第10話
自分でも驚くほどの大声に、ロベルタさんの動きが一瞬止まった。けど彼女はすでに戸口の鍵を開けてしまっており、ぼくの注意は無駄に終わった。
表には出さないようにしていたけど、前回の毒殺でぼくは警戒心を覚えたらしく、それを隠すために必死に明るく取り繕おうとしていた。しかし暗い戸口からフードとローブを身につけた刺客が侵入してきたとき、抑え込んでいた感情はぼくの心を恐怖で染めた。
足の固まったぼくをよそに、裏手からも物音が聞こえる。ひょっとするとこの連中は、ヒトラーさんが洗面所にむかった隙を突いてきたのではないか。もしそうだとすると、狙いはぼくだ。
刺客の構えた刀剣の威嚇に圧され、ロベルタさんは部屋の隅に後退した。侵入を許してから10秒も経たないうちに、ぼくは正体不明の敵に取り囲まれていた。
「そこの女、動くな!!」
刺客に一喝され、宝呪を使おうとしていたロベルタさんの動きが止まる。その声と連動して、背後にいた刺客がぼくを羽交い締めにし、喉元に刃物を当ててきた。冷たい感触と一緒に恐怖が倍になる。
絶体絶命の危機。そんな状況でぼくが考えたのはヒトラーさんだ。裏手の侵入者に反撃した気配はなく、かと言って居間にその姿はない。スターゲイザーの力を使えば、数人の刺客を制圧するのは簡単なはずだ。そうしないワケはなんだろう。
部屋を見渡すと、刺客は全員で4人いた。ぼくはあえて心を無にし、ヒトラーさんの考えそうなことをなぞってみた。狭い部屋で★11の宝呪を使うとぼくとロベルタさんが巻き添えになる。そんな真似をするくらいなら相手の願望を見きわめるほうが先だ。何しろぼくたちには時間を巻き戻す力がある。敵の手の内を知るためにも、ここは刺客を泳がすべきではないか。
恐怖に抗いつつ咄嗟にめぐらした思考と、死んでもやり直せるという思いがぼくを少しだけ大胆にする。
「だれなんですか、貴方たちは。テレザお嬢様の差し金ですか!?」
演技だとバレないように語気を強めたが、相手は首を横に振る。ぼくを人質に取った以上、ヒトラーさんの反撃はないと踏んだのか、必要最小限のこと以外話す気はないらしい。
フードをかぶった刺客の口はマフラーで隠れているが、わずかに覗く紫紺の瞳にぼくは既視感を覚えた。
「ぼくを人質にしても無駄ですよ。貴方たちはヒトラーさんに片づけられる。ぼくが死ぬのが早いか、貴方たちが死ぬのが早いか、それはほんのちょっとの違いに過ぎません」
既視感の正体を確かなものにすべく、ぼくは正面の刺客を睨みつけながら、さらに怒気を放つ。
「スターゲイザーはヒトラーさんにしか使いこなせないことはわかっているはずです。大人しく引き下がってください。そして今夜のことはなかったことにしましょう、フリーデさん」
その名を口にすると、刺客のフードがびくりと揺れた。
「あなたの紫紺の瞳には見覚えがありました。ハーフエルフの特徴です。そしてぼくの知る限り、トルナバに亜人はいなかった。この町にいるハーフエルフはあなただけなんですよ、フリーデさん」
心が落ち着いていると、世界はこんなにもゆっくり動くように見えるのだ。フリーデさんのパーティーはとてつもなく優秀だから無力化できる自信はなかったけど、この場の流れをぼくの有利に動かすことはできる気がした。
視線を動かし、手の届く範囲にあったものを掴む。バラの刺さった花瓶だ。それを掴み取り、反動をつけて後ろに叩きつける。短い悲鳴があがり、羽交い締めにした腕が少しだけ弛んだ。
「宝呪を使わないと普通の人と変わりませんね」
そう煽った途端、ロベルタさんが敏捷に動いた。得意のナイフ投げだ。両端にいた二人の刺客の太腿に短剣が突き刺さる。
頼りないぼくが反撃を加えたことでこの場の流れが変わり、その変化を待っていたかのようにお手洗いのある方向から軍人が飛び込んでくる。ヒトラーさんだ。
ヒトラーさんは刺客の腕をかち上げ、腹にこぶしをくの字に突き刺す。奪い取った刀で斬りつけると、刺客のフードがはぎ取れた。露になった顔は、巨人族の戦士、ガンテさんのものだった。
とはいえ刺客にとって、ヒトラーさんの存在こそが目的だろう。彼を無力化すべく、もう一人の刺客がフードを取った。太腿に刺さった短剣を抜いたのはハイドさんだった。武闘家の彼は、邪魔立てするロベルタさんに飛びかかり、ガンテさんはヒトラーさんを鷲掴みにして投げ飛ばす。
狭い部屋で展開された乱闘は激しく、ぼくは床にしゃがみ込んだ。足元に握りやすい鎌のような形の刃物が落ちていた。ぼくはそれを取りあげ、正面の刺客――フリーデさんにたいし一撃をくり出す。脱いだフードの一部がちぎれ、ぼくは本物の怒りを放った。
「こんな真似をしてまで勇者になりたかったんですか!? 勇者は正義の使徒だと聞きました。目障りな人間を殺してこの国の指導者になることが正義なんですか!?」
ぼくの怒りが効いたのか、フリーデさんは一瞬怯んだように後ずさり、その腕は鎌の刃を払いのける。
「君は何もわかっていない……!!」
相手は第一位冒険者だけど、宝呪の力を使わないことで、星無しだったぼくでも五分の戦いができるとわずかでも思った。けどそれは、まったくの勘違いだった。
フリーデさんの気迫に本気を感じたとき、彼女のローブがから長い剣が突き出てくる。それは恐ろしくゆっくりな動作でぼくの胸にめり込んだ。
心臓が破れると何が起こるか。ぼくにそんな知識はなかった。代わりに現実が全てを教えてくれる。
胸から吹き出た大量の血と引き換えに、全身が急激に冷えてきた。灼けた鉄を押し当てたような激痛が追いかけてくるけど、その熱もすぐ冷めてしまう。全身から熱が奪われ、同時に呼吸が止まった。
かろうじて知っている人体の仕組みによれば、心臓は体の隅々に血液と酸素を送っている器官で、それが止まると人間は酸欠になる。呼吸ができなくなったと感じるのは錯覚だろうけど、前回陥った毒殺と同じことがぼくの身に起きていた。
死ぬほど苦しくて、胸をかきむしった。涙で滲んだ視界のなかで、裂けた頭巾からフリーデさんの顔が覗く。紫紺の瞳は微動だにせず、死にゆくぼくを冷たく見つめている。
「正義の使徒をめざす冒険者がなぜこんな真似をしたのか。言い訳になるが、わたしは自分の夢を諦められなかった。実力主義の世界を変えるには宝呪の力が要る。この矛盾をわたしは乗り越えられなかった」
最後のひと言は物悲しく、遠くで響く懺悔に聞こえた。
体の力が抜け、気づけば床に突っ伏している。悪あがきのように顔を上げると、ヒトラーさんが湾曲した刃を首筋に突き立てる姿が目に入った。
それを見て、フリーデさんたちが呆気にとられている。たったひとりぼくだけが、彼がこの失敗をやり直しているのがわかった。
けれど時を巻き戻すために自害するとは思っていなかった。ひょっとして毒殺のときも、彼はみずから命を絶ったのだろうか……?
薄らいだ想像は白く煙る霧のようになって、前ぶれもなく消失した。
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