第11話

 手にしていたのは包丁と人参だった。ぼくは、野菜の皮むきをしている時点に時を巻き戻されたのだ。

 隣を見ると、仏頂面のヒトラーさんがジャガイモの皮むきをしており、裸になったジャガイモをボウルに放ると、彼は「風にあたりたい」と言ってぼくを外に連れだした。

 ロベルタさんは少し怪訝そうだったけど、ヒトラーさんはお構いなしだった。とにかく人気のない場所を探している様子の彼は、煙突から煙を吹いている民家を数軒過ぎ、町を流れる川の畔にたどり着いた。

 畔に立つヒトラーさんは、何を思ったか小石を拾って川面に投げつけた。平らな小石を滑らし、対岸まで届かせる遊びの一種だ。

 ぼくも同じ真似をして、石を投げた。ヒトラーさんの石と偶然ぶつかった瞬間、彼は言った。


「フリーデ一行が我らを襲撃する気であることは明白となった。おそらくロベルタの家で夕飯を摂ることにすると、襲撃のフラグが立つのであろ。張り込みがいるのだ。我らは知らないうちに監視されておる」


 夕陽の照り返しを受け、ヒトラーさんの顔は赤く染まっていた。ぼくはこれがたんなる密談ではなく、次のやり直しを乗り切るための戦略会議だと理解していた。だから前回得た情報のうち、重要だと思えるものを口にした。


「フリーデさんはテレザお嬢様の差し金ではないと言ってました。つまり自発的な行動だと」

「そこは確信できんな。依頼主をバラすほど間抜けではないであろ、あいつらは」


 ヒトラーさんの反論は筋が通っていて、ぼくは頷き返す他なかった。無言で小石を拾い上げて、川面に投じると、橙色の反射がぼくの記憶を強く刺激する。

 時間にすればたった数分前、ヒトラーさんは敵から奪った武器を使って自分の喉を突いた。その鮮烈な光景がまだ目に焼きついている。


「ヒトラーさん、これはぼくの見間違いじゃなければなんですけど――」


 言葉にするのはとても躊躇したが、事の真相を確かめずにはいられなかったぼくは、胸の詰まりを潔く吐き出す。


「あなたは時を巻き戻す直前、自殺したように見えました。あれは偶然なんですか?」

「偶然ではないが、当然のことをしたまでだ」


 ヒトラーさんは小石を拾いながら、ゆっくりと体を起こした。


「スターゲイザーの能力、【時間跳躍】を発動させる条件が我の死なのだ。法外な力を得るには、代償を伴う。しごくまっとうな理屈だ」


 彼は早口に言って、ぼくに背をむけた。しかし一度火のついた疑問は止められない。


「じゃあ、その前も?」

「お前が食べ残したシチューをたいらげたな。あの毒は巧妙だった。味はまったく変わらなかった」

「ぼくを救うために?」

「さあどうであろな。それよりアドルフ。お前、天使に会ったか?」


 続けざまに放つ問いかけをはぐらかし、今度はヒトラーさんがぼくを振り返った。


「天使とは話をしました、ぼくのやり直しと、目的について」

「なら想像がつくであろ。天界のやつらは我ら二人が勇者になることを望んでおる。転生が我自身の意志でなかったのと同じく、お前を助けるのもやつらの願望に従ったまでだ。くだらないことで悩むな」


 悩むな、と言われてぼくはハッとなる。ヒトラーさんの自殺を見たぼくは、自分のために命を絶つ彼にとてつもない後ろめたさを覚えていたのだ。

 その後ろめたさを察して、ヒトラーさんは何事もないように打ち消してくれた。人類史で最悪の悪人とは思えないほどの心遣いに、ぼくは自然と感謝の念を抱いた。


「ありがとうございます、ぼくを助けてくれて」


 思い返すと、天界で出会った天使はヒトラーさんに心を許すなと助言した。そこにこめられた重みのようなものは感じていたから、感謝はしても信頼は寄せなかった。あくまで今回限りの思いだ。ぼくのために味わった壮絶な苦痛を無にしては、人間として間違っている、そんな気持ちから出た言葉だ。


「フン、お前の気が済むならそれで良し。とはいえアドルフよ、答え合わせをしようではないか」

「答え合わせ?」

「そうだ」


 躍動感のある動きで小石を投げ、ヒトラーさんは地面に座り込んだ。ぼくもその隣に腰をおろす。


「前回の襲撃者はフリーデたちだった。だとすれば、その前の毒殺の犯人は察しがついておるかね?」

「認めたくはないですが、あれもフリーデさんたちでしょう」

「短絡的だな。先ほど推察したとおり、やつらはロベルタの家で夕飯を摂ると襲撃に動くのだ。トルナバの町民はやつらにとって他人。食堂の主が見知らぬ他人の指示で毒を仕込むわけがない」

「その言い方だと、毒殺を仕掛けたのはトルナバの住人?」

「当たり前だ。お前は釈然としないだろうが、食堂の毒はロベルタの依頼で仕込まれたものだ」


 ロベルタさんの名前が出た途端、ぼくは心臓を鷲掴みにされた気持ちになった。


「案の定、予想すらしていなかったという顔だな。しかし論理的に考えれば、それ以外の答えはない」

「待ってください!!」


 ぼくは自分でも驚くほどの大声を出し、ヒトラーさんの軍服を右手で掴んでいた。


「ロベルタさんは、お屋敷勤めで路頭に迷いかけていたぼくを親身になって助けてくれた人です。そんなバカな話が……」

「クールで怖そうだが、実は優しい心根を持つロベルタのイメージに騙されておるな。よく考えろ、アドルフ。我がスターゲイザーを持っていることを知りうる人物はロベルタ、フリーデたち、令嬢の三名だ。トルナバの住民は除いていい。そしてお屋敷の令嬢は追っ手を差し向けていないことがわかった。あとは消去法だ」

「じゃあ、前回の手料理に毒を仕込まなかった理由は?」

「スターゲイザーで【分析】したのを察知し、犯行をためらったのだ。おそらくロベルタは毒にまつわる宝呪を持っているのであろ。あるいは巨神の襲撃で宝物庫が開放されたとき盗んだか、どちらかだ」


 毒を用いる宝呪は【薬剤師】という。あれは白属性だ。そしてロベルタさんは白属性。さらに記憶を遡れば――


「ロベルタさんはぼくに言ってました、【薬剤師】を持っているって」

「ふむ、裏づけはとれたな」

「そうかもしれませんけど、でも目的は……」

「宝呪と見るべきだ」


 淡々と話している様子のヒトラーさんだが、表情はとても哀しげだった。ぼくがロベルタさんを庇うのを理解し、強い調子で否定してこない。事実を丁寧に積みあげ、ぼくがみずから納得するのを促しているかのようだった。


「迷いはあったのかもしれんが、我らがトルナバに逗留することを勧めた時点で、スターゲイザーを奪う算段をつけておったのであろ」

「奪ってどうするのさ、使えない宝呪を」

「実装はできなくても金にはなる。毒殺される直前、食堂の客が言っておった。ロベルタの家には膨大な借金があると」


 このひと言がだめ押しになる。宝呪を欲しがる理由が明確になり、ぼくはもう反論できない。


「お前はまだ若すぎる。金は人間を簡単に狂わせるのだ。あと10年も生きれば、ロベルタの気持ちが少しは理解できるようになるかもしれん」


 西日に照らされた顔をしかめ、ようやくヒトラーさんは真顔になった。ぼくを説得するという目的を果たし終え、本来の表情に戻ったのだろう。

 金は人間を狂わせる。思い起こせば、その言葉は真実に聞こえた。宝呪の買い取り業務で、ぼくは査定額に納得できない冒険者から何度暴言を浴びたことか。隷属魔法で麻痺していなければ、その重圧に耐えきれなかったはずだ。


 ヒトラーさんの言うことは正しい。けれどその正しさが、いまのぼくには途方もなくつらかった。

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