第3話

「おれはリッピ、狩りの達人だ。手伝ってくれるのはありがたいが、言ったとおりにして貰うぜ」


 なりゆきで夜営をともにすることになったぼくが協力を申し出ると、盗賊のリッピさんが名乗りを上げ、ぼくとヒトラーさんを1ギロほど離れた森へと連れて行った。


 リッピさんは【弓術★★★】の持ち主で、弓の達人でもあるとのことだった。どちらかが囮になるよう言われ、ジャンケンの結果、ヒトラーさんが負けた。


「そんじゃ、口ひげの旦那にはリグリア鋼の腕甲を貸してやる。この辺の魔獣は味が良いけど咬まれると毒がまわるからな。襲われたらそいつで防御しな」


 リッピさんの話だと、フリーデさん一行は一昨日もここで夜営をしたという。そのときも獲物が面白いように捕まったことを彼は楽しそうに話す。

 他方で囮になったヒトラーさんは露骨に不満げだったけど、やがて観念したのか森の奥へと草むらをかき分けながら進んでいく。リッピさんはかろうじてヒトラーさんの軍帽が見える場所に陣取り、手にした弓に矢をつがえた。


 ぼくは狩りというものをしたことはなかったが、最初のうちは邪魔にならないよう口を閉ざし押し黙っていた。しかし時間が経つにつれ、リッピさんが雑談をはじめる。


「さっきはフリーデの野郎、かなり怒っていたな。あいつは頭に来ると怒鳴る代わりに泣きそうな感じになるんだ。決して泣かないんだけど、死んだ人間のことを話すみたいになる。あんなふうに出られちゃ、ガンテのおっさんも引っ込むしかないってわけさ」


 ぼくは獲物を待つ間、自由に口を利いてもいいことを知り、小声で相槌を打つようなふりをして気になったことをリッピさんに尋ねた。


「そういえば、フリーデさんが勇者になろうとした目的を語ってましたよね。相当な覚悟があるように感じられましたけど、皆さんはどうして勇者に執着するんですか」

「執着とか言うなよ。フリーデが聞いたら怒るぜ。あいつはもっと崇高な願いを動機にしているんだから」

「崇高な願い?」

「そうさ」


 小さく頷くと、リッピさんは矢を弛め、懐から小瓶を取り出し、おもむろに口をつけた。酒には気つけ薬としての効果もあると聞くから、愛飲する冒険者も多い。アルコールのつんとする匂いを嗅いでいると、リッピさんは鼻をぽりぽりとかき、潜めた声を隣のぼくに放つ。


「なあ。坊主は、この世界の仕組みについてどれだけ知ってる?」

「歴史についてはちょっと」

「だとすると、130年前の革命で皇帝が倒れ、民選の勇者が統治するようになったことは理解してるな」

「はい。お屋敷の料理長だった人がそういう話好きで」

「なら聞くが、革命後の130年で、この世界はよくなったと思うか?」


 急に核心を突いた問いを投げかけられたが、ぼくは皇帝統治時代が悪いもの、それ以降の勇者統治時代が良いものという観念をおいちゃんから植えつけられていた。


「よくなったと理解してます。皇帝のための政治が、民衆のための政治に変わったのだから」

「民衆のため。一応そうなってるよな。でもおれたちはそうは思わない」

「どういうことですか?」

「坊主は、この世界は実力主義という考え方を聞いたことがあるはずだ」


 実力主義。その言葉を聞いた途端、ぼくの心臓はどくんと跳ね上がった。


「そう、実力主義。その言葉によって、おれたちの暮らすイェドノタ連邦はいくつもの階級に分断されていった。坊主は自活したことはあるか?」

「いえ、つい昨日までお屋敷の下僕でした」

「だとすれば、宝呪のランクで身分の上下ができる場所にいたわけだな」


 リッピさんはわざと強調するように言った、身分の上下と。しかしぼくはその発言に違和感を持ち、慌てて彼を遮った。


「待ってください。ぼくたちはお屋敷の上下関係はありましたけど、それはあくまで能力ごとの割り振りでしかなくて」

「なら聞くが、坊主はどうして下僕だった? なぜ執事にはなれなかった?」

「年齢と経験と、あと宝呪が――」

「それ見たことか。おれたちが住んでいるのは本物の平等社会じゃない。生まれ持った枠の大きさと、そこにあてがう宝呪のランクで身分差別される不平等な階級社会だ」


 口調こそ静かで、小瓶の酒を飲みながらではあるが、リッピさんの話はぼくの思い込みを根底から揺さぶった。

 革命は皇帝を頂点とする身分差別と階級社会を破壊し、平等な社会へと作り替えた。それがぼくの知る常識であり、おいちゃんに学んだ歴史だ。


「ちょっと考えればすぐわかる、おかしな世界なのさ。フリーデはそんな世界を変える誓いを立て、おれたちみたいな仲間を集め、自分が勇者になることで本物の平等を実現しようとしている。その願い自体は崇高だろ。執着なんて呼ばないでやってくれよ」

「すみません、何も知らないで。おかげでだいぶ賢くなりました」


 会話が発端に戻ったのを自覚しつつ、ぼくは素直に感謝した。


「礼には及ばないが、実際のところおれ自身、実力主義の世界を変えられるのか半信半疑だがね。何しろフリーデ自身も、スターゲイザーを失ったのは◆11の枠を持たなかった自分が悪いと思っているのさ。そうやって何でも自己責任にして、自分や他人を追い込むのがこの世界の悪癖だ。身分を平等にしたところで、簡単に治る気がしない……シッ、静かにしろ」


 鋭い息を吐き、リッピさんは弓矢を張った。草むらから顔を覗かせると、闇にまぎれて葉を踏みしめるような雑音が聞こえてくる。辺りは真っ暗なのでほとんど何も見えないが、リッピさんはぼくとは違う世界が見えているらしく、中腰のまま立ち上がってヒトラーさんがいた場所へ、バシュッ、と矢を放った。


 矢は続けざま、バシュッ、バシュッと放たれる。そしてリッピさんはぼくに「獲物を確保しろ」と言い、道なき道にダイブした。ぼくもその動きに倣って、うっすら見えるヒトラーさんめがけて一心不乱に突き進む。前方ではヒトラーさんの唸り声が聞こえ、襲撃した獲物と格闘している様子が目に入る。


「助太刀します、ヒトラーさん!」

「ゲイザーで【分析】させたが、ヒトクイジカに襲われたらしい。人を食うシカとか聞いたことないぞ」

「けどそいつがご馳走なのさ。囮役ご苦労様、ヒトラーの旦那」


 そう言った瞬間、リッピさんの灯したランプが周囲を照らし出す。そこには矢を受けて弱ったヒトクイジカを羽交い締めにし、腕力で首の骨を折るヒトラーさんの体が躍動していた。


 ぼくはその逞しさに惚れ惚れしつつも、今度は自分の番だと言い聞かせ、残りの一体に飛びついた。

 リッピさんは「無理するなよ」と呼びかけ、右手にナイフをぎらつかせるが、ぼくは少しでも皆の役に立ちたいという思いから死力を尽くし、雄叫びをあげながらヒトクイジカの首を絞める。そして抵抗が止むまでのあいだ、とにかく必死に体重をかけ続けたのだった。


   *    *


「それにしても坊主のガッツには恐れ入ったね。ヒトラーの旦那も軍服に土ひとつ付けない奮闘ぶりだったが、アドルフの野郎はこんなガキのくせしてみずからトドメを刺しやがった。将来は良い冒険者になるぜ」


 狩りから戻った途端、用意された干しイモを噛みちぎりながら、リッピさんが狩りの様子をまるで武勇伝のように語ってくれた。

 ヒトクイジカの調理にあたったのは寡黙な武闘家で、どうやら肉関係は彼の担当らしく、全てを武闘家に任せてフリーデさんも干しイモを口に運んでいく。


「運が悪けりゃ空振りに終わるかもしれねぇってのに、全部で三頭は大猟だな。客人のぶんを入れても干し肉にするほどあり余る」


 巨人のガンテさんが嬉しそうに言って、腰から下げた壷を傾ける。すっかりリラックスしているフリーデさん一行だが、なぜかヒトラーさんは干しイモの匂いを不機嫌そうに嗅いでいる。


「まあ、よかろう。アドルフ、これなら食ってよし」


 ぼくの背後に近づくと、ヒトラーさんは匂いを嗅いでいた干しイモをぼくに手渡してきた。お礼を言って齧りはじめると、味は何ともなかった。というか、普通に美味しかった。


「おい、旦那。うちらの干しイモは手作りだけどカビなんて生えちゃいねぇぜ」

「そうかもしれんが、我らは腹が弱い。滅多なもんは食えん」

「おっかねぇ軍人のくせして腹が弱いはいいな。気に入ったぜ、ヒトラーさんよ」


 酒の入ったガンテさんは愉しげに笑い、つられてフリーデさん、リッピさんも笑顔になる。ぼくも場の雰囲気に流されて笑みを絶やさなかった。

 お屋敷の夕食と違い、格式もルールもない自由な食事がこんなに愉しいとは。しばらくすると狩った獲物が焼けはじめたらしく、鉄串を持った武闘家がぼくのそばにやってきた。


「いちばん良いところが焼けた。初めての狩りだってな、記念に食っとけ」

「あ、ありがとうございます」

「ちょっと待て、アドルフ。さすがに腹が減って敵わん、一切れ貰うぞ」


 武闘家とぼくのあいだに、ヒトラーさんが割り込んだ。干しイモは我慢したけど、香ばしく焼けた肉の香りには抗えなかったというところか。

 ヒトラーさんは口ひげを小刻みに動かし、焼けたてのアツアツを咀嚼する。見るからに熱そうだけど、平然とした顔つきでそれが逆にユーモアを感じさせた。


「ふむ。問題ない美味さだ。気の済むまで食ってよし」


 味にお墨付きを出したことで満足したのか、ヒトラーさんは急にだらけた声でフリーデさんたちに酒を所望しはじめる。


「だれか、赤ワインを持っておる者はおるか?」

「武闘家のハイドさんが飲んでるのが赤ワインだな。頼んで分けて貰えばいいさ」


 リッピさんが目をむけると、鉄串を配り終わった武闘家――ハイドさんが、近く切り株から酒瓶を持ち上げて言う。


「飲んでいいが半分までだ」

「それだけ頂戴できれば十分である。感謝するぞ、ハイドとやら」

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