第12話
「ちょっと用があります」
家に戻るとすぐに、ロベルタさんを呼び出した。ヒトラーさんはおらず、ぼくひとりの行動だった。
シチューはまだ作りかけだったらしいけど、ロベルタさんは鍋の火を止め、ぼくの言うとおりにした。
ぼくが彼女を連れて行ったのは、時を巻き戻す前に毒を盛られた店だ。
この間、ロベルタさんは少しも疑問を発しなかった。普通、突然呼び出さたら、その目的ぐらいは聞くだろう。けどロベルタさんは何も尋ねなかった。かわりにぼくは彼女から不穏な気配を感じ、決して前を歩こうとはしなかった。
食堂にたどり着きドアを開けると、なかにはすでにヒトラーさんがいて、彼の座るテーブルには料理が並んでいた。それはホワイトシチューとポテトサラダだった。ヒトラーさんはぼくたちが現れるのを待っていたかのように、出てきた料理を「両方食え」と店主に言った。
「……できません」
と店主は答えた。その返事をヒトラーさんは鼻であしらい、「最初から毒が入れてあったな?」と言う。
店主はその発言を予期していなかったのか、ひどく驚いた様子で目をむき、愕然とした表情でロベルタさんを見つめた。
ロベルタさんにしたら、どうして見破られたのかわからないだろう。隣に立つ彼女を見上げると、口を半開きにしつつ声も出せない様子だ。とはいえ、不意の呼び出しに覚悟のようなものがあったのか、鋭くつり上がった目がヒトラーさんを射抜いている。
「ふむ。小僧に声をかけられたとき、嫌な予感はしておったのだな。逃げなかったことを褒めてやろう。もっとも、ここへ来た以上、お前に逃げ場はない。アドルフと我を毒殺しようとしたことは未遂の罪だ」
そう、ロベルタさんの家に戻るまでの間、ぼくはヒトラーさんから教えられていた。殺人という行為は計画を企てただけで罪になると。ただし彼は、罪に罰を下すべきかは自分が決めると言った。
生殺与奪の権を握られ、ロベルタさんはどんな心境だろう。ぼくはヒトラーさんの真意を半分近くしか理解しておらず、ここから事態がどう転ぶのか正直よくわかっていない。
そのときだった。急にヒトラーさんが立ち上がり、おもむろに店のドアを開いた。
ぼくが彼の動くスペースを空けていると、何を思ったかヒトラーさんは店の外に腕を突き出し、誰かの体を店内に引きずり込んだ。
激しい抵抗の末、フードとローブを身にまとう輩が目の前に突き出された。それは前回のループでぼくたちを襲った刺客だった。ということは、その正体は明らかだ。
「お前たちも入って来い、隠れても無駄だ」
刺客の一人を捕獲したことで仲間たちも観念したのか、同じく刺客の格好をした連中が店内に姿を現す。彼らは全員で4人いた。それはフリーデさんのパーティーと同じ人数だ。
「フリーデ、ガンテ、リッピ、ハイド。全員フードを取れ。お前たちの魂胆は把握済みだ」
前回のことを考えると、刺客は――フリーデさんたちは、反撃に出てもおかしくないと思った。しかし彼女たちは戦闘体勢を取らなかった。
なぜか。ひとつは最初からヒトラーさんがおり、スターゲイザーの力を恐れているからだろう。そしてぼくという人質を取っておらず、しかもこの場所には店主や客もいる。人殺しを躊躇うには十分な理由だ。
「よし、役者が揃ったな」
フリーデさんたちが頭巾を取ると、ヒトラーさんは口の端をつり上げた。うなだれるフリーデさんたちを見て、ぼくは少しだけ腹を立てた。
「恩を仇で返すとはこのことです」
ぼくたちを襲撃するつもりだったせいか、フリーデさんは何も言い返さないものの、彼女たちが殺害を放棄したかどうかは不透明だった。
とはいえ前回の反省に立ち、ヒトラーさんは見つけだしていたのだ。室内でも使える攻撃兵器を。
「見たところ観念した様子だが、あいにく我らはお前たちのことを信用しておらん。かわりにこんなものを用意した」
そう言ってヒトラーさんはスターゲイザーを起動した。すると瞬時に、大ぶりの水晶が彼の手のひらに現れる。
食卓に置くと、水晶の表面には妖しげにうごめく艶が浮かんだ。その優雅な光沢はとても兵器には見えない。
「動いたら火傷では済まんぞ、フリーデ、ガンテ」
ヒトラーさんが呼びかけると前衛のふたりは顔色を変え、特にガンテさんは水晶の放つ得体の知れない威圧感にたじろいだ。
きっと無意識の動作だろう、後退ったガンテさんはテーブルに脚をぶつけた。
その途端、水晶が閃光を放つ。目視するのがやっとの光線が瞬く間にテーブルを襲った。木材が灼ける焦げた匂いを残し、テーブルはまっ二つに割れ、床に崩れた。それを見たガンテさんは、ごくりと息をのみ込んだ。
ヒトラーさんは満足そうに口ひげを動かし、固く唇を噛み締めるフリーデさんを見て言った。
「実力主義の世界を変えるには宝呪の力が要る。だからスターゲイザーを奪うべく我を殺し、アドルフの命さえ取引の材料とするつもりだった。我は◆11の極悪人だが、子どもを人質に取るほど卑劣な根性をしておらん。目的が正しければ、どんなことでも許されるという考えは極悪人以下である」
ヒトラーさんが口にしたのは前回フリーデさんが述べた言い訳と、彼女の狙いだった。宣言した覚えのない目的と計略を指摘され、フリーデさんは驚きで目を見張った。
彼女の反応を見届けたあと、ヒトラーさんはすかさずロベルタさんのほうを向き、声を放った。
「お前もなぜ毒殺が露見したか不思議に思っているであろな、ロベルタよ。しかし注意深い我らは、お前の家に借金があること、優秀な妹の学費をほしがっていることを町民の会話から察知した。スターゲイザーを売れば金になる。あとは我とアドルフを排除する覚悟があれば十分だ」
まるで先読みしたかのように、ヒトラーさんは犯人の動機をズバズバ当てた。その証拠にロベルタさんは、見たこともないほど凍りついた顔で衝撃を隠そうとしない。
「妹の勉学に役立ててくれといくら仕送りを送っても両親は金を使ってしまう。都会に出かけて、博打に金を使ってしまうんだ」
ロベルタさんは無感情に語りだすが、それは言い訳には聞こえなかった。むしろただの独り言だ。
ぼくはこの場が異様な空気に包まれていることをようやく察し、怖くなってきた。
「もうこの辺にしておきましょう。あとはヒトラーさんの気持ちひとつです。犯人にどんな罰を下すか」
「案ずるな、アドルフ。罰なら答えは出ておる」
「こ、答えが……?」
即答するヒトラーさんに圧され、口ごもってしまうぼくだが、彼は明瞭な声で自分の下す罰を語った。
「スターゲイザーが欲しくば、我のみを相手にせよ。所有権でいえば曖昧なものだ。この宝呪はいま、欲深い人間の手を離れ、公平なる神がその行方を握っておる。枠の数は関係ない。宝呪を手にする資格があると思う者は、その意志をもって我に挑め。逃げることは許さん。それがお前たちに与える罰だ」
想像を超えた事態に出くわすと人は言葉を失う。いまのぼくがまさにそれだった。殺意は明らかだったのだから、警察隊に突き出すとか、制裁をくわえるとか、そういうありふれた解決法をイメージしていたのにヒトラーさんは自分と戦うことを犯人に強いた。でもそれは、ある意味死刑宣告のようなものだ。
「この水晶の威力は我もよく知らんが、当たり所がよければ死には到るまい。見え透いた懺悔など要らぬ、死に物狂いで奪うがよい」
この期に及んでぼくはうっすらと悟った。ヒトラーさんは死んでもやり直せる。裏を返せば、敵に塩を送るくらい造作もないのだ。
かわりに彼は、この状況を楽しんでいるのではないか。危険と隣り合わせになった人間の感情をもてあそびながら、逃げることも嘆くこともできない相手を横柄な顔で眺めている。
降参したほうがいい、とぼくは思った。ヒトラーさんの術中にはまったら嬲り殺しにされるだけだと。
けれど、一度は人殺しを決めた者の心は、ぼくの思惑など簡単に裏切っていく。
ロベルタさんが構えた。そこから先の動作は、ぼくの目では追いきれなかった。
「フハハ、そうこなくては!」
三本の短剣がヒトラーさんの腕に刺さった。咄嗟に防御したのだ。
「殺し損ねたな。水晶の威力に耐えきれるかな?」
ヒトラーさんがそう言うと、ロベルタさんのいた場所に水晶の光が照射される。土壁に黒い穴が空き、またしても焦げ臭い匂いが立ちのぼった。
どういう理屈かわからないが、水晶は照準を定めた相手に光を放つ仕組みらしい。それを瞬時に読んだのだろう。ロベルタさんは目にも止まらぬ速さで動き、壁伝いに店の反対側へと跳躍した。水晶の光はその動きに追いすがるものの、ロベルタさんの速さがわずかにまさった。
再び三本の短剣が放たれる。今度は水晶の光が、ヒトラーさんを守った。
「いまのは危なかったな。どれ、少し設定を変えてみよう」
ロベルタさんが暴れまわるため、食堂はぎしぎしと揺れている。防戦するヒトラーさんには小さくない隙があったが、フリーデさんは仲間を制して攻撃をくわえない。加勢すると水晶の反撃を浴びるのはわかっているため、静観を選んだのだ。あの光は当たる場所が悪ければ死に到る。たった数秒に満たない攻防からそのことを理解したに違いない。
現に水晶の光は、投擲と跳躍をくり返すロベルタさんのいた場所を灼き、食堂の壁に黒々とした穴を空け続けている。
そしてついに、閃光がロベルタさんの額をかすめた。前髪の灼ける音が聞こえた。設定を変えた水晶が彼女の移動する場所を先読みし、攻撃の精度を高めたのだ。
「もうこれぐらいにしましょう。ロベルタさんは死の危険をくぐり抜けました。十回罰を下されたようなものです。それでも生きているということは、神はその罪を許したのです」
ヒトラーさんとしては、ぼくを殺した犯人をじわじわ追いつめる意図なのだろうけど、殺されたぼくとしてはもう十分だった。力こそ圧倒的に不利だが、ヒトラーさんはぼくを
けれど咄嗟に思いついた考えは、ぼくの浅知恵に過ぎなかった。
「勘違いしておるな、アドルフ。罪を許すか否かを決めるのは神でなく我だ。そして我はお前の願望に従う義務はない。百歩譲って共通の目的に適うならまだしも、ロベルタはそれを邪魔した女だ」
淡々と残酷な発言をする彼をよそに、水晶の光はロベルタさんを狙い撃ちにした。とうとう脚を貫かれ、彼女は床に転落し、片膝を突いて立ち上がったがその疲弊ぶりは明らか。もはや戦闘続行は不可能だ。
彼女を睥睨するようにヒトラーさんが腕組みをした、そのときだった。
「またあの魔獣が出た! 巨神の野郎だ! 店なんてやってる場合じゃねぇぞ」
食堂の扉が開き、町民が大声を出す。その叫び声に食堂の主が反応する。
耳を澄ますと外が騒然としていた。だれかが「逃げろ! こっちへむかってくる!」と張り裂けそうな声を上げている。
一方的な殺戮が突如静止され、食堂の主が店を飛び出し、顔を見合わせたフリーデさん一行もその後をついていく。
ぼくは慌てて駆け出し、ロベルタさんを庇いながら言った。
「巨神はこの間やっつけたはずじゃ……!?」
「べつのやつかもしれんな。もしくは生きておったとか」
生きていた、というヒトラーさんの予想をすんなり受け入れることはできなかったが、いまはその是非を論じている場合ではなかった。
ぼくは脚をやられたロベルタさんに肩を貸し、彼女と一緒に食堂の外へ出た。見るからに不機嫌そうなヒトラーさんだったが、彼も嫌々あとに続く。
全員が食堂の外に出たとき、ぼくは状況が危機的だったことを知る。おそらく町の入口から侵入した魔獣は進路にあたる家々を踏み潰し、すぐそばまで迫っていた。
それはきっと、先日ヒトラーさんが倒した巨神だったと思われる。気球のような形状が同じで、全身が焼けただれていたからだ。
息の根を止めた巨神に、ヒトラーさんは火を放ったと言った。しかし巨神はまだ生きていたのだ。その証拠に特徴である八本の脚で悠々と歩いている。そして、散り散りに走る町民にむけてどす黒い色の光線を放っている。一度死んで、攻撃方法が変わったのだろうか。
しかしこのとき、いちばんの注目点は巨神ではなかった。巨神の頭に人間が乗っていたのだ。瞼を凝らすとその正体が鮮明になる。
「お嬢様!?」
そう、見間違いようがない。金髪を振り乱すテレザお嬢様だった。
「これは厄介なことになったな」
背後で、ヒトラーさんが相変わらず落ち着き払った声で言った。そんなぼくたちに、攻勢を強めていく巨神は閃光を放った。
一瞬、それで死ぬかと思った。けれどヒトラーさんが数えきれないほど多くの盾を展開してかろうじて防ぐ。
ヒトラーさんは不本意かもしれないが、これで町が守られるのではないか。ぼくはそう思い、彼を極限まで有効活用することを決めた。
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