第11話

   *  ラインバッハ商会邸応接間  *


「遅れて申し訳ありません。下僕のやつが性懲りもなく裏切りましていささか揉め事が」

「構いません。わたしこそ早い時間に押しかけた」

「失礼いたします」


 お館様ことラインバッハと、アンゲラ・ヴェストファーレン総督領当主が顔を合わせた途端、二人分の紅茶をトレイに載せて女執事のロベルタが部屋に入室した。

 しかし彼女はあくまで家具。使用人歴も長く、ラインバッハが逐一気を配らなくても与えられた仕事を完璧にやってのける。したがってラインバッハは、ロベルタにひと言も労いの声などかけず、アンゲラの座るソファの前に腰を落ち着け、使用人などいないかのごとく商談をはじめる。


「すでにご提示した条件で問題ないとのことですが、あとは仲介料が売値の10%になります。とはいえ、1億ギルダはさすがに過分と存じまして、特別に100万ギルダでご納得頂きたく。いかがでしょうか?」


 仲介業とは、自分の懐を痛めず、商品の交換で金を得る仕事だ。たったそれだけで100万ギルダも要求されるアンゲラは内心不快に思ったかもしれない。だがアンゲラが次の勇者選に懸ける思いを汲み取っているラインバッハは、100万ギルダ程度でこの世界の指導者になれることを思えばまったく安いものだと考えており、値引きしたことを感謝してほしいとすら思っていた。


「仲介料は問題ない。それより早く、スターゲイザーを見せてください」

「承知いたしました」


 ロベルタが配膳した紅茶をひと飲みし、真顔になったラインバッハは持参した金庫のダイヤルをまわし、重厚な蓋を音もなく開け、なかにしまった一個の宝呪を取り出してみせる。


【全知全能★★★★★★★★★★★】


 アンゲラが所持する★8つでさえ、世界にたった10個しか現存しない宝呪なのだが、実物を見るとその偉容に彼女はため息を吐いた。漆黒に輝く11の星は神秘的な光を放ち、本体となるプレートは深淵な湖を覗き込んだような深みがある。そして浮かびあがった能力名は全知全能。伝説でしか知りようのなかった宝呪は、その能力もまた未知数だ。ひとつだけ明らかなのは、それが神の領域に到達していることだった。


「千年前の混沌時代、史上最悪の暴君と恐れられた魔王が使ったという伝承以外、この宝呪について何も知らない。ラインバッハ殿は?」

「わたくしもです。このような逸品が目の前にあること自体、奇跡に感じます」

「確かに奇跡なのでしょうが、実感が湧かぬものですね。スターゲイザーを発掘した冒険者パーティーは守護していた魔獣と死闘になり、命懸けで手に入れたのでしょう。実際この宝呪の能力を試してみるまで夢うつつの気分です」


 そう言ってアンゲラは、おのれが持参した★8つの宝呪、サイレントエンペラーを宝石箱から取り出す。


「これと交換、という形で本当によいのですね?」

「◆8つの者にとって★8つの宝呪はスターゲイザーにも匹敵します。枠の拡張は危険すぎますから」

「そのとおりですが、この世界に二つしかない星11を所持したと知れば、民衆はわたしに敬意を通り越し、畏怖の念を抱くでしょう。そうなれば次の勇者選、勝利はもはや確定したも同然です」

「御武運をお祈りいたします」


 熱のこもる話に没頭した二人をロベルタは黙って見つめている。お茶の配膳は終えたが、ラインバッハは「下がれ」とは言わなかった。それはすなわち、「まだ待機していろ」という命令と同義だった。

 理由はすぐにはっきりする。


「100万ギルダでよかったのですね。このスーツケースに200万ギルダ入ってる。半分持っていってください」

「ロベルタ。お客様の指示どおりになさい」

「畏まりました、お客様、お館様」


 仲介料を支払うと言ったアンゲラは、足元に腰の高さほどもあるスーツケースを置いており、その中に現金が入っているのだろう。きつく締めた牛皮のベルトを無造作に外していく。

 ロベルタはその動きを注視するのは無作法に感じたらしく、遠くの窓へ視線を投げた。


 ところがその視線は、なかなか元には戻らなかった。


「どうした?」


 ラインバッハが呼びかけるが、ロベルタは窓を凝視しており、ついでに彼女は奇妙なことを言った。


「何かがこちらへ参ります」

「参る? 何がだ」

「それがわかりません。非常に大きな物体が――遠くの空に」


 体こそ微動だにしなかったが、異常を感じとったのかロベルタの声はいつになく険しかった。


「気球かな?」


 窓に顔をむけ、訝しげに言ったのはアンゲラだ。彼女の声も困惑と呼ぶには刺々しかった。

 そう、窓の外にぽつんと浮かぶ物体は、強いていえば気球に近かったが、それにしては縦長で、距離感がとりづらく、大きさがわからない。ただ、この屋敷より大きいことだけはわかる。

 そんなバカでかい物体が、徐々にではあるがこちらに迫ってくる。危機感を覚えたのはロベルタだけではなく、唐突に考え込んだラインバッハは独り言のようにこぼした。


「あれはまさか、魔獣か……?」

「その可能性はありますね」


 相槌をうったアンゲラをよそに、ラインバッハはロベルタを見上げて言う。


「確かマニ遺跡に、巨神が出現したという情報があったな。まさか、生きていたのではあるまいな?」

「冒険者が倒したと聞いております。本日総督閣下にお譲りする宝呪も、その巨神が守っていたものです」

「討ち洩らしたのかもしれません。わたしはこれでも魔獣には詳しい。あんなデカぶつは、見たことも聞いたこともないですね。古文書による文献以外では」


 表情を凍りつかせたアンゲラが言ったときだった。ラインバッハの端末が着信の光を放った。


『プロヴァンキア教会領との境界区域から正体不明の巨大生物が発見され、それは退治にあたった兵士を蹴散らしつつ、ヴェストファーレン総督領を北西に進んでいる。オオカミのような瞳をもち、八本の長い脚を生やした、浮遊して飛行する巨大な生物だ。途上にいる住民の方々はご注意、もしくは退避されたし』


 軍が発令する通信文を読んだラインバッハは愕然とした。謎の飛行物体は、彼が巨神を駆逐したというフリーデ一行から聞き取った特徴と寸分違わず一致していたことに。


「間違いありません、あれこそが巨神です」

「130年ぶりに出現した伝説の魔獣か。空より来たりて神意をもたらす巨神。それよりあの巨体、速度を上げていますね」


 顔を見合わせるラインバッハとアンゲラだが、悠長に話をしている場合でないことは間違いなかった。


「なぜこの屋敷にむかってくる?」

「守護していた宝呪の在り処をめざしているのかもしれません」


 回答を求められていなかったが、表情ひとつ変えずにロベルタが口を挟んだ。しかし敵襲という事態に興奮を押し隠せなくなったラインバッハは唾を飛ばして叫んでしまう。


「お前はなぜ他人事のように話す? あれが攻めて来たらまっさきに戦うのだぞ!」

「わたしはこのお屋敷の家具です。お館様のご命令次第で、戦闘はやぶさかではありません。ただ、もし狙いが★11の宝呪――スターゲイザーなら、総督閣下がお持ちになってお逃げくださればお屋敷は守られます」

「お客様に死ねと言うのか! 屋敷の連中を集めて返り討ちにしろ! 討ち洩らした冒険者も呼び出せ!」

「端末の登録番号を控えておりますので、冒険者の方々に来て頂くことは可能です」

「さっきから肝が座っているな。よし、ロベルタ。お前が全体の指揮を取れ」

「敵は殲滅いたしますか? 排除いたしますか?」

「宝呪が狙いという見方は当たっていそうだ。排除はできんだろう、殺せ!」

「お館様のご命令、承知いたしました」


 ロベルタは素早く一礼し、端末を操作しはじめた。まだこの街に逗留しているフリーデ一行に通報を入れ、援軍を呼んだのである。


「巨神といえば、かつて城塞都市を7つも壊滅させたこともある化物です。手勢は多いほうがいい」


 アンゲラの助言はおぞましい未来を予見させる。それでいてスターゲイザーをしまった宝石箱を大事に抱えているあたり、それと引き換えに死人を出すことなど彼女は何ら躊躇していないようだ。戦闘の指揮を託されたロベルタにも、そのことだけは火を見るより明らかだった。

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