第10話

「よく来たな、アドルフ。お前は――クビだ」


 お館様によると、テレザお嬢様はショックで臥せっているという。

 ぼくはちょうど、日曜の遅い朝食の準備でおいちゃんの手伝いをしていた。そこへロベルタさんづてに呼び出しがあったのだ。


「待ってください。どういうことなんですか?」

「どうもこうもない」


 居間に顔を出すと、お館様は怒りで真っ赤になっており、唾を吐きながらぼくのことを罵った。


「娘がお前に襲われたと言ってきた。鞭で打たれないだけありがたく思え。隷属魔法がかかっていながら娘を襲うとは、魔法を施していなかったらどうなっていたことか。ああ、おぞましい」


 確かに、罪を咎める口調のわりに、お館様は鞭を手にしていなかった。しかしそれは、ぼくへの処遇が鞭を打つまでもなかったことを意味している。


「言い分を聞いてください。ぼくは無実です」

「弁明など聞くものか。そのまま実家に戻るか、魔法石の採掘所で働くか選べ。金を稼がずにここを離れるわけにもいくまい」


 お館様は、遺跡のそばにある採掘所のほうを指差した。気の短い彼が「採掘所には紹介状を出してやる」と言ったのを、ぼくは違和感をもって眺めた。理由はすぐに思いつく。お嬢様の訴えが表沙汰になると、彼女の評判が下がるから裏で穏便に済ませたいのだ。

 それにひょっとすると、お嬢様の訴えが嘘だと薄々わかっているのかもしれない。


「ぼくはだれにも言いません。だから今までどおりお屋敷で働かせてください」


 一歩も退かない覚悟で言ったのは、魔法石の採掘所はここで働くより何倍も過酷だと知っていたからだ。人間にとって最後の働き場所であるという話も聞いたことがある。待遇は奴隷並みだと。


「…………」


 ぼくの反論が功を奏したのか、お館様は顔をしかめて言葉を失った。娘の訴えを聞き入れたが、真実がどこにあるのか、本当はわかっているのだろう。下手にクビにすると悪い噂をバラまかれると恐れたかもしれない。しかし同じソファに座り込んでいた奥方様が、虫けらを見るような目でぼくのことを睨む。


「冗談じゃないわ。テレザがその気になったらどうするの」


 そのひと言は、彼女が理解していることを意味していた。ぼくとお嬢様のやり取りが一方的な強姦などではないことを。


「妥協はできん。かわりに退職金を支払う。この件は口外無用だ」


 お館様なりに最大限の譲歩なのだろう。ここまでくると、ぼくは復職などありえないことを否応なく悟るが、どうせクビになるなら最大限の利益を引き出そうという気持ちになった。


「ぼくは【呪術解除 星無し】という宝呪がほしいと思っていました。採掘所で働くのは構いませんから廉価で譲って頂けませんか?」

「わしらはお前と縁を切りたいんだ。その宝呪が欲しいなら退職金をはたいてべつのところで買え!!」


 まるで吐き捨てるようにお館様が言ったとき、「総督閣下が到着いたしましたので応接間にご案内しておきました」という声が入口から聞こえた。背後を振り返るとそこにはエジルさんがいて、彼はニタニタ笑いを洩らしていた。おそらくお館様とお嬢様のやり取りを盗み聞きし、ぼくが解雇されることを知っているのだろう。


 ぼくは思わず彼に、猟師が獲物を射抜くような目をむけたが、ちょうど後ろからおいちゃんが焼きたてのパンを運んでくるところだったため、険しい表情を解いた。自分がだれかを憎む姿は彼には見られたくないと瞬時に思ったからだ。


 できることはたった二つ。ご家族の言い分をのんで引き下がるか、お嬢様に恥をかかせることの二つだ。


「――――」


 不穏な気持ちがざわざわと湧いてくる。たとえどんな処遇を受けようと、ぼくはこの人たちにやり返すことができ、大げさにいえば復讐できる。

 実力主義の世界で生きることが悪人になることならば、ぼくの選択はひとつに定まっていった。

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