒味をしてそいつを小僧に食わせるかもしれない。おれたちだってそうさ。ヒトラーが言うことを聞かなければ、人質の小僧を殺して魔力供給源を断つのがいちばん手っ取り早い。最悪、あの小僧が歯向かうかもしれんしな」

「それはありえるな。アドルフの野郎はああ見えてなかなか肝が座ってる」


 ハイドの発言にリッピが頷き、その間に注文した料理が運ばれてきて、テーブルは彩り豊かな皿でいっぱいになった。

 とはいえハイドの言葉には一理あるとロベルタは思った。アドルフに害が及ぶ可能性は少なからずあり、そもそも悪人だからと言ってヒトラーを殺してよかったのかという良心の呵責もゼロではない。

 宝呪の枠が◆8だったアンゲラ総督には権威を抱くが、◆11のヒトラーには恐怖を感じる。その恐怖が殺意を肯定するのだが、ロベルタはそこまで考えが到らず、小声で恥じたのは自分の不明だ。


「貴方たちの言うことは筋違いじゃない。あらためて振り返れば、宝呪を奪う算段は万全ではなかった。 アドルフ君を危険にさらした点でわたしも同罪だ」

「謝ることはない。◆11の極悪人でも人間は人間だ。殺人が正当化される道理は最初から存在しなかった」


 ロベルタを庇ったのはフリーデだった。しかし彼女は、ソーセージを食いちぎりながらこう続ける。


「もっともわたしはスターゲイザーが何としても必要だった。したがってたとえ何回同じ時をくり返そうとも、ヒトラー殿から宝呪を奪おうとしただろう。いまだってまだ、諦めきれているとは言いがたい」


 その発言は異様なまでの執念を感じさせ、ロベルタは胸騒ぎを覚えた。けれども同じことを考えた者は彼女だけではなかったらしく、ワイングラスを手にしたハイドがとびきり低い声を放つ。


「過ぎたことを悔いても仕方あるまい。最善を尽くして宝呪を取り戻そうとしたものの、あいつらが一枚上手だったってことさ。結果が全てだ。勇者候補になるためには、スターゲイザーを奪還するのを諦め、★8つを発掘することに焦点を絞るべきだ。勇者選で勝つことに意識を切り替えろ」

「君の言うとおりだな。目的はスターゲイザーではない、勇者選だ。原点に立ち返ろう」


 神妙につぶやき、フリーデは黙り込んだ。しかしそこから彼女は思いもかけないことを口にする。


「そう言えばロベルタ殿、頼みがあるのだが」

「なんですか?」

「あなたはアドルフ君と親しいように見えた。彼の端末の登録番号を教えて貰えないか」

「そんなものを知ってどうする気ですか?」

「わたしが勇者候補になった暁には、共闘を呼びかけたいと思った。ヒトラー殿は難物だが、アドルフ君ならきっとわたしの掲げる理念をわかってくれると思うんだ」

「待ってください、ヒトラーさんは勇者候補に?」

「スターゲイザーを手に入れたらほぼ自動的にそうなる。何よりヒトラー殿は、わたしたちに宝呪を返すそぶりさえ見せなかった。勇者候補にならないとすれば、金に換える手もあったはずだ」

「つまりどういうことですか?」

「ヒトラー殿はスターゲイザーが手放せない理由があった。それをわたしたちは勇者選にエントリーしたからだと読んだ」

「なるほど。でもフリーデさん、わたしはアドルフ君を巻き込むのは反対です」


 まだアツアツの肉野菜炒めを突つきながら、目線を落としたロベルタは悄然とした顔つきで言った。


「彼はまだ13歳です、子どもと言って差し支えないでしょう。そんな彼を大人の陰謀渦巻く勇者選に引きずり込むのは承服しがたい」

「保護者気取りはいいが、もうすでにあの小僧は巻き込まれている。今さらあがいても遅い」

「ハイドの言うとおりだ。それにアドルフはあの口ひげにえらく懐いてる。たぶんあんたが説得しても、アドルフは口ひげを選ぶだろうな」

「違えねぇ」


 リッピとガンテが同調し、ロベルタはあらためて考えた。確かにアドルフは、出会って一日しか経っていないヒトラーとずいぶん親しく接していた。

 正直なところ、ロベルタは妹がいるため、年下のアドルフに姉として向き合ってしまうところがあった。そういう自分の性に彼女は気づき、ヒトラーに嫉妬心さえ抱きつつあることも自覚した。ひょっとすると、勇者選での共闘を持ちかけたいと言ったフリーデにすら反発心を覚えているかもしれない。

 そうした洞察はロベルタに光をもたらした。彼女はアドルフの端末番号を教え、ついでにこう言った。


「もう一度アドルフ君と再会することがあったら、彼を守ってやってほしい。運命が彼を大人の世界へと連れて行くなら、せめて良い方向へと導いてほしい。わたしはそれができない、代わりにあなたが――」

「ロベルタ殿、あなたは少し勘違いをしてないか」

「勘違い?」


 フリーデは端末をしまうと、チーズを口に運びながら肩をすくめて言う。


「そんなにアドルフ君の身を案じるなら、あなたが彼らとパーティーを組めばいい。見たところ冒険者として十分な経験を積んだようには見えないし、個人的な事情もあるだろうが、選択肢は広い」

「パーティーですか? それは想定していませんでした……」


 フリーデの助言は、ロベルタの表情を少しだけ変えた。勤め先を解雇され、妹の世話もある。けれどもこの先、おのれが自由になることがあったら。その想像はロベルタの心を楽にさせた。


「ありがとう、フリーデさん。おかげで曇っていた目が晴れました」

「それならよかった。大切なものは自分で守る。冒険者の鉄則だ」


 ワインを飲んだせいだろうか、フリーデの頬はうっすら赤い。そんな彼女に呼応して、フリーデの仲間たちも「良いこと言うぜ」と笑顔を見せた。

 ロベルタは、その笑顔につられて微笑んだ。そしてワイングラスを掲げ、「貴方たちの未来に乾杯」と控え目に言い、感謝の気持ちを言葉にこめた。

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