第2話

 結論から言うと、シビトドラゴンとの戦闘はあっという間に終わった。スターゲイザーの威力をセーブする必要に迫られたヒトラーさんは、驚くほど的確な策を講じたのだ。

 竜と戦う冒険者パーティーが作用範囲に収まると、彼は【全回復】という力を使った。冒険者パーティーが体力、魔力ともに疲弊し、それで応戦能力が低下していると読んだのだ。

 冒険者たちは二度、三度と【全回復】をかけられると、攻撃にまわす余力が生まれたのか、本来持っていた底力を発揮し、連携してシビトドラゴンを追いつめていった。ついでに【全回復】はぼくの消費魔力も軽微に済み、以前のように卒倒するようなことなく、冒険者パーティーが竜を仕留めた後も元気はあり余っていた。

 おかげで絶命しかけたシビトドラゴンがぼくにむかってのたうちまわってきたときも、冷静に対処することができた。ワニのような口を開けて迫ってきたが、もう火焔を吐く体力がないことはわかっており、こぶし大の石を拾って両目の間にある急所をぶん殴る。急所の存在を教えてくれたのはヒトラーさんだが、お屋敷での奉公で知らないうちに体力がついたらしく、ぼくの殴打で竜は瞳を閉じ、動かなくなった。


「ありがとう。見ず知らずのわたしたちを助けてくれて、感謝の気持ちしかない」


 戦闘が終わると、まだ興奮覚めやらぬ冒険者パーティーのリーダーの人がぼくたちに近寄ってきた。他の仲間たちもその動きに続き、全員が被っていたフードを取り払った。そこでぼくは、偶然の導きというものが存在することを知った。


「もしかして、フリーデさん……ですか?」

「これはびっくりだ。君は確か、ラインバッハ商会で働いていた子だね。それにそちらの軍人は――」


 奇妙な縁と言えばそれまでだろうけど、竜と死闘をくり広げていたのはスターゲイザーの仲介を依頼していたフリーデさんとその一行だったのだ。しかも彼女はヒトラーさんのことを知っているらしい。彼女だけではない、戦闘で気が立っているお仲間もヒトラーさんのことをじっと凝視している。

 何だろう、この空気。少し大げさだが、殺気立ったものがある。


「一度ならず、二度までも我に命を救われたか。もっとも感謝するのはこちらの小僧にしろ。アドルフが救援を志願せねば、お前たちは今ごろ夜に抱かれて息絶えておったのだから」

「そこの軍人よ、無礼が過ぎるんじゃねぇか?」

「同感だぜ。べつにあんたの助けがなくても、シビトドラゴンくらい制圧できた。おれたちが持ちこたえて、フリーデの魔力があと少し回復すればよかったんだ」

「…………」


 ヒトラーさんが少し挑発めいたことを口走った途端、フリーデさんのお仲間が口を挟んでくる。大剣を地面に突いたいかにも戦士と言わんばかりの大男と、動きのすばしっこそうな盗賊の若者。そして黙して何も語らないが威圧感だけは大きい痩身の武闘家。

 ぼくはお屋敷での会話で、彼らが巨神と呼ばれる巨大魔獣を一度は仕留めたことを知っている。くわえてそのとき受けたダメージで本来の状態ではないことも。

 魔法の知識は大してないけど、論理的に推測はできた。おそらく心身のダメージが大きいと、どんなに回復しても体力、魔力はすぐに激減してしまうのではないか。ヒトラーさんの使った複数回の【全回復】で窮地を切り抜けられたのがその証拠だ。おぼろな考えだけど、奇しくもその考えを裏づけることをフリーデさんが言った。


「じつはマニ遺跡で巨神を倒した際、わたしたちは呪いにかかってしまったようなのだ。解除するアイテムは所持していたが、装備が底をついても呪いは解けなかった。とはいえわたしたちは、体力魔力ともに高い数値を保持しているから、しばらくこのままでも平気だろうと放置していた。ところがそこで手強いシビトドラゴンと出くわしてしまった。呪いはダメージの減りと回復を悪化させる。救援がなければ今頃死んでいたかもしれない」


 そこまで言うとフリーデさんは、ぼくとヒトラーさんにむかって深々と頭を下げた。同じ動作を彼女の仲間も渋々くり返す。

 戦闘を終えたぼくたちは、大きな欅の下に陣地を構え、そこで会話をしていた。盗賊の若者が夜営用の焚き火をおこしていたから、集った人々の容姿が夜闇のなかでもはっきりと見える。


「小僧は呪いを解除する宝呪を持っておったな。それを使ってこやつらの呪いを解いてやればよかろう」


 少し離れた場所に佇むヒトラーさんが、思いつきのように声を放った。


「そこの軍人、わかってないようだな。巨神の呪いは一度に百回の呪いを重ねたようなもので、だからこそ解除はできなかった。【呪術解除】を備えた専門職に頼まねばどうにもならねぇ」


 フリーデさんの背後に立つ戦士が反論した。彼女はその戦士を「ガンテ」と呼んでいたが、背丈が二倍ほどの違うので、戦士はきっと巨人族。そしてお屋敷で確認したとおり、澄みきった紫紺の瞳を持つフリーデさんはハーフエルフ。

 意識が働くと、これまで見えてこなかったものが見えてくる。焚き火のそばにしゃがみ込む盗賊は、体格からいってドワーフ。沈黙を保ち続ける武闘家は人間にしか見えないが、だとすれば人狼の可能性が少なからずある。

 そう、ぼくは今さらだがあたりをつけたのだ。フリーデさん一行は亜人族で構成されたパーティーだと。


「ものは試しです。ぼくの魔力が続く限り、皆さんの呪いを解いてみましょう」


 亜人族は仲間を大事にする。と同時に、受けた恩も大事にする。そんな冒険者ならではの知識を、ぼくはおいちゃんから教わっていた。それが本当なら、まずは恩を売り続けるのが先決だ。


「あまり調子に乗って無理をするなよ、小僧」


 支援を促した一方で、ヒトラーさんは警告めいたことを言うが、ぼくはこのときおぼろげながら想像がついていた。なぜフリーデさんたちが殺気立った様子なのか、その理由を。


「全員というわけにもいくまい。いちばん呪いの深いガンテを癒してやってくれ」


 フリーデさんは立ち上がり、後ろにいた巨人の戦士を前に押しやる。その人――ガンテさんは、確かお屋敷で見たときから疲弊の度合いが半端ではなく、いまも荒い呼吸を隠せないでいる。

 ヒトラーさんは「調子に乗るな」と言ったけど、ぼくには確信があった。ようは11の◇がバレなければ問題は生じない。ぼくは端末を袖で隠し、地面に突っ伏した戦士の額に手をかざした。


 不思議なもので、やり方を知らなくても、どうすれば呪いの解除ができるか体が自然と動いた。それが宝呪の力なのだろう。はじめて得た力をはじめて行使する。その感動を噛み締めながら、ぼくは手のひらに力を込めた。青白くほのかな光が戦士の額をやさしく包む。光はすぐ切れるが、力を込めるとまた復活する。

 ガンテさんが幾重の呪いを重ねられたのか、ぼくは知らない。でももし百回呪いをかけられていたなら、同じ数だけ解除するまでだ。気の長いことになるが、あいにくぼくはお屋敷勤めで根性は養われていたし、夜は長かった。ヒトラーさん以外、仲間の回復こそが願いだったはずだ。


 やがて時間の感覚を失い、ぼくは首筋に汗をかいた。宝呪によって魔法を使うことが同時に体力を消耗するのだと知ったとき、ガンテさんが片手をあげてつぶやいた。


「もう大丈夫だ、坊主。急に体が楽になってきた」

「おお……?」

「これは驚いた。てっきり途中で力尽きると踏んでいたのだが」


 視線を上げると、盗賊が目を丸くし、フリーデさんが驚嘆の息を吐く姿が目に入った。同じ視界のなかでは武闘家が瓶を取り出し、アルコールのようなものを飲んでおり、


「落ち着いたら夕食を求めて狩りに出よう。せっかくだし一緒に夜営して、こいつらのぶんも食糧を確保してやらねばなるまい」


 と、よく通るつぶやきを洩らした。


 そのひと言は、殺気立っていたこの場の空気をがらりと変えた。盗賊は「ま、仕方ねぇな」とこぼし、フリーデさんは「アドルフ君といったか、この恩は決して忘れない」と言いながら疲れたぼくをねぎらう。

 とにかく先に恩を売ればどうにかなる。そんなぼくの思惑がうまくいきかけた証拠だったが、全てが好転すると見なすのは早計だった。


「待ってくれ、お前たち。おれはこの坊主は認めてやるが、あの口ひげ野郎まで認めたわけじゃねぇ。むしろ呪いが解けたいま、全力で奪い返してやりたい気分だぜ」

「やめろ、ガンテ」

「黙ってくれ、フリーデ。マニ遺跡に戻って何としても★8つの宝呪を手に入れるって話だったが、そんな負け犬根性でいいわけがねぇ。最高ランクの宝呪が、そうほいほい発掘できるわけねぇんだ」


 思いがけず、いや、半ば予想どおりか。フリーデさんとガンテさんが互いを睨み、言い合いをはじめる。


「皆で話し合って決めただろう。未発掘の宝呪は5個だ。1ヶ月頑張ってダメなら、南進してドーマ総督領のポリュビオス遺跡に行けばいいと。まだ★8つ以上が出たという報告はないから、可能性は高い」

「あのときは呪いが解けてなかったからな。けど本調子になれば答えはひとつだ。スターゲイザーを取り返す。強奪した野郎もここにいるんだ、黙って見過ごす道理がねぇぜ」

「マニ遺跡に行けば、サイレントエンペラーを盗んだエジルという従者を捕まえられるかもしれない。警察隊から人相書きも貰った。わたしたちに★11は過大なんだ。★8つさえ手に入れば、元々の目的は叶う」

「あれはアンゲラ総督のもんだろ。遺族が取り返すに決まってる」

「返却するにしても報奨金は出るだろう。★8つを発掘したが金に換えたい冒険者はきっと現れる。選択肢はいくつもあるんだ、最悪の選択をするのは愚かだぞ」

「バカ野郎。あの口ひげ野郎に奪われたスターゲイザーこそが最善の選択肢だろうが――!?」


 ガンテさんの怒鳴り声を聞き、ぼくは自分の想像の正しさを知る。

 ヒトラーさんが所持しているのを見て、フリーデさんたちと遭遇し、彼らが殺気立った様子を示したときから気づいていた。

 本来、スターゲイザーはフリーデさんが持ち込んだ宝呪で、所有権は彼女たちにある。どんなやり取りがあったか知らないけど、ヒトラーさんを恨むのは的外れとは言いがたい。


「スターゲイザーを返さなきゃ」


 ぼくは若干怖じ気づいていたけど、勇気を振り絞ってそう言った。視線をむけた相手はむろん、焚き火から離れた場所に佇むヒトラーさんだ。

 しかし彼の返事を待つ間もなく、フリーデさんがぼくの意識を引きつけた。


「物事を単純化するな。これは非常に複雑な話なんだ。宝呪は本来、実装する相手を選ぶ。それが◆や◇として可視化されている。所有権を振りかざすのは間違いではないが、それは人間の都合。残念だが、スターゲイザーはそちらのヒトラー殿を選んでしまった。外れないものをどう返せというんだ、ガンテ?」


 ぼくとは違い、歴戦の勇士であるフリーデさんが言うのだから、その発言には説得力があった。事実、ついさっきまで怒りを押し隠さなかったガンテさんも、気が抜けたように空を見上げながら、こう重苦しく息を吐いた。


「フリーデ。おれたちは、どんな手段を使ってもお前を勇者にさせると誓い合った。そのことだけは忘れてほしくねぇ」

「その言葉が本物なら、スターゲイザーに固執するのをやめろ。宝呪にとらわれた人間社会を変えようとして勇者を志したのに、そのための仲間が宝呪に振り回される姿を見ると勇者になろうとした意味を見失いそうになる」


 フリーデさんの口ぶりには、集団をまとめあげる威厳にくわえ、どこか物悲しい響きがあった。それを重く受けとめたのか、ガンテさんは神妙に頷くばかりで、彼女たちを見ていた武闘家が、


「思いの丈はぶちまけ合っただろ。手分けして狩りに行くぞ」


 そう言って、手にしていたアルコールの瓶を近くの切り株に置いた。

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