第二章 トルナバの夜

第1話

 長く脈絡のない夢のなかにいた。


 けれど、終りはあっという間だった。空から大きな物体が降り注ぎはじめ、ぼくのいた夢は次々と破壊されていく。これに巻き込まれたら一巻の終わりだと思った直後、ぼくは目を開けた。


「――ぐわっ!?」


 変な声が出た。すると反応がすぐさま返ってきた。


「フン。目が覚めたようだな、小僧」


 びくん、と跳ね上がったぼくの耳に、しゃがれた男性の声が聞こえる。それは夢ではなく、現実の声だった。視線の先には暗い地面があって、視界はぐらぐら揺れている。


「もう夜だ。あまりに昏睡し続けるからこのまま息絶えるかと思ったぞ。むろん死なれたら我が困るから、目覚めてくれて助かった」


 男性の声を無視して、ぼくは自分が彼の肩に担ぎ上げられていることに気づく。まるで場所をとる大きな荷物みたいに。

 首をひねって、男性の顔を凝視した。暗がりではあるけど、軍帽をかぶり口ひげを生やす威厳に満ちた顔だちが月明かりに照らされている。特徴的な容貌なのですぐに思い出せた。男はスターゲイザーという宝呪を使って巨大魔獣を倒した謎の軍人、確か名前は――


「アドルフ・ヒトラー?」

「ふむ、あの混乱を経ても我の名を覚えておったか。記憶力が良いな、アドルフ・シュタイナー」

「……ぼくの名前を?」

「ロベルタとかいう女執事から聞き取った。ちなみにここはロベルタの実家があるトルナバまで、あと50ギロほどの場所である。お前を祖父のもとに連れて帰る途中、休憩に立ち寄ってはどうかと言われたのだ。今晩はもうじき野宿をする、明日には到着するであろ」


 そう言ってヒトラーという軍人は、道端にしゃがみ込んでぼくを路上に降ろしてくれた。咄嗟に激しい立ちくらみがしたけど、彼は背中をさすり、落ち着き払った声でこう言った。


「あの巨神とかいう巨大魔獣を倒し、遺骸に火を放ったはいいが、★11のスターゲイザーは外れず、貴重な宝呪を持ち出したまま遁走した形になっておる。屋敷の令嬢が追っ手を差し向けると見越して、アシがつく馬車の使用は諦めた。まあ少し歩けば慣れる、必死に着いて来い」


 口では突き放すような台詞を放ったヒトラーさんだが、骨張った手でぼくの背中を叩く。気安いしぐさだが、月明かりの差した瞳は混沌としていて、異様な光を放っている。そこでぼくは、彼が★11の宝呪を使いこなした極悪人であることを思い出し、身構えてしまった。


「そう怯えるな。我とお前の体は依然つながっておる。危害をくわえる気はない。むしろ厄介な状況に巻き込まれたお前を保護する立場だ。実に面倒な話だがな」


 またしても憎まれ口を叩き、ヒトラーさんは歩き出した。ぼくはその後をふらつきながら着いていき、自分の頭を整理する。

 ヒトラーさんの話によると、ぼくたちはトルナバにむかっているらしい。トルナバはぼくの実家があるポツダムの西、ヴェストファーレン総督領とプロヴァンキア教会領の境界線にある町だ。

 でもその町は、ヒトラーさんが巨神と呼んだ巨大魔獣の攻めて来た方角だ。とすれば、破壊されている可能性が高いのではないだろうか?

 ぼくがそう問いかけると、ヒトラーさんは足取りをぼくの歩調に合わせつつ、答えを返した。


「その心配があるから、ロベルタは先に馬車でむかった。実家の妹が無事かすぐに確かめたいと言ってな。お前のいた屋敷は、本日をもって崩壊したのだ。コックは去り、従者も逃走しておる。あとはあの令嬢がどう対応するかだ。警察隊は我を見逃したが、許さない可能性は高いと見ておる」


 お屋敷の生活に良い思い出は少ないけど、たった一日で全てが暗転したことはわかった。ぼくにとって望むべくもない僥倖だったことも、今さらのように実感する。


「あ、そうだ!」


 ぼくは急に声を出し、自分の端末をいじった。

 そこには◇11が星空のようにきらめいている。昏睡する直前に見た記憶は本当だったんだ。


「嬉しいか、小僧?」


 呼びかけに顔を上げると、ヒトラーさんが口ひげを吊り上げ、ぼくの反応を窺っていた。

 でもどうなのだろう。ぼくは星無しだった自覚があまりに強く、急に枠が増えたと言われても実感などほとんど湧かない。


「たぶん宝呪を使わない限り、ピンと来ないです」

「まあそうであろな。我の◆11と、お前の枠は互いに打ち消し合っていたから、我からすればお前は最初からとんでもない才能と運の持ち主だったのだ。しかし小僧――」


 そこでヒトラーさんはしゃがみ込み、ぼくの肩に手を置く。


「最高位の枠を持っていることで余計ないざござを招く危険がある。それに見合う宝呪を手に入れるまでお前の才能は隠しておけ」

「どうして?」

「人間は相手を見て態度を変える。◇11が露見した途端、お前はもう元のアドルフとして見られることはない」


 きっぱり言い放って、ヒトラーさんは姿勢を戻し、そそくさと歩き出した。

 とはいえいまの発言で、ぼくは不安を感じずにはいられなかった。

 宝呪を持たない自分はまだ弱い。それなのにすごい人間だと思われたら他人はぼくを遠ざける。社会に孤立して溶け込めない自分が、容易に想像できた。


「でも待てよ。ぼくが弱いってことは、ヒトラーさんが宝呪を使うとぼくはまた卒倒するんじゃ?」


 さらに湧き上がった不安は、思わず声になって出ていた。


「人間の魔力は簡単に変わらん。たぶん同じめに遭うだろうな」

「そんなの聞いてないよ」

「うるさいやつだな。お前の欲しがっていた【呪術解除☆☆☆】を手に入れてやったのだから許せ」

「……えっ、本当ですか?」


 ぼくが端末の反対側を見ると、そこにはぼくの目標だった宝呪がはめ込まれ、3つの☆が凛然と光を放っている。

 これでジイちゃんを助けられる。そう思った瞬間、奇妙なことにぼくのなかで不快な感情が湧いてきた。本来ならヒトラーさんに感謝すべき場面なのに、ぼくはなぜか、彼の命令口調で独善的な態度に腹立ちを覚えたのだった。


「こっちは危うく死ぬとこだったんですよ。いつまで一緒にいるかわかりませんけど、今度スターゲイザーを使うときは手加減してください。さもないと縁を切ります」

「急に生意気になったな。隷属魔法が解けて素に戻ったらしい」


 暗がりだが、ヒトラーさんのにんまり笑った横顔が目に入った。ところが彼は、そこからまったく予期しなかったことを口にする。


「ひとつ断っておくと、いまここで別れたとしても、我が宝呪を使う限り、お前は魔力を消費する。なぜなら我とお前は、身体こそ分離したものの精神は依然つながっておるからだ。お前は転生者という存在を知っておるか?」


 戸惑いを覚えつつも、ぼくはこくり、と頷き返した。


「我はその転生者だ。しかも前世の行為が史上まれに見る極悪人のそれと判じられ、わけあってこの世界以外に転生する場所がなくなり、挙句の果てに生まれ直す過程で混線し、まだ赤子だったお前の心の一部になってしまったのだ。その理由が知りたいかね?」


 依然、ヒトラーさんは偉そうな態度だが、ぼくは興味があったので首を縦に振る。


「小僧、お前は元々、シュタイナーという姓ではなかったな」

「ぼくの苗字ですか、あっ……!?」


 言われてすぐに、古い記憶が甦った。ぼくはまだ幼児だった頃、魔獣との遭遇事故で大切な両親を亡くしていた。そしてシュタイナー姓を持つ母方の祖父に引き取られ、アドルフ・シュタイナーになった。

 けれどジイちゃんは言ってたっけ。ぼくの父方の姓はヒトラーだと。


「ひょっとして転生の際に混線したのは、ぼくとあなたが同姓同名だったから……!?」

「確証はないが、少なくとも我はそう理解しておる」


 ヒトラーさんが転生者だということも含め、衝撃の事実の連続だったが、ぼくにとって不利益なのは、ヒトラーさんとぼくがまだつながりを持っていることだけだ。そう考えると、受けとめるほうとしては心が楽になる。


「他人事のように言わないでください。完全に分離する方法はないんですか?」

「どうかな。屋敷を出る直前、ロベルタという女執事に聞いたが、似たような事例は聞いたこともないと言っておった」

「混線を断ち切る方法を探してくださいよ」

「我は勇者選挙に名乗りをあげてしまった。そんなことをしている暇はない」


 勇者選挙。★11の宝呪を手にしたのだから物理的には可能なのだろうけど、問題はそこじゃない。


「ぐぬぬ、また勝手に。体を共有してるんだから相談くらいするのが常識でしょう!?」


 一心同体であることを理由に、ぼくはヒトラーという軍人の思惑に左右される自分自身をはっきり想像できた。


「魔力をぼくに頼ってるんでしょ? 身勝手に振る舞うつもりなら、食事を拒否して体力を奪ってやる」

「冗談ではない。お前の身に何かあれば、こちらの生存も危うくなるのだ」

「だったら上下関係は逆ですよね。ぼくがあなたを左右する側です」

「こやつめ、真実を自覚しおったか――いてぇ!?」


 弱気に出ると相手の迫力にのみ込まれると思い、ぼくは必死に抗うつもりでヒトラーさんの右脚を蹴り飛ばした。


「こら待て小僧――!!」


 そこから前ぶれもなく追いかけっこがはじまる。ぼくは駆け足はそこそこ速いという自覚があったので、後ろを確かめる余裕があった。見れば、ヒトラーさんは全力で駆けているようだが、距離は全然縮まっていなかった。ぼくは顔を戻し、笑い声を発した。視界の隅を草むらが吹き飛んでいく。


 長く続く坂を駆け上り、小高い丘の見える場所にたどり着いた。けれどそこで、脚が止まる。500メーテル以上走った気がするけど、ヒトラーさんはだいぶ後方にいて、ぜぇぜぇと荒い息を吐きながらぼくのいる場所まで追いつく。


「おのれ、捕まえたぞ、小僧……!!」

「そんなことはどうでもいいです。あっちを見てください」

「うむッ?」


 ぼくの指差した方角を見つめ、鼻でひくひくと匂いを嗅ぎ、ヒトラーさんもそれに気づいたようだ。


「きな臭い匂いがするな。坂の下から炎が立ちのぼっておる」

「あれですよ――あれ!」


 丘の頂上に登るとぼくは上空に魔獣を発見した。それは月光を浴びて鱗に覆われた肌を輝かし、上下に激しく躍動している。

 さらに小走りに近づくと、魔獣は夜空を覆うほどをの翼をはためかせ、空中から吐いた火焔を地面へと吹きつけている。魔獣に詳しくないぼくでも、それが体長7メーテル以上はある竜であることはわかった。地上で応戦している人がいるのだろう。接近する竜の体に矢が乱れ飛んでいるけど、見た感じ優勢なのは竜のほうだ。


「ふむ、あれはシビトドラゴンだな。夜行性で、死人のように力の弱った者を襲うことが特徴らしい」

「どうしてわかったの?」

「スターゲイザーに【分析】させた。どんな結果に終わるか、お手並み拝見だ」

「助けに行こう」

「おい待て、小僧。一人でちょこまかと動くな!」


 ぼくは戦闘がくり広げられている地点をめざし、丘を駆け下りた。目的はあそこで戦っている人たちの救援だ。ぼく自身に勝算があるわけじゃない。懸けているのはヒトラーさんとスターゲイザーの力だ。

 ヒトラーさんは力を貸す気など毛頭ないようだったが、ぼくが突撃を選べば、ヒトラーさんは否応なく着いてこざるをえないだろうし、そうすれば死人が出る危険は減る。

 その読みどおり、背後から激しい靴音が聞こえた。そして迫り来る雷鳴のような怒鳴り声が――。


「バカにしおって、人助けなどするものか!」

「ヒトラーさん?」

「お前を巻き添えにしたくないからな。仕方なく戦ってやるのだ、仕方なくだぞ!!」


 気づけばぼくを追い抜き、眼下に見える炎にむかって一直線だ。さっきまで息も絶え絶えだったのに、恐ろしい変貌ぶりだ。きっと何かのスイッチが入り、突如本気になったのだろう。


「ありがとうございます、ヒトラーさん!」


 ぼくは大声で彼の背中に叫び、今度は自分が本気になる番だった。

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