第15話
巨神を相手にした二度めの戦闘。ぼくは今度こそ苦戦すると思っていた。けれどその予想は、味方につけたフリーデさん、ロベルタさんをひどく侮ったものだった。
フリーデさんたちは脚を攻撃し、まずは巨神の突進を止めた。ついでヒトラーさんは【念力】という能力を用い、巨神の胴体を前のめりに傾けた。訓練などまったく積んでいないのに、味方の動きは見事な連携が取れており、素人であるぼくにさえ次の展開がはっきりと読めた。
「ロベルタ、あの娘の動きを止めよ」
最初は上の空だったロベルタさんにヒトラーさんの指示が飛ぶと、彼女は頬を平手で二度叩き、巨神にむかって一目散に突進した。
巨神は【念力】の力で地面に這いつくばる体勢となっており、跳躍したロベルタさんは巨神の体に楽々と飛び乗る。勢いのついた彼女はそのまま一直線に頭部へむかい、司令塔であるテレザお嬢様と対峙した。
「わたしが言えた義理ではありませんが、町の破壊はやり過ぎと言わざるをえないでしょう。この巨神はあなたの玩具にしては危険過ぎるのです。潔く降参してください」
「バカなこと言ってんじゃないわよ。スターゲイザーを取られたのだから、取り返すのが筋でしょ!?」
「あの宝呪は自分に見合った持ち主を選んだのです。人間の都合を押しつけても通用しません」
「うるさいわね、わたしの都合が全てでしょ!?」
いくらかやり取りを経て、話し合いが通じないと悟ったのか、手刀を固めたロベルタさんが振り上げた右手をお嬢様の首筋に打ちつける。
すると握り締めた鞭を手放し、お嬢様の体から力が抜けた。おそらく失神したように見えたが、彼女の命令が行き届かなくなったことで巨神の動きがぴたりと止まった。それはもちろん、反撃をくわえるチャンスだ。
「ヒトラーさん、お願いします」
お嬢様を抱きかかえ、ロベルタさんが地面に降り立った。それを見たヒトラーさんは忌々しげに舌打ちしたが、どちらにせよテレザお嬢様を生かしたのは彼の選択だ。
「アドルフ、お前の魔力をかなり奪うぞ。それなりに手加減はするがな」
そこからの展開は、圧巻のひと言だった。
ヒトラーさんはスターゲイザーの【爆裂】という能力を用いて、巨神の胴体に赤い火球を撃ち込んだ。動きを止めた巨神だが、再び前進をはじめようとしており、八本の脚のひとつが火球を弾き返そうとした。
けれどそれは、無駄な抵抗だった。
火球は巨神の脚を引きちぎり、赤く灼けただれた胴体にめり込んだ。そこでぼくは、ヒトラーさんが【爆裂】を選択した理由を悟る。通常の火焔魔法なら表面を灼いて終りだが、ヒトラーさんの撃ち込んだ火球は爆発までにタイムラグがあり、そのぶん衝撃が内部に届く計算だったのだ。
時間にすればたった数秒だが、火球は巨神の体に沈み込み、その直後もの凄い爆発が起こった。
「これは……途轍もない破壊だ」
隣にいるフリーデさんが呆れたようにつぶやき、ぼくは今さらめまいのようなものを感じた。体から力が吸い取られるような感じがして、ぼくは【爆裂】と引き換えに自分の魔力が消費されたことを実感する。
けれどそのおかげで、巨神は回復不能な破壊を被った。体の中心部で爆発が起こったために、天をつくような胴体が四散して、あとには原型をとどめない肉片が周囲に飛び散った。
そして巨神がいた場所には、赤い輝きをおびた丸い玉が残されていた。それはきっと巨神の心臓に相当する部分なのだろう。
「だれかあの玉を破壊せよ。我はこれ以上攻撃するとアドルフの魔力が不安だ」
ヒトラーさんの要求に頷き、フリーデさんが応じた。彼女は宝呪をいじり、得体の知れない能力を発揮する。重力のようなものが働き、巨神の心臓部を一瞬で押し潰したのだ。
赤い玉が砕け散ると、周囲に飛散した巨神の肉片が動きを止めた。それは恐ろしく生命力の強い巨神が完全に沈黙した証だった。
巨神の反撃に一縷の望みを託していたのだろう。ロベルタさんに抱きかかえられたお嬢様が、あえなく地面に膝を折った。
「ヒトラーさん、あなたの指示どおり、テレザお嬢様は生かしておきました。彼女の処遇はお任せします」
かろうじて生き残ったお嬢様を持て余し、ロベルタさんが複雑そうな顔つきで言った。
とはいえぼくは、ヒトラーさんがお嬢様に手を出さなかった理由を概ね察している。彼はぼくに貸しをつくったのだ。
食堂でロベルタさんを殺しかけたように、ヒトラーさんは情け容赦ない人だ。けれど、ぼくが人殺しを望まないことは短い付き合いで理解したはずで、関係性の悪化はぼくという魔力供給源の喪失を意味する。問い質しても答えないだろうけど、これはぼくにとって確信に近い考えだった。
「だれか捕縛してください」
ヒトラーさんのかわりにぼくが言うと、ガンテさんが布を取り出し、お嬢様を後ろ手に縛った。
「わたしの思いつきじゃないわ、エジルに唆されたの」
魂の抜けていたお嬢様だが、急に危機感を覚えたのか、泣き出しそうな顔で言い訳をはじめる。ぼくが「エジルさんは?」と尋ねると、「屋敷に残っているわ」と彼女は答えた。
するとヒトラーさんが、憮然とした顔で言った。
「残っているわけがあるまい。遠くで様子を窺っておるはずだ。勝てば現れ、負ければ逃げる算段をつけてな」
「捕まえにいきましょうか?」
「その必要はありません、ロベルタさん。もうじき日が暮れます。止めておきましょう」
ぼくが話を進めるけど、ヒトラーさんは何も言わなかった。かわりにフリーデさんが、「警察隊に通報した。彼らに任せよう」と口を挟んだ。
警察隊という言葉が出た途端、ぼくはあることを思い出した。そして同じことを思った人が、この場にひとりいた。ロベルタさんだった。
「罪はわたしたちにもあります。一緒に罰を受けましょう」
彼女は思い詰めた表情でフリーデさんに話しかけ、フリーデさんはヒトラーさんを見た。そう、彼女たちはぼくとヒトラーさんを罠にかけようとした。みずからの思惑を洗いざらい話せば、彼女たちは罪に問われるかもしれない。
けれどぼくは、この世界では殺人が起きなかったことの意味を重く見て、ロベルタさんたちに罰を下す気が湧かなかった。
罪に問われるのは、町を破壊したお嬢様だけでいい。そんな願望をこめて、ぼくはヒトラーさんを懇願するような目で見つめた。
彼は少しだけ困ったような表情をしたが、すぐに宙を睨みながらこう言った。
「我を殺し損ねた者たちを罰する趣味はない。お前たちの抱くやましさは、自分で納得するまで解決しろ」
ぼくはそのひと言に、またしても配慮を感じとった。ぼくの思いを汲み、お嬢様を殺さずに生かしたのと同じ配慮を。
「ありがとうございます、ヒトラーさん」
「べつに礼を言われるようなことはしておらん。それよりアドルフ、これからどうするつもりかね?」
「混乱したトルナバにいてもロベルタさんに迷惑をかけるでしょう。できるだけ早くポツダムに行きたいです。テレザお嬢様の後始末をお願いできるなら、ぼくたちはトルナバを発ちます」
「警察隊が来るとしても明日になるだろう。それまでわたしたちが逃げないように監視しておくよ」
面倒な頼みをフリーデさんが引き受けてくれた。とはいえぼくには、もうひとつやるべきことがある。
「なっ、何するの――アドルフ!?」
「お嬢様の宝石を頂きます。どうせお館様に貰ったものでしょう。あなたが文句を言う資格はありません」
ぼくはお嬢様のペンダントを外して、それをロベルタさんに手渡した。
「これを妹さんのために役立ててください。ぼくとは違って賢そうな妹さんでした。学費の足しになると思います」
「……アドルフ君」
「あんたねぇ、勝手に何やってんの。わたしのペンダント返しなさいよ!!」
困惑するロベルタさんに宝石を押しつけると、テレザお嬢様が金切り声を発した。ぼくの横暴に怒りを滲ませているが、わざわざ耳を貸すほどぼくも暇じゃない。
「巨神を倒すのもひと苦労なんですよ。このペンダントはあなたが払った迷惑料です」
ロベルタさんとその妹さんが憐れみを覚えるほどの不遇にいたことは、二度のやり直しで知ったぼくの心残りだったけど、それを解決したことでやり残したことは何もなかった。
ぼくとヒトラーさんは、ロベルタさんの家に戻り、荷物をまとめて出発の準備をした。日も落ちてきて馬車を使えないけど、徒歩での旅も悪くない。
ぼくらが町の出口にむかう途中、ロベルタさんとフリーデさん一行が見送りに来てくれた。町から出る道は二つあり、ぼくらはプロヴァンキア教会領に行く道の分岐点で別れた。
「夜道は危ないぞ、気をつけろよな」
心配そうに言うリッピさんに、ぼくは「平気です、宝呪がありますから」と答えた。
「そう言えば、プロヴァンキア教会領は◆8以上の人間は領地に入れなかったはずだ。ヒトラー殿はどうするつもりだ?」
同じような不安を口にしたのはフリーデさん。ぼくは軽く頷きながら返事をした。
「悪人禁止令ですね。でも大丈夫です。最後の町に着いたら隊商の荷物にまぎれてこの国を出ます。そうすれば入国管理に引っかかりません」
「なるほど。一度入国してしまえば簡単にバレないからな。安心した」
静かに鼻息を吐いた様子のフリーデさんだが、彼女の隣に立っていたハイドさんがおもむろにぼくたちのほうへ近づき、こう言った。
「どのみちその軍人姿は悪目立ちする。いざとなったらこれで身を隠せ」
ハイドさんが手渡したのは、深い褐色のマントだった。受けとった重みからして二着はある。
「ありがとうございます。こういうのは次の町で買うつもりだったんですよね。助かりました」
人間というのはよくわからない。べつの世界ではぼくたちを殺した人たちが、この世界では旅の行く末を案じてくれる。ひょっとすると罪滅ぼしの気持ちがあるのかもしれないけど、ぼくは感謝の念にとらわれ、見送りに来てくれた皆に何度もお辞儀をする。
「礼を言うのはわたしのほうだ。この恩返しはいつかきっと果たすよ」
別れ際、ロベルタさんが手を差し出してきて、ぼくとヒトラーさんは順番に悪手を交わした。
「それじゃ、出かけます。さようなら」
「行くぞ、アドルフ」
名残惜しさが捨てきれないけど、素っ気ないヒトラーさんは先にスタスタと歩いてしまう。
ぼくたちはまっすぐ西に向かった。地平線に落ちる夕陽がとてつもなく綺麗だ。そして背後には紺碧の夜が迫っている。
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