第14話

   *  ラインバッハ商会邸応接間  *


 窓の外からパチパチ、と音が聞こえ、ガラス窓に炎の影が揺らめく。たちのぼる黒煙は天空まで伸びる勢いで、周囲に焦げ臭い匂いを放っている。

 燃えているのは屋敷を襲った巨大魔獣で、人々はそれを巨神と呼んだ。すでに息絶えているらしく、暴れることはもうないが、放っておくと腐りはじめるため到着した警察隊の指示で火が放たれた。幸いお屋敷との距離は離れており、建物が延焼することはない。


 警察隊が押し寄せた理由は、この屋敷でアンゲラ・ヴェストファーレン総督が死んだからだ。屋敷に残った住人が一人ずつ取り調べを受け、いまはちょうどロベルタという女執事の聴取が終わったところだった。

 彼女が席をはけると、その後ろに並んでいた男が空いたソファに腰かける。見慣れない軍服をまとい、短く刈り揃えた口ひげを生やした男だった。年齢は30から40といったところか。取り調べ担当官である刑事は、口ひげの男が座った途端、部下に耳打ちされ、その囁きに小さく頷いて言った。


「貴公があの魔獣を――巨神を倒したそうだな。おかげで街は守られた。見事な鎮圧に感謝する」


 すでにこの屋敷で起こった悲劇の詳細と、プロヴァンキア教会領から越境した巨神による被害はあらかた調べがついていた。目の前に座った口ひげの軍人が★11の宝呪を用い、圧倒的な強さを誇っていた巨神を恐るべき早技で葬り去ったことも。


「貴公の職業は……軍人か?」

「違う」

「まさか、大道芸人か?」

「それも違う。意味が通じるかわからんが、我は転生者だ」


 取り調べにあたった刑事は冒険者ではないが、この世界の不思議な出来事を警察官という立場からよく知る人物だった。

 転生者とは、前世の記憶をもち、この世界に生まれ直した者たちのことを言う。赤子のときから大人と同じ知性を宿すことが多く、生きる目的がはっきりしているため、成長してひとかどの人物に育つなど、優秀な人間がじつは転生者であると判明したりすることは多い。


「そこにいるアドルフという小僧が生まれたとき、我もその心に転生をはたし、あやつの別人格という形で育った。心の一部になったことで、成長する速度が三倍ほど早かったために現在39歳だ」

「なるほど、その服は?」

「転生を導いた天使に貰った。裸では様にならんという理由で前世の制服をな」

「ふむ。変わった事例だが、転生者にはよくあることらしい。細かいことは追及しないよ。何しろ貴公はあの巨神を討ち滅ぼし、地上に平和をもたらした恩人だ。重ねて感謝する、ヒトラー殿」

「慎んで受けとっておく」


 刑事は取り調べを通じ、転生者がヒトラーという名であることを知っていたのか、別れ際に名前を呼び、軽く握手を交わした。

 ヒトラーと呼ばれた転生者は、取り調べが終わると席を立ち、そそくさと女執事のロベルタを捜した。魔力が尽き、意識を失ったままのアドルフを彼女に預けたからだ。

 ヒトラーは刑事にこそ社交的な一面を垣間見せたが、だれが見ても傲慢な印象を抱くほど面構えが悪く、異様なほど目力が強い。取り調べたを終えた後の彼に話しかけるには、相当な勇気が必要だろう。

 しかしそんなヒトラーがまっさきにアドルフのことを慮るのだから、人間は複雑だ。見た目だけで判断すれば、ヒトラーはとても子ども好きとは思えない容姿だったが、ロベルタを捜して目線をきょろきょろ動かしている姿はどこか滑稽であり人間味を感じさせた。

 そう、ヒトラーはどこか人間臭いのだ。目つきは鋭いが、短い口ひげが良いアクセントになって親しみやすさを醸しだしている。

 だから彼を捜していた者たちも、その姿を発見した途端、無遠慮に肩を叩いた。


「スターゲイザーを所持しているのは貴公か」

「なに?」


 ヒトラーが振り返ると、そこには4人の冒険者パーティーがいた。魔獣と一戦交えたばかりと言われても腑に落ちるほど薄汚れた外見だが、リーダーと思しき魔導師はえも言われぬ品格があった。


「わたしはフリーデ。この屋敷の主であるラインバッハ殿に★11の仲介を頼んだ者だ。あそこにいる女執事から貴公が実装したままだとうかがった。返却して頂きたい」


 フリーデと名乗る女魔導師は応接間の片隅を指差し、そこには目当てのロベルタとアドルフの二人が座り込んでいた。


「あんなところにいたか。屋敷の住人なのだから図太くソファを陣取ればいいものを」

「ちょっと待て。話はまだ終わってない」


 くたびれた様子の冒険者パーティーだったが、本来は歴戦の猛者と見え、悪辣に笑うヒトラーの行方を堂々と遮った。

 しかし交渉はそこまでだった。目障りな虫を踏み潰すようにヒトラーは彼らを相手にしなかったからだ。


「宝呪といえば、★8つがあっただろ。そちらで満足せよ」

「サイレントエンペラーなら、エジルという従者が盗んでしまったらしい。いずれ捕まるのかもしれないが、交換する宝呪が必要だ。★11の所有権はわたしにある」

「勘違いしているようだな」

「なに?」

「スターゲイザーを取り戻したいようだが、結論からいえば、我はこの宝呪を望んでおらん。宝呪が我を選んだのだ。その証拠に外そうとしても外れん。だいいち、我の働きがなければこの街は壊滅していた。お前たちが命拾いしたのは◆11の力ゆえだ」


 フリーデとて◆は8つもあるのだから、普通に考えれば抜群に優秀な冒険者だ。しかし頂点をきわめようとしたからこそ、最高位の宝呪を使える◆11の重みを感じとったと思う。

 その証拠に彼女は、それ以上ヒトラーに絡まなかった。命拾いしたという言いがかりも真実味があったのだろう。細い腕を伸ばし、パーティーの仲間を抑え込む真似までした。それは決して争うなというジェスチャーに他ならない。


「納得したか。というより、そもそも戦闘で勝てる見込みは存在せんからな」


 最後にヒトラーが放った捨て台詞が全てだった。彼はフリーデと相対している間、微弱な殺気を絶えず発しており、それはフリーデたちも同様だったが、気迫で上まわったのはヒトラーのほうだった。戦闘がはじまれば、どちらが勝つかは明白。その単純な理屈に、フリーデたちは屈したのだ。


 無血の勝利を噛み締めたヒトラーは、ロベルタたちの佇むほうへと靴先を進める。

 そこにはちょうど、屋敷の令嬢が重い足取りで歩み寄っていた。憔悴した様子はどう見ても明らかで、心配したロベルタは眉をひそめて言った。


「お嬢様のお力になれず、申し訳ありません。ですが、保有する宝呪を売却すれば、以前と変わらぬ生活を送れます。どうかご安心を」

「せめてあなたにはお屋敷に残ってほしかったわ。コックも修業先に帰るようだし、これでわたしはひとりぼっち……」

「お館様が亡くなれば、解雇される契約でした。わたし自身、これからどう生きるのか自分と向き合ってみたい気持ちなのです。薄情な真似をお許しください」


 短いやり取りを経て、ロベルタは頭を下げた。それを無言で受けとった令嬢は、片手を小さく振って、亡霊のごとき気配を残し応接間のドアへと吸い込まれていく。

 一瞬退屈そうになったヒトラーだが、すぐに視線を戻し、アドルフを抱擁するロベルタへと向き直った。


「小僧の意識はまだ戻らぬか?」

「ええ。目覚める様子もないですね」

「なら仕方あるまい。こやつは我が連れて行く」

「どこへ?」

「プロヴァンキア教会領のポツダムという街に祖父の家がある。こやつ自身、その祖父にやる薬か宝呪を手に入れたら奉公を終える気だったようだが、目的の宝呪は我がかすめ取った。長居は無用というわけだ」

「ポツダムはわたしの実家と同じ方角です。同行させて貰えませんか?」

「構わぬが、理由は?」

「アドルフ君の上司だった責任感というか、目が離せない気持ちなのです。次の落ち着き先を見つけられるまで、彼の行く末を見届けてやりたいというか」

「小僧はお前のことを信頼しておった。いいだろう、同行を許可する」


 ロベルタの願いを聞き入れたヒトラーだが、無意識に弄んでいた宝呪を革袋にしまう。


【呪術解除☆☆☆】


 それがラインバッハ邸の宝物庫から奪った宝呪だ。アドルフの欲しがった星無しではないものの、ヒトラーは当初からアドルフが◇11の枠を持つことを知っている。自分の持つ◆11と打ち消し合う形で、アドルフの枠がゼロになっていたことも。

 どのみちヒトラーと分離したことでアドルフも本来の力を取り戻す。自分が祖父を助けられると知れば、彼は心底喜び、願望を自信に変えるだろう。ヒトラーはその感動的な光景を想像し、心地よく「ぐわはは」と笑いあげる。


 そのときだった。


『宝呪の獲得、おめでとうございます! この画面では勇者選抜選挙のエントリーを行えます。星8つ以上をお持ちで出馬希望の方は画面下部のエントリーボタンをタッチしてください』


「何ですか、いまの声は?」

「この宝呪から聞こえた。音が鳴って声も聞こえてきた」

「勇者選挙と聞こえましたが?」

「ああ、そうだな。ぽちぽち、と……うむーっ!!」

「大丈夫ですか?」

「うっかりボタンを押してしまった――!?」


『勇者選抜選挙にエントリーして頂き、誠にありがとうございました! つきましては期日までにアルザス自由領領都ストラスブールまで赴き、本エントリーを完了してください。ご来訪お待ち申しあげております』

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