第13話

   *  ラインバッハ商会邸  *


 遡ること一日前。ラインバッハ家の令嬢テレザは孤独になろうとしていた。


 使用人が次々と屋敷を去り、事件の捜査を終えた警察隊が引き払った後、不本意にも屋敷の主となったテレザはしばらく抜け殻のようだった。

 両親の遺体は教会の人間が引き取っていき、葬儀の準備を依頼したが、埋葬式まで三日かかると言われても現実味が湧かず、ただ黙って頷くだけだった。

 そんなテレザだが、状況の打開を図らねばという意志はわずかにあり、荷物をまとめて挨拶に現れたロベルタにたいし、エジルの逮捕か、スターゲイザーの奪還を指示した。


「それは命令でしょうか?」


 危険な任務に顔をしかめ、ロベルタはこわばった声で応じた。隷属魔法は解けているため、普段の忠誠心は微塵もない。

 テレザは自分の置かれた立場に落胆したが、それでも必死に声を絞り出す。


「命令は命令だけど、取引だと思って頂戴。宝呪の売値の10%を支払うわ」


 10%は決して高くはないが、テレザはロベルタが実家に仕送りをするほど金に困っていることを知っていた。案の定ロベルタは、しばらく考え込んだ後、軽くお辞儀をした。


「巨神の襲撃で、宝呪の所有権が乱れました。それを元に戻すことならお引き受けします」


 現況の回復というわけだがテレザの依頼と意味は同じだった。もっともエジルの逮捕は楽そうに見えるが容易ではない。スターゲイザーの奪還はあのヒトラーとかいう男との戦いになる。目的の困難さを想像したらしく、ロベルタは沈黙した。それを見たテレザは、彼女にとっておきの案を授けることにした。


「あの軍人は◆11の極悪人よ。手段を選ぶ必要なんてないわ。見たところアドルフの存在があいつの力の源だった。狙うならアドルフをやりなさい。確か【薬剤師】を持っていたわよね?」

「はい、所持しております」

「好都合じゃない。隙を見てアドルフを毒殺するの。そうすればいくら★11の宝呪とて無力化できるわ」


 たった数分に満たない戦闘から的確な情報を抜き出す。それは賢者と呼ぶにはあまりにも偶然だったが、情報の使い途に関して言えばヒトラーに劣らぬ悪人のそれだった。

 現に助言を貰った形のロベルタは悩ましく眉をしかめてしまったが、大金持ちの家に生まれたテレザは人間が金に弱いことを熟知していた。悩むということは報酬が欲しいのだろう。そう高をくくっていると、ロベルタは苦りきった声でこう答えた。


「最善の手段かもしれません。わたしではあのヒトラーという男に勝てないでしょうから」

「うまくやりなさい、ロベルタ。わたしたちは、あなたの執事としての顔にくわえ、屋敷を守る暗殺者としての顔にも給金を支払っていたのだから。心から信頼しているわ」


 暗殺者というひと言は念押しだったのだろう。ロベルタは恐縮したように肩をすぼめ、ため息を吐くように言った。


「幸いその力を発揮する不届きな客と出会うことはほとんどありませんでしたが」

「バカね。エジルとヒトラーがその不届き者よ」


 テレザがぴしゃりと言うと、ロベルタはさらに恐縮した。一礼した彼女はやがて部屋を辞去していき、豪奢に飾られた部屋にはテレザ一人が取り残された。


   *    *


 ロベルタに事態の打開を委ねたが、エジルの逮捕にせよ、ヒトラーの暗殺にせよ、一両日で結果が出るとは思えない。しかしテレザの心は、早くも安心材料を欲しがりはじめる。

 話し相手もいないから気の紛れようもない。アドルフが残っていれば、良い話し相手になっただろうに。


 仕方なくテレザは、ケーキをホールごと皿に載せ、館の屋根に登り、巨神の灼ける様子をじっと眺め続けた。空には星々が輝き、もう半分の空は雨が降っていた。奇妙な空模様だが、小雨が降るたび、彼女は傘をさした。


 よく見ると、巨神の胴体が小さく脈を打っている。まだ絶命していないのか。


 不安を覚えて警察隊に通報しようか迷ったが、それをする気力はなかった。

 やがて雨は上がり、テレザは屋根の上で横になる。眠りから覚めた頃には、気持ちを切り替え、元気を取り戻せていることを願って。


 眠りの全てがそうであるように、彼女は自分が何時間寝たのかわからない。空はまだ暗かったからだ。おそらくまだ深夜なのだろう。

 目を覚ましても、憂鬱な気分は変わっていなかった。

 館に戻ったテレザはキッチンに行き、紅茶を煎れながら、食堂に行きべつのケーキを食う。少し汗臭いので全身に香水を振る。

 鏡の前に立ち半裸になっているところで彼女は人影を見た。部屋の入口に立つ男に目が釘づけになった。男は使用人然としてお辞儀をする。容姿に見覚えがある。エジルだった。


 逃走したエジルがなぜ戻ってきたのかテレザは見当もつかないが、彼は自分が敷地に潜んでいたことをバラし、不可解なことを言いはじめる。


「一晩観察したところ、あの巨神って魔獣はまだ生きてます」

「死にかけでしょ」


 即答するテレザをじろりと見て、エジルは意地悪そうに笑った。


「火が消えていることはご存知ですか、お嬢様。やつは一晩かけて体を覆った火を消し止めたんです」


 その話がいったいどんな意味を持つのか、テレザは怪訝そうになる。しかしそこからエジルは、さらに不可解なことを口にした。


「スターゲイザーを取り返して、元どおり仲介業務に徹しましょう。おれが持ち逃げしたサイレントエンペラーならお返しします。ただし、スターゲイザーをアンゲラ総督の遺族に売り払って得た取引益の半分をおれに下さい。悪い話じゃないでしょう?」


 最初に思ったのは、図々しいことを言うやつだわ、という腹立ちだった。しかしテレザは、今頃警察隊に通報するには遅すぎると考えた。そしてそれ以上に、エジルの帰還を好都合に捉えた。


 悪賢いエジルは、テレザが孤立無援に置かれるのを見計らい、狙い澄ましたタイミングで現れたのだろう。だが商売に不慣れで、心の弱っていたテレザはエジルの要求を渡りに船と感じてしまった。自分さえ手綱を握っていれば、従者のように容易く操れると勘違いしてしまったのだ。


「スターゲイザーの奪還はロベルタに一任したわ。それを取り戻したらもう一度正規の取引を行いましょ。取引益の10%をあなたに差しあげるわ。半分は高すぎるもの」


 何となく嫌な気持ちがして、テレザはエジルの要求を値切った。けれどエジルは、最初から過大な要求をしていたらしく、提案を素直に受け入れた。そのかわり彼は、テレザの思惑をやんわりと否定した。


「ロベルタに一任したとのことですが、返り討ちに遭うかもしれませんね」

「あなたは知らないでしょうけど、スターゲイザーを奪ったヒトラーという男はアドルフが足枷になっているの。宝呪の真価は発揮できないわ」

「そんな想像を軽々打ち砕くのが最高位の宝呪です。もし本気で取り返すなら、こちらもしかるべき策を練らねばなりません」

「策って何よ?」

「それはもちろん、巨神です」


 思わせぶりに言ったエジルを見つめ、テレザは思い出した。巨神という魔獣がまだ生きていることを。


「巨神が生存していたところで、それに何の意味があるの?」


 エジルの魂胆が読めなかったテレザはつい早口で詰問する。すでに隷属魔法が解け、服従を逃れているはずのエジルは、そこで初めて対等の口を利いた。


「おれの目に間違いはない。あの巨神って野郎はしぶとく生きてるどころか、まだ戦える」

「戦えたところで暴れるだけでしょ。ヒトラーを倒すうえでどんな意味があるの」

「あんた、自分の能力を忘れてないか?」


 テレザの宝呪は【竜使い★★★★★】だ。それが何を意味するか、さすがのテレザも理解した。


「巨神を竜に見立てろというわけ?」

「たんなる竜使いなら無理かもしれないが、あんたは★5もある。可能性は高いだろ」

「…………」


 エジルの説得は巧妙で、おそらく彼は屋敷から逃げるときにこの計略を思いついていた可能性が高い。


 知恵はまわらないが高いスキルを持つ者と、悪知恵の働く者がひとつになったとき、前者に何が起こるだろう。後者に踊らされるのが関の山だ。

 しかしテレザにとって、そんなことはどうでもいいことだった。なぜなら彼女の心を覆っていた雨空は、エジルの助言で真夏の青空のように晴れ渡ったのだから。

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