第13話

 お屋敷の惨殺をなす術もなく眺め、自分が星無しじゃなかったら――という思いはどこかにあった。

 特においちゃんが無防備になったとき。守りたいが、何もできることはなく、巨大魔獣の攻撃からロベルタさんに助けて貰い、皆の足を引っ張っている自分にも怒りが湧いた。


 そんなときだった。おいちゃんが足首に巻いた端末を外し、手首にはめ直したのは。


「パーティー仲間に裏切られて、魔獣を殺すのに嫌気が差してたんだがね。けどおいちゃんがやらねぇで、だれがやるってんだ。下がってな、アドルフ、ロベルタ」


 少し気障っぽく言ったおいちゃんの手には★11の宝呪。茫然としたぼくも、テレザお嬢様を抱いたロベルタさんも、一瞬何が起きているのかわからなかったに違いない。

 スターゲイザーとかいう最高ランクの宝呪。そんなものを扱えるのは、千年前に混沌時代の世界を支配した魔王のみだった、とロベルタさんが言っていた。それ以来、遺跡から発掘されることはあっても実装できる者は一人としていなかったという話を。


 けどぼくは何も知らなかった。おいちゃんのことを。彼の能力も。


 おいちゃんの端末に浮かんだのは10つの◆だった。数え間違いと思ったけど、そんなに多くの枠を保持していたことにぼくは驚く。心の底から。


「星1つ違いなら、ひょっとすると動くかもしれねぇ」


 そう言っておいちゃんは、自分の端末にスターゲイザーをはめ込んだ。状況を打開しようとして、彼が一か八かの賭けに打って出ている間も、巨大魔獣の脚がひらひら揺らめいていた。まるでぼくたちを愚弄するかのように。


「動けぇええ!」


 カチリ、と宝呪の実装した音が聞こえた気がした。しかし次の瞬間、ぼくは激しい落胆をあじわう。


「ぐわあぁああっ!?」


 絶叫と爆発音が同時にあがり、おいちゃんの体が2メーテル以上も吹っ飛んだ。枠を超えた宝呪を無理やり実装したため、エラーが起きたのは間違いなかった。

 そして、ついさっきまでおいちゃんの居た場所に、彼の端末と★11の光を放つスターゲイザーが落ちていた。ぼくとの距離はわずかだったけど、いまの失敗を見ていると地獄に通ずる禍々しい物体に見えてしまう。

 ついさっきまで希望の証に感じた宝呪が、絶望の象徴を思わせた。

 視界の隅にお嬢様とロベルタさんの姿が映る。このままぼくたちは死ぬのだろうか。恐怖のあまりしゃがみ込み、無力な諦めが口をつこうとした。


 ――バカ者。このまま犬死にされては困る。


 声?


 ――あの宝呪を拾え、戦うのだ。


 ぼくの頭のなかの声はときどき鮮明になる。けれど、いまの声はかつてなく明瞭だった。男でも女でもない声だが、しゃがれたトーンが耳に残る。


「な、何なんだよ、戦えるわけないじゃないか!」


 ふと苛立ちを洩らすが、体は逆の行動をとった。星無しのぼくにできることなんて何もないとわかっていても、なぜか床を這い、宝呪に手を伸ばす。

 理由は衝動的すぎてわからない。すると頭のなかの声は、急に饒舌になった。


 ――我は、お前のなかに眠っていた怒りと悪意の全てだ。実力主義の世界を嘆き、理不尽な大人を憎み、悪人に羨望しながら星無しの自分に幻滅する。お前はこの屋敷に来てからというもの、ずっと悪意をため込んできた。しかしそれはお前自身のものではない。お前の心に取り憑いた我のものだ。


 声はぼくに〈悪意〉と言ったけど、ぼくはこのとき自分を突き動かす衝動の正体に気づいた。それは、純粋にだれかを守りたいという気持ちだった。ロベルタさん、お嬢様。生き残った二人を、ぼくの力で。

 ずっと自信がなかった。でもそれを、何もしない言い訳にはしたくなかった。


 ――お前はいま、お前自身を取り戻しつつある。悪意のないお前は自信を欠きつつも、汚れなき勇敢な心を持つ少年だ。それは我とは相容れぬ。切り離し、自信を得るのだ。あの宝呪を掴み取ることで。


 ぼくの一部だった声が、はっきり他人のものとして聞こえる。その間にも、床に落ちた宝呪を素早く拾い上げた。男でも女でもなかった頭の声は、次第に威圧的な男性のものとなる。


 ――でかしたぞ、小僧。そのままじっとしておるのだ。


 ぼくはこのとき、自分の体に何が起きているのか最初は理解できなかった。ただ、ぼくを見るロベルタさんたちの視線が驚愕に染まっていくことはわかった。そして、背中に唐突な重さを感じ、押し潰されるような感覚をあじわったことも。

 背後を振り返って理解した。そこには髭を生やした中年男性がおり、ぼくの体から分離しつつあった。

 重さのある幽霊――そんな奇怪なものを連想したが、なんて非常識な現象だろう。

 男性の服装は見たこともない軍服だった。そして彼は、床に転がったおいちゃんの端末と★11の宝呪をぼくから奪い取り、唄うような声で言った。


「ふむ。天使のやつがあつらえたわりに体としっくり馴染むではないか」


 端末を手首に巻きつつ、軍服の袖に指で触れる。それはまるで流れるような動作だった。おいちゃんが吹き飛んでからたった数秒だけど、ぼくの頭に聞こえていた声はべつの人間の姿をとり、手首の端末には大量の◆が浮かびあがる。瞬時に数えると全部で11個もあった。


 それが示す意味を、ぼくは稲妻のような速さで閃く。


「理解したようだな、小僧。我はこのスターゲイザーを使いこなせる。あの化物を駆逐してやろう」

「確かに◆が11個あれば――というか、誰なんですか、あなたは!? 名前くらい名乗ってください!!」

「我の名か? アドルフ・ヒトラー」


 大声で怒鳴ってしまうぼくだが、謎の軍人はこくりと頷き、みずからを名乗った。ヒトラーという姓に聞き覚えはあり、奇しくも上の名前はぼくと一緒だった。


「★11が使えることはわかっておったが、心の牢獄がこうも容易く破れるとは想定外であった。表に出られたのは僥倖に他ならん」

「……心の牢獄?」

「まあ、ピンと来ないだろうが、我はお前と一心同体で、心の底に封じられておったのだ。しかしお前が死ねばこの我も死ぬ状況になった。おそらくそれで心の檻が弛んだのだろう。詳しい理屈は我も知らん」

「ぼくも全然わからないです」

「修羅場では理屈より感性を優先させよ。それが戦いの鉄則だ」

「じゃあ、ぼくを――ぼくとこの場にいる全員を守って!!」

「御意。願いを承った」


 そこまで言うと、ぼくの体から出現した謎の軍人は、靴音を立てつつ前に進み出る。魔獣によって破壊され尽くした部屋を歩くにしては、その動作はあまりに優雅だった。そして自信に満ち溢れている。

 おいちゃんと同じくらいの年齢に見えたが、オーラが違った。仕事上、たくさんの優秀な冒険者を見てきたけど貫禄が段違いだ。


「機能が多すぎるな、これか?」


 ――フェーズ5、【遠隔照射ファイエル


「これっぽいな。どれ、ポチポチと」


 宝呪を使い慣れていないのか、軍人は声に出しながら端末を操作する。オーラとのギャップが激しく、ぼくはその様子を唖然としつつ凝視したが、


「ぼさっとするな。お前は我の主人マイスターなのであろ」

「えっ!?」

「無防備すぎると言っておるのだ。ええい、こっちへ来い。我の体から離れるな!」


 鋭い声で一喝すると、ヒトラーと名乗った軍人はぼくを抱きかかえ、軽やかにジャンプした。その直後、巨大魔獣の脚が居間を襲い、調度品が粉々に砕け散る。

 しかしぼくは、無事だった。驚くことに軍人は、ぼくを抱えたまま敵の脚へと着地し、高波に乗るかのごとく魔獣の胴体めがけて一直線に走ったのだ。

 とんでもない身体能力だったが、驚いている暇はない。軍人はぐらつく足場を踏みしめて宝呪を巻いたほうの腕を高々と掲げた。そして高らかに叫ぶ。


「スターゲイザー、こやつを殲滅せよ!!」


 そのひと言を聞き、ぼくは理解する。★11の宝呪の攻撃範囲はおそらく持ち主の近くにあって、的確な一撃を浴びせるには胴体に接近せねばならなかったことを。

 瞬時に得た想像だったが、その真偽は現実が教えてくれた。謎の軍人が天空を指差すと、きれいに晴れ渡っていた空がごぶり、と鳴り、一筋の光が降ってきた。ぼくの目の前に。


 その光はあまりに眩しく、ぼくは一瞬視界を失った。ほとんど同時に経験したことのないほどの衝撃が襲ってきて、ぼやけた視界のなかで魔獣は後ろにのけぞった、哀しげな悲鳴をあげながら。自分の体重を支えきれず、崩れ落ちようとしているのは間違いなかった。


 閃光で失った視界がはっきり戻ったとき、魔獣の頭部にあたる部分は残らず消失していた。たった一度きりの攻撃で、致命的なダメージを与えたことがこれ以上なくわかる姿だった。


「やつの瞳から光が失せていくな。これで約束どおり、お前と仲間を守ったぞ」


 敵の体が傾ぐにつれ、こちらの足場もぐらついてくるが、軍人はぼくを抱えた状態で倒れゆく長い脚を滑るように走り、先ほど飛び出した屋敷の窓へ軽々と戻った。

 全てが計算づくだとすれば、とんでもない早技だ。宝呪の力だけでもない、的確で力強い体の動きだけでもない、敵との駆け引きに勝つ頭の良さだけでもない。そのどれもが完璧に思える。

 これが◆11の力なのか、とぼくは息をつく。千年前の魔王に匹敵するということは、人知を超えたとんでもない悪人なのだろうけど、ぼくは逆に安心感を覚えた。

 すると――


「どうした、小僧?」


 唐突に意識が薄れはじめた。全身の力が抜け落ち、視界が白い闇に染まっていく。最後に見た光景は、軍人の端末に浮かぶ◆11の表示と、虚空に手を伸ばしたぼくの腕。

 手首に巻く端末にはなんと、◇11の光が点滅している。驚愕に目を見張るが、間違いなかった。


「一撃で魔力が切れたか。力の加減が難しいな」


 軍人は顔の半分だけ笑い、あごに手をやるが、途切れゆく思考は一瞬で頭を駆けめぐった。


 ――ぼくが星無しだったのは、ひょっとして枠である◆11と◇11が打ち消し合っていたから……?


 その疑問の答えをうっすら感じながら、ぼくは軍人の腕に抱かれつつ瞼を閉じた。

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