第12話

 この日、ラインバッハ家は、悪夢を見た。


「お勤めご苦労様。お屋敷での経験を次の仕事に役立てなさい、アドルフ」

「過大なお言葉、恐縮です。奥方様」


 結局ぼくはお館様たちの言い分を受け入れ、お屋敷を去ることにした。そんな決断を下し、早々に荷物をまとめたぼくを、奥方様はバツの悪そうな顔で見送ってくれる。エジルさんに足のマッサージをさせている彼女だったが、よく見れば罪悪感のようなものを浮かべ、お館様が用意したという退職金を手渡してきた。娘の不始末を金で解決する都合の良い手切れ金だ。

 それでも、ふいに思ってしまう。

 もしぼくが高ランクの宝呪を実装した優秀な冒険者であったなら、このような処遇をされただろうかと。何者でもない下僕という立場でなかったら、ぼくはお嬢様の願望を受け入れ、それをお館様たちも認めてくれたのではないかと。そんな未来はあったのではないだろうか。

 実力主義が行き渡ったこの世界に、星無しのぼくの居場所はなかった。一旦は実家に戻り、次の仕事を探すことになるが、そこにもきっとぼくの居場所はないのだろう。

 下僕の荷物などたかが知れている。布製の袋を背負って居間を辞去しようとした。エジルさんの視線を背後に感じた。とても悔しかったが、下僕が従者に笑われるのは当然のことだ。


 そのときだった。

 俯いていたぼくが顔を上げたところ、正面の窓に巨大な物体――もしくは生物が迫っていた。どうしてこうなるまで気づかなかったのか。恐怖で肌があわ立ち、次の瞬間には庭に面した窓ガラスが激しい振動をはじめ、辺りの空気がビリビリと震える。


 異常事態だ。咄嗟に身の危険を感じ、ぼくはその場にしゃがみ込んだ。


「奥方様! 西の離れにお逃げください」


 振り返ると居間のドアが開かれ、ロベルタさんが部屋に飛び込んできた。

 その後ろから、金庫を持ったお館様と、箱のようなものを手にした妙齢のお客様が駆け込んでくる。商談をしていたのだろうけど、どうして離れに逃げなかったのか。

 その理由はすぐに判明する。


「せめて★6つと7つは持ち出さねば!」

「ラインバッハ殿、そんなものは後回しだ。早くサイレントエンペラーを出してくれ、わたしがそれでやつと戦う!」

「……もう交換済みだ!」

「血迷ったのですか? 優先順位があるでしょう!」

「うるさいうるさい! ロベルタ、お前が命懸けで戦え!」


 お館様とお客様がもみ合い、それを見かねたロベルタさんが体を割り込ませ、お館様の金庫を奪う。

 隷属魔法があってもそれくらいのことはできたのか。会話の内容は半分も理解できなかったが、突然現れた謎の巨大魔獣と戦うことより、お館様が屋敷の利益を守ろうとしたのは一目瞭然だった。


「何をするロベルタ! わしが死んだら隷属魔法は解け、そうなったら宝物庫は――ラインバッハ家はおしまいなのだぞ!」


 喉をからして怒声を放つが、ロベルタさんは魔獣との戦いを優先したのか、お館様から奪い取った金庫を開け、そのなかに収まった宝呪をお客様に手渡していた。


「敵は殲滅せよとのご命令でした。それを実行するには総督閣下に戦って頂くのが最善かと」

「くそう! 世迷い言を!!」


 体力勝負となれば、ロベルタさんに敵う者はいない。依然として怒りを撒き散らすお館様を尻目に、宝呪を受けとったお客様――総督閣下が端末にそれを差し込んだ。


【砲撃★★★★★★★★】


 少し離れた距離だが、ぼくは端末に光る宝呪のスキルを読みとれた。

 すると、離れた空間から転送されてきたかのように、応接間を占領する砲身が三挺、急速に実体を持ちはじめた。細かい粒子が形をなし、瞬きする間に三門の大砲が出現する。

 とはいえその動きは、若干遅かったかもしれない。

 ざっと見ただけで、魔獣には脚が何本もあることはわかっていた。そのうち一本が、猛烈な速度で部屋を両断する。


「――砕け散れっ!」


 総督閣下の号令に従い、宝呪の力によって具現化した大砲が空気を斬り裂く音がした。サイレントエンペラーとかいう名称に即して爆発音はなかったが、かわりにものすごい風圧が周囲を襲う。


「やったか!?」


 解放された★8つの威力を目の当たりにし、腕で頭を覆ったお館様が正面の窓を睨みつける。

 その視線に映ったのは砲撃が破壊した魔獣の脚だっただろう。おそらく根元から半分近くが失われ、室内にむけられた攻撃は一時的に停止した。


「お館様。巨神を倒した冒険者から連絡がきましたが、戦闘時と比べ、瞳の色が異なっているそうです」

「より凶暴になっているのか?」

「ラインバッハ殿、下がってください。次はより派手なのを撃ち放します」


 先ほどの攻撃で居間はまっ二つになっているため足場は不安定だったが、その程度の不安定さで機動を弛めなかったのか、砲弾をリロードした★8つの宝呪は次の一撃を音もなく撃ち放った。

 砲弾は巨神と呼ばれた魔獣の胴体を直撃し、その体が大きく後ろへ傾いだ。魔獣に着弾するごとに地響きのような音が鳴り、ついでその土手っ腹に二つ、三つと穴が空く。


「さすがは総督閣下!!」


 爆煙の隙間から顔を出す、お館様と総督閣下の姿がぼくの視界に入った。先ほどまで宝呪の使用に反対していたお館様だったが、巨神に打撃が与えられるのを見ると総督閣下に喝采を送った。


 しかし束の間の賛辞は、遠くでゆらめいた複数の脚にかき消される。


 宝呪が生み出した大砲が次の砲弾をリロードしたときだった。さらなる破壊をもたらすはずった砲身の先で、残り七本となった敵の脚が陽光を浴びつつ揺らめいたのだ。

 瞬きする間もなく、そのうち三本が部屋の反対側に猛烈な速度で突き刺さった、進行上にあった物体を根こそぎなぎ倒す形で。

 それは圧倒的な攻撃だった。そして、宝呪を用いた戦闘の弱点を赤裸々に暴きたてた。


 反射的に目をそらしたけど、ぼくは見てしまった。敵の脚をまともに受け、お館様と総督閣下の胴体がまっ二つに吹き飛ぶところを。

 使用者がいなくなった宝呪はどうなるか、ぼくは断片的に知っている。その知識が間違いではなかった証拠に、★8つの宝呪が生んだ三門の大砲は希薄な影となり、数度点滅したのち、ふっ、と消え失せた。あとにはだだっ広い空間だけが忽然と残った。


 ぼくはおいちゃんに聞いたことがある。相手が強い魔獣であるほど、単独で戦うのは危険だと。戦闘には攻撃と防御があるけども、両方同時にこなすのは不可能に近い。そのために冒険者は、防御が手薄になるリスクを下げるためにパーティーを組むのだ。


「あなた!」

「いけません、奥方様」

「何が起きたの? お父様? お母様?」


 ぼくが顔をあげると、悲鳴を発した奥方様がお館様の遺体に駆け寄り、その動きをロベルタさんが必死に止めていた。そしてその背後に、お屋敷の襲撃に動転したお嬢様の姿があった。安全を最優先するべき場面で、ご両親の指示がなければ的確な行動ひとつとれなかったのか。

 それは想像にすぎなかったが、あながち間違いでもないようだった。


「テレザお嬢様、離れに逃げましょう」


 よく見ると、彼女の手を引いている人物がいる。コックコートを着たおいちゃんだった。襲撃の最前線であり、もっとも危険な居間に人が集まってくる。唯一の戦闘兵器が消失したいま、死地に飛び込むようなものなのに、混乱したお屋敷の住人は最善の動きをとれずにいる。恐怖に固まったぼくも含めて。


「入ってきては行けません!」


 金切り声で叫んだロベルタさんだったが、敵の攻撃は容赦してくれなかった。不気味に揺らめく数本の脚が速度を増し、再び居間全体を蹂躙していった。

 動きを止めたぼくの前で、奥方様の首が天井まで吹っ飛んだ。そして加速した脚の一本が、ぼくの頭上からしなった鞭のように振り下ろされてくる。

 死んだ、とその瞬間思った。しかし、なぜか命拾いした。

 視界の片隅で、ロベルタさんが得意のナイフ投げを披露し、その威力で脚の軌道がわずかに逸れたのだ。けどその程度のことで、部屋の混乱が収まるわけがない。


「エジル、一緒に戦ってくれ」

「ごめんだね。隷属魔法が解けたんだ。おれは宝呪を頂いてお屋敷とおさらばさ」

「貴様!」


 ロベルタさんはお嬢様の体を抱きかかえ、同時に戦闘を続けているが、従者のエジルさんは挑発的な顔を歪め、総督閣下の端末から★8つの宝呪を盗んでいた。

 混乱にまぎれ、自分の利益だけを追求しようとする人間――。

 そんな人間を横目に、おいちゃんが膝を突き、歯を食いしばっていた。コックコートに血が滲んでいる。どこか負傷して、動けなくなったのは明らかだった。


 しかしそこから、おいちゃんはとんでもない行動に出る。


「転がってた宝石箱を拾い上げてみりゃ、噂の★11があるじゃねぇか。やるしかねぇな、こうなったら」


 血の混じった唾を吐き捨てたおいちゃんが、その宝石箱の中から銀色の宝呪を取り出し、へへっ、と笑った。彼は冒険者を引退しており、手首に端末も巻いてない。どうやって使う気なのか、そもそも使えないはずだろうという思いを無視して、おいちゃんは足首に隠していた端末を素早い動きで外した。


「――――」


 ぞわり、とぼくの内部で、馴染み深い声がうごめく。言葉でさえないようなくすんだ声が。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る