第4話

   *  フリーデたちの密談  *


 焚き火の灯りが消えていく。燃料である木の枝がすっかり灰になったのだ。それを見たリッピはランプを取り出し、火種を使ってべつの灯りをともした。車座になった仲間たちの顔が暗闇に浮かびあがるが、そのなかにアドルフとヒトラーの姿はない。


「あの口ひげ野郎、用心深いな。わざわざ離れた木にのぼってガキを抱えて眠りやがった」

「アドルフ君はまだ子どもだ。敵襲があるかもわからない。妥当な判断だ」


 巨人のガンテが吐き捨てた言葉に、膝を抱いた姿勢でフリーデが反応する。


「当直を交代してくれてもよかったのに。客人だからって態度がデカすぎんだよな、あのおっさん。隙を見てどついてやりてぇ」

「リッピ、滅多なこと言うもんじゃないぜ。ヒトラーって軍人は◆11なんだ。紳士的に振る舞っているがあいつはとんでもない悪党だ。盗み聞きされてたら朝には死体になってるぞ」

「やめてくれよ、ガンテ。さすがにこの距離じゃ聞こえないだろうが」


 冗談めかして笑うガンテだが、リッピは肩をすぼめて怖気を震った。狩りをともにしたくらいでは仲を深めたとは言えない。それどころか依然、警戒心が拭えないことを彼の態度は物語っていた。


「偶然命拾いした相手が悪かったぜ。いちばん助けられたくないやつに救われちまった。恩を返してほしいのはこっちのほうだってのによ」

「リッピ、客人の悪口はやめろ。陰口を叩くなら寝てから夢のなかでやってくれ」

「あ、すまねぇ、フリーデ」


 パーティーのリーダーには一定の権威があるらしく、注意を受けた途端、リッピは「ごめん」というジェスチャーを示し、苦笑を浮かべる。

 スターゲイザーを奪われていちばん腹を立てているのはフリーデだ。彼女は他人が真似できないほどすぐれた人格の持ち主で、パーティーを組んでこのかた、仲間の誰ひとりとして彼女が怒ったところを見たことがない。

 それでも付き合いが長くなると、機嫌の良し悪しはべつの形で伝わる。フリーデの場合、それは口調の強さに表れる。そして、感情の動きにも。普段のフリーデが凪いだ湖面のようだとすれば、苛立ちを隠せなくなった彼女は心にさざ波が立つ。そして哀しげな顔になる。仲間はつねに敏感だ。


「お姫様がこう言ってんだ、そろそろ寝るべか」

「そだな。寝れば全部忘れるべ」


 故郷の訛りを滲ませ、ガンテとリッピが顔を見合わせ、横になろうとした。小さく頷いたフリーデも肩にかけた布を全身にくるもうとする。ところがたった一人、その動きに沿わない者がいた。赤ワインの入った瓶を傾け続ける武闘家のハイドであった。


「お前たちは揃いも揃って節穴か? いったいここで何を見ていた。怯えたヒタキツネのように、最悪の事態を警戒していていたのはヒトラーって軍人のほうだ」

「えっ……嘘だろ?」

「バカを言え。ヒトラーは、こっちの用意した晩飯は食わないわ、ガキのために毒味までするわで、やりたい放題だっただろ。あいつは、おれたちによる毒殺を終始恐れていた。いまだって木の上で眠り、警戒を弛めていない」


 リッピを叱りつけるように言ったハイドは、遠くの木を睨みながら潜めた声で言う。


「おれたちはエジルというやつが一時的にマニ遺跡へ逃げ込むと読んだが、予想は外れるかもしれないし、ヒトラーもそう思ったことだろう。狩りに出るまえにガンテが言ったとおりだ、スターゲイザーを取り返せばエジルを逮捕するまでもなく、元の状態に戻る。べつの業者に頼んで★8つと交換するもよし、エジルの逮捕を待ってアンゲラ総督の遺族と交渉するもよし。いずれにせよ、いまのおれたちが置かれている不利な状況は覆せる」


 言葉を区切りながら落ち着き払った様子のハイドだが、スターゲイザーを取り戻すことが何を意味するか、この場にいた誰もが想像を働かせた。


「まあ、やってやれないことはないんだよな……」


 布を敷いた地面に横たわるリッピのつぶやきが周囲で鳴く虫の音に紛れる。彼は自分の宝呪を指の腹でこすり、夜空を見上げている。


「確かに【薬剤師☆☆☆】があれば、毒殺は可能だわな。しかしあの警戒ぶりだ、簡単に殺せるとは到底思えねぇ」


 不穏な発言を引き取ったガンテが言うとおり、リッピは【弓術★★★】のような黒属性を備えているが、同時に白属性の宝呪も使いこなせる。なぜなら彼は、両属性という珍しいスペックの持ち主で、そこだけ切り取ればヒトラーの警戒網を突破することは可能に思えた。


「やつはスターゲイザーで毒殺の方法をあらかた調べたに違いない。リッピの両属性はよっぽど深く調べない限り盲点になる。やつが注意しているのはフリーデだ。つまり隙はあるということだ」


 理路整然と語るハイドの物言いに、ガンテとリッピは口をつぐんだ。あらためて言われてみれば、敵を殺す方法はあり、必要なのは覚悟の問題だった。少なくともハイドの論理だった説明は仲間たちの心を根底から揺さぶる。


「おれがやってもいいぞ。フリーデを勇者にする、それがおれ自身の誓いだ。願いは何としても叶えたい。たとえ不可能にも見える願いだとしてもな」


 ついにリッピが決然と言った。仲間たちを絆で結んだ理由を添えて。しかしパーティーメンバーは誰もが気づいていた。最終決定権はフリーデにあり、彼女はこの会話に口を挟んでないことを。

 見上げた夜空にひとすじの流星が横切った。一瞬のきらめきを目にした仲間たちに、静かな声が届く。


「皆がそこまで本気だとは知らなかったよ。この国を変えるためならば、どんなことでもやってのける気だったけど、後戻りできない場所まで来てしまったんだな」


 声の主はフリーデだった。その声色には名状しがたい強さと、どこか物悲しげな響きがある。


「お前が背負うなよ。悪人になるのはおれだけでいい」

「そうはいかないさ、リッピ。全ての責任は皆で分かち合う。そう心に決めたはずだ」

「なら分かち合えばいいじゃねぇか。おれは賛成だね。元はと言えば、宝呪を奪った野郎が悪いんだ」


 まだ迷いの窺えたフリーデを楽にすべく、鼻息を吐きながらガンテが言った。


「どうやら意見の一致を見たようだな。神は善であり、悪でもある。おれたちはそれと同じ境地で物事をなせばいい」


 そこまで言うと、酒瓶を置いたハイドも横たわる。フリーデはスターゲイザーを奪い返す決断を下したわけではなかったが、仲間想いの彼女が彼らの決意を無駄にするとは思えなかった。

 その証拠にフリーデは、掠れた声でぽつりと言う。


「しばらく葛藤させてくれ。わたしは神ではないが、神がどう判ずるかもう少し考えさせてほしい」

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